第二話「ひどい」
コスモはすっかり落ち着いて部屋のソファでうとうと微睡んでいると、メイドのロロが夕食の時間を告げに部屋にやってきた。とうとうアッサムと会える。そう思うとコスモの目は一気に覚めて緊張が高まった。
コスモは身なりを整えて足早に食堂へと向かった。入ると既にラッサムは席についていて、
「ここに」
と、隣の席を勧められた。コスモはラッサムの婚約者となる現実を感じながら表情固く席についた。きっとラッサムの前にアッサムが座る。そして、その隣にはアッサムの婚約者が。コスモは心臓が飛び出そうになるくらい緊張していた。
「アッサムの婚約者は……」
コスモは緊張を紛らわせるために言葉を発したが、聞きたいことがありすぎて言葉を詰まらせた。
「今日はまだいない。コスモに遅れて1週間以内には城に入るとは思うが」
コスモの言葉を汲んでラッサムは無機質な言葉でそう説明した。
「そう」
コスモは内心安堵していた。婚約者がいないとなればアッサムとの再会に集中できそうだ。それに、そこまでの心の準備はまだできていない。
あんなに固く約束を交わしたのだ。アッサムがその約束を破るなんてありえない。コスモはそう信じて背筋を伸ばしてアッサムが来るのを待った。
アッサムはコブルスルツ国の貴族の娘と結婚すると聞いた。弟のアッサムが兄より身分の高い女性と結婚することはできなかったのかもしれない。そうだとしたら納得もいく。アッサムの気持ちを確かめてから、ラッサムと相談して相手を入れ替えてもらえばいい。
コスモはそう考えて、頭の中で頷いた。それならば早くアッサムに会いたい。会って、一刻も早く気持ちを確かめたい。
扉が開く音がしてコスモの心臓はドクンと大きく跳ねた。コスモが立ち上がると同時にまずは国王が、続いて王妃が入ってきた。
「あぁ、コスモ姫。久しぶりだね」
セントラ国王は無表情だととても怖い顔をしているのに、笑うととても優しい顔になる。その顔を見ると何とも言えない懐かしい気持ちになった。
「お久しぶりでございます」
「かけなさい」
コスモは国王が席に着くのを確認してから自分も席に着いた。その時、扉の方角からもう一つの足音が聞こえた。コスモはゆっくりとそちらを見た。その先から、サラサラの金色の髪の毛をなびかせてアッサムが歩いてきた。記憶した印象に近い肩上の直毛の髪の毛と緑色の瞳。しかし、前に会った時よりも身体つきは少し逞しくなっただろうか。元々細身な身体でそれは変わっていないものの、腕や肩周りが少ししっかりとしている。
その様子をコスモはまるで時間の流れが遅くなったかのように感じた。アッサムはゆっくりと、しかししっかりとした足取りで歩いてくる。コスモと視線が合う。アッサムは嬉しそうに微笑んだ。
「コスモ!久しぶりだね」
「えぇ」
心臓が高鳴るコスモは上手い返しをすることができない。
「遅いじゃないか、アッサム」
国王に咎められて、
「申し訳ございません」
と、アッサムは悪戯っ子のように笑った。
「それではいただこう」
国王の号令でメイド達が料理を運んでくる。豪華な夕食のスタートだ。
食事の間、国王は嬉しそうにコスモにケンリウム国の近況を尋ねた。途中で王妃に咎められるほどずっと質問攻めにあっていたので、アッサムやラッサムは口を挟む隙もなかった。しかし、コスモが時折アッサムを見ると笑顔でコスモの話を聞いている様子で、それを見るたびに胸が締め付けられるような想いに駆られた。
あっという間に食事が済み、食後の紅茶が出てきた頃に国王はようやく話をラッサムとのことに移した。
「今日からこの城はコスモ姫の家でもある。気を遣わずにリラックスして過ごしてくれたまえ」
「ありがとうございます」
「ラッサムも知っての通り無愛想ではあるが悪い男ではない。仲良くやってくれると嬉しいよ」
「……はい」
コスモは目を伏せた。
「不安も多いだろう。しばらくはラッサムの職務を軽くするから、二人で多く時間を共にすると良い」
「はい」
コスモがチラッと横のラッサムを見ると表情一つ変えずに紅茶を啜っていた。
「兄さん、そんなんじゃコスモが心細いじゃないか。もっと気遣ってあげなよ」
アッサムが前から笑顔で声をかけてきた。何でそんなことが言えるのだろう。コスモは傷ついた表情でアッサムを見た。アッサムはまるでコスモのことなんてなんとも思っていないように感じられた。結婚すると約束してくれたはずなのに。
「それでは私達はこれで失礼しよう。ラッサム、コスモ姫を頼んだぞ」
「……はい」
国王の言葉にラッサムは事務的に返事をした。少し心配そうな表情をしながら、国王と王妃は退席していった。
「それじゃあ僕もこれで。コスモ、兄さんのことで困ったことがあったら僕に相談していいからね」
アッサムはそう言いながら立ち上がった。
「お前……」
ラッサムはアッサムを軽く睨みつけたが、アッサムは気が付かないふりをしてコスモにウインクしてみせた。
「じゃあね」
アッサムが部屋を出ていこうとしているのを見て、コスモは慌てて立ち上がった。チラッとラッサムを見ると、コスモには興味がなさそうに目もくれない。コスモはラッサムに何も声をかけずにアッサムの後を追って部屋を出ていった。
「アッサム!」
既に廊下を歩き出していたアッサムをコスモは呼び止めた。アッサムは笑顔で振り返った。コスモの心臓はドクドクと脈打っている。
「どうしたの?」
「あ、あの……」
コスモは胸の前で手をぎゅっと合わせて必死な表情でアッサムを見た。
「約束、どうして果たしてくれなかったの?私、ずっと……」
「約束?」
アッサムは不思議な顔をして首を傾げた。
「何の約束のことかな?」
「覚えて…いないの……?」
コスモの顔から血の気が引いた。
「ごめん、どうやら忘れてしまったようだ。どんな約束か教えて……」
「ひどい」
コスモの冷え切った声にアッサムの顔からも笑顔が消えた。
「もういい。……全て手遅れだもの」
コスモはそれだけ言うと、アッサムの横をすり抜けて走っていった。
「コスモ!?」
コスモはアッサムの言葉にも止まらずに自分の部屋へ向けて走っていく。目からは大粒の涙がこぼれていた。
「コスモ……?」
アッサムは困惑した表情でしばらくその場に立ち尽くしていた。その様子をラッサムはドアを小さく開けてこっそりと見つめていたのだった。