黄金の料理長(中編)
大体、排除する事が可能ならこの最奥部まで来れるはずがない。
上の館に襲撃があった、その報告があってからここまでろくな抵抗すら出来ず、一直線に突き進んできた。それこそ連絡が来るよりも早く。そうでなければ、脱出する時間ぐらいはあったはずだ。
搦め手でも何でもなく、強引極まりない純粋なる暴力によって自分達の組織は風前の灯火と化している。そして、相手に物から情報を得る術がある以上、自分達に対して手加減する意味はあるまい。
「せめて道連れに」
してくれる。
そんな決意を表明しようとした瞬間、彼らは全員死んだ。
◆◇
てくてくと貴族街を王宮料理長は、ルナは歩く。
遺体に関しては情報を集めた後焼却してきた。彼女の持つ属性は火と風、それぐらいは容易い。
そして、一気に処分したのも体内を含めた一定範囲内の風の属性に属するものを全てどけたからだ。人が首を刎ねられても数秒は生きていられる、という話があるのも酸素が脳内に残っているから起きる現象。それら体内に残る全ての気体が消えてしまえばこうなってしまう。
燃やしてしまう、という手もあったがそれでは最悪読み取る為の物質が灰と化して散ってしまう。
いや、灰になっても読み取れない訳ではないのだが、面倒だ。
貴族街を歩いているルナに対して多少不信感から視線を向けてくる者はいる。
しかし、料理人と思しき服装に「どこかの家に仕えている料理人か?」と一瞬考え、次の瞬間服の紋章に気づいて、唖然とした顔になる。
料理人でありながら貴族でもある彼女に対して、勘違いした馬鹿が「おい、そこの」なんぞと偉そうに命じた挙句当の貴族が半殺しにされるなどという事が特に国の拡大期に頻発した結果、今では料理人の服にも立場や地位を表す文様の刺繍を施す事が国の法で定められている。
(徹底的にやっちゃった方がいいよねえ)
そう、国を追放になるぐらい、最低でも料理長を辞めざるをえないような派手な真似をした方がいい。
彼女がそんな物騒な事を考えている事を知れば、それでも警備の者はもう少し警戒したかもしれない。
昔、複数の馬鹿をやった貴族を半殺しにしながら、「先に上位の貴族に対して無礼を働いたのは彼ら」という事で彼女への処罰は為されなかった。建国来の家でもある侯爵に対して、知らなかったとはいえ新興の伯爵以下の貴族が失礼な態度を取った挙句に手を先に出したのだから当然の話なのだが、いずれにせよその程度では辞める事は出来ないとルナは認識していた。
だからこそ。
「さあ、始めましょう」
そう言って、六大貴族の一人であるガロイカ公の屋敷へと歩みを進める。簡単な事だ、それなら庇いようのない、さすがに見過ごせないようなレベルにまで事を拡大してしまえばいいだけの話。
その前方で門番である二人の兵士が困惑した様子で声を掛けてきた。
「お待ち下さい、一体何用でしょうか」
自分が仕える家と同格以上とされる建国以前より生き、王家に仕えてきた侯爵である王宮料理長。
そんな相手でなければ「止まれ!」と居丈高に怒鳴る所だが相手が相手だ、そんな事出来る訳がない。
しかし、通常貴族が他の貴族の邸宅に訪れるとなれば事前に約束を取り付け、馬車なりに乗って訪れるのが普通だ。そうする事で門番が相手に失礼のない対応をし、家の格に応じた接待を行う準備を整える。徒歩でアポイントもなしにやって来るなぞありえない。
だからこそ口調こそ丁寧であっても、そこには非難の響きがあったのだが、それは問答無用で門の前に立ったルナが六大貴族らしい頑丈で立派な鉄門を引っこ抜いた事で「えっ?」という呆然とした声へと取って変わった。
さすがに道に投げると邪魔なので庭へと放り投げる。
ドガッシャアアアン!!!
