第八話「この前のことだけど……」
翌朝。朝から目の前で繰り広げられるアッサムとミーティアの仲睦まじい姿にも心が折れないくらい、コスモの気持ちは踊っていた。昨夜は楽しみすぎてあまり眠れなかったくらいだ。
食事を終えて機嫌良く部屋に戻ろうとすると、後ろから追いかけてきたラッサムに声をかけられた。
「コスモ、今日はどこで本を読む?」
「え?」
コスモはきょとんとした表情を浮かべた。
「日中は本を読む、という話をしただろう?」
「えぇ、そうだったわね」
「どこで読む?コスモの部屋か、俺の部屋か?」
「あら、一緒に読むの?」
「今日は一日休みをもらえたと言ったじゃないか」
「あぁ……なるほど」
噛み合わない二人の会話だったが、コスモはようやく理解した。コスモは一人で本を読むつもりでいたのだが、ラッサムは一緒に読むつもりでいたらしい。本を読むのなら一緒にいる必要はないんじゃないか、と思ったが、ラッサムがそう言うなら仕方ない。
「それじゃあ図書室はどう?そろそろ次の本も借りたいし」
「この間借りた本はもう読み終わったのか?」
ラッサムは目を丸くした。
「えぇ、だって三日も前のことだわ」
「それにしたって……まぁいい」
気分を変えるようにこほん、と一つ咳払いをした。
「それじゃあ図書室に行こう。持ちきれないだろう、本を取りにコスモの部屋に行くぞ」
「ありがとう」
こうしてラッサムとコスモは二人で図書室にやってきた。コスモの予想通り、お互いに本に集中しているので何も喋らない。広い図書室に二人きり。しかし、それも沈黙も気にならないくらい楽しい時間を過ごした。
そんな時間を破ったのは図書室のドアが開いた音だった。
「兄さん、コスモ!ここにいたのか」
ニコニコと歩いてくるのはアッサムだった。コスモは本の世界から急に引き戻されて現実感のないままアッサムを見つめた。
「もうお昼の時間だよ。僕達と一緒に中庭で昼食を取らないか?」
アッサムばかりに気を取られていたが、後ろには控えめに顔を出すミーティアの姿もあった。
「せっかくの休みなんだから二人で取ればいいだろう」
「何を言っているんだよ、兄さん。コスモもミーティアもコブルスルツ城に来たばかりなんだ。コスモと二人きりになりたいのはわかるけど、親睦を深めるためにもたまには一緒に食べたっていいじゃないか!」
うんざりした顔をするラッサムと強引なアッサム。そういえば昔から二人はこうだった。一人になりたそうなラッサムを、放っておけばいいのに、しつこくちょっかいをかけるアッサム。変わっていないな、と思うとコスモは嬉しい気持ちとモヤモヤする気持ちが入り混じって複雑な表情を浮かべた。
「どうする?」
困った顔のラッサムがコスモに尋ねてきた。
「私は……」
チラッとアッサムを見るとキラキラと期待に満ちた表情で見つめてくる。まるでこの前のことも忘れてしまったかのように。
「アッサム、ラッサム様もコスモ様も困っていらっしゃるじゃない。無理に言ったら悪いわ」
後ろに控えていたミーティアが小さな声でアッサムを引き止めた。
「そうだけど……」
アッサムは表情を少し崩して困ったような表情を浮かべた。
「わかったわ」
コスモは目を伏せてはっきりと発言した。
「昼食、ご一緒しましょう」
「本当?やった!」
アッサムは再び顔を輝かせた。
「実は既に中庭に用意させているんだよ。さあ、行こう!」
ラッサム達が動くのを待たずにアッサムは勢い良く図書室を飛び出して行った。ミーティアはすまなそうな顔をして一礼して、アッサムの後を追って出ていった。
「良かったのか?」
動く気配のないコスモにラッサムは尋ねた。
「……えぇ、行きましょう」
コスモは冷めた表情のまま立ち上がった。
***
「さぁ、どうぞどうぞ」
ラッサムとコスモが中庭に到着すると、一人明るいアッサムが両手を広げて出迎えてくれた。そこは三日前に二人が食後の紅茶を共にした白いテーブルだった。その上に置ききれないくらいの食事が乗っていた。
ラッサムとコスモが無言で椅子に座ると、アッサムが、
「それじゃあいただこう」
と、いつも国王がそうするように声をかけた。
「兄さんはミーティアに会うのは久しぶりなんじゃない?」
「そうかもな」
ラッサムは興味なさ気に返事をしてちぎったパンを口に入れた。
「コスモもそうだけれどミーティアも王宮での生活は慣れていないんだ。優しくしてくれよ」
「そうだな」
一方的に喋る弟と面倒くさそうに相槌を打つ兄。コスモはチラッと見たつもりのミーティアとバッチリ目が合ってしまった。すると、ミーティアは申し訳無さそうな顔をして笑った。
「ミーティアとコスモは仲良くなれそうかな?」
アッサムは大した反応のない兄から話題を妃達に移したようだった。
「仲良く、だなんて恐れ多いです。コスモ様は元々の身分から私と全く違いますし」
ミーティアはそう前置きしてから、
「しかし、コスモ様はとてもお優しそうな方ですので、安心いたしました。王子の妃同士、仲良くできたら嬉しいです」
と、言って少し頬を赤らめて笑顔を見せた。
「ミーティア。ここには僕と兄さんとコスモしかいないんだから、普段と同じような喋り方をしていいんだよ」
