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黒鴉銀蠍抄  作者: 偽薬
25/27

(廿五)

 やはり早々に斬り棄てるべきだったのだ。


 元より一城を陥とすなどという途方もない放言、信ずるほうがどうかしている。否、信じたのではない。今生に出でてより今この瞬間まで自分自身が抱いてきた心のささくれ立ちをあの男は軽く刺激したに過ぎない。


 本来無一物であると幼少の頃より教えられ育ってきたせいか、人の身に序列のあることを決定的には受け容れられぬ。容れぬも容れるも、腐れても士分。下位とはいえ支配階級の家に生を享け特別何も成さぬまま当たり前に世襲した身であるというのをいい訳に、所詮下層民の辛苦など理解できぬだろうといった諦観も勿論ある。下層民から見て僅かばかりの高みに立つ自分などがだ、取って付けたような憂い顔で底辺で日々の生活に喘いでいる者らを気に懸けたところで何も変わりはしないのだ、と。

 あくせく働かなくとも喰うに困らぬ、そうした中途半端な立場ゆえのどうしようもない愚考であることは百も承知である。

 いずれにせよ、そうした自分の内なる思いを見抜き、煽り、こうして今刑場の露と消えようとしている我が命をあの男はいったい何処から見ているのだろうか。


 鳥も通わぬ乾いた土地。

 雨もほとんど降らぬ。

 夏は短く冬が長い。

 風ばかりが強い。


 霞む視界の隅に入る幼な子の姿。

 嗚呼、子よ、子よ、自分と変わってくれまいか。できればまだ死にたくはない。


 どうして主家に盾突こうなどと。

 蔵座国の頂点のまします城を陥落させて、さてその後は。どうやら目的と手段はいつの間にやら摩り替り、自分は手段にのみ腐心してしまったようだ。しかしそんなことすらあの時は気付かなかった。今思えば熱病のようなものだったのだろう。魘されている間はその重みが世界のすべてであるように錯覚し、ひとたび熱が引けば悉くが夢幻の如し。

 死に向かう怯えからすっかり熱の引いた今ならば、あの男の言動ひとつひとつに意味があったことがよくわかる。

 すべてが罠であった。

 まるでいいように扱われたわけで、つまりは自分は阿呆なのだ。一介の下級士分の身でありながら、然したる思想も理念もないまま謀反を起こしたところで、否、謀反自体、城を陥とすということ自体は成功した。ただその先がなかった。その点に関していうならばあの男も徹頭徹尾主城陥落の方策及び技術論のみを展開させており、陥落させて後のことはほとんど口にしていなかった。尤も、自分も細かく言及したりしなかったわけだが。


 繰り返すが自分は下級の士卒である。

 我が身に流るる父祖の血を忘れるよう、気にせぬよう生きてきた。


 喉が渇く。


 痺れた眼球を無理に動かしあたりの様子を窺った。

 居並ぶ者ども。その中に知った顔はない。

 官吏も兵卒も皆、城を捨て逃げ出したはずであるのに。自分が投獄されていた二日ばかりの間に戻ってきたのか、それとも新規召抱えでもしたのだろうか。そんなことをつらつらと考える。真剣に現実と向き合っては忽ちに恐怖に潰され、嘔吐でもすることだろう。

 士卒がひとり、刀身に赤錆の浮いた長槍を携え佇立し刑執行の命令を待っていた。


 どうせまだ先だ。


 この後自分の犯した罪状が読み上げられ、下層民には理解の及ばぬ、中央の様式をそのまま流用した被支配階層への啓蒙的意味合いしかもたぬ文言を延々並べ立てる作業が残っている。

