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それはあの日の雨のように  作者: 有沢ゆう
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 いつものように市場で食材を見繕い、買い出し用の大きな鞄にどんどん放り込んでいく。


「今日は魚が安いよ!」

「いつものこったろ! 港町なんだからよ!」

「いつもより安いよ!」


 活気があるのか口が悪いのか、呼び込む声と客のやりとりがあちこちで交わされている。

発泡性の酒と、穀類を発酵させた酒とを追加して、通りを右折して海へと向かう。そこは衣料品を扱う店が立ち並ぶ通りで、喧騒もかなり静かになった。店を冷やかすこともなく素通りする。


 今日も、アリシアはまだ寝ているだろう。日が高くなり、どうしても隙間が空く古いカーテンから射す光に起こされるまで、ベッドから出ないからだ。時には、毛布にくるまって光を遮って寝続けることもある。起きるもんか、という強い意志さえ感じて、呆れを通り越すくらいだ。


 アリシアの部屋は、海沿いのごちゃごちゃと小さな建物の建つ辺りにあった。子供の頃から住んでいるらしく、両親はとうのとっくに、住み心地の良い平地に住み替えたというのに、彼女だけは一人そこに残っている。理由を聞いたこともあった。二人が出会った時にはもう、まだ子供だったのに、彼女はそこに一人残っていたからだ。


 ここが好きだからね、と笑う顔には、それが嘘ではないが本当でもない、と書いてある。感情が読みにくいのは、人当たりの良い笑顔のせいだ。けれどブラッドはその笑顔を透かして、内心に抱えたものを時折見ることも出来た。それが、二人の積み重ねた友人と言う時間のおかげだと、自負している。


 右も左も白い壁に囲まれたこの辺りは、天気が変わりやすく、水はけも悪い。照り付ける太陽に焼かれたかと思えば、すぐに雨が来る。住み良いとはお世辞にも言えないが、しかし、海と緑と白壁の作り出す景色は、それらを凌駕して余りある素晴らしさなのだ。

 アリシアの絵は、海が多い。人物も静物も描くが、彼女が評価されているゆえんは、その海の色遣いにあった。緑とも青ともつかない、空と溶け合いそうではっきりと分かたれたその色。引き込まれそうに深い。

 ここ数年は懐もかなり温かいはずで、だからもっと綺麗で広い部屋に引っ越すことは簡単なのだけれど、そうしないのは、この景色から離れがたいのかもしれない。それが全てでは、ないにしろ。






 人ごみの買い物通りを抜けた頃、ブラッドを呼び止める声があった。見れば、こちらはまだまだ父からの仕事を引き継ぐには早い、リゼールだ。鑑定と目利きには経験値がものを言う。二十歳を数年すぎたばかりの若造にはまだまだ早い、と、かの店主は豪快に笑っていた。


 彼との付き合いの長さならアリシアより長い。だから、その顔がニヤニヤと何かを企んでいるのはすぐわかった。理由はおそらく、隣にいる好青年に関係がある。


「ちょっと相談がある」

「……相談?」

「ああ、こちら、うちの顧客で、マラダールの支配人。シャレイアさんだ」

「初めまして」


 マラダールは、この辺ではそこそこ格の高い馬具店だ。王都から貴族が休暇を楽しみにやってくるこの地方では、乗馬が盛んだった。それら貴族が乗馬服から馬の鞍まで特注で揃えるには、街に数軒の馬具店に頼むしかない。

 それを反映してか、店内は格調が整えられ、椅子一つ、壁掛けの絵ひとつとっても、良い物が揃えられている。


 シャレイアはそこの支配人らしく、きっちりとした詰襟の服に身を包み、背筋を伸ばして立っている。この地方にはやや珍しい、浅黒い肌と藍色にも見える黒髪だった。自分たちより少し年上だろう、と見当をつける。


「はぁ……お役に立てますかどうか」


 ついつい、店員めいた対応をしてしまう。リゼール側に沿ったというよりは、接客業のサガだろう。


「不躾なお願いなのですが、ブラッドさんはあのアリシア・ネストとご懇意だと伺いました」

「は……、いや、まあ……」

「よろしければ、会わせていただきたく。失礼とは分かっていますが、あのような素晴らしい絵を描かれる方がどんな方なのか、気になって仕方がないのです。率直に申し上げて、絵にほれ込んでいるのですよ。ですから、その作者に直接お礼を言いたい。良い絵をありがとう、とね」


