表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄金竜外伝  作者: 雷帝
3/9

黄金竜外伝その3

 つるつるの頭に一本だけ毛が伸びている。

 そんなおっさんが街中を歩いていたらどうだろう?

 相手が普通のおっさんなら思わず視線を向けてしまったり、笑ってしまうような人もいるかもしれない。

 ただし、今現在、そんな頭を太陽の下、輝かせている人物相手にそんな事が出来るような者は余程親しい者ぐらいだろう。

 鍛え上げられた肉体、二メートルに達する巨漢、全身鎧と大型のハルバードで武装し、いずれの武具も一級品と見た目で分かる熟練の冒険者と思われる髭面の人物だが、しかし今彼は生命の危機に瀕していた。元々は頭部も兜を被っていたのだが、直前の襲撃によって首ごと吹っ飛ばされるのを避けるのと引き換えに弾き飛ばされていた。 


 「ふう……ふう……」


 乱れた息を整える。

 無論、視線は眼前の相手から逸らしたりはしない。

 彼もまた熟練の冒険者でもある。今この時、それが己の死を招く行為であると熟知している。だがそれを差し引いても。


 (……今度ばかりは駄目かもしれんな)


 眼前には巨大な魔獣が唸り声を上げている。

 見た目は山羊というべきだろう。だが、その実その危険度はこの森、シャーテンブラの森と称される数多の魔獣が巣くう為に国でさえ開拓を諦めて放置されている森の中でも上位に位置する魔物だ。間違っても一人で対峙するような相手ではない。そもそもこの森の魔獣達は基本、この森から出てくる事はない。伝説、伝承の類によれば、一国にも匹敵する規模の、この森の奥深くには獣の姿をした強大な竜王が住んでおり、シャーテンブラの森はその竜王の縄張りなのだと、そして魔獣達はその祖を竜王の気によって変じた獣に持つ為にこの森を離れようとしないのだと伝えられている。

 あくまで伝説の類であり、誰が確認したという話もない。そもそもこうした不可侵の地域がある時に、その理由として竜王の存在が挙げられるのは良くある事でもある。

 いずれにせよ、貴重な薬草などが採取可能とはいえ危険なこの森に、彼も一人で挑みはしない。事実、ここを訪れた時は臨時のパーティを組んだ五名で訪れたのだった。

 ……問題は。


 「ふん、わしもやきが回ったもんじゃ」


 吐き捨てるように彼が呟いた通り、残る四名はいずれも見た目こそ立派だったが、その実力はろくなものではなかった。

 どうやら親が金持ちのドラ息子だったようで、金に飽かせて良い装備を身に着け、装備の力のお陰でこれまで特に苦労する事もなく依頼をこなしてきていたのだろう。通常の冒険者が下っ端から上へと上がっていく過程で嫌でも身に着ける努力の末に得られる実力という奴を持ってはいなかった。

 なまじここまで来る過程で出くわした魔獣相手に然程苦労する事なく対処出来ていた事も拙かった。無論、調子に乗っている様子が鼻につく部分はあったが、男からすれば下積みを経て実力を得てきた者が実力をつけて上手く行くようになってきた事で調子に乗るというのは割と良くあるケースで、熟練の冒険者にとっては「ああ、自分達もこんな時期あったなあ」と生暖かく見守るのが恒例となっている。そうして、今の自分達でも苦戦するような相手と再び出くわす事で困惑し、鼻っ柱をへし折られるという訳だ。

 このような調子に乗り出した頃には熟練の冒険者が一人二人同行するケースは多い。最初の混乱を乗り切れば彼らもそれまで苦戦し、それを乗り越えてきた確かな経験を思い出して戦い、そうやって再び初心を思い出す。その最初の混乱を乗り切る為に熟練者が同行し、やがては彼らが次の熟練者となってゆくのだが……。


 (あやつらの行動からして……)


 彼らは自分達が苦戦するという事自体に戸惑い、混乱し、泡を食って逃げ出してしまった。

 もし、彼らだけでこれまでやって来たとなれば、どこかで苦戦するような経験をしていたはずだ。冒険者組合はそこまで甘くはない。が、あの反応からしておそらくは親の雇った護衛がこれまでは密かについていたのだろう。そうして密かにサポートを行ってきたのだ。

