4.裸足の痛み
「まだかよ」
「もうちょっとだから我慢してくれよ」
リオに手を引かれて歩く俺。いやもう、まわりの目が痛いのなんの。
こんな姿、日本で見かけられたらぜってー通報される。声掛け事案なんてもんじゃねえ。誘拐で即逮捕だ。
かたや十歳ぐらいのリオ、かたや寝間着に素足の俺。
道は舗装されてなくて、小さな石を踏みつけては悲鳴を上げる。子供の頃はよく裸足で学校の校庭とか走り回ってた気がするんだが、こんなに痛かったっけ?
ひぃひぃ言いながら、最初の街角からニブロック進んだだけ。
「弱えなぁ、兄ちゃん」
「うるせぇ。こちとら素足で歩くなんざ十数年ぶりなんだよっ。ちったぁ大目に見ろよっ」
「そもそもなんでそんな格好なんだよ。寒くねえのかよ」
「知らねえっての」
こんなことならすぐ近くの飯屋に入って、メシ食ってる間に着替えと靴をリオに持ってきて貰えばよかった。せめて靴だけでも。それならもうとっくに目的地に着いてたはずだ。
でも、リオが言うには俺が行かないと服も靴も手に入らないという。
一体どんな服屋なんだ?
いろいろ問い詰めても結局「行けば分かるからよ」の一点張りだ。
となると、なんとしても行くしかない。
「ああ……腹減った」
路地からはいい匂いが漂ってくる。くっそう、もうどこでもいいからなんか食わせてくれ。手術前日から絶食状態で何も食ってないんだよ。
ふらふらと匂いにつられそうになった途端、ぐいと手を引かれた。よろめいてでかい石を踏んづける。痛い。
「痛えッ」
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃねえよっ。いきなり引っ張るからよろけたんだぞ」
「ああ、悪い悪い。腹減ったって言うから急ごうと思ってさ」
「……もうどこでもいいからなんか食わせてくれよ。腹減りすぎて倒れそうだ」
腹を抱えて眉根を寄せると、リオは胸を張ってにかっと笑う。
「だから急いで店に向かおうと思ってさ。あと一ブロックだからがんばってくれよ」
「店ってどこでもいいんじゃないのか? そこの店でも」
店の前につったって俺は言う。もう半ブロックだって歩きたくない。足の裏は痛いし、目的地は途方もなく遠く感じる。
「どこでもいい訳じゃないんだよ。とりわけ最初は大事なんだぜ?」
「何がだよ」
「そりゃ第一印象は良いほうがいいだろ?」
「何のことだよ」
またリオが俺の手を握ってぐいと引っ張る。
俺は踏ん張って抵抗しようとしたが、思わぬ力で引っ張られた。幼女とは思えないほどの力だ。
「だから引っ張るなって。なんでそう急ぐんだよ」
「そりゃあ、もうじき日が暮れるからだよ。それぐらい分かれよ」
確かに、俺がうなだれてる間に日は傾いて、道に伸びた二人の影はずいぶん長くなっている。
ちらりと周りを見たけど、街灯らしきものはない。あちこちに篝火の準備がされているから、夜の明かりはそれだけなんだろう。
となると、日が暮れればこの辺りは一瞬で真っ暗になる。足元を気にしながら歩くなんて芸当、できそうにないな。
「この街の連中は夜に飲み歩いたりしないのか?」
「うーん、しねえなあ。それは祭りの時だけだ」
「祭り?」
「ああ、神の国らしく神の祭りだ。もうじきあるけど」
「へえ」
「それ以外は、夜は家でおとなしくしてるかな。町中に篝火焚くのも金かかるしな」
「ああ、なるほど」
そういう観点では見たことなかったな。
よく、アニメとか漫画とかであるけどさ。夜も町中の大通りを松明なしで歩けるほど明るくするとしたら、確かに薪がいくらあってもたりねえよな。
時代劇とかでも提灯ぶら下げてるけど、提灯一つだけで照らせるのなんて足元の少しの範囲だけだよな。
前に悪友の田舎に遊びに行ったらマジで真っ暗で、自分の顔の前に手を持って来ても見えねえの。
あんな暗闇、初めてだった。
月明かりがわかるほどの暗闇って、ああいうのを言うんだろうな。
そういや真っ暗な夜中に田舎道走ってて、側溝に後輪落っことしたことがある。
あれ、引っ張り上げるの大変だったんだよなあ。
「どうかしたか?」
「え?」
声をかけられて視線を向けると、リオがしかめっ面をして俺を見上げてた。
「いや、なんかニヤニヤしたかと思ったら眉寄せたりため息ついたりしてさ。どっか調子悪いのか?」
「別に。調子が悪いわけじゃない。昔のことを思い出してただけだ」
「ふうん、それならいいけどよ。……なあ、兄ちゃん」
「何だ?」
微妙に機嫌悪そうな感じ?
