37.大人の時間
※魔王については飲んだことないので、イメージです。
「疲れた……」
今日は一日、ハルの部屋の改装に費やした。
ナオトの手にかかればこんなもん、さっさと終わらせられるくせに、ハルに部屋の権限を与えて好きにしろと放任した。
片手を振れば全部消せるんだが、モノがモノだけになんか怖気づいてしまう。まあ、これも友人のオカルトマニアの受け売りなんだけどさ。祟られてもいやなんで、一つ一つ取り外して、庭に運んでお焚き上げした。
服にも髪にも煙の臭いがしみついて、シャワーを浴びて今日は終了。
それでもまだ全部は撤去し切れてなくて、今日も俺の部屋にハルが来ることになった。リオはぶんむくれてたが、まあ、明日まで我慢してもらおう。
それにしても、何であんなモン集めてきたんだ。藁人形まで出てきて、さすがに背筋が凍った。洒落になんねーぞ。オカルトマニアの友人を思い出しちまった。
ナオトって何モンだ?
「何言ってんのよ、若いくせに」
バーテイストのカウンターに座り、ぺったりとテーブルに伏せると、カウンターの内側にいるナオトがあきれ顔で俺を見下ろしてくる。
「若いって、もう二十八だよ。おっさんだっての」
「アンタねぇ……アタシに喧嘩売ってる?」
タン、と少し乱暴にタンブラーが俺の前に置かれる。注がれている薄い黄色の液体にちらりと目をやり、体を起こす。
「じゃあナオトは何歳なんだよ」
途端にナオトは妖艶な笑みを浮かべた。
「おネエに年齢聞いてんじゃないわよ」
やっぱおネエなのか。……ていうか、おネエってなんだ? 単に口調が女っぽいだけなんじゃねぇの? 別に化粧してるわけでもなさそうだけど肌はつるつる、髪の毛サラサラ。あー、リップぐらいはつけてそうだ。
そこまで考えて、ナオトについて何にも知らないことに気が付いた。
今の発言からするに、俺よりは年上ってことだけはわかったけど。
ずっとナオトがこの世界の住人だと思い込んでいたから、ナオトが何者かなんて気にしたこともなかった。
リオに聞いて、俺と同じように落っこちてきた人だと知ってからもそんな話をするタイミングは一切なかったしな。
タンブラーを取り上げ、揺らす。からんと気持ちのいい音が聞こえた。これでいい感じの音楽が鳴ってたら最高なんだけどな。
「あの……ナオト、さん」
「何よ、急に改まって。気持ち悪い。年上だと思ってわざと言ってんならシメるわよっ。アンタより年上だってことはさんざん匂わせてきたけど、態度変えなかったくせに」
おい。……ナオトの持つ俺のイメージってどんなんだよ。いやまあ……今さらさん付けで呼んでる俺も気持ち悪いけど。
「じゃあ、ナオト。あんた、どうしてこっちに来た?」
「どうしてって……」
ナオトは眉を顰める。柳眉ってよく聞くけど、まさにそんな感じだ。
「あんたはどうだったの」
質問に質問で返すってどうなんだよと突っ込みたかったけど、確かに俺の事情も分からなきゃ一方的だわな。
「俺は腹の手術するんで手術台に乗って、麻酔で寝た瞬間にこっちの世界に来てた」
「はぁ? 手術?」
「ストレスで胃をやられてね」
「へぇ……アンタってカミサマに喧嘩売るぐらいだから、よほど図太いと思ってたんだけど」
からかうように片眉をはね上げたナオトに、俺は「うるせ」と応じてグラスを傾ける。
「ま、冗談はおいといて。……アタシは普通に寝て、起きたらこっちにいたって感じ?」
「普通に……」
「さすがに最初は慌てたわよぉ? 店ほっといてアタシが行方不明とかってないわーって思ったし」
「一人暮らしだったのか?」
「あら、ずいぶん踏み込んでくるわねぇ。そんなにアタシのことが気になる?」
にやりと口元を緩めたナオトに、俺は眉根を寄せる。
「まあ……あながち間違ってはねえけどよ。ってそういう意味合いじゃねえからっ!」
グラスを握ってた手をいきなり握られて、慌てて手を振り払った。そっと触られて背筋がぞっとしたぞ、おい。
「あらぁ、残念。アンタは許容範囲外だけど、可愛いわよ?」
「……勘弁してくれ。そうじゃなくて、一人暮らしだったら、倒れてても誰も気が付かねえだろ?」
「ああ、それは大丈夫。聖ちゃんが……いたから」
その名前を口にしたとき、ほんの少しだけナオトの表情がゆがんだのを、俺は見逃さなかった。家族か恋人か……そんなところだろう。微妙に語尾だけ過去形にしたのがすげぇ辛い。
「……あんた、こっちに来て何年だ?」
「時間なんてわかんないわよ。時計もなし、カレンダーもなし。途中までは数えてたけど、もう忘れちゃった」
あっけらかんと言う。そうなんだよな、俺もこっちに来て何日経つのか分からない。現実と同じ時の流れなのかも分からないし、戻れたとして、その時俺の体はどうなってるのか――。
右手を握っては開いて、じっと見つめる。
まあ、病院でぶっ倒れてるはずだから、体自体は守られてるはずだけど。
カウンターに両肘をついた状態からちらりとナオトを見上げると、目を細めて微笑みを浮かべていた。その顔は、泣きそうなリオによく似ていた。
「あんたは間に合うわよ」
――まるであんたは間に合わないような言いぐさじゃねえか。
ぎゅっと拳を握る。もし万が一、肉体が死んだら……俺たちはどうなるんだろう。いや、それ以前に――リオを笑わせるためにとハルが呼び、玩具として『壊れた』人たちは、どうなったんだ?