 では何故今回はそのサポート役がいなかったのか、という事になるがそれも薄々想像がつく。

 今回は彼らは仕事を終えた打ち上げの場からそのままついてきた。

 シャーテンブラの森へ行く同行者を探す彼に「なら俺達が行くさ」と気軽な様子で声をかけてきたのだ。簡単な仕事だった、今からでも次の仕事にかかれるというか前が簡単すぎて早々に終わってしまったからそのまま次の仕事を探しに来たのだと。

 つまり、親へ報告するという過程がなかった為に、今回は護衛がいなかったに違いない。

 最もその報いは自分達の身で支払う事になってしまったようだが。魔獣達も獣には違いない。泡を食って背を向けて逃げる相手に追撃という名の追い討ちをかけられ、そんな状態に陥った際に助けてくれる護衛もおらず、次々と押し倒され、命を落とす羽目に陥ったのだ。

 助けなかったのか、と言う者がいるかもしれないが、彼も彼らを襲ったものと同じ狼系の魔獣による襲撃を受けていた。というか、群に襲われ、彼は何とか自分を襲ってきた相手の撃退に成功したものの四人を襲う狼魔獣を追い払うだけの余裕はなかった。そうやって森の中を抜け、もう少しで森から出られるという所で襲われた、という訳だった。


 「わしもここまでか……だが」


 せめてもの意地だ。道連れにしてくれよう。

 その思いを篭めて睨みつける。

 その覚悟を読み取ったか、魔獣もまた警戒を強める。だが、森の強者としての誇りなのか、或いは魔獣の凶暴な本能故か逃げる様子はない。

 互いに睨み合い、それが限界に達し、動き出そうとする刹那。


 「てい!!」


 そんな声が響いた瞬間。


 ドゴン!!!!!!!


、そんな轟音と共に男の目の前にいた相手が入れ替わった。

 一瞬にして魔獣は姿を消し、代わりにそこには女性が一人。いや、年齢的にはまだ少女と言っていいぐらいだったが、立っていた。


 「は……?」


 思わず周囲を……見回すまでもなく、魔獣はピクピクと痙攣して少し離れた所に転がっていた。

 ぶくぶくと泡を吹き、痙攣し、胴体はくの字に折れ曲がっている。明らかに致命傷だが……一体何をしたのか。

 山羊に似たとはいえ魔獣は魔獣だ。頭部までの高さは四メートルに達し、角を合わせれば更に高い。当然、その体重は数百キロどころかトンに達し、まともに直撃を喰らえば身体強化の魔法を用いている冒険者であっても怪我を負うような相手だ。

 せめて少女が武装していればまだ分からないでもないのだが、シャーテンブラの森という危険地帯に来るには余りに身軽。というか、武器は持たず、服装は街中を歩き回るのと大差ない。となると、もし、少女が魔獣を何とかしたとなると、殴り飛ばしたか蹴り飛ばしたと考えるしかないのだが、果たして人の身でそんな事が可能なのか。

 余りと言えば余りの事態に思考停止気味な男が呆然としつつも、少女をマジマジと見詰める。

 美しい少女だった。

 髪は森の奥の薄暗い中にあって尚輝く黄金。まるで自ら光を放っているような印象すら受ける。

 肌はあくまで白く、透き通った翠の瞳が輝いている。 

 衣類こそ地味だが、そんな町の娘が普通に着ているような衣類を着ていてさえ内面からの輝きは隠せず、着飾る必要すらなく実はどこぞの貴族の令嬢と言われたら、大抵の人が納得するだろう。……だからこそ、シャーテンブラの森という危険地帯にいる事が違和感を思い切り発散しているようでありながら、同時にここにいる事が間違っていないような……そんな二律背反な印象を併せ持っていた。


 「………あー……どちらさまかな?」


 とはいえ、助かった事には変わりはない。そうしてまず間違いなく助かったのは目の前の女性のお陰だ。あのままであれば、勝ったとしてもこちらも無事では済まなかった。間違いなく相当な怪我を負い、そんな状態ではこの森から脱出する事は出来なくなっていただろう。