 面食らった。絵そのものの評価が高まっていることは知っていたが、作者に興味があるというのはなかなか聞かなかった。いや、もしかしたら、今やマネジメントをしていると言っても過言ではないリゼールの父が止めていたのかもしれないが、ブラッドの耳に届いてはこなかったのだ。

 躊躇したのは、他でもない、シャレイアの顔だ。期待に輝いている。アリシアの絵は繊細で美しく、色遣いは他に類を見ない。作者が同じように、繊細で美しいと思っている顔だった。


 しかし――。


「ええと、本人に聞いてみます。ただ聞くだけですが」

「ありがとうございます!」


 シャレイアは、ブラッドの手を握ってぶんぶんと振って来た。これは相当な入れ込みようだ、とますます不安になる。


「もし可能であれば、その際はご一緒にお食事でも。ぜひブラッドさんも同席してください」


 リゼールを通して返事と伝える、と打ち合わせをして、彼は忙し気に立ち去って行った。残された二人は、にこにこと見送るリゼールと、それを不信感まるだしで睨むブラッドだ。


「じゃ、そういうことで」

「はぁ? なんでお前が直接聞かねぇの?」

「いや、俺忙しくてしばらく会ってないし。お前は今から会うんだから、ちょうどいいだろ?」

「そもそも、なんで仲介なんか。お前らしくない」

「いやぁ、正直、今まで結構あったんだぜ、この手の話は」


 やはり、ブラッドの考えた通りだった。そしてそれを断り続けたのが彼の父親であることも、なんてことなさそうに話してくる。


「期待の絵師を抱え込もうとする、我がガンディ商会の敵とか、金の匂いを嗅ぎつけたじじいとか、そんなんばっかりだったけどさ。純粋に、絵を称賛して、その気持ちを伝えたいってやつらも結構いた」

「そいつらを断っておいて、なんであいつはいいんだ」

「独身だから!」


 絶句した。あまりに予想外の答えだったからだ。


「そして金持ちだ。仕事に真面目で、素行もいい。家柄も悪くない。こりゃ逃す手はないだろ?」

「の、逃す?」

「アリシアだよ! あいつだって、俺たちとほぼ同じ年だ、いまやもう行き遅れと言ってもいい。その割に、男の気配はないし、そもそも興味がない。ここは俺たちがひと肌脱がないと!」


 力説するリゼールは、ブラッドの肩を力いっぱい叩いて、じゃあ頼んだ、と満面の笑みを残して去っていった。

 ブラッドは、唖然としたまま、無意識にアリシアの部屋へと足を向けていた。そしてようやく思い出していた。先日、常連客が話していたこと。あいつが結婚するらしいこと。

 どうやら噂が錯綜しているようだ。ブラッドは気を取り直し、心持ち、急ぎ目で足を動かした。






 ノックをする。返事はない。

 いつものことだとは言え、ブラッドはため息をつきながら、合鍵でアリシアの部屋に入った。寝室の扉は閉じているので、いるのだろう。

 魔石を使った氷室に食材をいれ、コンロの火口の魔石を確認する。まだ使えるようだ。


 このコンロは、ブラッドが買った。店舗兼自宅の炊事場は、仕事場でもあった。まだ下っ端だった子供のブラッドは、使う機会もなかったし、頼んだところでにべもなく断られるばかり。それでも、覚えた料理を試したい気持ちは止まらず、当時から一人暮らしだったアリシアの家を使わせてもらうようになった。

 最初に取り付けられていた小さなコンロで満足していた時もあった。だが、技術が身に付き、店でも少しずつ料理を任せてもらえるようになると、さらに手の込んだものを作りたくなる。結局、火力と火口の数の揃った上級品をここに入れたのだ。