「なあ、ナオト」
「なによ」
沸き上がったその疑問を口に上らせようとして、閉じた。
そうだ。
ナオトの身代わりになって玩具として城に上がった人間がいる。――俺にとってのナオトのように。気軽に聞いていいことじゃなかった。
「……いや、何でもない」
視線を外す。これは、ハルに直接聞くべきことだ。
ハルのことだ、リオが傷つくような結果にはしてないはずだと信じている。きっと……現実に戻されているに違いない。
そう考えると、ナオトを引き戻したのは正しかったのかという疑問は沸く。
……いや、もし何もせずにナオトを見殺しにしたら、リオもハルも解放はされていなかった。俺も、死ぬほどの後悔とともに壊れていただろう。
必然なんだ、どれも。
「なによ、言いかけてやめるとか、気持ち悪いじゃないの。すっぱりさっぱり言いなさい」
「いや、たわいもないことだから」
「そんな顔には見えないわよ。――どうせろくでもないこと考えてたんでしょう」
そう言うと、ナオトはカウンターにグラスを二つ置き、その横に一升瓶を置いた。
「お、おい……これ」
カウンターをぐるりと回ってやってきたナオトは、エプロンを外すと俺の二つ隣の席に腰を下ろした。
「そ、魔王。……なんでかねぇ、うちの店にあるお酒だけはこっちに持ってこれるのよねえ」
魔王なんて……目の飛び出るような金額で取引されてるアレだろ? どっかの飲み屋で見かけたら、ロックで三千円とか見た。
「こんな酒、よく手に入ったな」
「んふふ、偶然よ偶然。オークション出したらって勧められたこともあったけど、やっぱりこういうのはおいしく飲んでなんぼじゃない?」
ナオトは躊躇なく封を切って開ける。うわぁ、もったいねえ、と思う程度には小市民だ。
グラスになみなみと注いで、俺の前に置き、もう一つも満たして自分の前に置く。持ち上げるとこぼれそうだ。
「飲んでいいのか……?」
「あったりまえでしょ? 飲まないんなら返しなさい。アタシが全部飲むから」
「いや、飲むよ」
ゆっくり持ち上げ、ナオトが俺のグラスに軽く触れさせる。恐る恐る口をつけてほんの少しだけ吸い込む。
「……なんだこれ」
「んっふっふ、美味いでしょ? アタシのとっておき」
「とっておきを俺なんかと飲んでいいのか?」
「いいのいいの。ここにはアンタしか大人いないし」
ハルもリオもきっと大人だろうけどな、と思いつつ、グラスを傾ける。この香り、芋の匂いか? 焼酎は比較できるほど飲んでねえけど、好きな匂いだ。
「でも俺、焼酎の違いが分かるほど通じゃねえよ」
「いいのよ。アンタと飲みたかったんだし。……足りなきゃほかにもいっぱいあるから、今日はとことんまで飲みましょ」
からんと氷を響かせながら、ナオトは妖しく微笑んだ。
◇◇◇◇
「心配しないわけないでしょぉ? 店だって家だって放りっぱなしで、聖ちゃんだって、もうアタシのことなんか見限ってるに違いないんだから」
手近にあったエプロンで顔を覆いながらおいおい泣くナオトに、俺はちろりと視線を向ける。
……いや、こんなに酔っぱらうと泣く人だとは思ってなかった。
俺も相当酔っぱらってる。
魔王空けて、越乃寒梅空けて、三岳空けて、どこだかのバーボン空けて。……さすがに頭が回らねえ。
こんなに浴びるほど飲んだのって大学時代以来じゃねえかな。……会社入ってからは飲んでる暇なんざなかったし、飲むって言ってもビール一本がせいぜいだし。一升瓶何本も空けるとか、ありえねえ。
そろそろ頭痛がひどくなってきた。
チェイサー替わりに置いといたはずの水ももう空っぽだ。
「アンタだってそーでしょうがっ」
「そりゃそうだけど……」
俺はそりゃ一人暮らしだし、病院でそのまま目を覚まさないだけで、死にゃしないだろう。でも、仕事は下手したら首だ。部下も同僚も、会社の縁が切れりゃそれまでだ。
連絡が行ってりゃ親が来るだろうけど、どうしようもねえなぁ。心配ばっかりかけて。
胃の手術だって内緒で受けてたんだし、下手すっと泣かれるなぁ。