 そして日が沈めば、翌朝には骨も残らなかったに違いない。

 そう思い、声を掛ける。恐る恐るといった調子となったのは勘弁して欲しい。


 「…………」

 「……な、なんじゃ?」


 少女はと言えば、てくてくと歩み寄り男の顔を無言で覗きこんできた。

 これがハゲ頭の中年男だと喧嘩売ってるのか、と不快に思う輩も出るだろうが、その点は美少女は得だ。男も覗き込まれてもドギマギこそすれ、不快感などは抱かない。


 「貴方、コッホさん?」

 「む?た、確かにそうじゃが……」

 「暗き穴倉亭の店主さん?」

 「そうじゃ」


 どうやら少女が来たのは偶然ではなく、自分を探しに来たらしい。

 はて、一体全体誰に頼まれたのかと思いきや……。


 「そっか!私ルナって言うんだけど!」

 「あ、ああ……」

 「あれ美味しい?」

 「はっ?」




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 少女が指差した物を確認し、コッホは納得したように頷いた。少女の指差した先に転がっていたのは先程吹っ飛ばされていった、現在は見事に昇天した魔獣。


 「ああ、あ奴は美味い、ただちゃんと処理してやらんとなあ」

 「………」

 「……食いたいのか?」


 目を輝かせる少女に確認を取れば、こくこくと頷くその様を見て、少し苦笑しながら解体と処理を行うべくコッホは歩き出した。彼の後をとことことついてくる少女は先程の大型魔獣を一撃で吹っ飛ばした光景が幻でだったんじゃないか?とコッホに思わせるぐらい年相応というか幼い印象を受ける。

 自身も子のいるコッホはその後ろに尻尾がぶんぶんと元気良く振られているのを見た気がして……思わず振り返ってまじまじと見た。

 見間違いではなかった。

 少女の後ろには金色の毛並みの尾がぶんぶんと振られていた。

 とはいえ、コッホはそれを異常とは思わない。


 (成る程、獣人族だったか)


 先程までは確かに尾は存在していなかったが、獣人族ならばそれもありだ。

 獣の要素をその身の内に持つ獣人族は亜人の一種であり、耳や尾、爪などの身体的特徴を持ち、優れた身体能力を発揮する反面、魔法の扱いでは人にかなり劣る。それでいて保有魔力には双方に大差がない事から獣人は無意識の内に身体強化に魔力を用いているとされる。つまり、人を上回る力を発揮する事は不思議ではない。

 それでも、あれだけの魔獣を問答無用で吹き飛ばせるかは疑問だが、とりあえずそれを置いておいて、コッホは魔獣の解体を始める。

 魔獣と言っても別に体に害がある訳ではない。普通の獣が属性を取り込み魔法を用いるようになっただけだ。

 属性自体はどこにでもあり、そもそも水や植物にも宿っているのだから体に悪い訳がなく、魔獣もまた同様。無論、普通の獣や木の実がそうであるように美味い魔獣もいれば、不味い魔獣もいるが今回の山羊型魔獣はしっかりした歯応えと豊富な肉汁が魅力の旨味の強い肉を持っている。ただし、きちんと下ごしらえをしたら、の話だが。

 なにせ、頑強な肉体を持つ魔獣故に一般人が齧りついた所で、そのままでは文字通りの意味で歯が立たない。その為、しっかりと下ごしらえをして、肉を熟成させ、柔らかくしてやる必要があるし、そうした上で初めて味付けも意味を持つ。無論、解体の段階からきっちり処理を出来るならそれに越した事はない。

 それが分かっているから、食欲に基づいた期待全開といった様子の少女にも指示を出しながらてきぱきと解体してゆく。

 実の所、こうした技術を持っている奴はこの世界でも少ない。

 何しろ魔獣の肉だ、通常の獣より遥かに強力な連中の食材など通常は偶然仕留めた冒険者がギルドを通じて市場に出すか、依頼を受けて狩って来たものの内、納品を受けた商会が余剰分を放出したりする程度で通常の意味では市場に出回る事はない。

 必然的に価格は高くなり、一般の店が一般の人にも手が出るような価格で提供するというのはまず不可能。

 コッホは自身の店でかなりの格安で魔獣の肉を提供する変わり者だが、それが出来るのも自身で魔獣を仕留めている為に、仕入れ値がかからないからこそ出来る事でもある。


 何でそんな事をしているかと言えば、元々は店のテコ入れの為だった。

 生活の為に冒険者となったコッホはそちら方面で才能があったのだろう、若くして成功した事で自らの夢を叶える機会を得た。それが料理人、腕の良い料理人であったといい、実際コッホにも料理の技術を仕込んでくれた父はけれど商売下手で店を潰してしまい、借金の支払いの為に金を稼げる仕事に就かざるをえなかった。母親はと言えば、店を潰した時点で夫に愛想をつかして、まだ小さい息子を残して出て行ってしまった。