轟音を立てて、門という鉄柵の残骸が綺麗に整えられた芝生へと着弾する。
その音でようやく我に返ったのか門番が慌てて声を掛けてくる。
「な、何をなさるんですか!!」
それでも武器を向けるかどうか明らかに迷っているのは矢張り相手が相手だからだろう。純粋に高位の貴族というだけではなく、目の前で大重量の門を軽々と引っこ抜いてポイ捨てされれば、そりゃあ腰も引けようというものだ。そんな相手に武器を向けたくはないだろう、誰だって命は惜しい。
槍を構えてはいるものの穂先は空を向いた状態だし、腰だって引けている。それでも逃げ出しもせず踏み止まっているのはさすがに大貴族の王都の屋敷で門番を勤めるだけの事はあるというべきか。
ただし、相手にとっては門番がどう思おうが知った事ではない。結果、声を無視してそのまま邸内に踏み込む。
「くそ、やりたかないが!」
「いくぞ!!」
さすがにこのまま放置していたら門番の沽券に関わる、というより事態が終わっても門番の職はクビ確定だ。
敵わないと思って逃げ出した、動けなかった。門番というのは、ある意味その家の看板みたいなものだ。何しろ、相手の貴族の家を訪れた時に真っ先に出会う相手の家の使用人は門番。だらしない態度は許されず、訪れた貴族の紋章などからどこの貴族でどの程度の立ち位置にある貴族かを知る知識を持ち、ある程度の実力も要求される。大貴族の門番というのは表に出ず、基本他家の貴族の目に触れない下働きの侍女や下男などに比べ余程給与が良い分、責任も要求されるのだ。
悲壮な覚悟で立ち向かった彼らだったが、結果は無残だった。
軽く殴り飛ばされただけだったが、長く生きた竜の腕力は通常の人のそれとは桁が違う。
「あら」
ちょっと加減を間違えたか。
そんな軽い呟きだったが、その結果として二人がまとめて吹き飛ぶ。片方にとっては運が悪く、もう片方にとっては僅かな幸運であった事に武器や立ち位置の関係で僅かに片割れが前にいた。別に片方が臆病だったとか、躊躇したなんて話ではなく彼らが両方とも右利きであったというだけの話。必然的に門跡の中央を歩く料理長に攻撃を加えるには向かって右側の門番はそのまま前へと走り、構えた槍を突き出せば良かったが、左側の門番は体を捻る必要があった。ただそれだけ。
それだけの僅かな差が一歩の差を生み、結果として直撃を受けた右側の門番は直撃を受けた胸部が陥没して絶命したが、もう片方は吹き飛んだ同僚の体が直撃して骨が折れはしたものの命に別状はなかった。
とはいえ、右腕右足の骨が折れており、苦痛の呻き声を上げ動けない。だからこそ、それ以上手を出す必要を感じず、結果として彼はこの後轟音に様子を見に来た周囲の屋敷に仕える者達に救助され、生き残ったのだった。
そして、これが後に尾ひれがつき『料理長と戦い、重傷を負いながらも生き残った幸運な男!』という事ですぐに次の仕事が見つかったのだから何が生死を分け、幸いするか分かったものではない。まあ、それもこれもこの後料理長と戦って、生き残った者がろくにいなかったという非情な現実あっての話だったのだが。
さすがに六大貴族の一角だけあって雇われた者も質の高い者が多かった。
それが結果として自らの仕事を放棄せず、敵わずとも戦って命を落とした者が予想外に多かったという結果になった。
「何事だ!!」
そうやって蹴散らして訪れた建物の奥。
そこに今回の襲撃をかけた目的の相手がいた。
「どうもはじめまして、そしてさようなら」
「!?ま、待て!貴殿は王宮料理長だろう!先程からの騒動は貴殿の仕業か!?」
すっと手を挙げた彼女に対して、彼こと六大貴族の一人ガロイカ公爵その人は慌てて叫ぶ。
見た目だけなら悪くはない。
