8.間に合った
目を開けたら至近距離で顔があった。
長い銀髪が顔の横から流れ落ちて俺の視界を遮っている。
見えるのは、彼女の顔だけで。
「り……お?」
眉根を寄せ、今にも泣き出しそうな顔をした彼女は、ぎゅっと目をつむった。ぽたぽたと雫が垂れて目に染みる。
「リオ……?」
なんだか声が出しにくい。喉がからっからに乾いててツバを飲み込もうにも口の中がひっつきそうになる。
それと、胸の辺りが痛い。心臓?
「なにが、あった?」
「よかった。……まにあって」
ずずっと鼻をすすって、リオは体を起こした。視界がいきなり明るくなって目を眇めると、ナオトに押し込まれたあの部屋にまだいるようだ。
リオは俺の腹の上にまたがって、俺の上にかがみ込んでいたようだ。やっぱりリオは軽い。腹の上に乗られてるのに、大した重さを感じない。十歳ぐらいの子って結構重たそうなのに、なんてぼんやり思う。
「あれ……なにが」
あったの、と言いかけて、口をつぐんだ。
何故か上半身裸だ。俺、たしかリオとこの部屋に入った時はちゃんと寝巻き着てたよな?
で、リオをベッドに運んで、上衣掴まれてて離れてくれないから、一緒に毛布被って……。
なんで服剥かれてんの? 俺。
横になってるのはベッドの上だが、服は……ああ、掴まれてたから上着脱ごうとして、前を開けたのは覚えてる。
で、腹の上に直接座り込んでるリオの体温がダイレクトに伝わってくる。
いやいや、泣いてる幼女に盛ってどうすんだよ、俺。
リオは声を殺したまま、ぼろぼろと泣いている。ぐしぐし涙を手で拭きながら。
「リオ? おい、どうしたんだよ」
体を起こそうとしたけど、このまま起きるとリオが後ろにころんと転がっちまう。なんとかいい手がないもんか。
「ごめ……なさ……っ」
いや、謝罪はいいから何があったのか教えてくれ。
確かこの部屋に入るときに、リオが起きたら出てこいって言われたんだよな、ナオトに。出入り口はないって言ってたし。
仕方ねえ。ぐいとリオの手を引っ張って俺の上にもう一回覆いかぶさるように寝っ転がらせると、腰にしっかり手を回したまま、勢い良く起き上がった。
「ひゃあっ」
そのまま、子どもを抱っこする時と同じように尻と背中をがっちりホールドする。銀髪の頭が俺の顎あたりに来て、リオの顔が胸のあたりにくっつく。
「大丈夫だから、怖がんな」
あやすように背中をぽんぽんとリズムをつけて叩きながら、ゆらゆらと上体を前後に揺らす。
ああ、これって子どもの頃にお袋にやってもらったっけな。
夜が怖くてなかなか寝付けなくて、泣きながらしがみついてたっけ。
それにしても、何があったんだ?
なんか妙な夢を見てたような気がする。まるでホラー映画みたいに、同じ一日がぐるんぐるんと繰り返されてたような。
……気がしたけど、もう忘れた。リオが出てきたような気がするんだけどな。
リオは肩を揺らしてはいるものの、だいぶ落ち着いては来たようだ。そういや上着てなかったんだった。涙拭くもんないかな。
こういう時は泣かしとくに限る。泣いてる途中に泣きやませても、くすぶった何かが残るからな。すっかり流しちまって、何に悩んでたのか忘れた頃にはけろっとした顔に戻るから。
そういえばなんか言ってたような気がする。間に合ったって何がだろう。
グスグスいいながら、リオの体がゆらゆらし始めた。子どもって電池が切れたみたいにいきなり寝るんだよな。
「眠いか? もっかい寝るか?」
顔をぺったり俺の胸につけたまま、小さく頷いたのが分かった。
頭を撫でながら、リオを上に乗っけたままベッドに横になる。上着てねえからちょっと寒いんだけど、リオを湯たんぽ代わりにしよう。
「寒くねえか?」
俺の腹にすがるみたいに横になったリオは、落っこちないようにかにじり上がってきて首に手を回した。
これがボンキュッボンな美女だったら美味しくいただくところなんだけど、流石に十歳の幼女に手を出すつもりはない。
……糞可愛いけどな。
口元にリオの額があったから、額に軽くキスしてやる。
「もっかい寝ろ」
「ん……」
しばらくもぞもぞ動いたあと、寝息が聞こえてきた。
てか、体の上で幼女がもぞもぞするとか何の拷問ですかカミサマ。いやマジで。俺、ロリコンじゃないんですけどっ!
だけどっ!
……マジ、生殺しだ。
ともかく毛布が欲しい。
リオが風邪引かないように……嘘、このまま寝たら俺が風邪ひくわっ。
と、ふわりと視界が赤くなった。天井まで白いこの世界を赤い何かが切り取って、柔らかいものがリオと俺に降りかかる。
「何これ……毛布?」
おおう? 願ったら出てきた? もしかしてこれが俺のチートか? とか一瞬ヌカ喜びしたけど、リオが言ってた言葉を思い出した。
この世界にチートなんてない。異世界転移でもなけりゃ転生でもない。神の国だと。
なら、これはカミサマとやらが俺の願いを叶えてくれたのか?
ま、いっか。おかげで寒くなくなったし、湯たんぽリオのおかげでぬくぬくだ。
いるのかいないのかしらないが、一応礼ぐらい言っとくか。
「ありがと、カミサマ」
白い天井に向けてそうつぶやくと、リオの髪にキスをしてもっかい目を閉じた。