第十話「いってらっしゃい。気をつけてね」
翌朝、興奮冷めやらぬコスモはいつもより早く目覚めてしまった。朝食まではまだ時間があるので部屋で本を読んでいると、サーシャが訪ねてきた。
「コスモ様、おはようございます。本日は朝からラッサム様がお出かけになられます」
「聞いているわ。アイクリス村に行くのよね?」
「左様でございます。もうまもなく出立されるのですが、お見送りなさいますか?」
「あら、もう出立するの?」
「はい、アイクリス村までは4時間程かかりますので」
「遠いのね」
流石は大国だ。一時間あれば歩いて国の端まで行けるケンリウム国とは大違いだ。
「それで、お見送りなさいますか?コスモ様が見送ってくださるならラッサム様もお喜びになると思いますよ」
「そうかしら……でも、わかったわ」
ラッサムが喜ぶとはとても思えなかったが、婚約者としては見送るべきだろう。コスモはそう判断してゆっくりと立ち上がった。
城門の近くに行くと、既に見送りの兵士や、同行する兵士が揃っていた。ラッサムの姿を探すと、馬小屋の方角から馬に乗ってやってきた。普段より綺麗な黒い鎧をまとっている。
「コスモ?」
ラッサムは驚いた顔をして馬をコスモの目の前で止めて地面に降り立った。
「見送りに来たの」
「たった1日なのだから、見送りなどせずとも良かったのに」
やっぱりそうよね。そう思いながらコスモはラッサムを見上げると、いつもの無愛想な表情ではなく、思いの外穏やかな、もう少しで笑顔と言えるような顔をしていたのでコスモは驚いてしまった。
「……どうした?」
じっとコスモが見つめていると、ラッサムはいつもの無愛想な表情に戻ってしまった。
「ごめんなさい、何でもないの」
コスモは気を取り直してにっこりと微笑んだ。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「……あぁ、行ってくる」
ラッサムは重そうな鎧を物ともせず、軽々と馬に跨った。
「行くぞ」
周りの兵士に声をかけると、兵士は皆一様に嬉しそうな笑顔を見せていた。そして、ラッサムと一行はアイクリス村へ向けて出発していった。
最後尾の兵士が見えなくなるまで見送った後、コスモは一つ息をついて同じく見送りをしていた兵士達に一礼した。そして、後ろを振り返るとサーシャが立っていて、ニコニコと嬉しそうな顔をコスモに向けた。
「ありがとうございました。あんなに嬉しそうなラッサム王子は久しぶりに見ましたよ」
「嬉しそう?ラッサムが?」
「えぇ、それはもう。照れていらっしゃいましたが、あれは確実に喜んでいました」
「そうかしら。私にはとてもそうは思えなかったけれど」
「ラッサム王子は不器用な方ですから自分の気持ちを素直に表さないので。コスモ様もいつかわかるようになりますよ」
コスモは不思議そうな顔を崩さなかったが、サーシャも周りの兵士も皆笑顔を浮かべていた。
「さぁ、コスモ様は朝食のお時間ですね。食堂へまいりましょう」
まぁ嫌がっている様子ではなかったから、良かったかな。そう思いながらコスモは食堂へと向かっていった。
***
その日、コスモとミーティアは婚約記念パーティのための教育を受けることになった。イリーナ王妃に軽く教わってはいたが、祝いにやってくる貴族の名前や職業、位を覚えるように本格的に指導された。コスモは会ったこともない人達の名前をたくさん覚えなくてはならなかったので、頭が痛くなってしまった。ミーティアにとっては名前は聞いたことがある人ばかりだったので、ほとんど苦労していないようだった。
対してミーティアが苦労したのはダンスの練習だった。パーティで一番注目されるのが王子と王女のダンスだ。パーティや舞踏会に慣れているコスモはさほど苦労しなかったが、ミーティアは舞踏会デビューも果たしたばかりでその経験がほとんどない上、運動が苦手な様ですぐに足をもつれさせてしまうなど苦労していた。
二人は一日中みっちりしごかれて、疲れ果てて夕食の席についた。ラッサムがいないので、コスモは夕食の後の紅茶も食堂でいただいてから部屋に戻った。
「はぁ、疲れたわ」
コスモは一人呟いてソファに座り込んだ。静かな室内をぼーっと眺める。そういえばコブルスルツ城に来てから夜の時間を一人でこうして過ごすのは初めてのことだ。ラッサムは今頃何をしているのだろうか。村のもてなしを受けて愛想良くできているのかしら。
メイドのロロが部屋に入って寝る支度を整えてくれた。
「それでは、おやすみなさいませ」
そう言って部屋を出ていこうとするロロをコスモは呼び止めた。
「ロロ。貴女が良ければ少し話していかない?」
「よろしいのですか?」
ロロは驚きながらも嬉しそうな表情を浮かべた。
「えぇ、今日は疲れてしまって本を読む気持ちにもなれないから」
「それでしたら……」
コスモの前の椅子にロロはちょこんと座った。
「ケンリウムは小さな国だから専属のメイドがつかなかったの。だから、ロロが私の初めての専属メイドなのよ」
「それは光栄です」
ロロは黒い瞳を細めて嬉しそうに笑った。
「嬉しかったのは私の方よ。それなのにいろいろあって今までゆっくり話しをすることもできなかったから」
「まだコブルスルツ城に来たばかりですから仕方ありませんよ」
「それはそうだけれど、言い訳にしかならないわ。これからは私ももっと貴女のことを知りたいし、仲良くなりたい」
「そんなもったいないお言葉を……」
ロロは胸の前に手を合わせて瞳を潤ませた。
「ラッサムもそのくらい感情豊かだとわかりやすくていいんだけれどね」
コスモはロロを見てポロリと本音を零した。
「ラッサム王子は不器用でいらっしゃる、とよくサーシャが申しております」
「そうね。でも、サーシャにわかるものが私にはわからないみたい。ラッサムの感情なんてさっぱり読めないわ」
「実を申しますと私も……ラッサム王子に見られると、何か失敗をしてしまったのではないかと思う時もあります」
「そうよね。怒っているんだか喜んでいるのかもわからないんだもの」
二人はクスクスと笑いあった。
「しかし、ラッサム王子はメイドや兵士からは大変慕われていらっしゃいますよ」
「そうなの?」
「はい、身分が違うにも関わらず気さくに声をかけてくださったりですとか、兵士には剣の稽古もつけていらっしゃるとか」
「ラッサムが……」
コスモはラッサムの姿を思い浮かべた。無愛想で笑顔もないのに面倒見はいいんだ。そういえばコスモが寝込んだ時も本を持ってきてくれたんだったっけ。
「素敵な方だと思います。あ、もちろん王子としてですよ」
ラッサムのことがよくわからない。幼馴染だというのに、思い出すのはアッサムとの思い出ばかり。ラッサムは一体どんな人だったっけ。
コスモが思い悩んでいると、ロロが立ち上がった。
「今日は疲れていらっしゃるでしょうから、そろそろお休みになられた方がよろしいのではないでしょうか」
「そうね」
コスモも重い腰を上げた。
「付き合ってくれてありがとう、ロロ。何だかいつも夜はラッサムといるから一人だと何をしたらいいのかわからなかったのかもしれないわ」
「ラッサム王子がいらっしゃらないと寂しいですよね」
寂しい?私が?コスモはロロの言葉を心の中で復唱した。まさかあのラッサムとの苦痛だとすら感じている無言の時間がないことを寂しいと思っているのだろうか。
「それでは、おやすみなさいませ、コスモ様」
コスモがベットに横になったのを確認してから、ロロは一礼して部屋を出ていった。




