33.扉
起き上がったナオトは目を三角にしたままどかどか足音を立てながらベッド傍までやってきた。
すぐ横の椅子のところで止まると、腕を伸ばして右手の人差し指でリオを指さした。
「リオっ! アンタなにしてくれちゃってんのよっ! 部屋から閉め出すわどんだけ叩いても無視するわ……開いたと思ったらすっころばされるわっひどいじゃないのよっ」
よほど痛かったのだろう、怒ってるのは目つきでわかるのだが、目尻に涙がたまっていて、どうも締まりのない顔になっている。
しかも、最後にすっ転んだのは自分のせいじゃないのか。確かに扉がいきなり開いたのはリオの仕業だろうけど。
くすりと口元を緩めると、ナオトの目がぎろりと俺をにらんだ。人差し指が俺に向かう。
「それに遊人! リオに謝んなさいっ! リオが怒るのも当然なんだからねっ! 女心を弄んだ罰を受ければいいのよっ!」
いつ俺が弄んだっていうんだよ。……確かにリオをあきらめようとしたよ? でもそれは、リオの思いを知らなかったからだし、こんなに年の離れた俺がふさわしいなんて言えるはずもなく。
――なおかつ、現実に戻らないほうがリオのためだなんて思ったからで。
全部俺の独りよがりだったってことはもう納得してる。
だから、ナオトの視線をまっすぐ受け止めて、俺は頭を下げた。
「ナオト。すまん。――リオも、ごめん」
あらためて、リオにも頭を下げる。――膝の上に抱っこしたままの状態で頭を下げるというのもアレだけど、リオを下ろしたくなかったし。
「もういいよ、遊人」
下げた頭にぽんと手が乗る。柔らかくて暖かい手。顔を上げるとリオがにっこり笑ってくれる。
それだけでもう幸せいっぱいな気分だ。
リオの笑顔があれば、俺は何だってやれる。
「ちょっとっ、何二人で世界作ってんのよっ! 不潔よっ不潔っ! 離れなさいっ!」
「やだー」
ぐいと腕を引っ張られたらしいリオが腕をぶんぶん振る。
「やだー、じゃないわよっ、遊人もちょっとは協力しなさいよっ、というか、アンタがリオに手を出したら犯罪だからねっ? わかってんでしょーねっ!」
無理やりにでも引っぺがそうとするナオトの手から、俺はにこやかに笑いながらリオを腕の中にすっぽり囲う。
「もちろんわかってるよ?」
「キーっ! わかってないっ。それにリオが許してもアタシは許さないんだからねっ! リオ、とにかく遊人の膝から降りなさい。一度店に帰るわよっ。アンタがいなきゃ店に戻れないんだからっ」
「えーっ、やだ」
「やだ、じゃないっ。まったくどいつもこいつもっ……ちょっとぉ、アンタ『カミサマ』でしょおっ? アタシが店に戻れるようにしてよっ」
「カミサマじゃないし無理。……リオに頼んで」
「なんでよぉっ、この役立たずっ」
ぷりぷり怒った口調でナオトがハルに八つ当たりしているのを見て、耐えきれずに声を上げて笑ってしまった。リオも釣られて笑う。
俺たちがげらげら笑ってるのを見て、ハルまでつられて口元を隠しながら笑い始めた。顔を背けてても肩が震えてるのでまるわかりなんだよっ。
「えーいっアタシの話を聞けぇっ!」
箸を転がしても笑うレベルになってた俺たちは、怒って顔真っ赤にして吠えたナオトの姿で涙腺が決壊したようで、笑いながら泣きながら、顔の筋肉が引きつって腹筋が痛くなるまで笑い転げた。
◇◇◇◇
「ナオトー、ごめんってばぁ」
「ほんとすまん、ナオト」
「ごめんなさい」
見事にへそを曲げたナオトは、傍にあった椅子を壁際に引っ張っていくと反対向きにまたがって座り、壁に向かってぶつぶつ言っている。
その背中を前に一列に並んだ俺たちは互いに顔を見合わせた。
ここまでへこむ……というか拗ねるナオトを見たのは初めてだ。
なんていうか――出会ったときから言葉の言い回しや立ち居振る舞いは洗練されてて、気配りも観察眼もセンスも食事の腕もピカイチ、いつもにこやかに、でも怒るときは鬼のように怖いスタイリッシュなおネエ、だと思ってたんだけど。
こうやってぐずぐず拗ねてるナオトは可愛い。
リオが懐いて信用するのも納得するよな。
「リオ、『神々の戯れ』の権限、ナオトに返せ」
「えっと、いいよ。はい」
ナオトの背中をじっと見つめていたリオは、はい、と手をナオトのほうに向けた。
「元通りにしたよ」
「さすが早いな。――ナオト、機嫌直してくれよ。悪かった」
「ふん。……懐柔なんかされてやらないんですからねっ」
そっぽ向いたままのナオトの顔が少しだけ赤い。――もしかしてみんなに謝られて、拗ね拗ねモードから戻るのが気まずいだけか?