 だからもう少しだけ生きられる筈だ。

 やがて文官らしき初老の男が現われた。手に持った書状をこれ見よがしに翻すと、それでも若干のざわめきの残っていた周囲が、そこでようやく静まり返った。


 謀反とそれに伴う罪状、内容と結果。

 死人は出ていない。それは初期の段階からあの男との取り決めであった。

 存外罪状の朗読は早くに終わった。

 喉が鳴った。

 恐怖は勿論あったが、急に光が閉ざされるような耐えがたい閉塞感の方が強かった。

 と。

 ざざと、自分を囲むように周囲に数人の男が立ち並んだ。後は磔台に縛りあげられるものと思っていたばかりに軽く面食らう。集まった民衆も再びざわめいている。

 そこに。

「ざ…残雪」

 居た。

 自分を煽動した男が。

 残雪は無表情に自分を見つめている。

 どうして残雪がこの場にいる。そんな自分の混乱などまるで意に介す様子もなく小柄を手に近寄ってくる。どういう仕掛けかわからぬが、どうやら自分は本当にいいように扱われたらしい。

 その手にした小柄とて自分が。

「残雪!」

 嗚呼死が迫る。

 残雪はこの国には珍しい金属色の長髪を埃まみれの風に散らし、一切の感情を乗せぬ独特の声音でこういった。

「仕上げだ、狗賓」

 どうして。

 どうしてこうなってしまった。

 判断が甘かったというなら際限なく甘かったわけで。

 おのれの身の内に芯だの筋だのを通していたかといえばそんなことは一切なく。ただただ残雪の言葉に乗せられて今までをきた。或いは常人であるならば、このような目隠しで引き摺り回されるがごとき不快感受け容れられるものではないのかもしれぬ。

 後方に道了尊。

 そして飯綱。

 我が家の郎党らが、兵卒に囲まれこちらを見ている。

 桜はどこだ。

 残雪を前にして、自分は妻の姿を求めた。


 いや、いい。

 このようなみっともない姿、桜に見せらりょうか。

 桜とて。

 桜とてこのような無様な姿、見たくもあるまい。それでなくとも謀反人の家族だ、どのような罰が科せられるかは見当がつかぬが、行く先にあるのは汚泥のごとき闇だろう。


 残雪が小柄の鞘を払い、一歩一歩ゆっくりと歩を重ね近づいてきた。

 民衆のざわめきは増す。いっときは我が身に対して明るい行く先を投影し、慣れぬままに戦の真似事までした者たちもその中には大勢居よう。その者どもはいったい今、どのような思いでこの状況を眺めているものか。


 まったく自分のなんと愚かしいことよ。

 諦観を得られぬまま、薄闇に支配された脳味噌を振り、迷妄の底へと音もなく沈み続ける我が心に歯止めもかけることもせず、それどころかもっと沈めと、もっと奥底へと願うばかりの今、自棄も極まった充血した眼差しで、靴音も高らかに歩み寄って来る銀髪の男の顔を見つめた。

 残雪は眉ひとつ動かさない。

 そういう、男だ。

 後ろに佇立する飯綱も同様、表情は冷たく固まっている。それでも飯綱は残雪と違い、どこか感情を押し殺しているような風情があった。否、それはおそらく自分の希望であろう。このまま死出の旅へと出るには、この寒々しい葬列ではあまりにも酷過ぎる。せめて慟哭を、ひとりでもいい我が身の散るを惜しみ悲しんで涙のひとつも流してほしい。そんなことを痺れた頭で考えていると、いつしか眉間に凝った粘性の高い思いがどろりと溶け足元へと落ちていった。

 覚悟を決めるか。

 せめて最期だけは潔く散らねば、それこそ隔世で待つ父祖らに顔向けできないのではあるまいか。


 本当に待っているのか?


 人など死ねばそれまでなのではないか?


 やはり怖い。


 怖い。


 死ぬのは厭だ。


 道了尊のみが若干の憐れみを瞳に宿しこちらを見つめている。ならば。そのような目をするのであれば、ひとこと。ひとこと残雪にいってはくれまいか。


 殺さないでくれと最後の力で叫ぼうと息を吸い込んだ瞬間だった。

「それでは最後の審判だ」

「ざ」

 残雪は外套をはためかせ群衆に向き直ると馬手で逆様に小柄を持ち直し、大声朗々と言葉を発した。


「聞け。

 この中には、過日これより刑場の露と消えるこの狗賓正十郎に付き従って蔵座の城へ攻め入った者が大勢居よう。下を向くことはない。その咎を問うつもりはない。ただ思い出すのだ、そのとき諸君らはどのような思いで城へと続く山道を登ったのかを。その一歩を踏み出すに至った気概は川に流れる木端のごとしか。違うだろう。暮らしを良くしたい、家族を、そして自分を幸福にしたいとそう思ってのことではなかったか。これから諸君らの中心に立った狗賓を刑に処す。罪状は先に読み上げられた通り謀反の罪である。そして今後この国を率いるのはここにおわす正式な三光坊家支配、三光坊宵待公である。


