31.動き出した鼓動
「遊人」
オレは椅子から立ち上がってベッドに膝立ちでにじりよった。オレの体重でベッドがわずかに沈む。でも遊人はピクリとも動かない。
「なんで……オレを置いてくの? ねえ、遊人。オレ、もういらない?」
前に遊人が落っこちそうになった時みたいに、遊人の腹をまたぐとぺったりと腰を下ろした。
あの時は軽いって言ってくれたけど、ほんとに重たくないのかな。
両手を遊人の胸の上でぎゅっと拳に握って、トントンと叩く。でも何にも反応がない。シャツを握りこむようにしてゆさゆさと揺さぶってみたけど、オレの力じゃ全然動かない。
「なぁ、起きろよ」
氷嚢が当てられてる左頬はぷっくりと腫れ上がってる。ナオトが殴った場所だろう。
遊人のおなかの上をにじりあがってほっぺたをつつく。痛いかな。痛くて目が覚めればいいのに。
でも起きてくれない。
視界がにじむ。
何で起きないの?
起きたくないの?
オレの顔――もう見たくない?
どんどん嫌な思いが胸の中に降り積もっていく。
宮殿は怖いところで、カミサマは恐怖の対象だった。あの地下のことを思うだけで身が震えてくる。
それでも。
――遊人が一人で突っ込んでいった時、そんな恐怖よりも、遊人がほかの玩具にされた人たちと同じように連れて行かれて壊されていなくなる恐怖のほうが大きかったんだ。
遊人だけは――ダメだ。
オレのものだから。
誰にもあげない。
手放さない。
――自分を引き換えにしてでも。
ぽろぽろと涙がこぼれる。
袖口でぐいと目尻をぬぐって、遊人の上にうつ伏せになって寝そべる。遊人がちょっと苦しそうな顔をした。
べったりくっついたまま、胸に耳を寄せる。
ことりとも音を立てない、遊人の心臓。
あの時、ナオトが遊人の心臓を止めてぶっ倒れた時。
本当に死ぬんじゃないかと思った。ナオトが殺したと勘違いして、ナオトにひどいこと言った。それでも、ナオトは許してくれた。
心臓を止めておけば、兵士たちには見つからない。迎えに来てもナオトが見えるだけで、遊人は見えないから大丈夫って。
でも。
遊人の心臓の音、好きだったんだよ?
一緒に寝てる時に耳を当てて、ずっと聞いてた。最高の子守歌。
もう、いいよね?
カミサマはいなかった。――ハルっていう子はカミサマじゃないって言ってたし、遊人に悪さをするようには思えない。
ハルが遊人に危害を加えないなら、心臓、動かしてもいいよね?
遊人の胸に手を当てて少しだけ上体を起こすと、遊人のパジャマのボタンに手をかける。ちょっと手が震える。
上半分をはだけると、心臓のあたりに手を当てた。
今ならわかる。
遊人の心臓部分に心臓と同じぐらいの太さの透明な六角柱が二本、はすに刺さっている。これを抜いてしまえば、遊人の時は進み始める。
ナオトが施したものだけど、きっと今ならオレでも抜ける。……理由なんてわかんねぇけど。
「遊人。……痛かったらごめんな」
ほんの少し眉間にしわを寄せたまま眠る遊人をもう一度見つめて、もう少しだけ前に座り直す。座ったときに両手が遊人の心臓のあたりに来る場所へ。
手を伸ばして眉間をもむと、逆にしわが深くなった。うっすら開いた遊人の唇から息が漏れる。
「苦しい? 遊人」
返事はない。
体を前に傾けて、手を心臓の場所に置きながら遊人に頬ずりする。
嫌わないで。
拒まないで。
オレ、何でもするから。
遊人の唇にちゅっとキスをすると、オレは体を起こして手の先に意識を集中させた。
ナオトの施した枷が姿を消していく。全部きれいに消えたところで掌に鼓動を感じた。
体をずらして遊人の胸に耳を当てる。
どくん、と音がする。
ああ、この鼓動だ。
目を閉じて耳を澄ます。
遊人。
……ねえ、オレ、あんたの鼓動、大好きだ。
涙がこぼれる。
生きてるって気がする。――生きてていいよって言われてる気がする。
