34.神様
※神にまつわる逸話は当然ながらフィクションです。ご了承ください。
「ふぅ……食いすぎた」
ベッドに横になって腹をさする。久々――というほどでもねぇけど――にナオトの飯ってことでリクエストしまくった挙句、食い残し厳禁と言い渡されて、後半はやけになって食いまくったっけ。
それでもはずれが一個もないってのはほんとにすげーや。
デザートとかも即席じゃないんだよなぁ。一人で四人分とか、ほんとすごい。調理師免許持ってるって、伊達じゃねぇんだなぁ。
白い壁に白い天井。白いベッド。
ここを出てから何日も経ってないはずなのに、久々な気がする。
試しに何か作ろうとしてみたが、この空間丸ごとナオトの支配下になったままで、俺の部屋だけど俺に権限はない。残念。
明日ついでがあったら権限くれって言っとこう。
「遊人?」
「ああ、こっちだ」
戸口から顔を出したのはハルだった。青い顔でこっちを見ている。
「どうかしたのか?」
「あー……うん。ちょっと精神的ダメージ……」
何のことかさっぱりわからない。
「とりあえず入れよ」
「うん」
ハルはソファに腰を下ろして落ち着きなく部屋を眺めまわしている。
そんなおかしい部屋か?
「どうしたんだよ、ハル」
「……僕、こっちに寝ていい?」
どういう意味だ? 精神的ダメージとかなんとか。部屋に誰かいるのか? それとも『何か』。
「なんかあったのか?」
眉根を寄せて体を起こす。胃が圧迫されてちょっとまずい。
ハルは白いカバーのかかった枕を抱きしめていた。
「あの部屋、準備したのって」
「ナオトだろうな」
「……なんかね、赤い鳥居とか、十字架とか、祠とか仏像とかイコンとか、そういう関係が山ほど飾ってあってね……ときどき笑い声がするんだ」
「……ナオトだな。悪ぃ。あとでシメとく」
「う、うん」
子供かよっ。確かにハルは『カミサマ』だったけど、これは違うだろう? ハルが実際には何歳なのか知らないが、いじめだろ、これ。
「仕方ねぇなぁ」
俺はベッドの片側に寄り、左半分を空けた。それが何を意味するのかハルは分かったのだろう。おずおずと腕の中の枕をベッドに下ろすと膝でにじりあがってきた。
「いい、の?」
「気になるなら部屋に帰るか?」
意地悪く言ってちらりとハルを見ると、ぶんぶん首を横に振って毛布に潜り込んできた。よほど怖い思いをしたのだろう。
そういえば、今までどういう暮らしをしてきたのだろう、ハルは。
殴り倒された俺が目覚めたのがハルの私室だったと聞いた。私室があったってことは、普段はそこにいて、そこで寝起きしてたってことだよな。
おずおずと伸びてきたハルの手が俺の腕に当たった。様子を見てると、袖をぎゅっと握りしめている。
ハルにとってみれば、自分以外の存在がそばにあることなど今までなかったことだろう。リオが地下にいたときも近寄らなかったというし、他の玩具に関しても同様で、ハルは常に一人だった。
どちらかといえば、俺よりリオの方が近しい存在のはずだが、リオがハルのことを知らない以上、他人だ。
だから、俺になついてるんだろう。
「怖いか?」
「っ……す、少し」
「……お前が怖がるものって、何だろうな」
しばらく沈黙が続いて、もしかしたらもう眠ったのだろうか、と思った頃にようやく、ハルは小さくため息をついた。
「神様」
「……え?」
カミサマが神様を怖がる?
「……僕は、輪から外れているだろ? だから、いつか僕を罰しに神様が来るんだ」
輪。……輪廻の輪とかいうやつか? よくアニメで使われる題材の。あれって仏教用語だっけ。それと神罰が結びつかない。
「僕はね、リオと一緒に『生まれた』ことになってるんだ。――リオが死ぬまで、僕は生き続ける。ガラスのこっち側で」
静かに語るハルの言葉に俺は頭が混乱してきた。
肉体がないのに生きていることになっている? そしてリオが生きてる限りは『生きてる』ことになって、輪廻の輪とやらにも加われない、ということか?
それって……辛くないのか?
