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黒鴉銀蠍抄  作者: 偽薬
22/27

(廿二)

 残雪がこの先に見ている世界には、誰と誰が残っているのだろう。

 正十郎を、

 頼益を、

 そしてこの国を、

 どうするつもりなのか。

「残雪」

 やはり宵待は名を呼ぶ。そうすることしか今はできない。

「蔵座の民は、今回のことで自分たちが国を変えることができると知った」

「お前が知らしめたんだろう」

「蔵座はな、頭のすげ替えだけではどうにもならぬ貧弱な国だ。その国がおのれの足で立ちあがり、今後も何処へも拠らずにいるためには民の力は必要不可欠だろうと、私は思うのだ」

「それを知らしめるために、狗賓をだしにしたか。片棒担いだ俺がいうことじゃないが、ほんとお前何様だ」

 つい本音が出る。

 そして宵待は、もう少しで怒りに身を委ねそうになる自分をどうにか抑えつけている。

「実に有効に使わせてもらった。民意を束ねるに当たり、建国者の血脈ほど使い勝手のいいものはない」

「そんなもの、それほど大事かよ」

「当然だ。人はなにかを為そうとするとき、他人と、そして自分自身を納得させうる行動意義を欲しがるものだ」

「ふん。それで今後狗賓をどうするんだ。俺はそこまで聞いちゃいない」


 残雪は顔色ひとつ変えず答える。


「公開処刑だ」


「…公開、処刑だと?」

「ああ」

 この、化け物め。

 たとえ蔵座の行く末がこの男の双肩に掛かっているのだとしても、宵待は。

 頼益が少し動く。

 その様を残雪が見、児喰が見、そして宵待が見た。

「頼益殿、まだこの国の王でいたいか」

「居た、いや私は…」

 居たいのだろう。当然だ。王の座から滑り陥ちて後、いったい頼益などにどのような展望が待っているという。

 しかし残雪の極寒の眼差しはそれを許すはずもなく。

「いや。居たくはないもう、よい…」

 頼益は脱力した。

 悪政とはいえぬまでも蔵座の劣化した支配の象徴である、断罪はしなくていいのだろうか。

「児喰よ」

「なんだろうか」

「七鍵に戻って国主に報告するのだな」

「報告とは」

「蔵座は堕府にも七鍵にも与せぬ、屈しもせんとな」

「しかし残雪氏、いったい蔵座をどのように継続させる。我が七鍵が手を伸ばさずとも、いずれ本当の大国がやってこよう」

「国家存亡の策略を敵国に教える愚はなかろう。早く去るのだ」

 大兵はうむと低い声で頷くと、木の床を軋ませて踵を返した。

 その広い背に向かい、

「いまひとつ」

 児喰は振り向きもせず、なんだろうかと返した。

「七鍵で石切彦十郎なる者に会ったら伝えてくれ」

「なにをだろう」

「蔵座には戻ってくるなと」

「了解した」

 児喰高明は胸を張って城を去った。

 宵待は二度ほどいいのかと繰り返した。

「七鍵は敵国なんだ。しかもあの児喰、本国ではそれなりの要職にあるのではないか?」

 なにせ国主から刀を下賜されているほどの者である。

「あいつこそ殺したほうが良かっただろう」

 後顧の憂いを絶つのは戦時の常道。しかし残雪はやや眉間を開いていう。

「児喰を殺すなど、勿体なくてできぬ。それに今はまだ七鍵から不興を買うのは得策ではない」

「しかし石切は七鍵に逃げた。保身の為あることないこと吹くに違いない。七鍵に取り入るため蔵座の情報を漏らすに違いないのだ。…ああ」

 その抑止力とするために石切が在城中極めて不仲であった児喰を本国へと戻したのかと遅ればせながら宵待は得心した。

 なにもかも思惑通りか。

「多少予定は狂ったが、これからだ」

「狂った? どこが」

「貴様は早々に頼益を殺すと思っていたが」

 ひいと、頼益の悲鳴。気づけばこの天守の間の戸口付近にいた。

「お前が殺すなといったから俺は」

