65.揺れる思い
遊人が来ない。
窓の外を見ると、今日も日が落ちようとしている。
目をさましてから、何日が経ったんだろう。
あれはもしかして、ボクが作り出した幻覚だったんじゃないか、なんて思い始めてる。
枕元には、今日も来たナオト……風間直斗からの花が飾られている。バラをメインにした豪華なやつ。
知ってる。直斗が見舞いにもらった花のおすそ分けだって。
正直、嬉しくない。きれいだと思うし、この白い……広い部屋は直斗の言った通り、殺風景で寂しすぎる。色とりどりの花が飾られるようになって、さみしくはなくなった。
でも、嬉しくない。どれだけ花で満たそうと、遊人がくれるのなら、一輪の野花の方が嬉しい。
直斗からは、遊人は頑張ってるところだから、信じて待ちなさい、と言われてる。
ボクが遊人を信じないわけはないのに。
でも、時々思っちゃうんだ。
全部、ぜーんぶ、夢だったんじゃないかって。遊人の存在も全て、ボクの妄想だったらどうしよう。
目覚めてから、直斗に聞いた。
ボクは長い間眠っていたこと。直斗も、遊人も眠っていたこと。
なかなかボクが目覚めなかったこと。
家族はーーボクが眠りについて早々に縁を切られたってことも。
直斗は言いたがらなかったけど、それを聞いてスッキリした。
だって……あの人たちから逃げようとして、どうにもならなくて選んだ死の先に、あの世界があったんだから。
だから、今のボクのそばにあの人たちがいなくてどれだけ嬉しいか。
ノックの音がして顔を上げると、直斗が入って来た。いつもなら両手に花束を抱えているところだが、今日は何かの封筒をひらひらさせていた。
「おはよ、理央。ちゃんとご飯食べてる?」
「……おはよう……ございます」
「相変わらずカタイわねえ」
わかってる。直斗はナオトだってこと。ボクもリオだってこと。でも、こっちの直斗は向こうと違って大人の男って感じで、なんでか近寄りがたい。
看護師たちも直斗を見ては騒いでる。影で何言われてるか知ってるからなおさら。
下衆の勘ぐりっていうんだっけ、こういうの。余計なこと言わないでほしい。そうでなくても直斗は過保護すぎるんだから。
「どんな格好してたって、アタシはアタシよ。……それよりこれ。ようやく届いたわ」
ちょっと寂しそうな顔した直斗に胸が痛んだけど、それよりも差し出された封筒が気になった。
A4サイズの大きな茶封筒を受け取って中身を取り出す。
「養子縁組の書類よ」
「え……」
「いやもう、間に合うかどうかヒヤヒヤしたわよ。あちらさんが強硬手段に出る前に間に合ってよかった」
なんのことか一瞬わからなかった。直斗の言葉を理解した途端に震えが走る。
直斗が支えてくれなかったら、きっとその場に崩れてた。
ベッドになんとか戻って呼吸を整える。目覚めてからも過呼吸の発作は続いてる。今は自分でなんとかできるようになって来たけど。
「ごめんなさいね、あまりに嬉しかったからはしゃいじゃって」
すまなそうな直斗にボクは首を横に振る。
直斗は縁が切れたと話して以来、あの家の話は一度も出さなかった。ボクを思ってのことだってわかってるし、今日のことだって思いはわかるから。
「養子縁組って?」
「クソババアからアンタを守るためにね。……育ててくれたあの二人じゃ守り切れないの」
両親から引き離された時のことを思い出して、胸の奥が痛くなる。ボクは血の繋がりよりも一緒にいた時間の方が大切だって言ったのに、ボクの幸せのためという言葉に頷いてしまった。
ボクの両親はあの二人だ。他の誰でもない。顔を見たこともない実の両親なんかとは違う。どれだけ離れても、ボクは両親が好きだ。
ボクが死を選ぼうとしたこと、知ってるんだろうか。知られたくない。
膝の上でぎゅっと拳を握る。
「理央のことは知ってらしたわ」
「……え」