「そんなわけにいかないわ。失礼になってしまうもの」
「兄さんとコスモはそんなことで怒る人じゃないさ。それに、そういう言葉使いだと逆に壁を作っていると取られてしまうよ」
「そうかしら。でもやっぱり……」
「ミーティアのそういう気を使えるところは素敵だと思うよ。でもね……」
二人の仲睦まじい会話を間近で聞いているとコスモは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。アッサムはミーティアを心から愛して婚約者に迎えたように感じる。コスモとの約束なんて忘れ去って。
それに比べて私はなんと惨めなことだろう、とコスモは俯いた。アッサムに真実を聞きたくて承諾した婚約。仲睦まじい二人に対して政治的に婚約した私達。そこには愛も何もない。初恋の相手が想い人と仲良くしているのを見ながら、愛のない結婚をしなくてはならない。それはあの日読んだ童話よりも遥かに酷い結末だ。
コスモはチラッと横のラッサムを見ると、無表情で自身の食事だけを見ていた。何でこんなことになってしまったのだろうか。
会話は大して盛り上がらないまま食事は終わり、中庭を散歩することになった。無愛想を貫くラッサムにアッサムはしつこく絡みに行っていて、コスモは必然的にミーティアと並んで歩くことになった。
「申し訳ございません、コスモ様。お二人の時間を邪魔してしまい……」
「大丈夫よ」
「しかし、ラッサム様はあのようなご様子で……」
「ラッサムはいつもあぁよ。アッサムと違って愛想がないから」
「そうなのですか。実はラッサム様とはあまりお話したことがなくて」
ミーティアは恥ずかしそうに顔を伏せた。
「私もそんなものよ。二人とは幼い頃からの仲だけれど、ラッサムとはほとんど話したことがなかったから」
「そうだったのですか。双子なのに随分と違うものですね」
「えぇ、似ているのは顔だけよ」
「本当ですね。今でこそ髪型が違うのでわかりますが、昔は話しかけられないとどちらかがわかりませんでしたから」
ミーティアはくすくすと笑った。
先を歩いていた二人が中庭の中腹でコスモとミーティアが追いつくのを待っていてくれた。中庭にはたくさんの花が咲いている。下を見ると、ついこの前デーラが植えていたマボランが目に入った。コスモは屈んで見ると、棘から薄いピンク色の蕾が出てきていた。
「本当に茎もなく咲くのね……」
コスモが小さく呟いていると、
「これは?」
と、言うラッサムの声が聞こえてきた。見上げると、いつの間にかラッサムがコスモの横に立ってマボランを見ていた。コスモも立ち上がった。
「これはマボランっていうシアーレリのさらに南の暖かい国の植物なんですって。デーラが私達の婚約を祝って植えてくれたみたい」
「そうなのか」
ラッサムもマボランをじっと見つめていた。コスモはデーラから聞いた花言葉は言わないことにした。
「もうすぐ咲きそうだな」
「そうね」
「また咲いたら見に来よう。せっかくだからな」
ラッサムの言葉にコスモは意外そうな表情を浮かべたが、嫌な申し出ではなかったのでこくりと頷いた。
「そろそろ戻ろう」
アッサムの言葉でコスモ達は再び歩き始めた。アッサムと約束を交わしたベンチの前を通り過ぎる。マボランの花で少し癒やされたコスモの心に再び黒い影が落ちる。
「コスモ、ミーティアとはうまくやれそうかな?」
先を一人で歩くコスモに追いついてアッサムが声をかけてきた。何故ここでミーティアの話ができるのだろう。コスモの心は棘で傷つけられていくようだった。
「えぇ、そうね」
「良かった。きっと仲良くなれると思っていたんだ。二人ともいい子だからね」
アッサムは嬉しそうに笑ったが、コスモはアッサムに目を向けなかった。二人ともいい子。それでもアッサムはミーティアを選んだ。
「それで、コスモ。この前のことだけど……」
「もういいって言ったでしょう」
コスモはアッサムの言葉を遮ってぴしゃりと言い放った。
「……そうだね。ごめんね」
アッサムはしゅんとしてしまった。コスモの心もチクリと痛んだが、フォローすることはなかった。
「ミーティアのところへ行きなさいよ。ラッサムと二人で残されて可哀想よ」
「……わかった」
コスモの言葉にアッサムは頷いて後ろへ戻って行った。これでいいのだ、これで。
元のテーブルのある場所に戻ると、アッサムが、
「これからここで紅茶でも飲もうか」
と、明るい口調で言って座るように勧めた。もう嫌だ、戻りたい。コスモはそう思いながらも断る理由も見つからずにその場に立ち尽くした。
「俺達はこれで戻る」
コスモを救ってくれたのはラッサムのそんな言葉だった。コスモはパッと顔を上げてラッサムを見た。
「今日はこれから劇場に行くんだ」
「劇は夜からじゃないのか?」
「夜からだが、女性にはそれなりに支度が必要だろう。そろそろ部屋に戻らないと」
「そうか、それなら仕方ないか……」
アッサムも折れて引き下がった。
「それじゃあな」
「うん、楽しんできてね」
アッサムとミーティアに笑顔で見送られてラッサムとコスモは中庭を後にした。本当に助かった。あのまま中庭にいたら劇なんていう気分ではなくなってしまうところだった。