 借金を何とか支払い終えて、けれど間もなく長年の無理が祟って亡くなった父の最期の言葉「もう一度料理を食ってもらえるようになりたかったなあ……」という願いを自分が叶えるのだと思っていたコッホは念願叶って店を構えたのだが、これが思ったより流行らなかった。

 後になって考えてみれば当然だったと当時の自分を思えば苦笑してしまうコッホだが、なまじ金を持っていた為に店を開いた場所は料理店を開くには良い立地……そう、そんな良い立地故に他にも料理を売り物にする店が幾つもあり、老舗の評判の店も一軒ならず存在していた。そんな場所にいきなり店を構えた所で、これまで無名だった料理店がいきなり繁盛する訳がない。これでコッホの腕がそれらすら圧倒する程に劇的な美味を提供出来るというなら問題なかったが、さすがに周囲も熟練の料理人が店を構えている中でそんな事が言える程ではなかった。

 故に、コッホは自身の店ならではの売り物を探す必要に迫られた。そんな中で見出したのが魔獣料理だった。

 実の所、魔獣の調理が可能な者は限られている。 

 魔獣の肉というものは普通なら美食に慣れた王侯貴族や豪商と呼ばれる奴らが多額の金をかけ、たまにオークションで出る肉を落札するか雇った一流冒険者に魔獣を狩らせて、超一級の料理人を雇い、初めて口にするような代物だ。

 そんなある種特別な品を加工する技術が求められる機会自体が少ない。鍛えても使う機会がないとなれば当然と言えるのだが。

 幸い、コッホは魔獣を調理する技術を持っていた。時にはそれしか食えるものがないという状況も経験していたし、調理というか加工技術があればその分魔獣の素材が高く売れたからだ。

 結果、コッホの店は話題を呼んで、今ではコッホ自身の技量が上昇した事で普通の料理も評判が高いが、未だ魔獣料理は出し続けている。

 それらを食べたいが為にわざわざ予約を入れてきたり、自身がしとめる代わりに安く食わせてくれと言ってくる冒険者などもいるのだが、しかし……。


 (どうにもこのルナ嬢ちゃんはそれとは違う気がするんだよなあ……)


 彼の指示に従って解体を進めていく少女からはそんなある意味コッホが知る雰囲気が感じられない。

 むしろ感じるのは……。


 (うん、そうだ、魔獣って奴を食い慣れてる感じだ)


 魔獣は強い。

 熟練且つ一流の端くれには入っていると自負するコッホとて一人では狩れるような魔獣は限られる。普段狩るのはもっと小型の魔獣だ。

 それが目の前の少女は目前の大型魔獣、コッホのような一流どころの冒険者がパーティを組んで狩るような相手に対して、確かに期待はしているがそれは「食べたことのない珍しい食事」に対する期待ではなく、「普段食べてるのがどんな味になるのかが楽しみ」なのだと長年の経験と勘で察する。

 そう疑念を感じながら解体していたコッホはゾクリと背中に走る感覚に急ぎ振り向く。そこには……。


 「四腕巨熊だと!?」


 のそり。

 そんな音が付きそうな仕草で現れたのは巨大な四つの(脚と合わせて六本)腕を持つ熊だ。成獣は立ち上がれば全高さは優に五メートルを越え、爪のによる攻撃はまともに喰らえば大木ですら一撃でへし折れる程。加えて水の力を宿す為に簡易ながら水の魔法すら用いてくる。攻撃魔法としては精々氷の弾丸を飛ばしてくるだけだが、安全に遠距離から封殺するという手段が使えないというだけでも厄介さが増す。  

