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黒鴉銀蠍抄  作者: 偽薬
13/27

(十三)

 残雪は幾分満足そうに眉間の皺を緩め、

「揃ったな」

 といった。

 正十郎は慄然とした表情で言葉も発せずにいる。桜も郎党らにしてもそれは大差なく、矢継ぎ早に変化する周囲の状況にまるでついていけていない様子であった。

 黒衣の男道了尊は背に、苦虫を噛み潰した顔の伊福部は腰に得物を携えている。しかし正十郎は最早疲弊し果て、明らかに蔵座側に与するふたりに対して警戒することも失念していた。

 喚き散らすよりはいいと桜は横で思う。

 それにしても残雪は、いったいなにを考えているものか。

「さて。徒に攪乱させるつもりはない、説明しよう」

 桜の目線の意図を瞬時に汲み取って、残雪はそういった。桜は正十郎の胡乱な意識を喚起させるべくわざと大きく咳払いして、伺いましょうと返した。

「狗賓は知っていようが、こっちが伊福部福四郎」

 初老の男は若干猫背気味だった体をまっすぐに伸ばし、慇懃に礼をした。

 彼は東の館の、実質管理者であると残雪は補足する。桜は思わず声をもらす。西の館と東の館の噂話に心奪われていた日々が随分遠い出来事に感じられたからだ。現今決して興味が失せたわけではないが、こんな状況でなにを問い質せるものでもないし、だいたいにして騒ぎの大本は西館であったはずだ。

 桜は伊福部の引き結ばれた口の端を見た。

「そして現蔵座国兵法指南役である道了尊」

 黒き男は背に負った長大な武器を割合粗末に床に置き、枯れた声でよろしくやってくれと片手を挙げた。

 蓬髪に蒼い顔、鉤鼻と顎髭。正十郎とはまるで違う種類の男。桜は暫時道了尊に見とれた。どことなく、気のせいだろうが、道了尊の端々にこの場に似つかわしくない空気感を感じつつ。

 正十郎は小刻みに震える手で、

「道了尊先生」

 声が上擦っている。緊張の連続と疲労とが平素他人との関わりを厭う正十郎の人格をやや上向きに変える。

「先生確か、銭神の手を」

 切ったよなと、それだけいうのに玉の汗である。少し休ませた方がいいのだろうが、自分のいうことなど聞くまいと桜は思う。それよりもこのまま疲れさせ、昏倒させるが得策だろうか。