だから懐柔だなんて言ってる?
だとしたら。
「後で甘いもん作ってやるからさ、機嫌直してくれよ。ここのキッチン、かまどしかねぇからパン焼くのでさえ苦労すんだぜ?」
「ふ、ふんっ、道理で焦げ臭いパンだと思ったっ」
ちらりとナオトが振り返る。もうひと押しか?
なんか言えよ、とリオとハルを肘で小突くと、リオが口を開いた。
「ナオトの作ってくれたごはん食べたい」
「……すまん、俺の飯、まずかったよな……」
「あっ、その、えっと、遊人のも、おいしかった、よ?」
思いっきりボディーブローかまされた。いいんだいいんだ、俺も焦げ臭いだろうと思って出したしな。付け足された苦し紛れのフォローがなんというか、傷口に塩を塗り込んでくれる。
甘いもん作るとか大それたこと言ってごめんなさい。……そうだよな、ナオトが作るほうが美味いもんな。
いっそのことナオトに作ってもらえばいいんじゃねえ?
「あ、う……」
人目も気にせず思い切りしょげて肩を落としたら、リオが言葉を継げずに凍り付いていた。
すまん、リオ。……で、でも現実ではちゃんと一人で炊事やってんだぞ? 一応食えるレベルのもんは作れるし、ただ今回は現代風キッチンじゃなくてかまどが相手だったからであってだな……。
「なにぶつぶつ言ってんのよ」
顔を上げると、ナオトがこっちを向いて立っていた。少し頬は赤いものの、その表情には怒りも拗ね拗ねも見受けられなかった。
なんというか……いつもより自慢たっぷりな気がする。
てか俺、口に出して言ってた? やべぇ、自覚がねぇわ……。
「ふふん、アタシの料理、舐めないでよね。これでも調理師免許持ってるんですからね」
「へぇー、そうなんだ」
「げっ……勝てるかっ!」
一番テンション低いのはリオだ。たぶん調理師免許という言葉が何か、わかってねぇな。
それにしても、納得だ。ナオトの作る飯って、家庭料理じゃなくてビストロの味って感じだったんだよなぁ。
「仕方ないわねぇ、じゃあ戻るわよ。宮殿に用事ないんなら、アンタたちもいらっしゃい」
ほれ、と手を出されてリオは手を握る。俺はちらりとハルを見た。ハルは小さくうなずいている。
「遊人?」
「おう、んじゃ邪魔するわ」
俺のほうへ差し伸べられたリオの手を握ると、ハルの手を取った。
「じゃ、行くわね」
そう声をかけたところで、宮殿の中には直接ゲートを開けないんじゃなかったっけ、と思い出す。
だが、意に反して白い壁の一角に扉が現れた。
俺が宮殿に行くことを決め、最後だと思ってくぐってきた扉だ。
「へぇ、宮殿内部からもつなげられるんだ」
「そうみたいねぇ。……前はそんなことなかったけど」
ナオトはちらっとハルを見る。
「……あんたたちなら信用できるから」
小さくつぶやいたハルの答えに、ナオトがそっと口角を上げ、出現した扉の取っ手に手をかけた。
「ようこそ――『神々の戯れ』へ」
口上を述べながら、ナオトは嬉しそうに俺たちを迎え入れた。




