6.美味いメシ
結論から言おう。
オネエ舐めてた。
オネエの作ってくれたカレーうどんは絶品だった。
いやもう……筆舌に尽くし難い。
二十八年生きてきて、それなりにいろいろ食った気になってたけど、あれは格別。もう他のカレーうどんは食えねえ。そんぐらい美味かった。
あちあち言いながら二人で食ってたらオネエは至極嬉しそうに俺らを見てた。
「ああ、やっぱり若い人はいいわねえ。反応も瑞々しいし、魂もぴちぴちで」
「俺もう二十八だぞ?」
俺的には全然若くねえ。もうおっさんに片足入りかけてるし。若いって言えんのは十八までだろ?
何日完徹しようが何しようが翌日ぴんぴんしてたもんな。何やっても面白かったし、友達とつるんでいろんなことをやった。
あの頃から見たら今の俺なんかもうすっかり枯れちまって、おっさんだよおっさん。
もう二十八だぜ?
高校卒業してもう十年経ったんだぜ? 十年前高校生でしたって言うだけでショック受けてるってのに。
ぽん、と煙草盆に煙管を打ち付けてオネエは笑い声を上げた。
「なぁに言ってんのよおお。男はね、そこからが光るのよ? それはもう燻製みたいに黒光りしてねえ」
「何卑猥なこと言ってんだよっ」
「馬鹿ね、そんな意味合いじゃないわよ。心と生き方の問題よ。よく渋いって意味合いでいぶし銀って言うでしょう? でもねぇ、アタシは違うと思うのよ。使い込まれた黒檀の杖の柄みたいにツヤツヤしてて、存在感を主張するっていうのかしら。そういうのを本当の渋いって言うんじゃないかってね」
「黒檀って?」
途端にオネエはがっくりと頭を垂れた。
「はぁ……一世一代のいいセリフを言ったのに、そっから説明しないといけないわけ? 少しは勉強しなさいよね、まったく」
そう言ってオネエは俺に向かって何かを投げるしぐさをした。何を投げたのかは見えなかったのだが、見えないものがすこーんと額にぶつかった感触があって、俺はものの見事に椅子から転がり落ちた。後頭部とケツが痛え。
「ちょっとっ、遊人? 大丈夫か? ナオト、遊人にひどいことするなよなっ」
ああ、リオがなんか騒いでるのが聞こえる。でもすっごく眠い。飯食ったせいか?
きっとこれ、目が覚めたらベッドの上なんだよな。きっと。
今までのは全部夢で、次に覗き込んでくるのは美人の看護婦さんで、「神原さ〜ん、聞こえますか〜?」なんて言ってくれるんだ。きっと手術のあとで痛いから、薬入れてもらって、なんかいろいろ管が入ってたりして、身動きできなくて、でもきっとまたすーっと眠って……。
「お前、そんなのが嬉しいのか?」
至近距離からリオの声が聞こえて目をあけると、顔がドアップで見えた。
「あれ?」
「なーんかぶつぶついいながら寝てたぞ、遊人。変な夢見てたんだな」
「夢? そんなはずは」
今の一瞬、寝てたのか? 俺。
そんなはずは……あるよな。目の前にリオがいるんだから。
がっくりして俺は起き上がった。さっきオネエが投げつけたのが一体何だったのか分からないが、透明な何かだったのは間違いない。
「そんなに元の世界に戻りたいか?」
「そりゃそうだろ? ここにいたって俺、何の役にも立たなそうだし、手術も無事終わったのか知りたいし。早く治って仕事に復帰して……」
「そっか」
急にリオは力なく言うとうつむいた。
え、俺なんか悪いこと言った?
途端にまた何かがスコーンと後頭部にヒットして俺はつんのめった。
「痛えっ! なにしやがんだよっ」
「それはこっちのセリフよっ。アンタ、なにリオ泣かしてんのよ」
「え……?」
ナオトの剣幕にあわててリオを振り向くと、リオは俺に顔が見えないように後ろを向いていた。
俺はリオを泣かしたいわけじゃない。
ただ、自分の立ち位置が分からなくて、イライラして……あー、俺、八つ当たりしてたのか。
リオの前にぐるりと回り込んで両腕を掴むとリオの視線の高さに合わせて膝をついた。
「ごめん、リオ。そんなつもりじゃないんだ。……俺、何でここにいるのか、どうしたらいいのか分からなくて……」
リオは視線を合わせてくれない。でも、頬を伝う涙は偽物じゃない。
こんな時どうすればいいんだよ、おい。俺の乏しい恋愛経験値じゃろくなことを思いつけねえ。
そっと手を伸ばして涙を拭うと、リオを抱きしめた。
「ごめんな」
リオが頭を横に振ってるのが分かる。
「なんでオレがここにいると思ってるんだよ」
「ごめん」
「オレ……お前の水先案内人なんだからな?」
「うん、ごめん」
ぐしぐしと顔を拭ってる。……俺の寝間着でかよ。
まあいいや。薄く紫がかった銀髪を撫でながら、俺は息を吐いた。
「落ち着いた? リオ」
気がつけばナオトが近くまで来ていた。ナオトはリオの頭に手を載せてぽんぽんと宥めるように弾ませる。
「うん……」
えへへ、と困ったように笑うリオに俺は胸が締め付けられるような痛みを感じた。
俺が泣かせた……その事実が思ったよりも堪えてるらしい。
もう一度謝ろう、とリオを見ると、へにゃっと笑ったまま、俺の寝間着を掴んでこてんと俺に体を持たれかけてきた。
「りりりり、リオっ?」
「あー、もう時間切れかぁ。今日はいろいろあったもんねえ」
「えっ? は?」
どういう意味だよ。てか、なんでこんなところで寝るんだよっ。メシ食ったばっかりじゃねえかっ。
「アンタ馬鹿でしょ。リオぐらいのお子様だとね、お昼寝は必須なのよ?」
「いや、そりゃ幼稚園児の話じゃねえのかよ。十歳ぐらいだろ? 小学四年生で昼寝とか、聞かねえぞ?」
「知らないわよ、ソッチの世界の常識なんて。でもこの神の国ではね、子供はお昼寝するし、夜八時には寝るものなのよ。それに今日はアンタを迎えに行ってたからお昼寝してないし、アンタを逃がすのに力使っただろうから、疲労度は半端ないはずよ。まだ夜八時には遠いけど、眠くなっても仕方がないわよね」
「なんだよそれ……」
俺があそこでずっと座り込んでたから?
