9.二度寝のあと
ぽつねんとまた真っ白な部屋の中にいた。
そこにはリオも誰もいなくて、何一つない。
病院にいたのは夢だったっけ。
それとも、銀髪幼女もオネエも全部夢で、やっぱり俺は死んでて、ここにずっといたのだろうか。
何もない。
腹の上に乗ったリオの重さとか、柔らかな銀髪の手触りとか、少し汗のにおいの混じったリオのにおいとか。頬っぺたの柔らかさとか。
全部夢だったのか?
――そうだ、夢だ。
違う。
俺は自分の両手を広げて見た。
あの感触は、嘘ではなかった。
この手にちゃんと残っている。
においも、重さも、何もかも。
となれば。
この空間こそが夢か。
――今ここにいることが夢だとなぜ言えるのだ。
俺が違うと思っているからだ。
リオたちが夢だとして。
においも味も重さも、全速力した体のつらさもあるような夢なんか、見たことがない。
リアルさが段違いだ。
それならば。
上も下もわからない、自分の存在すらあやふやな今のほうが夢に違いない。
ともすれば息の仕方さえ忘れてしまいそうなこの体に、違和感しか感じないのだから。
――それはお前が死んでいないと思っているからだ。すでに死んだ身に肉体も五感もあるものか。
俺は死んでない。
――なぜそう言い切れる。
リオが言ったからだ。死んでないと。
神の国に落っこちたと言った。
何がどうなってそうなったのか知らない。
でも。
こんな真っ白なあやふやな場所に漂ってるぐらいならば、リオやナオトと美味い飯食って馬鹿話していたい。
うっかりすれば馬車に轢かれそうな場所でも、あの世界は生きている。
――では、あの世界での生を望むと。
ここにいるよりはいい。
望めというなら望む。
それより、俺の体はどうなったんだ。
手術は、成功したんだよな?
――それを聞いてどうする。
俺は帰れるんだろう?
死んでいないのなら。
――あの世界での生を望むのではなかったのか?
ここにいるよりはマシだからだ。
俺の体を心配しないはずがないだろう?
――やはり……すべき…………だ。
雑音が増えてきた。
よく聞こえねえ。
というか、俺、誰としゃべってたんだ?
それに口に出したりしてねーぞ。頭の中で考えてただけで。
視界がパンと真っ白に光った。同時にひどい耳鳴りと頭痛がする。
眩しくて目を閉じても目に焼き付いた光の残像が消えない。
音も聞こえない。
どれぐらい経っただろう。
キーンという金属音が収まって、それに伴って頭痛が和らいできた。
視界も残像が消えて暗闇が戻ってきて、ようやく目を開けた。
「あ、起きた?」
俺の顔を覗き込むようにしている紫色の瞳。やわらかな銀髪に縁どられたぷにぷにの白い肌。
そっと手を伸ばすと、ほっぺたを引っ張る。ああ。よく伸びる。
「いひゃい」
幻じゃなかったらしい。リオの声に手を離す。
「リオ」
「遊人、寝ぼけてんのか?」
「あー……よかった」
あれはやっぱり夢だった。
てか、なんで真っ白な部屋なんだ?
それに、あの声は……。
「遊人、おなかすいた」
「あ、ああ」
引っ張られて俺は上体を起こした。
「あのさ……」
「ん?」
何かを言おうとして、俺は口をつぐんだ。
何を聞いていいものかと悩む。
この世界は夢なのかと聞いたところで意味はない。
じっと見つめたリオの目が腫れぼったいのに気が付いた。
リオの泣き顔が不意にフラッシュバックした。俺の顔を覗き込みながら泣いていたリオ。
「あの時、なんで泣いてた?」
「え?」
「間に合ってよかったって、なんのことだった?」
きょとんと俺の顔を見ていたリオは、その一言を聞いて眉根を寄せた。
何かあるんだ、やっぱり。
「……お前が、落っこちそうになってたから」
「は?」
「もう少しで間に合わなくなるところだったんだぞ」
「……何が」
「約束、したろ?」
ちょっと頬っぺたを赤くしてリオは唇を尖らせた。
「お前のこと絶対守るって」
――なんでこうも男前なんだよお前は。
ほんとは俺が言うべき言葉だろーが。
って、中身がおっさんだからか?
かっこよすぎだっての。
「リオ、お前かっこよすぎ」
「へへん、そうだろ?」
両手を腰に当ててふんぞり返る。中身相当の筋骨隆々なおっさんがやったらアレだけど、幼女のそれはかわいい。
ぽむ、とリオの頭に手を置いて、ぐしぐしと髪をかき回す。
「なにすんだよっ、ぐちゃぐちゃになるだろっ」
ちっこい手で俺の手をはがそうと掴んでくるのを避けて、ぽむぽむと手を弾ませた。
「ありがとな」
落っこちるとかよくわかんねえけど、リオが助けてくれたのは本当だろうから。
「さてと、んじゃ飯食いにいくか」
「うん!」
リオはいつもの前歯が全部見える笑い方で笑った。