黄金竜外伝その4
「……竜、王?」
「らしいよ?」
「らしい、って……どういう事じゃ?」
思わずといった感じで呟いたコッホに返って来たのはそんな言葉だった。
明らかに伝聞と言いたげな、自分でも自身が竜王であるという事を理解してなさそうな言葉に疑念を感じたコッホが聞いてみれば、これまた素直に話してくれた。無用心な、そう思わないでもないコッホではあったがよくよく考えてみれば、少女の言う事が本当なら相手は竜王だ。そんな相手を騙くらかした所で、危険を感じさせるような相手なぞ人の世にはいないだろう。盗賊が武器を抜いて取り囲んだ所で泣いて詫びを請うのは盗賊の側になるだろうし、奴隷商人が目をつけた所で護衛と檻ごと木っ端微塵に粉砕されてボロクズのようになるのは奴隷商人の側だ。
そう考えるなら、警戒心を抱けという方が無理なのかもしれん、そうコッホが考えている間に少女が話してくれた所によると、少女、ルナ自身もこの姿となって困惑したらしい。
誰かに聞いてみるかと思ったが、兄含め身内は傍にいない。
「お兄さんとかおるんじゃな……」
「話通じるのは一体だけだけどねー」
「ほう?他は駄目じゃったのか」
「巣立ちする時に頭いいお兄ちゃんは一体だけだったの」
それ以外の兄姉竜はいずれもまだ知性を得ていなかったから、今会ったとしてもお互いの事が分かるか分からないという。
(考えてみれば、竜の研究者でもおったら涎垂らして飛びつきそうな話じゃよなあ)
と、同時に危険性にもコッホは気付く。
(……こんななりをしていても竜王は竜王なのは先の魔獣の件で明らかじゃ)
事実、鹿型魔獣は一撃で吹き飛んで絶命した。
四腕巨熊はその中でもかなり上位であろう個体が怯え、全面降伏し、逃げ出した。
もし、バカな冒険者なりが侮ってこの少女に手を出したとしたら……正直、どんな事になるか想像したくもない。下手しなくても街一つが壊滅ぐらいしかねない。
世の中、見た目で判断出来る者など極一部だ。
穏やかな好々爺がその実、世に知れた盗賊団の頭であったり、強大な魔法使いであったり……或いはコッホの知り合いの中には見た目は子供ながらコッホでさえ到底敵わない剣の達人なんて奴もいる。かと思えば見た目は強そうなごっつい男が見掛け倒しだったり……無論、見た目通りの事の方が多いのも確かだが侮る事はしてはならない。
(……この子、聞かれたり、『竜王?』とか疑われて笑われたりしたら普通に証明とか言って何かしらやらかしそうじゃしなあ……)
竜の素材は滅多に手に入らないだけに正に一攫千金。
無論、どんな竜でもいいという訳ではなく下位竜でも高価な買取が為される竜もいれば、安く買い叩かれるような素材しか手に入らない竜もいる。だが……属性竜は別だ。あいつらの素材が何らかの要因で偶然入手出来、それで作られた武具(大抵は生え変わりで落ちた鱗とかだ)なんかはそれこそ大国の国宝クラスの扱いをされ、冒険者が手に入れれば一生物の武器となる。
それだけに怖い。
真っ当な連中なら竜、それも竜王に手を出すなんて事がどんだけ馬鹿げた事か重々理解しているが、世の中それでもトチ狂うバカが必ずいるし、恐ろしさを知らないお貴族様が手を出す危険すらある。それに。
(見た目が見た目じゃからなあ……)
着飾らずとも分かるその美貌。
実際にはルナは人の顔の美醜など分からない。なので、この姿となる際に無意識がそれまで見た人々の顔の平均を割り出して構成されているのだが世の中の美形美女というものはその時代の顔の平均であるとも言われる。どうやらそれは今回は正しかったようで、その外見もコッホが見る所目をつけられる要因になりそうだった。
竜王と名乗り、竜としての実力を(多分)示せるであろう相手。
見た目も貴族などが手出しそう、そうでなくても普通に惚れる奴が出てもおかしくない容姿。
コッホが思うに厄介事の匂いしかしない。
本当ならばそんな相手とは関わらないのが一番なのだが、相手はコッホ自身の命の恩人とでも言うべき相手。冒険者というのはその立場上、冒険者同士の繋がりや恩義を重要視する。何せ、何かあった時に騎士や兵士と違って国のバックアップを受ける事が出来ないから仲間を見捨てる、或いは防恩の輩は要注意人物としてチェックされる事になる。実際、コッホも帰還したら先の逃走した冒険者達の事に関して報告を行うつもりだ。告げ口などと思う事なかれ。何しろ、命に関わる事、「何かあった時に例え一時的だろうが仲間を見捨てて逃げるような連中」の情報は共有しておかねば今度こそ犠牲者が出るかもしれないからだ。
