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 僕は不均一な路面の上を検事から貰った車で強引に走った。世界に既に道路は無く、広がるのは赤茶色の乾いたオフロードだけだった。おかげで車はとても重くまるでロープにつながれたタイヤを15本くらい引きずっている様な感覚だった。


 そんな路面を走ると褐色の砂は勢いよく宙に舞い、津波の形状を作った。その津波をロープにつながれた15本のタイヤが破壊した。時折車は大きな石を踏みつけた。その度に車が大きくガタンと揺れた。車内は狭かったし何より車のシートがまるで段ボールが水を吸い込んだ様な曖昧な弾力だったので僕は車が石を踏みつける度にイライラしていった。


 検事が言ったとおり悪い車ではなかったけれど決していい車というわけでもなかった。冷房の利きは悪かったし天井は低かった。


 しかし車の中に一枚の写真立てに入った写真が左座席前の所に立てかけられていた。古い写真だ。


 映っている人は誰だろう?


 一人の男と一人の女の子だった。その男の顔からして僕はおそらく検事の昔の頃の写真だろうと推測した。そしてその女の子は検事の娘だろうと思った。若い頃の検事はハンサムだったし女の子は可愛らしかった。しかしその写真はとても古かった。僕はその写真がチェ・ゲバラとヒットラーの間に並んでいる所を想像した。なんの違和感もなかった。チェ・ゲバラとヒットラーが同じ年代に生きた人物なのか僕は全く知らなかったけれどとにかくこの写真はそのくらいの年代のものに見えた。その写真を見ながら僕にもこのくらいの娘がいてもいいのかと僕は思った。


 しかし娘なんて僕にはいなかったし僕には愛犬すらいなかった。そのとき初めて僕はせめてダックスフンドかブルドックでも飼っておけば良かったなと思った。その写真は大きな石を踏みつける度にカタカタと揺れた。23回目のカタカタとした揺れで僕はイラつきその写真を伏せた。するとやはりカタカタという音は消えて無くなった。僕の右腕やウォッカの味同様にカタカタという音もこの世界から消えていった。どれもこれも消えるときは足音を鳴らさずに去って行った。そして僕は気分転換にラジオをつけた。しかしラジオは何処にも繋がらなかった。


 既に世界は終わってしまっていたのだった。



「クソ!」


 僕はそう言って思い切り車のクラクションをならした。車は僕がならしたクラクションの回数だけ大きな音を周りに発した。しかし(もちろんだけれど)だれも何も言わなかったしむしろそのクラクションが孤独という僕の現状をさらに明確に僕に突きつけた。


 まるで海の中に金持ちのトイレくらいの大きさの空間がぽっかりとあいていてそこに放り込まれた様な気分に僕はなった。どれだけ叫んでも誰も何も答えてはくれなかった。ただ僕の前を魚がユラユラと横切っていった。



「オレはなアンタの3つ分くらいのおおきなカジキを釣り上げたんだぜ」と漁師はいった。



「すごいですね」と僕はいった。



「アレはな、オレが25くらいのときだったかな。アイツと戦っている時は本当に時間が長く感じたよ。1分が1時間にも思えた。手は引きちぎられちまうかと思うほど痛かったし雨もすごかった」そう言いながら彼は缶ビールをゴクゴクと飲んだ。目の前の海はとても黒かった。時間ごとに砂浜が僕らの目の前まで押し寄せそして力尽きて海へと引き返していった。


「どうやってそのカジキを殺したんですか」と僕は聞いた。


「モリだよ。モリで一発グサッとやってやったのさ」


「すごい」


「だろ?血がドバドバいっぱい出てなカジキが船に何回もぶつかってきた。そして3回目に頭にモリを突き刺した。そしたら死んだんだ」


「カジキも死ぬ」


「そうだよ。カジキも死ぬんだ。どれだけデカいカジキでもね」


 そのとき黒い海が不確かな漸近線を越えて僕らを濡らした。海は死んだ人間みたいにヒンヤリとしていた。


「ところでオマエ幾つなんだい?」


「32歳」


「32歳か。いい年だね。仕事にも慣れてきて酒も美味くなってくる歳だ」


「でもウォッカからは味が消えちゃったんですよ」


「それならテキーラを飲めよ。ダコード・ジンも好きな酒はテキーラだったんだぜ」


「ダコード・ジン?フランスの小説家か何かですか?」


「ううん。オレの父親だよ。16年前死んだ」


「お気の毒に」


「身体に重りを大量につけて海に飛び込んだんだ。知り合いの漁師から聞いた」


「漁師らしい」


「でもオレはそんな死に方しないぜ。もっとスマートに死ぬ」


「例えば?」


「ビックベンから飛び降りる」


「ビックベンってあのビックベン?」


「そうだよ。あのビックベンだよ。インチキな建築家が作ったインチキな建物じゃない。イギリスにあるあのビックベンさ」


「サグラダファミリアは?」


「悪くない」


「きっと次の日にはビックニュースさ」


「ヤンキースの試合結果よりも?」


「もちろん」


「たしかにスマート」


「だろ?ところでアンタ右腕はどうしたんだい?」


「カジキに刺されたんです」と僕は言った。


「それはどうしようもないな」


 僕は右腕を見た。そしてその罪のないカジキを想像した。大きな目をギラギラさせたカジキ。海をユラユラと泳ぐカジキ。


「アンタよく片手で車なんか運転できたな」


「車?」


「アレだよ。あの赤い車。アンタのじゃないのか?」


 僕はその赤い車を見た。古い赤い車。ドイツ製。


「ああ。僕のです。慣れですよ。慣れれば片手でタマゴ・サンドだって作れる」と僕は15秒後に言った。


「片手で作るタマゴ・サンド」


「そう。片手で作るタマゴ・サンド」


「カジキも釣れる?」


「アナタなら」と僕は言った。


「でもね。人生には限界がある」と漁師は言った。


「片手でカジキは釣れない?」


「わからない。でも人生で何が出来て何が出来ないかを理解することはとても大切な事だ。人生は短い」


「人生は短い」僕は繰り返した。


「そうだ。人生はいつでも取捨選択だよ。何を拾う?何を拾わない?」


「テニスボールを選ぶテニス・プレイヤーみたいに?」


「そうさ。それに自分の力を把握出来ない、状況を判断できないのは馬鹿だよ。9回裏ノーアウト満塁一点差。何をする?置きに行く?強振?犠牲フライ?ここで馬鹿はバントなんかする。信じられるか?トリプル・プレー。スリーアウト。ゲームセットだよ。でもね世の中にはそういうことをする奴がびっくりするくらいいるんだ」


「片腕でカジキを釣ろうとすること?」


「それもある」


「でもね。時間をかければ出来るようになることだってある」


「タマゴ・サンドみたいな?」


「そうさ。タマゴ・サンドさ。そして頭が出来てる奴って言うのはみんなそこを見分けるのが上手い。自分に何が出来るのか。何が出来ないのか。何が時間をかければできるのか。何に時間をかけるべきなのか」


「そして時間をかけて出来るようになったことはどれもイケてる?」


「そう。どれもみんなイケてる。それもとってもだ。上手い飯は30分じゃできない」


「なるほど」と僕は言った。



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