72.式の合間に
「おめでとう、遊人くん、理央さん」
「ありがとうございます」
このやり取りも何度目だろう。
目の前の夫婦に貼り付けた笑顔で応対するのもずいぶん慣れて来た。
今日一日は理央の引き立て役、刺身のつまだ。
社長……義父の関係者だけで軽く百人はいるらしい。
わかっちゃいるけど半端ねえな、風間グループ。
正直覚えられる気がしねえ。
それに、本当なら養子に入るはずだった人も今日の招待客の中にいるのだろう。時々妙な視線を感じる。
若い女性からの視線も結構多い。……いい感情ではない意味の視線だが。
まあ、そりゃそうだよな。あわよくば直斗の嫁にとか思ってたのに、養女がコブ付きで転がり込んで来て、挙げ句の果てにはまるごと乗っ取られたようなもんだから。
面倒なことにならなきゃいいが。
そのあたりは直斗と社長がなんとかすると言ってたし、今日さえ乗り切れば、公の場に出ることは減る。
少なくとも理央は。
俺はまあ、仕事しなきゃなんねえからな、仕方ない。
そっとため息をついたところでくいくいと袖を引っ張られた。顔を向ければ理央が困った顔でこっちを見ている。
「どうした? 疲れたか?」
顔を寄せて小声で聞くと、理央は眉根を寄せて頷いた。
「それに、もう誰が誰だかわかんないよ」
「心配すんな、俺もだ」
「ゆーとも?」
目を見張る理央に、張り付いたままの笑顔で頷く。
「見ろよこれ。顔がこわばって」
「うん、ボクも」
見れば理央の口元がひくついている。笑っているというよりは引きつっている感じだ。
「そろそろお色直しだろ。ついでに顔マッサージしてもらえよ」
「うん、そうする」
理央の目にちょっとだけ力が戻ってきたのを確認して顔を離す。
ちらりと末席を見れば、家族席は和気あいあいな雰囲気を醸し出している。まあ、親同士の仲が悪いよりはいいけど、仲良すぎるのも問題だよなあ。式も披露宴も、基本的には二人の母親が推し進めたものだし。まあ、ちゃんと理央の意見は聞いてくれたらしいけど。
でも、こんなに派手にするつもりはなかったんだけどな。
直斗はと見れば、出口の近くにスタンバイしていた。視線が合うと、小さく頷く。どうやら準備は整ったようだ。
「そろそろ行こうか」
「お色直し? うん」
理央の手を引いて立ち上がる。柔らかくて小さな手をぎゅっと握りしめる。
例えどんなことがあっても、絶対離さない。
◇◇◇◇
出口で直斗と合流すると、エレベーターに乗り込む。
「どこに行くの? 控え室はこっちじゃ……」
「いいから」
不安げな理央に、繋いだままの手に力を込めて微笑む。うん、張り付いてた笑いはようやく剥がれてくれたらしい。顔が筋肉痛起こしそうだったよ。一日中微笑んでいられる受付嬢のすごさを実感する。
直斗は何も言わずに先を歩くと一つの扉の前で止まり、取っ手に手をかけて振り向いた。
「理央」
「……直斗?」
眉根を寄せて、理央は俺と直斗の顔を見る。俺は、理央に微笑みかけ、握っていた手をそっと離した。
「ゆーと?」
「さ、入ろう」
背中に手を回して直斗の押し開いた扉をくぐる。緋色の絨毯を踏みしめたところで、室内の人影が動いた。
「え……」
立ち上がりこちらを振り向いたのは、礼服に身を包んだ壮年の男と女。黒髪に白いものが混じり、顔にも深いシワが刻まれている。
立ち尽くす理央が反応するよりも早く、男が歩み寄ってきた。
数歩下がったところで足を止めた男は、顔を歪めると頭を下げた。
「理央……すまなかった」
「お、とうさん」
理央の声が震えてる。俺は肩に置いた手に力を込めた。
「……お前には幸せになって欲しかったんだ」
あの夢が蘇る。
理央を見送った時、確かにそう思っていた。本当の家族と一緒にいる方が幸せに違いないと。
そう自分に言い聞かせながら、理央を見送ったことを……俺は知っている。
「……ごめんなさい。ボク……っ」
声を詰まらせる理央に、二人は首を横に降る。
「わしらのせいだ。お前は悪くない」
「……ごめんね、理央」
二人の胸に飛び込む理央を見送って、俺はそっと部屋を出た。
◇◇◇◇
「いいの?」
「親子水入らずの方がいいだろ」
廊下にいた直斗はちらりと部屋の方を見る。