これが貧相とか、如何にも性格がねじ曲がってそうとか、或いは意地の悪そうな老人というなら今回の暗殺未遂事件の主犯というイメージ通りという処だが、実際には初老に差し掛かりつつも鍛え上げられた、文官というよりは明らかに武官という印象を与える人物だ。
実際、このガロイカ公爵は元々武門の出だ。
彼の出身地はこの国の成立当初は割合国境に近く、必然的にその治める都市も隣国からの防衛の為の城塞都市としての性質を有していた。
国として成立した後、だからこそ都市を拡張してより大規模な侵攻にも耐えうる環境の構築と共に、国境を守る存在だからこそ国の初期において他もちょっかいをかけづらいという状況が生まれた。治める都市はその立地から他の都市の金をつぎ込んででも発展させる必要があり、しかし、一度有事が起きれば真っ先に戦地となって軍事国家の攻撃を受け止めねばならない為にそこを自分の領地にしたがる者がいなかった。そもそも下手に謀略を仕掛ければ、隣国に通じた内通者として処罰されかねないという事もあった、お陰で貴族としての力は着実に増しつつ、けれども余計なちょっかいは出されないという非常に望ましい状況にあった訳だ。
その後、この国が拡大し、ガロイカ公の領地が最前線ではなくなった頃には彼の領地は十分に発展し、今度はその貴族としての実力によって下手に手を出せない存在となっていた。
そうして歴代のガロイカ公はといえば、国境自体は遠のいたもののそこは長年沁みついた家風というか、有力な武門の家系として基本政治には関わらない立場を堅持している内に六大貴族の一つに準じるまでになっていたのだが……先々代の時にある問題が生じた。
原因は至極単純な話で、跡継ぎに恵まれなかった訳だ。
これが単純に甘やかしすぎて育てるのに失敗したというならガロイカ公の責任だし、奥方一人だけで子供が出来ないというなら側室を取れという事にもなるだろう。
しかし、子作りも頑張ったけど、生まれたのが娘ばかりというのはこればかりはどうしようもない。
結果として、外から「これは」という者を選んで婿を取る事になった訳だが、結果として六大貴族の一角から次男を婿に取る事になった。しかも、その数年後その当の六大貴族長男が当主を継いで直後に急死、急遽再登板した先代も既に老境で体が弱っており、だからこそ長男に爵位も含めて譲り渡して引退したという状況。かといって長男の息子はまだ幼い。
だからこそ先代は当時のガロイカ公に孫の後見を頼み、尚且つその見返りとして彼が六大貴族の一角であり、ガロイカ公がそれに準じるという状況を作り出していた原因、すなわち宮廷での地位を譲った訳だ。この結果、ガロイカ公が新たな六大貴族となり、かの家は六大貴族から降りる事によって多少なりとも家を狙われる勢力の減衰を図る事が出来たという訳だった。
しかし、これが結果としてガロイカ公家を政治の世界に否応なく関わらせる事になり、結果として今代のガロイカ公はより深く政治に関わった結果がアレだった訳だ。
「そうね」
「……何の為に、だ?貴殿とてこの国を支える貴族であろう。このような」
「煩い」
苦い顔で苦言を述べようとしたガロイカ公爵の言をすっぱりと遮る。
「は?」
「私が来た理由は単純、貴方は暗殺を依頼し、それが料理に毒を盛るという事を為した。ただそれだけ」
「な、」
その後彼が何を言おうとしたのかは永遠に謎となった。
公爵と料理長との間には重厚な机を挟んでいたはずが、まばたきした瞬間に正面から料理長の姿は消え、側面から強い衝撃を公爵は永遠にその口を閉ざす事となったからだ。
「貴方は私を怒らせた」
そう告げ、彼女は最早動く者のいなくなったガロイカ公爵邸をそのまま出て行ったのだった。