 不図視線を感じて正十郎から残雪に目を向けると、残雪は桜を見、一度ゆっくりと瞬きをした。

「あれには心底魂消た」

 などと繋げる正十郎だが、呂律が回っていない。

「その話はそれがしも聞き及んでおる」

 とは伊福部。

 道了尊は、おのれに侮蔑の視線(そのように桜には見える)を送る伊福部の前へ大股一歩で出ると、あのときはあれが上策だったのだと斜に構えた格好で答えた。

 伊福部がいう。

「しかし、なにも斬らずとも。たとえ太刀を手に群衆に向け転んだとて、皆よけていたかも知れぬ」

「いやさ。その判断の遅さが命取りになる場合もある」

 その経緯を正十郎から聞いていた桜には、ふたりのいい分はそれぞれ半分ほど理解できた。そしてこの話は、今の狗賓家にそのまま置き換えて考えることが出来る。

 ただ遣り過ごせば何事も起こらないのかも知れず、今動かねば取り返しのつかぬことになるかも知れず。

 潔く死を選ぶという選択肢もあるが。

 残雪の切れ長の眼が桜を再度捉える。

 口だけが動く。


 愚か者め。


「銭神は死んでないそうだな」

 桜を見たまま、残雪は道了尊にそう声を投げた。

「安心したか」

「ふん。知らん」

「事実がどこにあるにせよ、みだりに人を死なせては寝覚めが悪いのではないか。それとも」

 道了尊はどかりと腰を下ろす。

 伊福部は一歩、後ろへ下がった。

 道了尊はいい加減な胡坐を掻いて、大袈裟な身振り手振りで言葉をつなげた。

「あんまり知った風な口を利くもんじゃあないぜ」

「知った風な、ではない」

 すると道了尊はまた立ち上がり、残雪に歩み寄った。そこでやっと残雪は桜から目線を外し道了尊と対峙した。

「知った風じゃねえか。あんまり偉そうにするんじゃない、俺はあんたに使われているわけじゃないんだ」

 そうだなと珍しく簡単に折れて、今度は残雪が更に半歩道了尊に近づいた。

 面と面が数寸の間で向き合う。

 黒い男と白い男。

 その対比は実に鮮やかで、女である桜は無闇に脈拍が速くなった。

「その通りだ。しかし道了尊、私はお前のことならなんでも知っている。生まれから育ちから、兵法の腕前もだ」

 ふいと黒い男は体を斜めに、残雪の正面から抜け出た。相変わらず大袈裟に両手を広げて、わかったわかったと繰り返した。

「わかったがあんまりべらべら喋るんじゃないって。あんた口は達者だが腕っ節はまるでないだろう」

 残雪はそうだなと素直に認める。

「俺だって人間だ、なにもかもどうでもよくなることもあるんだぜ」

「覚えておこう」

 道了尊と残雪はどういった内容の取引をしたのだろう。桜はそれが気になったが、当然尋ねられるものではない。

 残雪は革靴でごつごつと木の床を踏み、さてここに集まった者らで蔵座を落とすわけだがと、実に聞き取り易い速度と音量で、とても大きなことをさらりといった。

「待て」

 当然伊福部が声を挟む。どうやら残雪の思惑の全容を知っているわけではないようだ、伊福部も道了尊も、無論狗賓家も。

「この寡勢でなにができる」

 東館の女主人は今、人事不省に陥っているのだという。いったいなにがあったのか、伊福部はなにを思って、なにを望んでここにいるのか。家の盛衰を掛けた状況にあって尚、桜の興味は尽きない。

「足りんか」

「と、当然だろう。蔵座は小国といえど兵百人は動員できるのだぞ」

「もとより数量に恃んでことを成すつもりはない。だいいち、蔵座に対抗できる頭数を揃えようとしたならば、人数が集まる前に蔵座が滅びよう」

 蔵座は今、隣国七鍵と大国堕府、日輪有数のふたつの強国から狙われている、という。

 残雪の頭の中そのすべては杳として知れないが、口ぶりから察するに思惑がすべて奏功した後、蔵座はその未曾有の危難から逃れ得ているのであろう。いずれそのような途方もない話俄かに信じられるものではないし、だいたいにして話が大き過ぎて桜などにはまるで想像もつかない。

「残雪殿の策は詳しく知らんが、もののふたる者、城を奪うにしても正面切って戦いたいものよ」

「五秒考えろ。それでもわからんのであればもう口は挟むな」

「なんだその傲慢な口の利きようは! 貴様民間だろう!」

「不遜か」

「当然だろう」

「これから国主に歯向かおうとしている者とも思えぬ言葉だが。まあいい」

 なにかを見切ったように残雪は有象無象の中央に立ち、

「よいか。城は奪うが、私は戦をするつもりはない」

 大声ではないがはっきりとそう宣言した。

「それではどうやって頼益を国主の座から引き摺り下ろすのだ」

 残雪は正十郎を指差して、

「蔵座国建国の血脈」

 続いて質問者伊福部を見、

「蔵座の中枢に近く」

 最後に道了尊の頬に触れ、

「国主に近寄れる身」

 道了尊はその手を、嫌悪感をあらわにした顔つきで乱暴に払った。残雪は僅かとも気にせず続ける。

「そのひとつひとつの重要な点を繋ぐのは私だ」

 すぐさま伊福部が反駁した。

「せ、拙者は蔵座の中枢に近くなどない」

 残雪は女のような手を黒革の穿きもののかくしに突っ込み、

「蔵座の上層に兄がいるではないか」

 伊福部の顔色が変わる。残雪を凝視する双眼は暗に、何故それを知っているといっているようだ。

「精々利用させてもらおう」

 肩を落とし残雪を睨みつける伊福部に、桜は同情を禁じ得ない。いったい伊福部はどのように残雪と知り合ったのだろうか。おそらく我が家のように、溶解するかのようにいつの間にか知らぬうちに内部に入り込んでいたのではないだろうか。

 黙ってしまった伊福部の替わりに、道了尊が億劫そうに声を出した。

「本当にうまくいくんだろうな」

「諸国を巡って、どれほど蔵座が危険な状態であるか思い知ったのだろう」

「ああ、だからこうして帰ってきたんだが」

 恐らく蔵座の生まれなのだろう。

 蔵座を出、日輪を巡り、生国の危機を知り帰国。しかし普通の者が身ひとつで帰ったところで、いったいどのように生国の憂いを払しょくするつもりだったのか。居ても立ってもいられないのはわかるが。

 それとも道了尊にはなにか特別な力でも備わっているのだろうか。

 残雪はすべてを承知しているのだろう。

 桜は実際問いを発する時機を計っている。

 伊福部が不意に咳き込み、仕草のみで叢原に茶を一杯所望した。

 桜は口を開い

「貴様らは余計なことは考えるな」

 残雪がそう声を発した。

 桜は口を開けたまま直立している白面の男を睨みつけた。と、彼女同様、残雪を睨みつけている者がある。伊福部だ。恐らく伊福部にも伊福部なりの思いがあってのこの状況なのだろうが、残雪のような男に従うことが不本意極まりないのだろう。

