59.ばいばい、リオ
真っ白い輝きが消えて、脳裏に映り込んだナオトの笑顔も白い光に消えていく。
「行っちゃったな」
「行っちゃったね」
ハルとリオの声に振り返れば、二人はナオトのいた場所から視線を移した。……俺に。
「……何?」
そんな目を二人から向けられると、次は俺が消えるのかと内心焦る。
そりゃそうだろ? この状態、どう見ても次は俺だろう。
俺は見送られるのは嫌いだ。むしろ見送る方がいい。
なのにあいつら、いつの間に意気投合したのか、じっと俺の顔を見つめる。
「なんか顔についてるか?」
眉をひそめると、リオは首をぶんぶんと横に振る。
「違うの。……忘れないように見ておこうと思って」
その言葉にずきりと胸が痛む。そうだ、元の世界に戻ったら、きっとここのことを忘れてしまう。
リオのこともハルのことも、リオを思うこの気持ちも、持ち続けられる保証なんてどこにもない。
俺も、リオとハルを交互に見つめた。太陽を思わせる黄金の髪のハル、銀の滝に紫の宝石のリオ。
「……大丈夫だ」
寂しげな二人の視線に、ついぽろりと言葉が溢れる。
「え?」
「俺は忘れねえ。……絶対」
そんな保証はどこにもない。
それでも、俺はリオの目を見ながら力強く言う。
この世界は、人の思いでなんでもできるんだろう? ナオトが現実世界の酒を呼び出したように、俺にだって何かできないとも限らない。
それがリオたちの記憶ならなおさらだ。
俺は絶対忘れねえ。
でなきゃ、現実に戻ったところで俺はリオを見失う。元の生活に戻れば、きっとすれ違っても気がつかない。いや、すれ違う可能性すらない。
俺がここに呼ばれた理由がなくなるんだ。そうなれば、二度とリオと俺の道は交わらない。そんな気がした。
「うん。……忘れない」
リオの言葉にハルが頷き、銀の髪に手を置く。
「忘れたりしないよ。……僕はこれからもリオを見続けるから。きっとすぐ会える」
しかし、リオは悲しそうな顔をして首を横に振った。
「だめ。……ここにハル一人残るの、やだ」
リオの我儘にハルは苦笑を浮かべて俺を見た。助けを求めてるのが視線でわかる。
でも、こればかりは俺も首を横に振った。
「遊人?」
「もう、解放されろよ」
ハルの表情がたちまち凍る。リオを見守ることだけが自分の存在意義だと思っているのかもしれない。
でも、もういいだろう?
お前はここに縛り付けられなくてもいいはずだ。
「僕は……」
「お兄ちゃん」
舌ったらずなリオの言葉にハルは再び凍りついた。
子供サイズのハルがリオより小さく見えてたから、ついハルを弟だと見ていたけれど、今のハルは大人びて見える。リオよりよほど大人の男らしい。
「お兄ちゃん、もういいの」
「……リオ?」
リオは年相応の笑顔を浮かべながら、ハルの手を取る。
「もう、大丈夫だから。ボクは遊人と生きる。ここには戻らない」
「……うん」
「ボクね、知ってた」
愛おしそうにハルの手に頬ずりする。ちょっと妬けるが、相手は兄妹だ。俺がどうやっても太刀打ちできない。
「あの人がね、よく言ってたんだ。本当ならお兄ちゃんがいたって。ボクじゃなくてお兄ちゃんが生まれてればよかったって」
息を飲んだ。あのクソババア、よりによってそんなことほざいてやがったのか。
今度会ったらただじゃおかねえ。
ぎゅっと拳を握りこむ。
その思いはハルも同じだったようだ。凍りついてたハルは怒りをあらわにしていた。
「ボクはあの人にとっては出来損ないだったから。……だから、お兄ちゃんに会いたかった。でも、こんなに、遺伝上の父親にそっくりだなんて、思わなかったよ」
声が揺れる。ぽろぽろりとリオの目尻から涙がこぼれた。
「リオ……」
「ボクを匿ってくれてありがとう、お兄ちゃん。あのままだったら、きっとボクは遊人に会えなかった」
リオが俺を振り返る。思わず顔を手で隠してそっぽを向いたのは、許してほしい。……もらい泣きしてるなんて知られたくない。
「だから、もういいよ。きっとあの人たちももう許してくれると思う」
「え……」
リオの言うあの人たちというのが誰か全く見当もつかなかった。あのクソババアではないだろう。ならば、誰なのか。
脳裏に浮かび上がるのはライオンヘアの一枚の写真。
人好きのする笑顔を浮かべ、黒枠にはまったあの顔。
そういえば、親より先に死ぬのは罪だ、と何処かで聞いた。
生まれることのなかったハルは、どうなのだろう。
「だから、生まれ変わって。きっとまた会えるから」
泣きながら、リオはにっこり微笑む。
「リオ」
しばらく呆然と立ち尽くしていたハルは、のろのろと顔を上げた。
「ん」
「ひとつだけ、お願い聞いてくれる?」
大きかったはずのハルの姿に、子どもの姿がダブって見える。それは、初めてハルに……いや、名もないカミサマに会った時の姿。王冠をかぶり白いタイツを履いた男の子がリオの耳に口を寄せている。
何を言ったのか、俺には聞こえない。それくらい、二人と離れていることに今更ながらに気がついた。
ハルはちらりと俺を見る。リオは嬉しそうに微笑み、やっぱり俺を見て、ハルを見て頷いた。
何を話してるのか気にならないといえば嘘になる。でも、二人の様子はまさに兄妹の姿で、そこには混じれないと自分でもわかる。
「約束」
「うん」
二人はそう言い、子どものように小指を絡ませた。はりせんぼんのーます、と呑気に歌い、指を切る。
何を約束したのか、気になる。でもにかっと笑うリオを見ていたら、そのわだかまりは薄れていった。
「ゆーと」
「……おう」
ハルから離れてリオが目の前に立つ。銀の滝がふわりと風に揺れた。
「ありがとう」
至近距離にリオの顔が近づいた。と思ったら頰に柔らかな感触。唇でなかったのは残念だったが、そんなことはおくびにも出さず、リコの頭を撫でる。
「俺は何にもしてねえよ」
「そんなことないよ。……ゆーと」
「なんだ……」
唇に触れる感触に、言葉が途切れた。
リオはゆっくり俺から離れると俺の唇に人差し指を当てた。
「探してね。ボク、待ってるから」
「……当たり前だ」
抱きしめようと手を伸ばせば、リオは俺の手を取り、頰に当てる。ハルにしたように。でも、ハルの手にキスはしなかったよな。
「必ず会いに行く。だから、心配しないで待ってろ。……お前は俺の、」
続けようとした言葉を、またもリオの指で封じられる。
潤む目は嬉しそうに俺を見ながら首を振る。
「それは、あっちで聞きたい」
ああ、もちろんだ。いくらでも言ってやる。聞きたくないと言ったって言ってやる。
「忘れるな。お前は一人じゃない」
「うん」
ぎゅっと抱きついてきたリオのぬくもりを、柔らかさを、甘やかな香りを全身で感じながら、リオの髪に顔を埋める。
そして。
「遊人、大好き」
ふと離れて行くぬくもりに顔を上げれば、リオの笑顔が光に包まれていた。
「リオっ」
取り戻そうと伸ばした手は何にも触れず、光に飲まれて行く。
「忘れるなよっ、絶対っ!」
最後に絞り出した言葉に、リオが頷いてくれたのだけが見えた。