「ま、アンタがいいならいいけど。感謝してよね。口説き落とすの、大変だったんだから」
「よく言うよ。最初からそのつもりだったんだろ」
眉根を寄せて睨むと、直斗は口元をゆるめた。
「ホントはアンタたちを店に招待した日に引き合せようとしたのよ。でも合わせる顔がないって逃げられちゃったのよねえ」
理央も昔の話を口にするたびに辛そうに俯いていた。
養い親を好きだったくせに、いや好きだったからこそ、自殺という形で裏切ろうとした自分が許せないのだろう。
でも俺はそんな顔をいつまでもさせたくなかった。今日のサプライズは百パーセント俺のわがままだ。
憎みあってるわけじゃないんだ。互いに罪悪感を抱いてるのなら、話し合って許せばいい。
俺の知ってる養い親のままならば、理央に辛い思いはさせたくないはずだ。
幸せだった頃の話を口にするたびに、辛そうに顔を背けるのは俺だって辛い。楽しかったはずの思い出を歪めて欲しくなかった。
だからこれは、俺のわがまま。
理央はきっと勝手をしたことを怒るだろう。それでも、俺は笑っていて欲しいんだ。
泣き声が漏れ聞こえて来る。
「あらあら」
「理央が落ち着くまでついててやって」
「遊人、どこ行くのよ」
扉から離れて肩越しに振り返る。
「主役が二人とも不在ってわけにいかないだろ。客の相手して来る。理央が戻れそうになかったら、そのまま休んでていいって伝えてくれ」
そう告げると直斗はため息をついた。
「まあ……こればっかりはアタシが代わりを務めるわけにいかないものねえ。……いいわ。伝えとく」
あの別れから何年も会っていないのだ。話したいこともいっぱいあるだろう。聞きたいことも。
三人に必要なのは時間だ。親子水入らずの時間を取り戻すには足りないだろうけど。
踵を返したところで扉の開く音がした。振り返る間も無く後ろから引っ張られた。
「ゆーとっ、どこいくのっ」
「心配するな。ちょっと外すだけだから」
顔を向ければ、理央が上着の裾を握りしめ、ハの字眉で見上げて来る。
「それよりいいのか。ご両親ほっといて」
「あ……だって、ゆーとがいないから……紹介しようとしたのに」
俺はいいよ、と言いかけて言葉を飲む。考えてみりゃ、両親へのご挨拶って奴、やってないんだよな。
理央が社長の養女になった時もそうだし、あっという間に婚姻届出して夫婦になってたし。
そう考えると急に緊張してきた。
俺、何言ったらいいんだ?
お嬢さんをください?
いや、すでに結婚してるし、公にも式あげたし、そういう意味合いではイタダいちゃってるし。
こういう時、どう言えばいいんだ?
ごめんなさい?
ありがとう?
いやいや、違うだろ。そんなふざけたこと言ったらぶっ飛ばされそうだ。
こわばった顔でギギギと直斗を見ると、直斗はこともあろうか盛大に吹き出した。
「やだ、なんて顔してんのよ。カミサマに一人で挑んだアンタが」
「そ、そりゃ緊張するだろっ」
「ゆーと、なんで緊張してるの」
「理央、そっとしといてあげてちょうだい。今頃になって男として色々忘れてることに気づいたみたいだから。ねえ?」
「……うるせ」
腹を抱えて笑う直斗が憎たらしくて、事情を掴めてない理央のきょとんとした顔が一層辛い。
拳に力を込めて下を向くと、背中を叩かれた。
「こんな時にオトコ見せないでどうすんの。諦めるの?」
「……わけねえだろっ」
「じゃ、腹くくって行ってらっしゃい。お客様たちにはアタシから伝えとくわ」
「……すまん」
ひらひらと手をひらめかせながら直斗が去って行く。
俺は扉の方に向き直るとごくりと喉を鳴らした。
「ゆーと」
「ああ、うん」
ぐいぐい引っ張る理央の顔にはよく見るようになってた憂いも影もなく、今日の良き日にふさわしい、晴れやかな笑顔が浮かんでいる。
それだけで十分だ。
やっぱり敵わねえよな、親って奴にはさ。
「どうかしたの?」
「いや。……理央」
「なに?」
きょとんと俺を見上げるその顔にキスを降らせて抱きしめる。
「ゆゆゆゆーとっ!」
愛してると言葉にするのは簡単だ。でも、言葉では表せないくらいに思いがほとばしる。
「ゆーと?」
「なんでもねえ」
そう答えると、俺はありったけの勇気と感謝を胸に、扉のノブに手をかけた。




