62.夢
なんかうるせえ。
ぴっぴこぶしゅーと繰り返し聞こえる。
開かない瞼がもどかしい。そういえば体も思うように動かそうとすると金縛りにあったみたいに動かない。
ああ、これが金縛りというやつか。
……って、そんなはずねぇから。ただ単に手術の後で麻酔がまだ解けてねえとかそんなオチなんだろ。
ああ、うるさい。
耳元でピッピ言ってんの、止めてくれよ、誰か。それになんだよこれ、足の裏、誰か踏んでるのか?
そんなことを考えていると、扉が開いた音がした。手術後の見回りか?
ああ、そういやなんか聞いたような気がする。手術後一日は管とか呼吸器とかつけっぱなしで、足になんかつけるって。
じゃあ、手術は無事に終わったんだ。
傷は小さいって聞いてたし、あんまり痛く感じないのは痛み止め入れるって言ってたから、それだな。
そっか。
じゃあ、あれは夢か。
俺は、ちゃんとここにいて、手術は成功してた。
自分の中にある一つ一つの記憶を反芻する。
あっちに行ってから戻るまでの記憶が、一欠片も欠けることなくある。
会ったばかりのリオの笑顔、ふくれっ面。大人になったリオの照れたような顔。……キスした時の顔。消える間際の顔。
あれは夢で、夢だけど夢じゃない。
でなきゃ出来過ぎだ。
こんな、些細なことまで覚えてる夢なんて、あり得ない。
「くっそ……」
悪態が口をついたけど、それは言葉にはならなくて、ただの獣じみた唸り声。
ああ、そういや喉にもなんか入ったままで、喋れるわけねえよな。
今の俺にやれることは何もない。明日になって、管も何もかも外してもらってからだ。
再び眠りにつこうとした時、がだんと音がした。定期的に鳴り続けるのとは違う音。
誰かが俺を揺さぶっている。何かを言ってるらしいんだけど、聞き取れない。そのうちその誰かは扉を開けて出て行った。
まあいいや、おやすみなさい。
◇◇◇◇
「ほんと、アンタってば寝起き悪いんだから」
……誰だこれ。
ビシッとスーツに身を固め、銀縁眼鏡をした男が俺の枕元にパイプ椅子引っ張ってきて、なぜか自分で持ってきた見舞いの品のリンゴを剥いている。というか、胃の手術した人間に食い物持ってくんな。
向こうでは青みがかった長髪だったが、こちらでは艶やかな黒で、耳にかかる程度の長さで揃えられている。
「……なんであんた、ここにいるんだ」
「あら、つれないわねえ」
出来上がったウサギリンゴをフォークに突き刺して、俺に差し出してくる。
「まだ固形物の食事は許可出てねえよ」
「あら、残念。今度はすりおろし機持ってくるわね」
「いらねえよっ」
次っていつだよ。その頃には食事制限も外れてるだろうし。
「アンタが目を覚ましたって連絡あったから、わざわざ見舞いに来たのに」
わざわざって……それに、なんで俺が目を覚ましたことがこいつに伝わるんだよ。両親や会社の人間ですら来てねえのに。
「あんた……」
「風間直斗」
「……え?」
俺の口元に突きつけてたリンゴを頬張って、奴はニッコリと微笑む。
「アタシの名前よ。覚えなさい、神原遊人」
「……なんであんたがここにいる、ナオト」
「三ヶ月」
ナオトは窓の方に視線を向ける。
「え?」
「アタシが目覚めてからよ。アンタ、どこほっつき歩いてたの」
「……三ヶ月……も?」
あの時、ナオトが消え、リオが消えて、最後が俺だった。そんなに時間差はなかったと思っていたのに。
「そーよっ。大変だったんだから。聖ちゃんにはわんわん泣かれるし、看護婦と医者からは奇跡だとか言われるし、なんか知らないけどどっかのバカ医者がネットに流したせいでメディアは詰めかけるし。ほんっと、大迷惑」
「……大変だったな」
「あんたもすぐ起きるだろうから、巻き添えにしてやろうと思ってたのに、ちっとも起きないし。何回鼻つまんだことか」
「おい」
寝てる俺に何してくれてんだよ。てか、なんでここにいることを知ってんだよ。
そう思って眉根を寄せると、ナオトは口角を上げた。