 内心で(どうなってんだ今日は!)と叫ぶ。

 たった今絶賛解体中の鹿型の魔獣といい、いずれもこんな森の浅い所にいるような魔獣ではない。

 しかし、これで判明した事がある。

 鹿の魔獣は偶然森の浅い所に迷い出て来た所を遭遇したのではない。おそらく森の奥地、こうした大型の魔獣が生息する地域で何かがあったのだ。

 魔獣達は属性の強い場所を好む。それはもし伝説通りならば竜王の住まう森の最奥部に近い場所であり、その為に森の奥深くへと進む程属性の強い地に住む事の出来る、他の者に縄張りを横取りされる事なく逆に排除可能な強力な魔獣が存在する。森の外縁部に近い程、属性の強さは弱くなるので結果として外に行く程良い場所を追われた、追われるぐらいに弱い魔獣が生息するという事になる。

 四腕巨熊もこれがまだ親離れしたばかりのものならまだ分からないでもない。

 だが、大人になったばかりの彼らは三メートル程度。大人と変わらぬサイズとなって巣立ってゆく通常の熊と異なり、長生きし、延々成長し続けると言われる四腕巨熊は長く生きた個体と親離れしたばかりの個体とでは明確にそのサイズが異なる。過去には十メートルを越えるそんじょそこらの下位竜程度なら真っ向から打ち殺せるような個体が存在したという記録すら残っている。

 その知識と体に走る傷跡から判断するならば目の前の相手は相当な齢を重ねてきた古強者。

 反面、今ここには鹿型魔獣の肉がある。すぐにこの場を離れればそちらを優先するだろう、獲物は惜しいが命には代えられない。

 そう考えたコッホの視界に信じられない光景が映る。


 「!いかん!嬢ちゃん、下がるんじゃ!!」


 ルナがてくてくと四腕巨熊に向かって歩き出したからだ。

 一瞬血の気の引いたコッホだったが、続けての光景に今度は真剣に自身の目を疑う事になった。

 訝しげに「なんだこいつは」とでもいう目を向けていた四腕巨熊が突然、ピタリと動きを止めた。

 それだけならまだそこまで驚く事ではなかったかもしれないが、直後に怯えたように巨熊が身を縮め……。


 「……はッ!?」


 突然、腹を出して寝転がった。

 どう見ても圧倒的強者に対して観念した全面降伏のポーズである。おまけに首だけ曲げてルナを見てはいるが、明らかにその目は強者の見下すそれではなく、怯えて気弱げに垂れ、その全身がぷるぷると震えている。


 「ねえ、コッホさん」

 「む?な、なんじゃ?」

 「この子って美味しい?」


 至極無造作に視線を外して、ルナはコッホへと顔を向ける。

 普通、こうした熊などは目を逸らした途端に襲い掛かってきてもおかしくないのだが、全くそんな素振りを見せはしない。


 「……あー……いや、肉食獣じゃし、珍味なぞと一部のもんは言うが美食に飽いた連中のゲテモノ食いと大差ないからのう……」


 確かに一部の部位を珍味として持て囃す者はいる。それは確かだ。

 だが、コッホからすれば所詮それは邪道だ。

 そりゃあ毒があっても食いたいぐらい美味だというなら、何とかして食おうというのも理解出来る。

 だが、食えない事もない、という代物をわざわざ食おうというのが理解出来ない。まあ、人の嗜好は人それぞれと言われれば確かに間違ってはいないし、それを美味いというのならばコッホはそれを否定するつもりはない。例え、その料理が見ただけで胸焼けを起こしそうな代物だったり、強烈な匂いで吐きそうになりそうな見た目最悪の代物であっても、だ。

 ただし、コッホ当人がそれを食いたいと思うか、自分で料理したいと思うかはまた別問題。


 「まあ、なんじゃ。折角美味いもんが目の前にあるんじゃし、わざわざ狩ってまで食いたいと思うもんではないと思うぞ」

 「そっか……なら行っていいよ」


 コッホの言葉にルナが頷いて、四腕巨熊に対して声をかけながら森を指差すと、ぱっと起き上がった巨熊はルナへと視線を向け、ぺこりと一礼するとそそくさと森の奥へと姿を消した。

 その姿を見送ったコッホは思わずといった様子でルナに声を掛ける。


 「なあ、お前さん何者なんじゃ?あんな魔獣が怯えるなんぞ余程じゃぞ?」

 「え?私はただの竜王だよ」

 「成る程、竜王じゃったか、それなら」


 あっさり帰って来た返事に相槌を打ち……即効でルナへと視線を向けた。

 何時の間にやら小首を傾げる少女の頭には角がその姿を見せていた……。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