56.あきらめない
目を開けると白い壁が見えた。
さっきまで、葬儀場で黒服の群れに埋め尽くされていたはずの視界が急に白くなって、俺は目をこすろうと右手を上げかけて、気が付いた。
白い手が俺の手を握っている。――いや、これは握っていると言っていいのだろうか。指と指を絡めた、いわゆる恋人つなぎ……。
はっと手の持ち主に目をやれば、ベッドに横たわった銀の頭が目に入る。その横には金の髪。そしてベッドサイドに膝をついた、青みがかった黒の髪。
「えっ、何これっ」
ナオトは驚いてハルの手を離して立ち上がった。ぐるりと見回して、俺に気が付くと眉を寄せて凝視してくる。
「今――ううん、あれは夢だったの? アンタも見た?」
言いたいことは分かるけど、とっ散らかっているのだろう、両手で自分の頭を抱えながらイヤイヤというように首を横に振っている。
ナオトがこれほど動揺するなんて。
「俺も見たよ」
「何がどうなってんの。ここどこよっ」
「落ち着けって。ここは宮殿だ」
「落ち着いてるわよっ」
声を荒げてる段階で落ち着いてるとはいいがたいんだけど、よっぽどだったんだな。
まあ俺もまさかこの状態から夢に引っ張り込まれるとは思わなかったから驚いたのは同じだが。
「あれが、ハルの見せていた夢だよ。夢の中で説明したろ?」
「そういえば……でも、本当に?」
うなずいて見せる。前にはそこにいる別人の中から見ているだけだったが、今回は中に入れた。これが夢送りで見た夢と、不用意に触れた差だろうか。
「前に夢で見た。遺影の男が二人の父親で、腕を掴んでいたのが父親の妹だ」
「あれがそうなのね。……ほんと、ハルにそっくり」
「……触るなよ」
愛おしそうにハルに手を伸ばしかけたナオトは、俺をジロリと睨んだ。
「そう言うアンタは手を握ったままじゃないの」
「これは……リオが離してくれないんだ」
実際、何度か引っ張ってみたものの、がっちり握られている。無理やりひっぺがすほどでもないだろうと結論づけた。
「じゃあ、アタシも」
ナオトはさっとベッド脇にひざまづくとハルの手を取った。
「お、おい」
「ほら、大丈夫でしょ?」
にやりと笑うナオトに肩をすくめて返してから、二人に目を向ける。
目を覚ました時、リオはどうなっているのか、不安は拭えない。
夢の中のリオは俺の知らない、俺を知らないリオだった。
あれが本当のリオなんだ。俺を知らない、俺の知らない……。だから、ハルの警告を無視した。
もしこのままリオがリオでなくなったら。そのまま現実に帰ってしまったら。
きっと俺はリオを失う。……そんな予感がする。
そうなったら俺はどうするだろう。
またあのデスマーチ地獄に逆戻り? 無理だろうな。リオのことを覚えている限り。
その時には俺の記憶も消してもらおうか。ハルにできるのかは知らないが、リオ抜きの現実にはきっと耐えられない。
「アンタ、ロクでもないこと考えてるでしょ」
ナオトの声に顔を上げる。ベッドに腰掛け、ハルの髪を撫でながら、ナオトは俺の方に顔を向ける。
「別に」
「長年客商売やってきたアタシをごまかせるとでも思ってんの? 今のアンタの顔は……あの時のリョウタの顔そっくりよ」
「リョウタ……?」
「理央の養い親」
養い親。
ハルが見せたあの夢の……俺が中に入った父親のことだ。リョウタと言うのか。
のろのろと思考が回る。ナオトは言葉を続けているけど、半分くらいしか耳に入ってこない。
それに気がついたのか、ナオトはハルから手を離して立ち上がるとため息をついた。
「……アンタねえ。失う前から諦めてんじゃないわよ」
「あきらめてねえよ」
「嘘。……ま、アンタがいらないって言うんなら、アタシがもらうけど」
思わず睨み付けると、ナオトはニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「そうねえ、髪の毛を切って、金髪に染めればハルに見えると思うのよねぇ。双子なだけによく似てるし」
「……おい」
「ハルの格好させて、店に立ってもらおうかしら。きっとモテるわねぇ。男にも、女にも」
「……ナオト」
「アタシんとこにくれば衣食住は問題ないし、アタシの店にいると知ればリョウタたちも来るだろうし。感動のご対面もできるし。リオとは知らない仲じゃないし?」
「……あんたには男がいるだろうが」
「あら、それが何?」
「……ハルの代わりなんかさせんな」
ナオトを睨みつけながらそう言うと、ナオトは表情を崩し、心底面白そうに笑い始めた。
「アンタってば……」
「……なんだよ」
「怒るポイント、そこなの?」
「……悪いかよ」
睨みつけながらボソッと言うと、ナオトは腹を抱える。
「ふつうさあ、一発入れない?」
ひとしきり笑った後、ナオトは涙目でそう言う。
確かに腹も立ったし、ぶちのめしたくはなった。でも、ナオトとリオには俺とは比べ物にならないほど重ねた時間がある。現実の世界でも顔見知りのナオトと、現実ではまだあったこともない俺。嫉妬したって仕方ない。
「あんた殴ったらリオに泣かれる」
「あー、まあそうかも。……でも、リオを守るんでしょ? 多少は意気地のあるところ、見せなさいよね。あの時だって抵抗もしないで殴られてくれちゃって。リオにどんだけ怒られたと思う?」
ナオトの言葉に眉根を寄せる。あの時の俺は殴られて当然だった。今の俺でも殴る。
……多少の迷いはある。俺はただのサラリーマンだ。スーパーマンじゃねえ。
何がどう転ぶかなんて分からねえ。何が正しいか、どれが正解か、誰も知らないんだから。
だから俺たちは苦しむ。一つの選択をするたびに、選ばなかった無数の可能性を捨て切ることができなくて。
それでも、歩むのをやめられない。生きることを諦められない。
明日は今日より良くなっているかもしれないから。
「ちょっと、何か言いなさいよ」
俺が口を噤んでいるとナオトは眉根を寄せた。
多少なりとも意気地のあるところは見せたはずだ。……主にナオトがいない時だけどな。
なんとも理不尽だ、と頭をかきかけて右手がふさがったままだったことに気づく。
リオを見下ろせば、ほんの少しだけ微笑んでいるように見えた。
夢の続きを見ているのだろうか。ハルの見せる夢は時系列に並んでいた。
いまもそうなら、リオはあの悲しみを乗り越えたのかもしれない。
「大丈夫だ」
少なくともリオとともにある限り、間違えたりしない。
リオが望む限り、俺はリオを守ると誓ったのだから。
選ぶのはリオだ。でも。
「間違えねえよ、今度は」
そう口にすると、リオと繋いだ手がきゅっと握られた。
長らくお待たせして申し訳ありません。
不定期ではありますが、更新再開します。