 ちなみに、アリシアの料理の腕は、壊滅的だった。哀れなほど。

 だから、もろもろのお礼代わりに、ブラッドはここで彼女のための食事をたびたび作るのだった。


「アリシア! 飯だ!」


 声をかけると、しばらくして、寝室の扉がゆっくりと開く。そして、中からアリシアがのっそりと現れた。

 あの頃より少しは伸びたとはいえ、寝ぐせのついた髪はもつれて爆発している。その顔には、不機嫌がみえる。だが、本当に不機嫌な訳ではない。眠いのだ。

 いつから着ているのか分からないような穴の開いた作業着を寝間着代わりにしている。


「顔、洗ってこい……」


 これはない。ブラッドはめまいがした。

 美しく繊細、なイメージでやってくるはずのシャレイアが、露骨にがっかりするさまが見えるようだ。


「あー、くっそ、この髪そろそろ切るかな」


 もつれた髪がどうにもならなかったのだろう、困ったような顔で、そして爆発したままの頭で、アリシアが食卓に着く。

 しばらく黙々と二人で食事をした。檸檬を使ったソースが気に入ったらしく、パンで皿を拭っている。おせっかいとは思ったが、食事のマナーはブラッドが教えた。素直に聞いてくれたのは、これではいけないという意識が多少なりとあったからだろう。今では、ブラッドの父でも合格点を出せそうな綺麗な食べ方をする。

 それでも、食べ終わってしまえば、くちくなった腹をさする仕草は最早おっさんだった。


「アリシア、アリー、おい、寝るな」

「寝てない」


 うとうとする様子が見えたので声をかけた。目を覚ますためか、いつも通りに、食べ終わった食器を洗い始める。


「えーと、お前な、俺の知り合いがお前の絵に惚れたんだと。それで、ぜひ会いたいらしいんだけど」

「いいよ」

「それで、まあもしよければ……え?」


 なんとはなしに説得の口調で話し始めたが、あっさりと了承された。水音に消されて聞こえなかったのでは、と思ったが、手を拭きながら戻って来たアリシアは、


「いつ? どこに行けばいいの?」

「あ、それはまた改めて。いや、うん。ええと、いいのか?」

「いいよ。だってブラッドがそんな話もってくるなんて初めてじゃん。だからいいよ」


 つまり、ブラッドの判断を信用している、というわけだ。信頼されていることが少しくすぐったくなったが、それを表には見せない。

 いつもと変わらない顔で食後のお茶を飲む顔は、化粧っ気もなく、日向の猫並みにのんびりしている。

 先日の客の漏らした一言。それは、目の前の友人にはどうも似つかわしくないような気がして、思わず口に出した。


「お前、結婚するって噂が回ってるの、知ってるか?」

「へ? 誰が?」

「お前が」

「誰と?」

「さあ……」


 アリシアは、さも面白そうに笑う。


「なにそれ、根拠のない噂をよくもまあ、私にわざわざ披露しにくるね、君は」

「別に、そういうつもりじゃないさ」

「で、否定してくれた?」


 首を振ると、彼女は不意に、笑顔をトーンダウンさせた。笑んではいるが、面白がっている様子は消えてしまった。


「どうして?」

「可能性はあるだろ、万が一にも」

「はぁ? 君は、私が君になんの相談も報告もせず、結婚なんてもんを決めると思ったわけ?」

「いや、おかしいとは思ったさ! 思ったが」


 この頃、アリシアは絵が変わった。独特な海の絵はなりをひそめ、動物や町中の景色が増えている。なぜだろう、と不思議に思っていた。絵師の考えなど、料理人を目指すブラッドには分からない。けれど、絵が変わったということは、アリシアに変化があったということだ。

それが何か、ブラッドは知らない。


「……まあいいや。じゃ、時間と場所が決まったら教えてよ」


 話を切り上げたアリシアは、部屋の一角を占めたイーゼルの前に座って、ぼんやりし始めた。絵を描くのだろう。今、アリシアの頭の中には、いつか見た光景が次々に湧き出ているに違いない。彼女はそこから、もっとも心惹かれるものを取り出し、キャンバスに映し出す。

 黙考するアリシアの邪魔をしないよう、ブラッドは早々に退散することにした。


 背後で、ばかだなぁ、とこっそりほほ笑むアリシアには、気づかないまま。










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