だから、コッホはルナを面倒事から守る、つもりだ。
(まあ、素直そうじゃし、大丈夫じゃろう)
騒動になりそうなのはあくまで世間知らずっぽいからだ。我侭放題だからではない、と思う。
「えっと、話戻すね?それでお兄ちゃんやお母さんはちょっとどこにいるかわかんないから知ってそうな竜を探したの」
当然だが、相手は上位竜でなくてはならない。下位竜ではそもそも考える頭を持っていない。
どうやって探すのかと思ったが、そこら辺は適当、辺りを飛び回り強い属性の力探して、そこへ向かったらしい。
人にはそんな属性を感知する能力なぞないが、そこは矢張り竜という事なのだろうと自身を納得させているコッホだったが、その強い属性を持つ感知した相手というのがこのシャーテンブラの森の最奥に住む竜王、深淵の竜王であったという。
大地と水の属性を持ち、長き齢を重ねた強大な竜王。
その相手から「新しき竜王の誕生か、歓迎しよう」と言われたらしい。
(伝説って本当だったんかい)
正直コッホは伝説に聞くシャーテンブラの森最奥部の竜王の話は眉唾だと思っていた。
もっともこれは別に彼が特別だとか彼だけだとか言う話ではなく、むしろ冒険者としては至極当然。
このシャーテンブラの森もそうだが、諸事情により文字通りの意味で人が立ち入れぬ秘境では「竜が住んでいる」という伝説が立ちやすい。コッホ自身もそうした「竜が住んでいる」という伝承のある地へと仕事で幾箇所か立ち入った事があるが、そのいずれでも竜がそこに住んでいる事は確認出来なかった。
ある地はただ単に地元の人が希少な薬草を確保する為の深山へと無闇と子供や余所の人間を立ち入らせない為の噂話が何時しか竜王が奥地に住むという話になり、それが真実として伝わっていた。またある時は竜はいたが、単なる下位竜であり、人の言葉を語る上位竜などいなかった。まあ、下位であろうと属性竜だったらしいので戦闘はなかったのは幸いだろう。下位だろうが何だろうが熟練の冒険者、凄腕の騎士が束になってさえ竜は敵にするのは命がけの相手だ。
そして、このシャーテンブラの森はといえば、奥へと分け入る程の価値がないとも言える。より正確には奥へと入った所で危険と報酬が釣り合わない、そう思われているというのが正しい。
シャーテンブラの森の奥地とは先程逃げていった四腕巨熊のような危険な魔獣が多数生息する地域であり、普段人の手が入らぬが故に希少な薬草も生えているかもしれないが、どこに生えているといった知識はそもそも地形が不明なのだから分かるはずもない。必然、奥地へと到達した所で自力で群生地なりを探さなければならないという事になる。それも強力な魔獣の妨害を防ぎつつ。
大体、シャーテンブラの森の奥まで入れるだけの実力を持つ冒険者なら他に幾らでも確実に稼げる道がある。冒険者にだって生活がある。余程切羽詰って、一か八かの賭けに出ないといけない!とか、シャーテンブラの森の奥へと突入する余程断り辛く、報酬の良い仕事があったならともかく、命がけで博打に出る奴はいない。命がけの博打でさえ、難関ダンジョンなどのもっと良い賭け場所がある。
「竜王がいる」という伝説も誰も入らないから確かめられる事もない訳だ。
そうなると、自身の体験から「どうせ伝説って言っても実際は違うんだろ」という事になってしまう訳だ。こんな偶然でもなければコッホとて真実を知る機会はなかっただろう。
「それでね、折角だから私ちょっと了承もらってお肉食べようと思ったの」
「うん?」
何か急に方向性が変わったぞ?
まさか伝説が本当だったとは……と初めて知った本物の竜王の住む場所の話に、いや、目の前の少女も竜王だったか、とある種の感慨にふけっていたコッホの耳に突然そんな言葉が耳に入ってきた。
「深淵の竜王さんにちゃんと許可貰って、ちょっと周囲の魔獣っていうの?お肉取ったんだけどあんまり美味しくなくて」
そりゃあそうだろう。
魔獣の肉というのは癖があるものが多い。ちゃんとした下処理と調理を施して初めて美味い食材となるのだ。というか……。
(あいつらが出て来たのおまえさんのせいかい!)
