46.約束
まるでお通夜のような朝食をもそもそと腹に詰め込んで、俺はハルの部屋へ行った。昨日は夜になったから作業を中断しただけで、積み残しはそれほど多くない。
リオはナオトが服を作るってことで引っ張っていった。
……まあ、俺が作るよりはきっとマシなはずだ。ナオトなら、女性の下着や服装については俺より絶対詳しいはずだからな。
リオとしては俺から離れたくなかったらしく、俺のシャツを掴んで離さなかったんだが、ナオトに諭されてこっちを振り返りながら引っ張られていった。
俺としては……いろいろ考えることがありすぎて混乱している。
だが、とりあえずやるべきことから片付けて行こう。
ハルは、ベッドに腰かけてうなだれていた。
以前の子供の姿であれば抱っこしてやるのだが、すっかり成長した今では頭を撫でてやる程度しかできない。というか、それ自体、失礼なことだよな。
「ハル。どうした?」
「……遊人」
ハルは顔を上げるとちらりと俺の後ろを確認した。後ろに誰かが付いてきてないことを確認したのだと気が付いて、俺は部屋の扉を閉めた。
「リオには聞かせられないことか」
「……分からない」
うなだれたハルは膝の上で組んだ両手に視線を落としたままつぶやいた。
「僕が大きくなった原因は……たぶんだけどナオトだと思う」
「ナオトが?」
「この空間はナオトの支配を受けている。……ナオトの願いが僕にも及んだんだと思ってる」
「……お前の力で権限を上書きできるだろうに」
「それをやると、この空間の意味がなくなる」
ああ、そうだった。ここはハルの力の及ばない、リオの避難場所だった。それを壊したくないのだろう。
「リオは僕を見て、いいなと思ったと言っていた。……ナオトの空間は、リオに優しいんだろう。リオの願いを叶えたんだと僕は見てる」
そうだ、昨日の時点で、俺たちの部屋はナオトに権限が渡っている。それまでは基本的に俺の支配する空間だったんだ。俺は子供のリオしか知らない。だから、リオが大きくなりたいと願っても、きっと叶わなかったに違いない。
「なるほどな。……しかし、そんなに簡単に人を成長させられるのか?」
そこが気になる。いくらハルが世界の創造主だと言っても、人ひとりを成長させるほどの力があるのか? この世界が夢とかいうならわからなくもない。だが……。
「成長したんじゃない。……僕らは、本来の姿をもともとゆがめてあるんだ」
言わなかったっけ、とハルは弱々しく笑った。
「今までの姿は……リオが一番幸せだった時の姿だよ。僕は彼女の年に合わせていたんだ」
「幸せだった時の……」
それが何を意味するのか気が付いて、俺は眉をひそめた。
「なのに……今の姿は……あの時のリオと同じだ」
あの時。……おそらく、リオが死を選ぼうとした時のことなのだろう。
「リオの記憶は……消してあるんだろう?」
「うん……つらい記憶を持ったままでは、ここに引き込んだ意味がないから。でも、いつ何がきっかけで記憶が戻るか、分からない」
「ハルの力で抑え込めないのか?」
「それもわからないよ。……こんな急に成長するなんて、予想外だ。もっとゆっくりなじませながら記憶を戻すつもりだったんだ」
そう呟いたハルは両手で顔を隠した。
いきなりすべての記憶が戻ってしまったら……今のリオに耐えられるかどうか。現実と同じ結果を選ぶのではないか。それならば、ここにこのままいる方がいいのではないか。……そんな結論にたどり着いてしまう。
それじゃ駄目だ。それじゃ……ダメなんだよ。
俺は、現実の世界にリオと一緒に戻るんだ。そう約束した。
ここに二人残って幸せになることは、本当の幸せじゃない。
現実の世界は幸せなことばかりじゃない。辛いこともある。それは俺もよく知ってる。
それでも、前に向いて歩かなきゃならない。
いや。
リオがいれば、どれだけ辛くとも頑張れる。リオのためならば、リオと幸せになるためなら、何だってやれる。それこそ、命だってかけてやる。
