50.夢と現と
目を開けると、目の前に銀色の滝がある。ゆるりと手を動かして指で梳れば、眠っているはずのリオの体がぴくりと動いた。
昨夜眠ったときと同じく、右腕を枕にして背中からリオを抱きしめている。
俺がここに来たのは、リオに出会うためだった。
だってそうだろう?
ハルはここに来る『玩具』を、過去リオが笑顔を向けた相手に限定していた。
誰の意思かは知らないが、俺がここにねじ込まれたということは、そのルールに一致しているということだろう?
つまり、現実に戻った先の未来で、俺はリオから微笑を向けられたことがあるわけで。
俺さえ間違えなければ夢で見たリオとの幸せな未来をつかみ取れるはず、ということだ。
そして、あいつらはそれを望んでいる。そう思って、いいんだよな?
「リオ」
そっと頭を撫でながら銀の髪に口づけると、ふるりと身じろぎした。
「ゆーと……?」
「おはよう」
リオはくるりと寝返りを打って俺に向き合うと、へにゃりと微笑んだ。まだ寝ぼけているらしい。
「なんかいい夢見てた……」
「夢?」
「ん。……ゆーととね……」
そこまで言うと途端に顔を真っ赤にして俺の胸に顔をうずめた。一体どんな夢を見たんだ? 口にするのも恥ずかしい夢ってことか?
リオの背に手を回すと、寝間着をぎゅっと握られる。
「俺もいい夢見てた。現実の世界でリオと暮らしてる夢」
ぴくりとリオが体を揺らす。もしかして、同じ夢を見ていたのか?
「子供が二人生まれてさ。双子で、俺によく似た息子とリオによく似た娘でさ。どんな名前付けようかって悩んでた」
「こども……」
「ああ。めちゃくちゃかわいかった」
リオの頭にもう一度キスを落とすと、リオは俺の胸に顔をこすりつけてくる。
「オレ、早く現実に戻りたい」
「……リオ?」
そろりとリオの手が俺の背に回る。
「ゆーとと一緒に生きたい」
リオの言葉に顔が緩むのを自覚する。これほどうれしい言葉はない。……ってくそっ、また先越された。今のって……プロポーズじゃねえかよっ。
どうしてこうリオは男前なんだよ。
「……俺の台詞取るなよ」
「あっ」
顔を上げたリオは真っ赤な顔をしながらも申し訳なさそうに眉尻を下げていた。少しだけ拗ねて見せた俺は、リオの額にキスを落とす。
「ごめん」
「謝るなよ。……嬉しいよ、ありがとな」
「う、うん」
俺との人生を望んでくれたのは何より嬉しい。それは間違いない。
だけど、まだリオは過去を思い出してはいない。現実に置いてきた記憶を取り戻した時――俺は支えになれるんだろうか。
「……ゆーと?」
リオの不安げな声に我に返ると、眉根を寄せて俺を見上げていた。
「ん?」
「……どっか行っちゃわないよね?」
「行かねえよ。心配するなって」
昨夜の続きか? そういや夢で見たって言ってたもんな。それを思い出したのか。
ここから出ていくときは、リオと一緒だって言っただろ?
