第三話「俺はコスモと結婚する」
翌日。コスモは専属メイドとなったロロに「体調不良で外に出られない。疲れが出ただけだと思うので医者はいらない」と伝えてベットで寝込んでいた。本当は体調不良などではない。昨夜、泣きすぎて目が腫れてしまったためにとてもじゃないが人に見せられるような顔ではなかったからだ。
それに、アッサムに会ったらどんな顔をしたらいいかもわからなかった。コスモは枕に自分の顔を押し付けて何度も何度も昨夜のことを思い出していた。
約束のことを訊いた時のアッサムの反応。ポカンとしていて要領を得ていなかった。それは、アッサムが何も覚えていないことを意味している。
四年前のあの日、確かにコスモはアッサムと将来の約束をした。固く、固く約束したはずだったのだ。そう思っていたのはコスモだけだった。その現実がコスモにずしりと重く伸し掛かっていた。
昼をとっくに過ぎた頃、コスモはもぞもぞとベットから起き出して鏡の前に立った。ボサボサな髪の毛。生気のない瞳。悲惨な自分の姿を見て、思わず溜息をついた。しかし、目の腫れはだいぶ引いたようだった。
ずっとこうして引きこもっているわけにもいかない。コスモはパジャマから締め付けの緩いワンピースに着替えて櫛で自分の髪の毛を梳いてからそっと扉を開けた。扉の側には兵士が立っていて、コスモに気がつくとすぐに近くにやってきた。
「心配をかけてごめんなさい。もう良くなったみたい、とロロに伝えてもらえるかしら」
「かしこまりました」
コスモが部屋のソファに身体を落ち着けると、すぐにメイドのロロがやってきた。
「コスモ様、お加減いかがでしょうか」
「えぇ、だいぶ良くなったわ。コブルスルツ城について初日だというのに迷惑をかけてごめんなさい」
「そ、そんな。とんでもございません」
ロロは慌てた様子で頭を振った。
「何か召し上がられますか?お部屋にお持ちいたしますが」
「そうね、お願いしようかしら」
「かしこまりました」
あまりお腹は空いていないが、昨夜から何も食べていないのだ。何か口にした方がいいだろう。
ロロが一時退席すると、コスモは窓の方に近づいてカーテンを開けた。外からは眩しいほどの光が射し込んでくる。この部屋からは中庭が良く見える。大好きだったはずのコブルスルツ城の中庭も、アッサムに振られた今だと見ているだけで胸がチクリと痛む。コスモはすぐに見るのをやめてソファに戻った。
これからどうしよう。アッサムの気持ちを確かめるためにラッサムとの婚約を受け入れてコブルスルツ城に来た。アッサムの気持ちがコスモにあると信じていたので、そうならばラッサムに交渉して婚約相手を変えてもらおうとすら思っていた。
それが昨夜ですべてなくなってしまった。このままだとラッサムと結婚することになってしまう。
お父様に頼んでこの婚約はなかったことにしてもらおうか、と思いかけてコスモは小さく首を振った。それは無理だ。ケンリウム国にとってコブルスルツ国と友好を保っておくことは何よりも大事なことだ。一度来てしまったものを、こちらから「やっぱりなかったことに」などと言えるはずもない。
考えても適切な答えは出てこない。昔読んだ童話の姫のように、自分の生まれた時から決まった運命を恨みながらすべてを受け入れるしかないのだろうか。
そんなことを考えているとドアがノックされた。ロロが食事を持ってきてくれたのだろう。「はい」とコスモが返事をすると、扉が開いた。
コスモはそこに立っている人物を見て目を見開いた。
「ラ、ラッサム……」
ラッサムはずかずかと部屋に入ってきた。コスモは呆然とした後、ラッサムにソファを勧めようと慌てて立ち上がった。
「そのままで良い」
ラッサムはそう言うと先に目の前の椅子に座ってしまった。コスモは躊躇いながらももう一度ソファに腰を落ち着けた。
ラッサムの後ろから入ってきたロロがテーブルに簡単な食事を置いて部屋から退出していった。その間、ラッサムは一度も口を開こうとしなかった。