ハルに視線を移すと、苦虫を噛み潰したような顔で俺を見ていた。
「どんな罰だって思わない? 僕は『生まれなかった』だけなのに、どうしてリオと記憶と時間を共有しなきゃいけないのさ」
「ハル……」
「僕が『奪われた』人生を、ここから眺めなきゃいけないなんて、いったい僕の前世はどんなひどいことをしたんだって、考えたこともあったよ」
俺は言うべき言葉を持たなかった。
罰。
そんなはずない、と俺は思う。
俺だったら。
リオとハルの両親は、双子だと知った時に喜んだはずだ。
そして、二人いたはずの子供が気が付けば一人になっていると知ったとき、深く嘆いたはずだ。
生まれなかった子供にも名を与えるだろう。
生まれなかった子が常に生まれた子と共にあるように、と願うだろう。
そして、生まれた子を見守って、守ってほしいと祈るだろう。
だから、ハルはここにいるんじゃないのか。
俺なら――生まれなかった子を罰するようなことを望むはずはない。
でも。
それが――ハルにとっては罰でしかないのだ。
「……僕にとってはね、ここはやっぱり『檻』なんだよ。リオが生きている限り、リオを見続けて過ごさなきゃならない。僕の得られないものを両手に抱えたリオをさ」
「ハル、違うよ」
俺は体をハルのほうに向け、袖をつかむ震えた手を両手でとらえた。
「俺の――ハルの両親でなく俺の一個人の意見だけど、きっとご両親はお前に名を与え、リオを見守ってほしいと祈ったに違いない。そして、リオと共に成長するはずのハルの姿を思い描いているに違いないよ。俺ならそうする。生まれてこなかったお前を疎んだり、ましてや罰なんか与えたいなんて思うはずがない」
ハルは首をしきりに横に振った。その目から涙がこぼれる。
「ここは神の国だとリオは言っていた。だからやっぱり、お前は神なんだよ、ハル」
「そんなわけないっ」
「……どっかで聞いたんだけどさ。何らかの理由で生まれることができなかった子を守り神として祀る風習がどこだったかの国にはあるんだってさ。きっとお前はリオの守り神なんだよ」
「……そんなわけないよ」
弱弱しくハルはつぶやく。
ハルのためのこの空間が神の国と呼ばれるのも、ここではハルが全知全能であることも、そう考えれば理屈は通る気がする。
きっと二人の両親は、リオのため、そしてハルのためにハルを神に押し上げたのだ。
「僕は神様なんかじゃない。リオの守り神でもない。リオを助けるために隠したなんて嘘っぱちだ。……リオも僕と同じ思いをすればいいんだって……囲ったんだから」
暗い瞳を涙で濡らしながらハルは泣き続ける。
俺は手を延ばしてハルの頭を撫でた。柔らかな金髪が指の腹をくすぐる。
「お前はそう思ってたかもしれないけど、結果的にはリオを助けたんだろう?」
「僕は……神様なんかじゃないんだ……」
ハルが『カミサマ』の称号を極端に嫌がった理由もここから来るのだろう。音は同じ『神様』と呼ばれているような気がしてならなかったのだ、きっと。
「ハル」
「……僕は、罰せられるべきなんだ」
「そうは思わない。……なあ。リオを囲って自分と同じ思いをさせて壊したかったっていうんなら、なんで宮殿から出した?」
ハルの目がまん丸に見開かれた。
「わざわざ自分の権限が及ばない聖域を作って、兵士を護衛につけて。リオが壊れないように、リオに笑顔を取り戻させたくて、いろんな『玩具』を呼び寄せた。それは結果としてうまくはいかなかったかもしれないけど、リオのためにしたことだろ?」
ぎゅっと俺の手を握り締めるハルに、俺は口を開いた。
「今のリオがあるのはハルのおかげだ。……ありがとな、ハル」
「ぼ、僕はっ、本当に、リオを……」
壊したかった。
ボロボロ泣きながらくいしばった歯の間から洩れた声に、俺はハルの背中をゆっくりと宥めるように撫でた。
実際の年齢はともかくとして、長い間苦しんできたのだろう。本音を押し隠し、リオを守るためにハルは動いてきたのだ。リオと同じ時を歩みながら。
俺は、心の中でどこかにいるだろうカミサマに噛みつく。きっと俺をここによこした、あの夢の中の声の主。それがきっと本物のカミサマなんだろう。
……なあ、本物のカミサマがいるんならさぁ。――もう、解放してくれねぇか。
ハルはリオを守ってくれた。俺に出会うまでのリオを。俺に出会わせるために。
ハルに落ち度があってここにいるわけじゃねえんなら、そろそろ解放してくれよ。こんなにズタボロになっても、それでも姉を守ろうとしてんだ。罰なんかじゃねえって、言ってやってくれよ。
――お前もまた、愛された存在だったって。
すん、と鼻をすする音がする。
背中を撫でているのではない、左手にするりと何かが絡む。ハルの腕がぎゅうと俺の腕を抱き込んでいた。
「おい……ったく」
腕を引きはがそうとしたが、まるで接着剤でも使ってんのかびくともしねぇ。そのまま静かな寝息が聞こえてきて、ごろりとあおむけに戻った。
そのままうとうとと眠りかけた時。
かすかに扉がきしんで風が流れ込んできた。ノックの音が後追いで聞こえる。
「遊人……」
薄目を開けて扉のほうを見ると、枕を抱きかかえ、薄ピンクのネグリジェに着替えたリオが立っていた。
「リオ? なんでこんな時間に」
「なんでって……自分の部屋に戻ってきただけだよ?」
「えっ、ちょっと待て」
「待てない」
がばりと起き上が――ろうとしたら左腕だけでなくいつの間にか左足にまで足を絡めてがっしり抱き着かれてて、身動きが取れない。
なんとか身を離そうともがいてる間に、リオはベッドサイドに来ていた。
冷ややかな目で俺と、ハルを見下ろしている。
「いや、なんか寝付けないとかで……」
なんで俺、慌てて言い訳めいたこと口にしてんだ。
「……遊人のバカ」
え……ごく冷たい目で見下ろされてますよ、俺。