 堕府は来ぬ。


 驚くのも無理はない、しかし堕府の名を出さねば諸君らは動くまい。動かねばこの国を変えられぬ。

 もう一度いう、堕府は来ない」


 残雪の言葉でざわめきが弥増しうねるように天に昇り、やがて風にまかれ霧消した。

 謀反人を炙りだすにしても、

 暗帝を引き摺り下ろすにしても、

 つまりは民衆もまたいいように扱われたわけである。正十郎がそうであるように。

 未だ理解及ばず難しい顔を見せている者、呆気にとられ口を開けたままにしている者、怒りをあらわに残雪を睨みつける者、泣く者やら落胆する者やら、反応は様々であるが一様に場を支配しているのは負の空気である。いったい残雪はこの後どのような幕引きを考えているものか。このままでは暴動も起きかねない。なにせここに集まった者たちの中には、自分たちでも寄り集まれば物事を、国を変えることができる可能性のあることを体感した者たちが多く混ざっているのだ。

 残雪がそれに思い至らぬとも思えないが。

 すると、それまで赤黒い顔で沈黙していた道了尊、否宵待というのか。宵待が憤懣やるかたないといった表情で残雪に近寄っていった。

「人を…」

 人を馬鹿にするのもいい加減にしろと、多分そう叫んだのだろうが言葉の大半は唇を離れた途端に破裂し、ほとんど聞き取れなかった。ただ酷く憤っていることだけは知れた。

 残雪はそんなもの意に介さず、

「この場で狗賓を処刑し、華々しく新政権の誕生を宣言する」

 宵待にのみ向け、そういう。

 残雪は集まった群衆に目を遣る。

「場は整っている」

 宵待は怒り心頭に発し、勢い残雪の胸倉をつかんだ。その様に歓声をあげる者も多い。

「なんの真似だ。貴様は蔵座の王へと戻りたいのだろう」

「俺はこの国を救いたいだけだ」

「支配せねば国など変えられぬ」

「違う!」

「そう思いたいのならそう思っていろ」

 宵待は思いきり残雪を突き飛ばした。

「お前は…」

 宵待は背に負った大鎌を手に取った。

「お前は人の気持ちがわかっちゃいねえ」

 そうだ殺せとどこかから怒声があがった。

 宵待はおのれを後押しするその声に一瞬たじろぎ、動きを停めた。堰を切ったようにそちこちから声が上がる。そうだそうだ殺してしまえと。

 残雪はゆるりと煙のように立ち上がり、乱れた外套の襟を正した。どうあっても動じない、その鉄の心はいったいどのように作り上げられたものか。


「ひとの気持ちなど知ってどうなる」


 まるで声など張っていない。それでも残雪の声は怒声まみれの広場の隅々まで染み入るように行き渡った。

「私を殺して、サテどうする」

 残雪は問う。

 宵待は唸る。

「問うているのだ、答えよ」

 問うて答えねば愚か者、残雪はよくそういう。ならば自分のごとき、考えても答えの得られぬ者はどうすればいいのだろうか。

「答えるのだ、三光坊宵待」

 宵待は手を下せずにいる。

「考えのないまま何かをしょうとするなど愚の骨頂であると、どうして学習できん」

 まるで嘆いているようであるが、その表情は微々とも変わっていない。

「私の命を奪うのは、この先をどうするのか語ってからだ」

 宵待は得物を放った。残雪の言葉通り感情に流されて行動為しても良い結果は得られぬと思ったものか、それとも話の続きが聞きたくなったとでもいうのだろうか。


 そのとき。


 狗賓さんを殺さねえでくれ


 遠くのほうで声がした。

 見れば老爺が両拳を震わせていた。

 残雪は老爺を見た。すると老爺は人込みを掻き分け掻き分けして残雪に近寄ってきた。

「殺さねえでくれ」

 残雪は後ろで手を組み、老爺を見下ろし鷹揚に答える。