「律儀なことよ」

「殺してたらどうだってんだ」

 いって宵待は頼益の襟首をつかんだ。

「あ? なんなら殺してやろうか、今」

「よせ。今はまた別の策の中だ」

「好き勝手いうんじゃねえ!」

 宵待の咆哮に肝を冷やしたのは頼益と雁字搦めの正十郎のみ。

「そうやって人を弄びやがって。人はな、お前の道具じゃねえぞ! 聞いてんのか!」

「意味の通じるようにいえ」

 それはとぼけているわけではなく、残雪の本心であるようだ。

 宵待は弓手に頼益をつかんだまま、馬手で残雪の胸倉をつかんだ。

「確かに俺はあんたの策に乗っかった。身勝手だろうと俺は俺でこの国を救いたかったからだ」

 残雪は、頼益に声をかけた。

「なにをしている、早くこの城を出ろ」

「ふざけるな。お前の望みどおり俺が殺してやるよ」

 再度頼益は悲鳴をあげた。

「心配するな、今更そんなことはさせん」


 こいつッ。


 その瞬間、明らかに宵待の目の色が変わった。以前宵待自身がいっていた、なにもかもどうでもよくなるときが訪れたものか。

 宵待は結局両手で残雪の胸倉をつかみ、力任せに持ち上げ、押し込んで板壁にその背を叩きつけた。

 それでも残雪の顔色は変わらない。

 落ち着いているというよりはやはり、感情がないのだろう。

 頼益は腰を抜かした姿勢で四肢を面白いほど散らせながら天守の間から逃げ去った。

 いったいどこへ逃げおおせるつもりか。どのような場所でも生きられるほど強くはないだろうに、それでも叩き殺されるよりはましか。

 そして宵待は又、遅ればせながら気づく。残雪は頼益を逃がすため、わざと自分を激昂させたことに。

「残雪!」

「怒鳴らずとも聞こえる」


 奴は本気で俺が殺すとは思っていない。


 人は利や保身でのみ動くと思っている。


 おのれに感情のないのが、


 お前の命取りだ。


 宵待は背の大鎌を構えた。

 残雪の心は動いたのだろうか。

 それとも、この展開も織り込み済みだというのか。

「蔵座を建て直すには」

「ああ?」

「聞け」

「聞くか!」

「蔵座を建て直すにはあとひと押し。策は飯綱に託してある」

「託す? なんだお前、だから死んでも構わねえっていうのか? ああッ?」

 残雪は死ぬのは怖くないのか。

「いっときの感情に流されるもよし。しかし貴様がこの国に戻ってきた理由だけは決して忘れるな」

「死ぬのが怖くないてか? それとも俺が本気じゃないとでも思ってんのかッ?」

「いや、死にたくはないぞ。ただ私は人の気持ちというものが今ひとつわからん。ともかく今後は飯綱の指示に従うと約束せよ」

「お前の目的はなんだ。なんのためにこの国に関わる?」

 今ならば答えるか。宵待はそう思って問うた。

「私はそういう者だからだ」

「そういう…? 意味がわかるようにいえ」

「目的も理由もそれほどの価値はない。私は唯国を変える者」

「だから」

 わからねえと叫んで宵待は鎌を逆手に握り残雪の尖った顎下にその刃を添えた。勢いそのまま顔面を削ぐつもりでいる。

 人を人とも思わぬこの男、

 機知ばかりが先立ち、信念もなにもないこの男を今後も生かしておくと、いずれ脅威となる惧れがある。

 やはり殺すなら今だ。

「折角ここまで積み上げたのだ、しっかり最後までやり遂げよ」

 蔵座を支配するに、残雪は邪魔だ。

「礼はいわねえ」

 宵待はかいなに力を込めた。

 そのとき。

「うわあああああああああああああッ!」

 雄叫びとともに塊が宵待目掛け突進してきた。塊は宵待の体にぶつかり、残雪を含めたみっつの人影は弾けて散逸した。

 体勢を崩した宵待はなにが起こったかわからず、床に転がる塊を見る。どうやら人のようである。さては正十郎の縄が解けたかと思ったが違った。正十郎は未だ雁字搦めのままだ。