むしろリオのほうがどっかに消えそうで怖いってのに。
「ほら、もう起きろ。ナオトに見つかるとうるさいから、ちゃんと自分の部屋に戻りな」
「うん」
体を起こしてリオを引っ張り上げると、リオは俺の方を振り返りながらさっきまでなかった扉から出て行った。
リオが消えると扉も同時に消えた。腕輪をつけた状態で扉があったところに手を当ててみても、青い光は拡散していくだけだ。リオはすっかり無意識で力を使えるようになったらしい。
仕方ない、ナオトが外に出してくれる気になるまでは、部屋でくつろぐとするか。
◇◇◇◇
「遊人、あんたリオを引っ張り込んだりしなかったでしょうねえ?」
ナオトは俺の顔をみるなり不機嫌そうに聞いてくる。何だよいきなり。
「当たり前だろ。朝っぱらからなんだよ」
ちょっと後ろめたかったものの、そこにはまだリオもいなかったし、しれっと言い逃れることにする。
「部屋の権限取り上げて閉じ込めたのはナオトだろうが。扉もないのに出入りできるかっての」
「それならいいんだけど……昨夜からちょっと変なのよ」
「変? 何のことだ? 一体」
「それがねえ……あらおはよう、ハル」
足音にぱっと顔を輝かせてナオトが振り返る。俺もつられて振り向けば、大人姿のままのハルが立っていた。ナオトは話を打ち切るとかいがいしくハルの世話をし始める。ちょっと待て、俺の飯はどうしたよっ。
全く……扱いが違いすぎる。そりゃ俺は地味だけどよ。
そういえば、ナオトの枕元にあった写真、一緒に写ってたのが聖ちゃんとかいう彼氏だとしたら、ハルは雰囲気がよく似ている。線が細いところや髪の色が薄いところも。
「で、何が変だって?」
ようやく俺の飯を持ってきたナオトに話を切り出すと、思い出したようにそうそう、とつぶやいた。
「昨夜ね、アンタとリオの部屋の様子を見ようとしたんだけど、どうしてか覗けなかったのよ。アンタ、なんかしたでしょう」
そう問い詰めてくるナオトの顔には怒りが浮かんでいる。だから、俺は何もしてないぞ? リオがしただけで。
「知らねえよ。権限取り上げられて何ができるって言うんだよ。っていうか覗くなよっ」
「……そうなのよねえ」
俺の抗議は完全に無視して、ナオトは眉根を寄せてため息をついた。
「ハルの部屋はちゃんと覗けたのに」
「だから覗くなって」
「やーよぉ、いつちっちゃくなるかわかんないじゃないのっ。それに客の安否を確認するのは亭主の務めよ」
「亭主、ねえ」
「それに……夢見も悪かったし」
「夢見が?」
ナオトの言葉に顔を上げると、ふぅとため息をついていた。
「ああ、いや何でもないの。……ただ、ちょっとね」
俺やリオだけじゃなく、ナオトも何か見たのだろうか。だとしたら、誰の思惑だ? あいつらなのか?
「……そういえば、俺も夢を見たな。あんたの夢」
「アタシの?」
目を丸くするナオトにうなずく。病院で眠ってたのは間違いなくナオトだった。
「病院の個室で寝てた」
「……それ、ほんとにアタシ?」
「今のあんたより少し老けてたけどな」
「失礼しちゃうわ、夢だからって勝手に老けさせないでよね」
「知らねえよ。そう見えただけだ。髭も髪の毛もきれいに整えてあったぜ。誰かがずっと付き添ってるみたいだった」
そう言うと、途端にナオトは視線をさまよわせ始めた。
「嘘……」
「愛されてるよな、あんた。俺なんか誰も付き添ってねえし、四人部屋だし、髭ぼうぼうでひでぇ面相になってたってのに」
あれは一週間やそこらじゃないよな。たぶん、一月以上は放置されてる。そうでなきゃあんなにもじゃもじゃになるもんか。
「嘘よ……聖ちゃんは、もうとっくに故郷に帰ってるはずなんだから……」
「あー、姿を見たわけじゃねえから誰かは分からねえ。でも、あんたの好みをよく知ってる奴だ」
「アタシの好み?」
タオルや寝間着、スリッパや花、飾られた写真。夢の中で見たものを説明すれば、ナオトはカウンターに寄りかかって口元を手で覆った。
「聖ちゃんだわ……」
「……ナオト、扉を宮殿につなげてください」
不意にそれまで黙ったままだったハルが口を開いた。
「ハル?」
「ナオト、あなたは帰りたくないんですか?」
「……帰りたくないわけないでしょっ! 勝手に連れてきて何言ってんのよっ!」
叫んだナオトは憎々しげにハルをにらみつける。子供姿だったハルに向けていた視線だ。
ハルはゆっくり立ち上がった。
「なら、僕を宮殿に返して。……終わりにしましょう」
「……今までさんざん人を弄んでおいてっ……なに勝手なことっ」
「だから……終わらせるんです。僕がしてきたことは、謝ってすむようなものじゃない。分かってます。……リオのためだけに、多くの人を巻き込んだ。でも、もう終わる。――終われる」
俺はハルの方を振り返った。
終われる。
そう言った。
ハルもまた、この空間にとらわれた存在だった。
リオを愛した者たちによってリオの守り神とされて、生まれることができなかった外の世界を、ずっとリオを通じて見ることを強制されて。
俺の方を見たハルがはかなげに微笑むのを見て、眉根を寄せる。
罰、だとハルは言った。
リオがここから出られれば、ハルもまた解放されるのかもしれない。