「なぜだろう、彼の男は謀反人である」

「それでも。それでも殺さねえでくれ。俺にゃうまくいえねえけど、なんかその、狗賓さんがこの国を治めてくれたなら、うん…貧しいのは変わらねえかも知れねえけど…」

「出来上がった言葉を持ってくるのがいい。まるで要領を得ぬ」

 残雪は老爺であろうと容赦ない。しかし老爺は老爺で、

「いちいちかっきりこっきり答えなんか出せんです」

 黄色い歯を見せいう。残雪は少し俯いて笑っている。

「狗賓さんはな、俺たちと同じもん喰って生きてきたの。先代さんもそう、先々代さんもそう。そんなひとであったれば、上に立っても俺らの苦労がわずかなりともわかってらっしゃろ?」

「価値観が近しい故、まず国民を第一に置いた政治をしてくれるだろうと。そういうことか」

「そんなもんはわからん。でも、なんつうか蔵座にゃ必要な御仁であるような気がする」

「印象でひとを判断するなど、愚かしい」

 考えてみれば残雪は誰が相手でも慇懃無礼な口を利く。それはそれである意味平等である。

 それでも老爺の言葉は、その後ろに群れ立つ群衆に瞬く間に伝播する。


 そうだ殺さねえでくれ


 殺すな


 殺すな


 殺すな殺すなといつしか群衆から大合唱が巻き起こった。

 残雪は鼻を鳴らし、再度群衆のすべてと対峙した。

「ならば問おう。諸君らはここにいる三光坊宵待と、狗賓正十郎そのどちらにこの国を運営してほしいという」

 宵待が言葉を挟んだ。

「民衆に国主を選ばせるってのか?」

「如何にも」

「そんな話聞いたことねえぞ」

「ならば先駆けとなれ」

 残雪は宵待の尖った肩を叩き、

「蔵座の歴史にその名を刻むのだ」

 そう呟いた。

 宵待は化け物でも見るような目で残雪を見て、言葉を返せぬまま酷く緩慢に民衆に目を遣った。


 こいつらに選ばせるだと?


 言葉に出さぬままそう思っているようだ。


 残雪は小柄を握った手を振り上げ、真一文字に振り下ろした。

 狗賓正十郎を束縛していた縄が切られた。


 残雪曰く。


「蔵座建国の祖狗賓家の血脈である狗賓正十郎。片や現支配三光坊家の正統なる継嗣である三光坊宵待。どちらを選ぶかは諸君らの自由。さあ、蔵座の未来を託したい者の名を声高に叫ぶがいい」


 衆愚は大いに戸惑った。

 戸惑って、おのれの中や周囲に言葉を求めるも、結局口火を切ったのはやはり先ほどの老爺だった。まるでそう設定されたように。 

 な、ならばやはり狗賓さんよ


 一度言葉が放たれれば後は奔流の如し。


 儂も狗賓さんになら


 儂も


 私も


 だが三光坊は


 いや


 大丈夫だ


 私らにゃ力がある


 ああそうだ


 力がある


 支えながら共に歩めばええ


 おのれの思いを風に乗せ遠くに運ばせるなどはじめての経験であるはずだ。熱に浮かされたように意見を述べる民衆たちの顔は、寒気のせいばかりでなく一様に上気していた。声はやがて轟々と、狭く固く干乾びた山間の寒村を席巻した。


「審判は下されたな」

 残雪がいう。

 はたして民衆に銀髪の怪人に操られた意識があるかどうかは別として。


「じ、自分に一国の長たる器など」

「貴様に選択の余地はない」

「なんと」

「蔵座の民は狗賓正十郎を謀反人ではなく新国主として迎え入れるといっているのだ」

「しかし自分は…」


「しかしはおやめなさい旦那様」

「桜?」


 残雪を振り返れば、あの特徴的に過ぎる男の姿はどこにもなかった。

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