カタンと音がして顔を上げると、枕元の椅子に直斗は座っていた。いつもの柔和な笑みが消えて、怒りを露わにしている。こんな直斗は見たことがなかった。
「あのクソババア、自分たちのことを棚に上げてよくもあんなこと……」
「……ひどいこと、言われたの?」
二人が何を言われたのか気になった。……元はと言えば、死を選んだボクのせいだ。ボクのせいであの人たちにひどいことを言われたんだ。直斗は優しいから言わないけど、それくらいボクにもわかる。
でも。
「理央は気にしなくていいから。それよりそれ、読んだ?」
「あ、まだ……」
膝の上に置いたままの書類を取り上げると、直斗はその中の一枚を抜き出した。
「今日からアンタは風間理央よ」
「かざま……ええっ?」
風間って、直斗の姓じゃ……。
「二人に言われたのよ。あのクソババアがこのまま放っておくはずないって。……本当は自分で守りたいけど、相手が悪すぎるからってね。それに、手放したことが間違いだったと思ってるけど、一度手放した手前、どんな顔して会えばいいかわからないって」
視界が歪む。
引き離された時、抵抗してくれなかった父を恨んだ。でも、実の父親がどんな人か知っている今ならわかる。ボクを手放すしかなかったんだってこと。
あの人たちは、二人をどうにかすることだってできたのだから。
「まだ……会いたくない?」
目覚めてすぐの頃、直斗が二人を呼ぼうと言い出したのを、ボクは拒否した。
今のボクを見せたくない。心配も心労もかけたくないから。
でも、知ってたんだ。ボクのこと。
時々、ボク宛に届いてた差し入れ。ボクの好きな駄菓子ばかり。忘れてないんだって嬉しかったんだから。
「会いたくない……わけないよ」
ポロポロ涙がこぼれていく。優しく乗せられた直斗の手のあたたかさが嬉しかった。
◇◇◇◇
「でね、うちの両親は可愛い娘ができるって喜んでてねえ」
久々にやって来た遊人と再会を喜ぶ間も無く直斗がやって来た。
どうやらボクの養子縁組のことで強制的に連れてこられたらしく、遊人はラフなスウェット姿だ。退院したとは聞いてたけど、今日って平日だよね……?
「……あんたが義兄になるとか、聞いてねえんだけど」
深く深くため息をついた後、遊人が呟いた言葉にボクは凍りついた。
兄って言った……よね? 遊人は直斗の妹になったボクは嫌なの?
直斗は……って、お兄ちゃんとか呼ばなきゃいけないのかな、ボクにとってのお兄ちゃんはハル一人だけだし、直斗はナオトなんだけど……ボクを見て、ため息をついた。
「ほーら、勘違いした。遊人、アンタは言葉が足りなさすぎるのよ。理央の顔、見てごらんなさい」
言われて遊人を見れば、すっごい焦った顔の遊人がベッドサイドからぎゅっと抱きついて来た。
「ゆゆゆゆゆ遊人っ?」
「……ごめん、理央。お前が嫌いとかいうことじゃないから。ただ単に、ナオトが義理の兄になるのが耐えられなかっただけで」
「義理の……」
遊人の言葉に顔が熱くなる。そ、それって、そういうこと、だよね?
「あーもう、可愛いんだから。食べちゃいたくなるわ」
「見るな寄るな俺のもんだ」
さらっと言われて、ついでにぎゅうぎゅうに抱きしめられて、魂消し飛びそう……。
「ちょっと、手加減しなさいってば。理央が呼吸困難起こすわよっ!」
これくらいじゃ呼吸困難になんてならないもん、と返したかったけど、せっかくだから、そのままあったかい遊人の腕に転がり込んだ。
こっちに戻ってはきてまだ二回しか会ってない。でも、もうボクにとっては「ゆーと」だ。これ以上安心な場所なんかない。
焦った遊人が腕の中のボクを呼んでる。それが嬉しくて、口元がゆるむ。
「ゆーと、大好き」
それだけは伝えなきゃと口にして、でも恥ずかしいから薄眼を開けると、遊人は真っ赤になってとろけるような笑みを浮かべていた。
俺もだよって聞こえて、柔らかいものが唇に押し付けられてーーボクは本当に魂を飛ばしてしまった。




