35.夢見
じとっと冷たい目でリオににらまれて、俺は蛇に睨まれた蛙のごとく硬直していた。
「遊人のバカ」
馬鹿とはなんだ馬鹿とは。そう言いたかったが声が出ない。ごくりと唾をのむだけで精一杯だ。
俺が反応できないのをどう考えたのかわかんねぇが、リオはベッドに乗りあがってきて右側の狭いスペースに潜り込んできた。
「お、おい、リオっ」
「……追い出したら拗ねるからなっ」
唇を尖らせてぶすっとむくれたリオは、ちらりとしがみついて寝息を立ててるハルを見てから同じように俺の右腕をがっちり抱き込んで膨らみ始めた胸の谷間にホールドし、右足にすべすべの足を絡ませてきた。
……おい、ネグリジェはどうしたっ。
てか、ナオトはどうしたっ。
「……遊人のベッドはオレのベッドなのに、なんでハル連れ込んでるんだよっ」
その言葉にはっと我に返る。
そうだった。この部屋は俺とリオの部屋ってナオトに言われてたじゃねえか。リオが来るの、当り前だったんだ。
飯食った後、早々に引き上げたから時間なんかわからなかったけど、まだ二十時になってなかったのか。てっきりもうナオトか別の部屋で寝てるもんだとばかり思ってて……。
「ごめん」
謝るしかない。ああ、なんか謝ってばかりだなぁ、俺って駄目だわ。
肩に揺れる銀の髪からいいにおいがする。風呂入ってきたのか。シャボンの匂い。ああ、撫でたい。嗅ぎたい。でも遠すぎる。抱きしめたいのに。
「リオ、腕離して」
「……やだっ」
「胸に抱き着いてくれていいから」
「……やだ」
「じゃあ上に乗っていいから」
もぞもぞと動いて俺の右腕が解放された。でも右足はがっちり足が絡みついてる。まあ、これでもいいかと俺は腕をリオの背中に回した。上に乗ろうとしかけたリオは、ハルをちらっと見て上半身だけ俺の胸に預けてきた。ちょうど俺の右肩のところにリオの頭が来るように調整して右腕で頭を撫でる。
少し顔を向けると、銀色の頭が見える。優しく唇を落とすと、リオは俺の胸に手を回して顔をこすりつけた。
小動物に愛されてる的な幸せをかみしめていると、左腕にしがみついてるハルも同じようなしぐさをする。
くっ……この二人は一体何をしたいんだよ。俺を萌え殺させるつもりかっ。
「まったく……甘えん坊だな、お前ら二人とも」
「一緒にするなよなっ」
リオは顔を赤くしながらもぷん、と頬をふくらませる。だがその目元はだいぶとろんとして眠そうだ。
「ほら、もう寝ろ」
「うん。……消えたりしない、よね?」
「消えねえよ」
小さな声でつぶやいた言葉に瞠目しながら、即座に打ち消す。俺がこの世界から消えるときは、リオも一緒に戻るときだ。消えねえよ。
やがて寝息が聞こえてきて、ようやく俺も目を閉じて眠気に身を任せた。
◇◇◇◇
『死にたい』
不意にそんな声が耳に飛び込んできた。
目を開けるとそこは一面真っ白で、『神々の戯れ』にいるのだと気が付く。
初めて足を踏み入れた時のあの感覚と一緒だ。
でも、その白さがだんだん薄汚れて見える。白から灰色へ。
『ここは私の場所じゃない』
誰の声だ? これ。女性の声。
どこかで聞いた気がする。……あれは、夢の中だったか。リオだけどリオじゃない声。大人びた女性の声。
「リオ……?」
俺の声はあっという間に静寂に消える。
『帰りたい……お父さん、お母さん』
夢で見た葬儀の一場面が脳裏に映る。
『帰りたければ帰ってもいいわよ? でもあなたの帰る場所、まだあるのかしらねぇ? あの夫婦はきっと今頃喜んでいるでしょうねえ、あなたのおかげで一生遊んで暮らせる金を手に入れたのだもの。きっと今頃、世界一周の旅にでも出かけてるんじゃないかしら? そんなところに戻ったところで、迷惑になるだけじゃなぁい? 追い返されるのがおちよ?』
あの時聞いた声だ。……確か実母の妹とかいう。実に嫌味たっぷりの女の声に反吐が出る。リオの泣く声が聞こえる。
女の言い分にめちゃくちゃ腹が立った。
確かに、リオの父はあの女に彼女を渡した。
でもそれは、リオの将来と幸せを願ってのことだって、俺は知っている。……あくまでも夢の中での話だが、それでもあの父親の思いは伝わってきた。
それを、金のためだとか勝手にゆがめて汚されてたまるかよ。
俺は――父親はきちんとリオを愛していたし、母親も同じだ。実子でないからとガキどもにからかわれたりもしたけど、リオは両親の愛を疑ったことはなかったし、両親も自分の子供として慈しんだ。それは嘘じゃない。
「……両親を信じろよ」
俺は姿の見えないリオに向かって言い放っていた。
「そんな女の言うことなんか信じるな。お前が信じる両親を、その女が汚すのを許すのか?」
そうだ、こんな奴に好き勝手に言わせるな。
自分と、自分を育ててくれた両親の姿を信じろ。
誰が何と言おうと、あの二人はリオを愛していたし、きっと今も愛している。リオから離れても、リオの幸せを常に祈っている。
もし今のリオが幸せでないなら、すべてを振り捨てても戻ってこいと言うに違いない。それでたとえ自分たちが不利益を被ろうと、親だからと当然のように笑う。
それに、だ。
実の父親も母親も、リオを愛していただろう。
すでに二人はこの世になく、俺が想像しているだけにすぎないが、リオをいけすかない家族の目から隠そうとしたのは実の両親だ。そうでなければ、どこぞの御曹司だった父親が家を飛び出すことも、リオをあの二人に託すこともなかったはずだから。
ハルを神に押し上げたのも実の両親だろう。彼らは、リオが自由にのびのびと育つことを期待していたんだ。
今のリオは、四人の意図しない場所にいて、自由を奪われてがんじがらめになって――死を願った。
ハルがいてよかったよ。本当に。
リオの泣き声が聞こえる。
「戻ってこい。……お前の親はお前を守る。俺も守る。ハルも、ナオトもお前を守ろうとしてくれる。だから……戻ろう、リオ」
どこに、とはあえて言わなかった。
泣くなよ。
リオの笑った顔が今は無性に見たかった。