ロロが退出してからもコスモはどうしたらいいかわからずに無言でただラッサムを見ていた。ラッサムはようやく口を開いて、
「食べろ。何も食べていないんだろう」
と、言うと自分も目の前に置かれた紅茶を口にした。コスモはそんなラッサムの様子を伺ってから、ようやくスープを口にした。
またしばらく沈黙が続いた。コスモは落ち着かなくてラッサムをチラチラと見たが、ラッサムは無表情のまま紅茶を飲んでいる。考えてみたらラッサムと二人で過ごすなんて初めてのことだ。
沈黙に耐えかねて口を開いたのはコスモだった。
「今日はお仕事は……?」
「もう終わった。父上が仕事を軽くしてくれているからな」
そういえば昨夜そんなことを言っていたっけ。そして「二人で多く時間を共にすると良い」と言われたのだった。
ラッサムはコスモからの問に答えたきり何も喋らない。そんなラッサムにコスモは苛立ちを感じていた。結婚するというのに歩み寄ろうともしない。父親の言いつけ通りにただ部屋に来ればいいと思っているのかしら。それに、体調不良で寝ていたというのに心配の言葉もない。これなら来てくれない方が良かったのに。
「ねぇ、ラッサム」
コスモは軽くラッサムを睨みながら口を開いた。どうしようもない気持ちが心のなかで燻っていた。
「どうして婚約なんてしようと思ったの?セントラ国王に言われたから?」
ラッサムは少しだけ目を見開いてから、
「いや」
と、だけ答えた。
「違うの?」
コスモは訝しげに問い返した。
「そんなことは、どうでもいいだろう」
「どうでも良くなんてないわ」
コスモは強く言い返した。
「私、貴方と結婚するのよ?」
「それは……」
ラッサムは苦しそうに顔を歪めた。
「それならそれで、いい」
ラッサムの答えが気に食わなかったコスモはさらに眉を吊り上げた。
「私の事、バカにしてるの!?」
「そんなことは……」
ラッサムの眉尻が僅かに下がった。
「じゃあ質問を変えるわ」
コスモは震えるほどの怒りを抑えて冷静になるよう努めた。
「ラッサムは本当にこれでいいの?誰だって望まぬ結婚なんてしたくないはずだわ。私は……」
流石にその先の言葉は続けられずにコスモは口をつぐんだ。コスモとラッサムの視線が交わる。コスモの瞳は続きをラッサムに口にしてほしいと強く訴えていた。コスモにラッサムの思考は読めないが、ラッサムの瞳の奥で何か強い意志が輝いたように感じられた。
「俺はコスモと結婚する」
「……え?」
ラッサムが口にした言葉はコスモの予想していたものではなかった。コスモは少し青ざめた顔で口を半開きにしてラッサムを見つめたまま固まってしまった。
ラッサムはコスモを気にもしない様子で床に置いてあった紙袋をテーブルの上に置いた。
「本を持ってきた。部屋にいても退屈だろう。読むといい」
「本……?」
突然の話の転換にコスモはついていけない。どうやら結婚の話は終わってしまったらしい。
「コブルスルツ城には図書室がある。明日の朝、朝食の後そこに案内しよう。今日は夕食の席に出なくて良いから部屋で休んでいるといい」
ラッサムは椅子を引いて席を立った。
「あと、明日の夜から夕食後のお茶は二人で取ろう。仕事は調整する」
事務的に告げられる事柄を理解できないままコスモはただラッサムを見上げた。
「ではな」
コスモが次に何か言葉を発する前にラッサムは部屋から出ていってしまった。
「な…に……?」
しばらく呆然とラッサムが消えたドアを見つめていたコスモはそう呟いた。
「結婚する、ラッサムがそう言ったの……?」
コスモは髪の毛が乱れるほど頭を振って頭を抱えた。
「どういうことなの……?私との結婚をどうでもいいと言ってみたり、あんなにはっきりと結婚するって言ってみたり。私に何の感情も抱いていないくせに、まるで自分の意志かのように……どういう理由が…ラッサム……」
コスモはそのままうずくまってしばらくの間言葉にならないうめき声をあげていたのだった。