頭の上に何かが降りてきた。柔らかく髪の毛を撫でおろしていくのは、遊人の手だろうか。
目、覚めたんだ。
気が付かないふりをしてそのまま耳を胸にぺったりくっつけていると、二本目の手がオレの背中に回された。
今頃になって、遊人から伝わってくる遊人の体温を感じる。手のひらから、体全体から感じられるぬくもりに、包まれているような気さえする。
「リオ……」
遊人の声。オレは遊人の胸に顔をうずめる。
「……お前、泣いて……?」
手がオレの頬を撫で、ぴくりと手が止まる。
そうだよ、遊人。オレを置いてくなんて言ったから。
遊人の腕がオレの背中に回る。ぎゅっと抱きしめられたあと、遊人はゆっくり起き上がった。
いつかの時と同じように、遊人の腕の中でぎゅうぎゅうに抱っこされてるオレ。
首筋に息が当たる。ぞくっと背筋がしびれる。
「……悪い」
「ほんとだよ」
唇を尖らせて、声を押し出す。泣いてるせいで声が震えた。途端に腕の力が強くなった。
「ねえ、遊人」
「……ん」
髪の毛に手を差し込んで、ゆっくりと撫でおろす遊人の手がくすぐったい。
「……オレはもういらない?」
手が止まった。息を飲み込んだ遊人は呼吸まで止めている。
「遊人。……オレのこと、嫌いになった……?」
「……そんなわけないっ」
ぎゅうぎゅう締め付けられる。うん、わかったから少し力抜いて。オレ、呼吸できないよ。
「じゃあ……何でオレ、置いてくって」
途端に腕の力が抜けた。遊人の思いがそのまま腕の力に現れてるんだ。
「お前に……笑っていてほしいから」
そう言った遊人の声は苦り切っていた。遊人がそばにいないのに、オレが笑えると思ってんの? 泣くよ? オレ。
「……わかってないよ、遊人」
「うん。……ごめん」
「わかってないよ」
オレは遊人の胸を押して、体の間に少し隙間を作る。離れた体温が寂しくて、すぐくっつきたくなるけど、我慢。
「……遊人がいないのに、笑えるわけないだろ?」
「っ……ナオトがいるだろうっ?」
「ナオトがいたら何?」
視線をさまよわせる遊人に、オレはどんどん眉間のしわを寄せていく。
「だって……」
「ナオトは遊人じゃない」
遊人の目が丸くなってオレを凝視してる。なんてわかりやすいんだろう。オレ、やっぱり遊人が好きだ。
「遊人は?」
「……へ?」
「オレの代わりがナオトでいけるのか?」
「なっ……お前の代わりなんかいるわけないだろっ?」
へへ。なんだ。……遊人もオレと同じ思いだったんじゃないか。
「おんなじだ」
にかっと笑って遊人を見上げると、遊人はまぶしそうに目を細めた。
「……俺でいいのか?」
「遊人でなきゃやだよ」
だらしなく半開きの唇にオレのを押し付けると、途端に真っ赤になって遊人は俺を囲っていた手を離した。
「遊人がどっか行くならオレも連れてって。……オレもう一人はやなんだ」
今までだって誰かは必ずそばにいた。『神々の戯れ』には必ず管理人がいたし、オレを全力で守ってくれていた。そのために、みんな玩具として出て行った。……それを運命だと受け入れて。
でも、遊人とは違うんだ。
なんていうんだろう。理屈はわかんねえけど。
……遊人だけは、違うんだ。オレのために、カミサマに喧嘩売るなんてさ。
「リオ」
「……好き、なんだ。遊人」
「くっ……それ、反則だろっ」
また抱き寄せられてぎゅうぎゅうに抱きしめられた。
「なにがだよっ」
「……くっそ、先に言われるとかすっげー情けねえじゃねえか」
耳元にかかる息が熱い。
「好きだ、リオ。……俺の傍にいてくれ。たとえ離れ離れになっても、絶対お前を見つけ出す」
「遊人……」
恐る恐る、遊人の背中に手を回す。オレの体、ちっこいから全然背中に回らなくて、脇腹をつかむだけになっちまったけど。そのせいで遊人はくすぐったがって締まらないオチになったけど。
視線が絡んだ途端、遊人の表情が真剣なものになる。オレは黙って目を閉じた。