 実際伊福部福四郎は奥歯を噛み締め、最早痛みすら伴っている憤怒に身を焦がしつつ、どうしてこうなってしまったのかを反芻していた。


 伊福部の心情として、国主頼益は許せるものではない。

 伊福部は東館の女主人鈴蘭に対して一方ならぬ思い入れをしていた。それを恋愛感情と呼ぶのか、老いた脳髄でそれについて熟考したことはない。

 鈴蘭は国主に気に入られることを自分の生きる意味としているような女であった。伊福部の感触としてそれは愛情ではないと思っている。

 ともかく。

 伊福部の気持ちは鈴蘭へ、鈴蘭の気持ちは頼益へ、そして頼益の気持ちは今もおそらく西の女に向いているはずだ。

 伊福部は苦悶の挙句、頃合いよく蔵座を訪れていた残雪を頼った。何故頼ろうと思ったのか、そもそも知り合ったきっかけは何だったか、今はもう思い出せない。それはどうやら老齢のせいばかりではない。

 残雪は伊福部の依頼を快諾し、すぐに東の館に出入りするようになった。東の気持ちを決定的に頼益から切るために、残雪は先ず、一向に東の館を訪れなくなった頼益の顔を一度だけこちらに向けさせる必要があると説いた。顔を向けさせ、しっかりと面と面とを向かい合わせた状態で、決定的な乖離の環境を作出するのだ、と。

 鈴蘭に対し、言葉でいってわかるものではないのであれば、身をもってわからせればよいのだ、と。

 伊福部は何度も大丈夫なのだろうなと問うた。その都度残雪は様々な言葉を並べたて、その都度伊福部は無理矢理納得させられたものだ。少なくともその頃、残雪の態度は今よりははるかに慇懃であったが。

 残雪が伊福部と鈴蘭に与えた策は奇怪極まりないものであったが、結果として頼益は久方振りに館を訪れそして、

 鈴蘭から逃げ出した。

 伊福部はその日の出来事の状況を詳しくは知らぬ。館にこそ居たが、気持ちは千々に乱れ耐え難い苦痛に何度も拳で我が太股を打ち据えていたからだ。

 そしてその日以降、鈴蘭とまともな会話が交わせなくなってしまった。鈴蘭はすっかり気が触れてしまったからだ。どうやら伊福部の思ってた以上に、鈴蘭は自分で自分を追い込んでいたようだった。それを思うと老僕の胸は酷く痛む。

「姫は」

 伊福部は東館の女主を姫と呼ぶ。

「姫はあのままなのだろうか」

「さあな」

 如何にも如何でもいいことだといわんばかりのいい捨てようで、残雪はあらぬ方に目線を遣る。

「もし姫があのままであるならば、晴れて事成って後、拙者は貴様を斬る!」

 燻ぶる伊福部の黒々とした剣幕に身をやや退いていた道了尊もその言葉に同意する。

「事成っても、いや、しくじれば余計に細切れにしてやる」

 それではどのみち残雪は、すべてが終わってから殺されるということになる。

 桜は残雪を見た。

「好きにしろ」

 残雪は顔色ひとつ変えない。もしかすると表情筋がないのかも知れぬと桜は思う。

 桜は襟元を正し、座相を整えた。その行為に意味を与えるとするならば矢張り、伊福部や道了尊と並び、この場に集められた狗賓家の、自分は代表なのだという意識が芽生えはじめているようだ。

「わたくしもそれに賛同します」

 正十郎は虚ろな目で我が妻を見、そして残雪を見た。


 残雪は再び座の真ん前に立ち、革靴の両足を肩幅に広げ、両手を軽く持ち上げ、笑いもせず怒りもせず怯えもせず、三者意見が揃ったなといった。

 す、と右手のひらを自らの薄い胸に当て、

「頼益を引き摺り下ろした暁には、この命いつでもくれてやろう」

 伊福部は唸り、道了尊は笑った。

 正十郎は洟を啜り、桜は最早乱れていない居住まいを正した。

「本当に斬るぞ」

「くどいな」

「なに?」

「同じことを繰り返すな。低能と判じられても構わんのなら別だが」

「好き勝手いう」

 残雪は静かに鼻から息を吸い込むと、軽く肩を張り、そのかわりと呟く。

「それまでは私のいう通りに動いてもらう」


 良いな。


 否を述べる者はいなかった。


 ばさりと、殺した白の外套を翻し、気を緩めればすぐに死ぬぞと言葉を繋げて、残雪は食堂を立ち去った。

 伊福部は先の言葉をどの程度本気で吐いたのだろう。道了尊はどうだ。

 自分はどうだったろうか。桜は口元を押さえた。残雪が消え去ると同時に熱に浮かされたような高揚感が失せていることに気づく。そっと横にいる正十郎の肩に手を触れ、

「狗賓家の総代は旦那様ですものね」

 といった。正十郎は奇妙な顔をして、当然だと返した。

 自分は本当に、事後残雪を殺すことに加担するのだろうか。

 我々のいっときの感情の高ぶりを、残雪は巧みに利用したのではないだろうか。

 底知れぬ自分の企みにそれぞれを従順に従わせるために、互いが互いの前で応と返答させる必要があったのではないか。


 気づけば道了尊も山椒の実でも噛み潰したような顔をしていた。

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