丹波ブルー
44地区地下3階層の一角にあるその店は。重金属がこびりつき、酒と血と汗で汚れたバーとも言えない場末の酒場だった。
黒髪を短く切りそろえ、目立たない紺のジャケットを着た男は、カウンターに一人座りながら、青い液体の入ったグラスをあてもなくかたむけ続けている。
見た目は若くみえるが、少なくとも世界の仕組みを理解して一度は打ちひしがれたような老獪な雰囲気を漂わせている。
青い液体の中身は合成アルコールに丹波ブルーと呼ばれるフレーバーピルを入れただけの粗末極まりないカクテル。
だが、ここでは誰も皆これを飲んで、何かを待つ者もいれば、サイバネティクスを磨くもの、娼婦コネクトに精を出すもの、それぞれが果ての無い時間をなんとか食いつぶそうとしている。
唯一ある娯楽と言ってもいい古いモニタからは、企業の論理によって作られた、彼らの正しい世界についてのプロパガンダが流れる。それを自嘲めいて眺めながら、男はまた一口カクテルを飲んだ。
彼はレスとだけ呼ばれている、名前も無し、記憶も無し、残滓として残る染み付いた知識と技術、そしてサイバネティクスだけが彼の持ち物だった。 神経系まで機械をいれているにも関わらず、男は頑なに電子の世界へとジャックインすることを拒み、生体食料しか食べず、メンテナンスすら他人に見せる事もない、なんて噂されるフリーのサイバネ傭兵。
当て所なくグラスを眺めながら、3杯目を飲み干した頃、見知った仲介屋が階段を降り、やってくるのが見えた。 七色に染めあげた長髪を後ろに纏め、オーダーメイドで仕立て上げたであろう鈍色のスーツに身を包む男は、こんな下層に降りてくる事がない人種に見えたが、実の所その通りであった。
「ミスター・レス、ここに居ましたか。お隣座っても?」
男をこちらを見つけると、優雅に近づき、丁寧に言葉をかける。上層民にありがちな見下した態度もなく、至って自然にそう振る舞えるだけの教育を受けているのだろう。
「ああ、好きにすればいい。なんならお近づきの印にジェットを10単位ばかり奢ってくれてもいい、生憎の金欠でな。」
「ご冗談を、貴方が前回の仕事に対して支払われた金額は、上層の方々にすら羨望されるほどではありませんか。」
マスターを呼びつけ、純水で割ったウイスキーを注文する仲介屋。
「俺たちはリスクがあるが、あいつらは少なくとも銃弾で殺される事は少ないだろ?」
皮肉めいて笑いながら、グラスに指一本分残ったブルーを煽る。
「それで、今回俺はどんなリスクで金を受け取ればいいんだ仲介屋。」
「金額に見合ったリスク、とだけは申しておきましょうか。 こちら資料になります。」
笑顔のまま、カウンターの上に金属製の筒を置いてくる。
無言で受け取り、筒の端にあるボタンに手を触れると、側面から画像が投影される。
「表向きは、境界線で変異した生物が大量に湧いたから駆除してこいって事か。で、この巨大なネズミみたいな肉塊の出処はどこだ?」
「話が早くて助かります、今回は芝田重工様の生物プラントが廃棄された地下鉄道から謎の部隊により――まあ、確実に敵対企業でしょう――強襲され、その後始末ということになります。」
「ったく面倒な事だ、何時も通り、企業様の尻拭いか。 そんな事なら俺じゃなくても役者はそこら辺に居るだろ、ただの害獣ならフレイム兄妹なんか適任だろうに。」
顔を寄せ、詰め寄り、無言で相手の瞳を覗き込む。
で、俺に何をさせたいんだ? という意思表示に他ならない。
彼はそれでも優雅さを失わないまま、笑顔で告げた。
「境界線付近での貴重な個体の回収になります。個体の回収に国境沿いの企業も傭兵を利用し、表向きは同じようにフリーランスの仕事に見せかけています。 そこで信頼度の高い貴方にお声がかかったという訳です。」
「個体は生きたままで捕獲しろというのか?」
「いえ、生死問わずです、最低限保存パックに2つあれば。ですが持ち帰れない部分は全て消去して欲しいと。」
「予想される相手部隊は。」
「中東での戦闘経験がある傭兵部隊とコンタクトを取っているのを確認しています。人数は8人、部分サイバネ兵が4人、残りはパワーアーマー装着。 サイバネの内訳は四肢全ての換装が一人、聴覚が一人、右腕のみが一人、最後に部隊長と思わしき男が右視神経。」
「神経系のサイバネが二人……か、基本は狙撃からの制圧と、三次元奇襲ってところか編成的には。」
「その通りです、パワーアーマーのうち一人に電子戦の専門家がいるとも予想されています。」
「話を聞くだけで強そうだ、ああ怖い、こんな連中を相手にしなくちゃいけないなんてとても怖い。」
「私はその言葉で笑顔の貴方の方がよっぽど恐ろしいと思いますが。いかがでしょうか、今回の依頼は、お受けして頂けますでしょうか?」
「弾薬諸々の諸経費は何時も通りそっちに請求で、あとは移動手段の手配 、それと、その貴重な個体ってヤツは基本死ぬ物だと考えていいなら受けよう。」
「勿論です、報酬は前回と同金額を約束します。」
「じゃあ楽しい商談は終わりだ、6時間後に45との接続基底部で。」
「信頼しています、ミスター・レス。しかし、貴方と出会ってからもう2年ですか、早いものです。」
「記憶も名前も無いこんな男を信頼するような企業直属の仲介屋がいるなんて、2年前にで会うまで考えられない話だと思っていたよ。」
「全てはそこに至るまでの仕事の成功率と信頼度ですよ、企業からのオファーも、貴方が勝ち取った物です。そして、性能の良いサイバネを持った者にありがちな増長も慢心もなく。信頼に足るだけの成果を貴方は示している、個人的にも私はミスター・レスと言う男を信頼して、尊敬していますよ。」
首筋が痒くなるようなセリフを言いながら、ウイスキーを飲み干した彼は、私の分まで支払いをして、最後まで笑顔で優雅に退店していった。
さて、怖くて楽しいお仕事の時間と行きましょうか。
プロらしく、傭兵らしく、自分の能力を最大に使って。
彼らの信じる、私の存在しないサイバネに誓って。
依頼は成功させてみせましょうか。