36.川の字
目を開けると、ほの暗い天井が見えた。夢の中と同じ……灰色の天井。
もぞりと左側で動くものに気が付いて視線を下ろすと、ハルと目がかち合った。
「……お前か?」
「遊人は呼んでないよ」
何が、と聞かれずに戻ってきた答えに、自分の予想がただしかったことを知る。
俺は呼んでない。……ということは、リオに見せている夢なのだな、あれは。
体を起こそうとしたが、両手足をがっちりホールドされてるおかげで身動きが取れねぇ。首以外動かないって、どういう拷問だよ。
リオはと見れば、俺にくっついたまま、右手を握りこまれていた。剥がそうと手の力を緩めたら逆に痛いほど握られた。
ハルがリオに見せた夢に俺が紛れ込んだのか? そんなこと、できるのか?
「この状態ならできるよ。遊人の声も聞こえる。……リオには聞こえなかったかもしれないけど」
ハルは俺の手と、それからいつの間に握ったのかリオの手を掲げて見せる。まあ、ここではハルは創造神だからなんでもありだ。
リオはと見れば、表情を変えることなくすぴすぴと寝息を立てている。悪い夢を見ているわけではないのなら、まあ、いっか。
「まだ夜明けまで長いよ。寝たら?」
「……そうする」
そういやナオトはどうしてるだろう。今の状態だと、この部屋は見放題のはずだけど。
「ハル」
「なに?」
「……伝わるかな」
夢で真実を徐々に伝える方法は、俺が言い出したことだ。
ハルはこちらにリオを連れてくるときに、現実世界の記憶の多くを洗浄しちまったらしい。曰く、辛い記憶だったから、だそうだ。
もちろん、現実のリオの記憶はそのままだが、ここにいるリオには、現実世界にいる両親や、実父実母の記憶はない。
だから、現実世界に自分の体がある、ということもわかっていなかったわけか。今のリオにとっては、この世界――神の国がすべてなのだ。
その状態で、現実のリオが体験した記憶を受け入れられるだろうか、という疑問はもちろんある。ここで過ごした記憶と競合を起こしたら――誰が調停するんだ。というかできるのか?
まあ、そういう危険性も考えて、俺の時みたいに、目が覚めた後も記憶がくっきり残る夢ではなく、あっさり忘れる程度の夢にしてあるらしい。
まあ、そうだよなあ。あまりにもリアルな夢が記憶として残ると、後々辛いだろう。――とりわけ見る夢の内容を考えれば。
「伝わるといいね」
お前を愛してくれた人がいること。そして今もお前を愛し続けてくれている人がいること。
誰かの代わりでなく、血をつなぐ者でなく、リオをリオとして愛し、守ってくれた人がいることが少しでも伝えたい。
そして現実に戻って、もしすぐ再会できなくて――その間に再び命を投げ出したくなった時に、思い出して思いとどまってくれれば。
――なんて、俺の自己中な願いや祈りばかり、浮かんでくる。すぐ見つけられなかったときの自分の言い訳まで考えそうになって、俺はため息をついた。
「お前にもな」
「……わかってる」
拗ねたようにつぶやいて、ハルは再びもぞもぞと俺の左側に落ち着く。
それにしてもお子様二人の体温の何と高いことか。ここが夏のない世界だからよかったものの、これが真夏だったら二人を放り出して床で寝てるな。そのほうが絶対涼しい。
ぎゅっと手を握られた。まだ起きているのか、それとも夢でも見ている最中なのか。
俺は再び目を閉じる。大して眠くもなかったはずだが、お子様の体温のせいであっという間に意識が消えた。夢は見なかった。
◇◇◇◇
次に目が覚めた時、なぜかリオとハルが揃って俺の顔を覗き込んでいた。
「お、はよう」
びっくりしたせいで朝の挨拶が変になった。なんで二人に凝視されなきゃならないんだ?
「遊人、夕べどっかいった?」
と聞いてきたのはリオだ。質問の意図が分からなくて首をかしげると、さっそく唇を尖らせた。
「誰かとおしゃべりしてるの、聞こえた。……女の人」
「はぁ?」
俺がどこかに行くはずがない。両手足にがっちり重しが付いてる状態でどこに動けと言うんだよ。
とすると、俺が夢の中でリオに話しかけたのが聞こえていたのか?