「アンタにだって心配してくれる親御さんぐらいいるでしょうがっ」
「……まあ、そりゃな」
「どうせ手術のことだって親に言ってないんでしょ。どんだけ心配かけるつもりよ、アンタ」
「仕方ねえだろうがっ。ここに来たくて来てるわけじゃっ……」
思わず口を滑らせて、残りを飲み込む。……ナオトだってそうなんだ。俺だけじゃねえ。
しかしナオトはにやりと口元をゆがませた。
「よーやく本音が出たわねぇ。アンタ、リオの前ではほんとにいい子にしてるから、気にくわなかったのよね……酔っぱらわせても口割らなきゃ、薬でも混ぜてやろうかと思ってたのよねぇ」
「……何企んでやがる」
思わずグラスをナオトから遠ざける。まあ、今さらっちゃー今さらだな。散々ナオトの出してきた飲み物やつまみを食い散らかした後だ。
「アンタ、リオの何なのよ」
「……俺のほうが知りてぇよ」
思いが通じたことは黙ってるが、どうせナオトには筒抜けだろう。
ハルの言葉が正しければ、俺が呼ばれた理由はハルにもわからない。誰にも分らないのだから。
「アタシが落っこちてきた時も、アンタにしてるみたいな懐き方はしてこなかった。――アタシの前の管理人も優しい人だったけど、リオはそんなにべったり懐かなかった。アンタだけなのよ。リオがあそこまで執着してんのは」
「知らねえよ」
「ほんとはアンタ……リオの」
「知らねえってば!」
なんだか続きが聞きたくなくて、俺は声を荒げた。
俺がリオと現実世界で何かかかわりがあったとは思えない。
……もちろん、ハルが俺の記憶を『洗浄』してる可能性だって考えなかったわけじゃない。
でも、どこをどう考えても、思い出せねえんだ。
あんな銀髪に紫の瞳の女の子なんて。
ため息をついて目を閉じると、くらりとめまいを感じる。手術前の一日をループし続けた夢の中で見たリオの姿が脳裏に浮かんだ。
「リオが俺に執着する理由なんて……わかるはずねえだろ」
執着されてるとも認識してなかった。むしろ、俺のほうが執着してんだろ。ほんとならべったりくっついて、片時も話したくない程度には溺れてる自覚はある。
子供すぎるせいなのかなんなのか、もはやわからなくなってるけど。
「現実に出会ったとしても……俺が覚えてないんじゃ意味ないだろ」
「どうだか。……案外、リオが勝手にアンタに一目ぼれしてたのかもしれないわよ?」
ナオトの笑い声に、俺はのろのろと肩をすくめた。
どこをどうとったら一目ぼれされるような人間に見えるわけ? 俺。どこにだっているフツーのサラリーマン。どこにだっているただのITエンジニア。それこそどこにだっているフツーの男。
背もそんなに高くねえし、顔も別にハンサムってわけでもねえ。運動抜群でもねえし、一目で惚れられる要素、ゼロだぞ?
「ありえねえわ」
「……アンタ、自己評価低いのねえ」
「悪いかよ」
恋愛初心者を舐めんなよ。女に見向きもされない状態で、自己評価が高くなるわけがねえっての。
「遊人はかっこいいぞ?」
「おためごかしはよせって。……俺にゃ王子様役は無理ですよーだ」
「遊人は王子様だぞ?」
「だから、無理に言わなくて……」
あれ、今のってナオトの声じゃないような。
目の前のナオトを見ると、なんか楽しそうに笑いながら視線で俺の後ろを見ろと促してくる。
のろのろと頭を巡らせようとしたとき、腹部に腕が巻き付いた。
「遊人はかっこいいぞ?」
ぺったりくっついた高体温の物体。すぐ背中で響く声。
「り、お」
「……いつまでたっても戻ってこないから、迎えに来た。もう寝る時間だぞ」
ぎゅうと力を籠められる。
「ほらほら、保父さんの時間よ。アンタはもう寝なさい。……ほら、ちゃんと水飲んで」
ナオトに抱えられてスツールから立たされた途端、膝の力が抜けてスツールを巻き添えにしてぶっ倒れた。
「遊人っ!」
「さっきまで平然とした顔で飲んでたくせに……自分の酒量ぐらい知っときなさいよね」
二人の声が聞こえる。でも目を開けることもできなくて、そのまま記憶が途切れた。