と内心で突っ込みたくなるコッホである。
深淵の竜王の住まいはシャーテンブラの森の最奥部。
当り前だが、その周囲でとなると森の魔獣の中でも最強クラスの連中だろう。
そんな相手でも本物の竜王相手ではどうしようもなかったようだ。深淵の竜王が止めていればまた話は別だったのだろうが、その点をコッホが確認してみると、竜王というのは基本無干渉なのだという。少なくともこの地の竜王は。
長年暮らしていた為に土地にすっかり竜王の力が染み付いた「竜の庭園ドラゴンズガーデン」となっており、深淵の竜王は完璧な引きこもりと化していた。
例えるなら、趣味の品で周囲を埋め尽くされ、快適な環境が整えられた部屋。食い物も飲み物も困る事はない、となればそれは出てくる必要性を感じないだろう。大体、別に竜王と魔獣は友人でも何でもない。竜王が住まうが故に属性が豊富、豊穣に満ちたこの地に快適だから住み着いた獣にすぎない。それらに長年の間に属性が宿り魔獣と化し、それぞれが縄張りという名の生息圏をこの地の主である竜王が何も言わない事を良い事に勝手に主張していただけの話。
その主の許可を得て、別の竜王が動いた瞬間、彼らの勝手に定めた秩序は瞬時に崩壊した。
人サイズになっていようとも竜王は竜王、元々のポテンシャルが違いすぎて勝負にならない。頼りの属性も相手の方が遥かに強大な力を操れるのだから話にならない。かくて彼らは完全武装の熟練の騎士に、小枝を持って殴りかかるワンパク坊主の如き無謀を野生の感覚で悟り早々に逃げ出した。救いはルナこと竜王が別に全ての獣を狩る気など毛頭なかった事だろう、彼女は美味が再現したいのであって獲物を大量に得る必要は皆無だったのだから……。
しかし、最強の魔獣達が縄張りを捨てて逃げ出した結果は他の地域にも波及した。
強力な魔獣が逃げてきた事で、それを察知した入り込まれた魔獣が逃げ出し、それが更に周辺部の魔獣が逃げ出す結果となった上に、一部の強力な魔獣はひたすら逃げた事で外縁部にまで到達し……かくて普段は安全な外縁部でも強大な魔獣が出現するという事態が発生した訳だ。
間違いなく魔獣が外縁部まで出て来た事自体は「ルナのせい」といって過言ではあるまい。
もっとも、コッホ自身はそれを咎める気はない。
悪意あってのトレイン行為なら話は別だが、魔獣が追われて逃げ出したというのは別段責めるような話ではない。トレインにしたって敵わぬ相手から逃げ出して、結果としてそうなってしまったというのならば全く責任がない訳ではないが、責めるだけではすまない。死んでも生き返れるというならともかく、死んだらそれでお終いなのだから……。
「……ま、まあ、それで美味しく食える方法を探したんか?」
「そうなの」
そうして、考えてみて焼いてみたり水で煮てみたけれど美味しくはならなかった。
それは当然だろう、ただでさえ野生の獣だ。そもそも調味料も何もなしに、塩さえなしに美味い料理が出来たらその方がびっくりだ。いや、コッホ自身ならば野生のハーブを用いたり、似たような味を出す野草を用いたりして食えるレベルにしてみせる自信はある。が、自分でも子供の頃に、包丁さえ握った事のない時にいきなり肉を渡されて「美味い料理を作って」と言われても偶然以外にそんな事が出来る訳がないと断言出来る。眼前の少女もまた同じだった、というだけの話だ。
そして、悩んだ挙句、魔獣の肉を美味しく食べれる方法を探して人の街へ……。
「ちょい待ってくれ」
「なに?」
可愛らしく小首を傾げるルナだが、コッホからすれば聞き捨てならない事を口にした気がする。
「……行ったんか」
「?町?」
「そうじゃ」
「うん」
何か途轍もなく嫌な予感がしたコッホだった。
「……すまんが、その時の事をなるだけ詳しく話してくれんか?」
「いいよ?」
そうして、ルナは語り出した。
……まあ、至極当人にとっては自然に大気を操って幻を映し出すという映像つきで説明してくれたのはコッホにとって予想外ではあったが、分かりやすかったとは言っておこう。