でも、リオは。
リオにとって俺は――どうなんだろう。現実の辛さを乗り越えるための一助になれるんだろうか。
命を投げ出さずに済む、錘になれるんだろうか。
思いは通じてる。俺について現実に戻りたいと思ってくれたリオの気持ちを疑いはしない。
「……一度、子供に戻そう」
「……え」
「宮殿に戻れば、お前は子供に戻れると言ったよな」
「うん」
「なら、リオも戻せるんじゃないか?」
「それは――できるけど」
ハルは視線をさまよわせる。
わかってる。
リオは子供に戻りたくないと言った。それを無理やり戻すとリオを怒らせることも。でも、リオを守るためなら。
「――逆効果かもしれないよ?」
ハルのつぶやきに俺は顔を上げた。
「どういうことだ?」
「何が起こるか分からないって、言ったよね。本人が望まないのに体を弄るのはきっかけになりうる」
「……元の姿に戻るべきだと言ったのはお前だぞ」
「本人が望むなら、その方がいいと思ってるよ。……でも、ああやって成長したのは、遊人のためだろ?」
ハルは俺をじっと見つめる。
「俺の……?」
「そりゃそうだろ。子供のままのリオじゃ遊人と釣り合わない。……僕が成長したのを見て、自分もできると思ったんだろう。遊人の隣に立つために。リオと何かあった?」
「何かあったって……お前もナオトも知っての通りだよ」
思わず目をそらした。顔が赤くなってるのは感じる。自分の恋バナなんか口にする日が来るなんざ思いもしなかった。こんなに照れくさいものなのか。
「そうじゃなくて。……何か話した?」
何か、と言われて俺は記憶を探った。リオと二人の時にした会話なんて大してない。強いてあげるとすれば――あの時か。
「現実の話を少し。……リオも一緒に連れて帰るって約束した」
頭に血が上ってくるのを我慢してそう告げると、途端にハルはため息をついた。
え? 何かまずかったのか?
「それだよ、遊人。……リオが成長したのは間違いない、その約束のためだね」
「ええっ? 起き抜けにちょろっと話しただけだぞ?」
「それでもだよ。リオにとって遊人はすべてなんだ。……いなくなった遊人を追っかけて二度と立ち入りたくなかったはずの宮殿に突入するぐらいにさ」
「いや……まさか」
まさか、そんな。おもわずつぶやくと、ハルは胡乱な目で俺を流し見た。
「遊人って時々致命的に鈍いよね。……リオは現実に戻ろうとしてる。いや、戻ろうとしてるわけじゃないんだよな、きっと。遊人と一緒に現実に行く準備をしてるんだ」
「まさか」
「あのさ、遊人。リオは女なんだよ。遊人に恋した、遊人が大好きな、さ」
あきれ顔のハルがかみ砕くように言う。
「分かってるよ、そんなこと」
「分かってないよ。……お願いだから、現実に戻ったあとでリオを泣かすなよ」
「ああ、もちろん」
そう答えながら、中学の時の彼女のことを思い出した。よく言われたよな。……分かってないって。
恋愛偏差値が低いのは分かってる。
ここまで――思いを確かめるまでにどれだけリオに先越されてきたと思うんだよ。
がんがんハートを撃ち抜かれて、告白も先に言われた。リオにはほんと、驚かされてばかりだ。
現実に戻ったら――リオはもてるだろうな。俺なんか、見向きもされないかもしれない。
こんな閉鎖空間だから、俺を見てくれているだけなのかもしれない。
そんな恐怖は常に身の内にある。でも、あきらめたくはないし、リオの思いに甘えたくはない。
「ともかく。……そういうことなら、リオを子供に戻すわけにはいかないよ。ほかならぬリオが、遊人のために大人になろうとしてるんだから」
「……それで大丈夫なのか?」
「たぶん、としか言えない。……何が起こるか分からないって言ったけど、リオが変化を望んでるから状況はもっと変わる」
ハルはそう告げながら、少しだけさみしそうな目をした。