「遊人はどこにも行ってない。僕もお前もがっちり遊人をつかんでた」
ハルが助け舟を出してくれた。助かった。たぶん俺が言ってたら、リオは信用しなかっただろうし、面倒なことになってただろう。――主にナオト方面が。
「んー、じゃぁ寝言? なんかいい夢でも見てたんだな」
「覚えてねぇよ。それよりリオはどうなんだよ。いい夢見られたか?」
そう答えながらハルをちらりと見るが、ハルは何食わぬ顔で話を聞いているだけだ。
「いい夢……なのかな。わかんねぇ。どっかの砂漠でぼちぼち歩いてたら、いきなりライオンが出てきてさ。――死ぬかと思った」
ライオン? 砂漠? なんだそりゃ。少なくとも俺に見えた夢はそんな能天気――いや、危険いっぱいな夢には見えなかったけど。
ハルは表情を変えずに相槌を打っている。
もしかして、リオの中で勝手に変換してるのか? 嫌いな親族をライオン、今いる境遇を砂漠として――。
「それで、無事逃げおおせたのか?」
もろもろ考えながら口を開くと、リオはちょっと顔を赤らめてうなずいた。
「助けてくれた」
「へぇ、王子様登場ってやつだな」
「王子……には見えなかったぞ?」
途端にリオが胡乱な目で俺を見る。ちょっとした揶揄いの意味合いしかなかったのだけれど、リオは額面通りに受け取ったんだ。真面目なのは前からそうだったろうか?
記憶の引き出しをあさってみても、全開で笑ってるリオしか出てこない。……ていうか、俺の記憶の引き出し、まだ数日分だっての。
この間夢でもらった情報は、普段引っ張り出さないところに放り込んで、自分では意図的に見ないようにしている。
俺は、あくまでリオから話を聞きたいし、リオの秘密を知っていると告げるのも嫌だった。
「いいタイミングで女を助けに現れるヒーローはみんな王子様って決まってんだよ」
だから、俺が知っている、という事実をリオから隠し、俺も忘れる。
「じゃあ、王子様であってるな」
途端にニコニコし始めたリオは、また俺の右腕にがっちりぶら下がった。
とりあえず、俺が誰かとしゃべっていた疑惑はリオの関心からはずれたようでほっと一息つく。
「で?」
「で、って?」
「なんで俺の顔を覗き込んでた?」
「別に。……ただ、リオが覗き込んでたから、かな」
「なんだそりゃ。……まあ、いいけどよ」
何か緊急の問題が発生したとか、今すぐ飛んでいかないとダメな事態になってるとかでなきゃ、このままゆったり川の字になって寝転がってても誰も文句は言わねえだろう。
あー……ナオトが言うか。
ナオトにこの状況、見られたら何言われるかわかったもんじゃねえな。……拳骨の一発ぐらいは覚悟しとこう。
でもまあ、リオも寝てるし、もうちょっとだけ寝るか。
そう思って目を閉じたタイミングで扉が荒々しく開かれた。
「アンタたちはっ、少し目を離したすきに何やってんのっ」
怒りの視線がびしばし刺さる。
その傍らで、ハルがもぞもぞと毛布から起き出した。
「はぁっ? なんでアンタまでいるのよっ! ここはリオと遊人の部屋でしょうがっ!」
「……あんな不気味な部屋、戻りたくない」
「不気味ですってぇ? せっかく『カミサマ』らしい部屋にしたってのにっ」
いや、どう聞いてもカミサマ仕様とは思えなかったぞ。どちらかといえばいじめ的な。
そういやナオトにお仕置きするんだったっけな。俺は体を起こした。リオが横によけたのに気が付いて、今の今までリオが上に乗ってたことに気が付かなかった。
……俺、もしかしてもうダメかも。いろんな意味合いで。
「な、なによっ、そんな顔しても怖くもなんともないんですからねっ」
ふん、と横を向いたナオトに、俺はまだ寝ぼけ眼のままじっと目を据えた。
「ナオト、普通の部屋に戻せよ。でないとハルはここに寝に来る。だろ?」
「うん」
素直にハルはうなずく。よしよし、予定通り。
「……リオと遊人の部屋なのに」
隣でリオがぶんむくれた。長い髪を後ろで束ねており、リオのほっぺたが膨らむさまがよく見える。あー、つっついてつぶしていいかな。
「三人で寝るとちょっと狭いけど、寝れなくはなかったな」
「……遊人はオレのなのに」
ぼそっと投下したリオの一言に、全員ぴたっと動くのをやめた。
ハルは目を丸くしてリオを見つめ、ナオトは顔を真っ青にしてオレをにらみつけ、俺は――諸々の毒気を抜かれて手で顔を隠してうつむいた。
なんつー破壊力だよ、おい。
「わ、わかったわよっ。元に戻せばいいんでしょっ。朝ごはんもうじきだからさっさと起きなっ」
余波なのか何なのか知らねぇが、ナオトまで赤くなってとっとと部屋を出て行く。
ハルはベッドから降りると持ってきた枕を取り上げた。
「じゃあ、あとで」
「おう」
リオと俺だけになって、力を抜いてベッドに倒れこむ。両手足を拘束されてたせいか、あちこちの関節が痛い。できればこのまま寝ていたい。
リオが着替えてる間にちょっとだけ、と目を閉じたら結構がっつり寝ていたらしい。三度目はくすぐり倒されて起こされた。
地味に体が痛い。