 脇腹に激痛。

 見れば短刀が深々と突き刺さっていた。

 さては先ほど逃げた頼益が舞い戻ってきたのかと、宵待は床で丸くなって震えている塊に近寄るとその頭を引っつかみ、顔を見た。

「お前は、ぜ、銭神」

 それは以前、この城の中庭で行った刀術披露の際に宵待が保身のために右手を切り落とした兵卒。

 銭神廿郎。

 一命を取り留めたとはいえろくな治療も受けていないのだろう、顔色蒼黒く、目のふち赤く、呼気荒く、大量の脂汗を掻いている。

 天守に若干の腐敗臭も漂う。おそらく傷口が膿んでいるに違いない。

 銭神は膝を折った姿勢で鎌首を擡げ、

「あなただけは許さない」

 そう呪った。

「中途半端なことをするからこうなるのだ」

 残雪は緩やかな口調でそういって、腕を組んだ。

「お前がこいつを仕込んだのか」

「違う」

 そうだろう、あのときの残雪は顔色を変えぬまま死を覚悟していた。


 気づけば銭神は絶命していた。


「大鎌とは機能的な武器ではないな」

 まるでなにもなかったかのようにそういいながら、残雪は宵待の脇腹に突き刺さる短刀を見つめ、その刃につと指先を触れ、指先の匂いを嗅いだ。

「どうやら毒類は塗っていないようだ、助かるかも知れん」

 宵待は強烈に頭が冷えていくのを感じている。


 こんなところで昏倒しては、残雪に寝首を掻かれるだろう。なにせつい先ほどまで宵待自身が残雪を殺そうとしていたのだ。


 寝てはいけない。


 寝ては…



 宵待が目を覚ますと、見知らぬ部屋の見知らぬ天井がまず目にはいった。

 最初はあの山寺かとも思ったが、違う。

 見知らぬ男女が部屋を出たり入ったりして宵待の世話を焼いていた。傷はそれなりに深かったようだが臓腑はやられておらず、幸い破傷風にもならずに済んだ。

 命が繋がっただけでももうけものか。

「ざ、残雪は」

 傷口の当て布を替えにきた女をつかまえ、尋ねる。女はやわらかく笑い、さあ存じませんねえとやはりやわらかくいった。

 当然ながら傷はまだ塞がっておらず、痛みもある。生きながらえたとて再び動けるようになるまでどれくらいかかるか。

「ここはどこだろう」

「ええ。ここは桔梗様の館です」

「桔梗…西様か」

 すると女はくすくすと笑い、

「ここでは西様とはお呼びしませんがね」

 といった。当然だ、西だの東だのいった呼称など所詮、頼益を中心に据えることではじめて成立するのだから。

 桔梗と聞いて宵待は心の奥が波打った。こんな目に遭いながらもそうした感情は継続するもののようだ。まったく人というのは。

「なぜ桔梗様が自分を」

 すると女は困ったような顔をして、やや下膨れた我が頬を撫でた。

「あまり話すとお体に触りますよぅ」

「構わん。話し過ぎで死ぬこともあるまい」

「あらあら。と申しましても、私どももよくは存じません。なんでも道了尊様は、桔梗様の知り合いの知り合いだとか」

「知り合いの知り合い?」

 どういうことだろう、宵待にはさっぱりわからなかった。桔梗とは面識はない。尤も宵待が一方的にその顔を見に行ったことはあるが。

 いったい誰が自分をこの館まで運んだのだろう。まさか残雪が。

 宵待が再び口を開こうとするのを女は大袈裟に遮って、

「目が覚めたんなら食事を用意しましょう」

 といってそそくさと退室していった。

 ひとりになった宵待は、見慣れぬ天井を眺めながら考える。

 残雪はどうした。

 狗賓は。

 飯綱や伊福部は。

 城はどうなった。引き返した偽堕府軍は、今は素知らぬ顔をして普段の蔵座の生活に戻っているのか。ならば自分たちは残雪に謀られ、いいように利用されたと今は気づいているのか。まるでわからない。

 暫く後、二段重ねの膳部を両手に持ち、先ほどの女が戻ってきた。

 一の膳には濁酒と見紛うほど薄い粥と赤紫蘇と胡瓜の御香香が。二の膳には表面を焦がした味噌と生卵が載っていた。薄い粥とはいえ全部白米で作ってある。このような贅沢な膳を目にするのは久しぶりであった。粥と味噌の香にしばし気を奪われる。