だからリオに無理させてたのか?
それに俺を逃がしたのもって……全部俺のせいじゃねえか。
「それにしても、ここで寝ちゃうとか仕方ないわねえ。アンタの部屋に案内してからのつもりだったのに。えっと、神原遊人、お布団とベッド、どっちがいーい?」
「はぁっ?」
「寝ぼけてんじゃないわよ。アンタの部屋の寝具の話でしょうが。希望がないんなら布団にするわよ」
「……ベッド」
はいはい、と手を振りながらナオトはまたどっかに消えた。俺はリオを起こさないように膝に抱きかかえた。十歳ぐらいだよな、たぶん。それにしては軽い。ていうか体重を感じないほど軽い。
ほんとに中身詰まってんのか? と思うほど軽い。
でもちゃんと質感はある。俺の手の中に、リオという存在は確かにある。暖かいし、柔らかい。いい匂いもする。
「リオ……ごめんな」
「ん……」
眠ってるリオに言ったってしょうがないんだけど、いいたくてたまらなくて、つい口にする。リオは身じろぎしたものの、起きる気配はない。
中身おっさんなのに、なんでこんなに心臓鷲掴みされてんだろ、俺。
……誓ってもいい、俺、ぜってーロリコンじゃねえからなっ! それからおっさんスキーでもねえからなっ!
「はい、おまたせ……っと、あら、お邪魔だったぁ?」
ナオトの声にびくっと顔を上げると、にやにやしたナオトの視線とぶつかった。
「ばばばばかいうなっ。で、今度はなんだよっ」
「ああ、ホントはこのあとリオがアンタの新居に案内するはずだったんだけどね。寝ちゃったから隣に部屋作っておいたわ」
ナオトはそう言うと白い壁に歩み寄って扉を開くように引き開けた。白い壁にぽっかり開いた入り口は、ホテルの玄関みたいになっている。
「ここが今日のアンタの寝床。明日にはちゃんとした部屋の方に案内させるからさ。……わるいけどリオ、寝かせてやってくれる?」
「分かった」
ああ、そういうことか。
ここで俺がいつまでも抱っこしてるわけにも行かないもんな。
俺は部屋に足を踏み入れた。
寝台はダブルベッドかな。広い。リオを寝かせるには広すぎるだろ。まるでビジネスホテルなんだけど、テレビも冷蔵庫もエアコンも何もない。まあそりゃそうか。
「水差しおいといたから、喉乾いたら飲んで。リオが起きたら連れてきてね」
「へ?」
振り向くと、閉じかけた戸口の向こうでぴらぴら手を振ってるナオトの顔があった。
あわてて戸口に戻ろうとしたが、その前に扉は閉じて、ただの白い壁に戻った。
「おい……これでどうやってリオを連れてこいって?」
だが返事はない。たぶん、リオが目を覚ませば出方を教えてくれるんだろう。
仕方ない。リオをベッドに下ろすと、俺はソファで寝ようと体を離そうとした。……が、ぐいと襟元を引っ張られる。
リオが眠るときにがっちり握り込んでしまったらしい。上だけ脱ごうとしたが、リオは俺が動いたのが気に入らなかったのか、俺の腕から下ろしたのが気に入らなかったのか、左腕をがっちり抱き込んでしまった。
「おい、リオ……」
揺さぶろうとして、やめる。俺のせいで無理をさせたのに、この上無理やり起こすとか鬼畜だろ、俺。
仕方ねえ。
「べべべべつに好きで一緒に寝るんじゃないからなっ。し、仕方なくだからなっ」
誰が聞いてるわけでもないのにそう口に出して、そっとリオの横に滑り込む。
俺、どこまでヘタレなんだろう。自分でも残念過ぎる。
空調は完璧らしいが、毛布はかけたほうがいいだろう。
足元までかけた毛布を苦労して引っ張り上げて仰向けに寝ると、リオはぺったりと体を寄せてきた。
リオが十歳の体でよかったとつくづく思う。これでぼいんぼいんの色気たっぷりな姉ちゃんだったら、滾って眠れないところだ。
子供の体温は高いって言うけどホントだな。
リオがくっついてるおかげか、湯たんぽ代わりになりそな体温に眠気を誘われて、俺もあっという間に眠りに落ちた。