いや、微妙レベルじゃなかった。すんげー機嫌悪そうな顔してる。
「オレが走れって言ったら走れ」
「は?」
素足の上、歩くのもひいひい言いながらやっとの俺に走れだと?
何の苦行だ拷問だ。
「冗談じゃ」
「つけられてる」
いきり立って反論しようとした俺は、リオの声に言葉を飲み込んだ。
なんでつけられてる?
てかナメクジ並みにトロい俺らの歩みなら好きなだけつけられるだろうよ。でも、理由は?
俺がこんな格好をして幼女連れ回してるからか?
それとも裸足だからか?
金目のものなんか一切持ってねーっての。持ってたらとっととリオ無視して店に突入してる。それぐらい腹減ってるんだ。
「走るのは別にいいけど、どこに走ればいいんだよ。目的地はもうすぐ近くなんだろ?」
「ああ。この次の角を左に曲がって四軒目の、朱塗りの柱が目立つ店だ。いいな。思いっきり走れよ」
「わ、わかった」
この時ほど、近眼でなくてよかったと思う。
もし眼鏡必須の体だったら、手術の時には必ず眼鏡を外すわけで、ここに来た時にはきっと眼鏡なしだろうから。
嫌な緊張が走る。
手を繋いだままゆるゆると歩くのは続いているのだが、誰かに狙われてると思ったら掌がじっとり湿ってくる。
「緊張してんのか」
「あ、たりまえだろっ。こんなの、初めてなんだからよっ」
人に恨まれたり、ましてや狙われたりするような行動は避けて生きてきた。その分、ぬるま湯だった気もしなくもないけど、気配だの怒気だの覇気だの、言われても感じられるわけはない。
わけはないのだが。
そう言われるとなんだか殺気まで感じられるようになった気がして冷や汗が吹き出てくるというのは、人体の神秘ってやつか。
そんなことをつらつらぐるぐる考えていたら。
ぎゅっと握られたままの手が強く握られた。
視線を落とすと、リオはいつも通りの前歯を全部見せる笑い方で笑った。
「大丈夫。兄ちゃんは絶対オレが守るからさ」
「ちょ、それ、逆だろ」
なんで幼女のリオにおれが守られなきゃならねえんだよ。
こういう場合、俺が言うべき言葉だろーが。てか、なんでだよこいつ。しょっぱなから男が言うべきセリフをがんがん俺に言ってくる。
ちくしょう、ムカつくじゃねえか。
「じゃ、行くぜ。何が聞こえても、絶対振り向くなよ」
俺の手を離し、くるりと後ろを振り向いたリオは、鋭く「走れ!」と叫んだ。
その声を合図にして、俺は走り出した。ブロックの角はすぐそこで、いろいろ痛いものを踏みつけながら、上げそうな声を堪えて走り、角を曲がる。
曲がった直後、リオの泣き声が鳴り響いた。わんわんと泣き声を上げるリオの声に胸が締め付けられる。
俺を逃がすための芝居だと頭でわかっていても、心が痛い。
振り向くなと言われた。店に駆け込めと言われた。
でも、放っておくのは違うと叫ぶ俺がいる。
俺の代わりにリオに危害が加えられるのを放っておけるはずがない。
リオの言っていた朱塗りの柱の店の前まで逃げて来てはいたが、リオの泣き声は続いている。
耐えきれずに俺は振り向いた。
一歩動き出そうと足を踏み出した俺の左手を、誰かが引っ張った。