「あんたのことはすぐわかったわよ。フルネーム聞いてたしね。ほんとに同じ病院にいるとは思わなかったけど。……それにしても、意外と人望なかったのねえ」
「余計なお世話だ」
ぐるりと見回すナオトにつられて俺も部屋の中に置かれた物たちをみる。
目が覚めた時は確か四人部屋だったと思う。けど、あの後医者がやってきて、バタバタと部屋を変えられた。今は個室に入っている。
四人部屋の時にはごちゃごちゃしてたベッドサイドが今はすっきりしていた。
サイドテーブルに置かれた花飾りや千羽鶴、寄せ書きに……ゲームソフト。
これ、十年ぶりの新作ってニュースになってたやつだ。出たら買ってみんなでやろうぜって盛り上がってたのを覚えてたやつがいたんだな。
……貼ってある付箋に『レベルカンストするまでに戻ってこいよ』なんて書かれてて、悔しくなったのは秘密だ。あのやろ、先輩面したくてたまんねーんだろうな。
あとは技術書。……病み上がりに勘弁してくれよ。いやまあ、嬉しくないわけじゃないんだけど、なんというか焦りを誘う。
「で、なんでここにいるんだよ、ナオト」
「アタシもまだここに入院してるからよ」
「……え?」
けろりと言ったくせに、ナオトの表情は優れない。目が覚めて三ヶ月経ったんだろう? なら、とっくに退院してて当たり前じゃないか。
「どう言うことだよ」
「さあね」
二つ目のウサギにかぶりついてナオトは肩をすくめてみせる。
そういやマスコミがどうとか言ってたか。もしかして、そのせいか?
それとも。
俺が口を開くより早く、ナオトは立ち上がった。
「じゃあまた明日。大人しくしてなさいね」
「おいっ」
「一応アンタ、重篤患者だからね。一日十分だけって言われてんのよ」
いつもの晴れやかな笑顔で片手を上げながら出て行くナオトを見送って、俺は体の力を抜いた。
◇◇◇◇
天井を睨みながらナオトのことを考えているうちに眠り込んでいたらしい。次に目を覚ましたら、部屋はすでに明かりが落とされて、窓のブラインドも降ろされていた。
窓の方に寝返りを打つ。
体が重い。どれぐらい昏睡状態だったのか聞いたけど、忘れてしまった。でも、季節は間違いなく二つは過ぎている。
テーブルに置かれたプリザーブドフラワーは夢で見た通り。でも、メモらしきものもなければ、誰も訪れないせいか、透明なパッケージには埃が積もっている。
半年以上経ってたなんて、思いもしなかった。向こうにいたのはほんの数日だと思っていたのに。
そりゃ会社の同僚たちからも忘れられるよな。両親だって、いつ来るかわかったもんじゃない。
のろのろと手を上げて拳を握ってみる。思ったよりちゃんと握れる。それに半年寝付いてたにしては、腕の筋肉は落ちてない。
ナオトだってそうだった。三ヶ月前に目覚めたって言ってたけど、全くそんな風には見えなかった。普通にサラリーマン……いや、会社の経営者とか言われても納得しそうな格好だった。
医者には明日から精密検査とリハビリを言い渡されてる。
早く歩けるようになりたい。
手術が終われば三日目にはガシガシ歩けと入院の手引きには書いてあったけど、今の俺はイレギュラーらしい。看護師も医者も、とにかくなんだかんだと調べたがる。
ナオトも通った道なのだろう。
早く自由に歩きたい。……リオを探しに行きたい。
ナオトもここにまだ入院してると言っていた。
三ヶ月も早く目覚めたナオトのことだ、リオのことを調べてないはずがない。
なのに俺には何も告げなかった。聞く暇さえ与えてくれなかった。
嫌な予感しかしない。
本当は今だってすぐにでもベッドを出て探しに行きたい。いつもの俺ならとっとと病室を抜け出してる。でも、それは叶わない。体を起こすのでさえ辛い。手術の傷なんかとっくに治ってるってのに。
スマートフォンが欲しい。どこにも行けないならせめて情報が欲しい。俺のはどこにあるんだろう。まあ、あってもきっとバッテリー上がってるだろうけど。
リオの笑顔を思いながら目を閉じる。
早く会いたい。