「傷は痛みますかね? ご飯は召し上がれます?」

 食べにゃ良くなりませんわと続けざまにいって、女はてきぱきと支度をはじめた。宵待と比べるととても小柄であるのだが、どこか頼り甲斐のある背中をしている。

「すまない、あの。城の、蔵座城がどうなったか知らないか」

「お城? どうなったってなんです? このところ御山様もお見えになりませんし」

 残雪と西の女は繋がっているのは今の自分の置かれた状況で知れる。その西の女、桔梗からはどうやらなにも聞かされていないらしい。それともとぼけているのか。

「蔵座の城には今誰が」

「ああそういえば三日前、なんだか黒装束の一団が山を登るのが見えましたが。それがなにか関係あるんですかねえ」

「三日前?」

「三日前。あれ、四日でしたかしらん」

 宵待は愕然とする。どうやら三日も四日も気を失っていたらしい。

「残雪は」

「ざん。なんです?」

「ならば飯綱は? 伊福部翁は」

「いづな? 伊福部と申しますと、その、鈴蘭様付きの士官様ですかね」

「そうだ、その伊福部だ」

「お亡くなりになられました」

「な」

 思わず半身を起して、脇腹の激痛に悶絶する。女はあらあらなどと声をあげる。

「死んだ…だと?」

「はい。先生様は知りませんかね」

 先生とは無論、兵法指南役である道了尊、つまりは宵待を指している。

「なにをだろう…」

 痛みに顔を歪めながら宵待は聞いた。

「鈴蘭様、どうも気を病んでいたらしくてねえ。まあこちらとあちらですからお互い交流などなくて、なんでしたらいがみ合っていたようなところもありますがね。こうなってみると」

「それで…」

「はい。それで、その気狂いの病に罹った鈴蘭様を斬って、伊福部様も腹を」

「切ったと? 馬鹿な」

 そんな馬鹿なことが。

 宵待は寺で出会った、あの頑迷そうな初老の士を想起する。

 伊福部が腹を切って死んだ。

 伊福部は願いが叶ったのか。

 満足して死んだのか、それとも悲嘆に暮れて死を選んだのか。いずれ今の体で確かめに行けるはずもなく、ただただ宵待には歯痒い気持ちに苛まれ、得体の知れぬ焦燥感に背骨を焼かれる。

 目の前の女に様々尋ねたところで埒は明くまい。

「先生、そういえば」

「な、なんだろう」

「謀反人が捕まったそうで」

「謀反人? 狗賓正十郎か」

「そう、それでございます。そのセイジュウロウ。年が明けて早々に磔刑に処するそうですよ」

「なんと」

 本気で公開処刑にするつもりなのか、残雪は。ならば残雪は今も蔵座主城に関わっているということかと、宵待は城があると思われる方向に顔を向けた。

「あ。それで思い出しましだけど、さっきの伊福部様。遺書といいましょうか、死ぬ前に書きつけを残していたそうでして」

「内容は」

 そのとき奥の襖が音もなく開き、若く、それはそれは美しい女が冷気とともに部屋にはいってきた。

「白菊、お下がりなさい」

 白菊とは女の名前なのだろう。白菊はそれはそれは大層畏まり、体を低くして部屋を出て行った。

 宵待は桔梗に見とれている。桔梗は楚々とした仕草で膝を合わせて座り、

「お熱いうちにお召し上がりになってください」

 と消え入りそうな声でいった。

「いや、頂きたいのは山々だが、どうにも体の自由が利かんで」

 平素の宵待であるならば食べさせてくれ程度の軽口は叩くものだが、どうにも桔梗のもつ雰囲気に呑まれてしまっている。

「そうですか。それでは後で白菊にでも手伝わせます」

「そ、それは助かる…」

「それで道了尊先生。いえ、三光坊宵待様とお呼びすればよろしいですか」

「ど、どちらでもお、お好きなように」

「わたくし相手に畏まられては、こちらが困ってしまいます」

 といってはにかんだように小さな笑みを見せる桔梗は、とても弱々しく、そして甚く可憐であった。

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