3.落ちた男
「ほらよ」
幼女の声に顔を上げると、紙巻きタバコが差し出されてる。
「さんきゅ」
受け取って口にくわえて、違和感を感じる。
細い。
いや、最近は細いタバコが流行りだ。それはおかしいことじゃない。スリム化して箱も小さくなってるからな。
でも。
……妙に固い。それでもってひどく甘い匂いがする。
「甘い……? ってこれ、駄菓子じゃねえかっ」
「あったりめーだろ? 幼女がタバコ持ってるとかありえねーっての」
「っくそっ、期待させんじゃねえよ」
がっくりと頭を垂れる。ああもう、力抜けた。くわえた偽タバコは懐かしい味がした。
◇◇◇◇
どれぐらいここに座っていただろう。
いろいろぐちゃぐちゃ考えすぎて、もう何がなんだかわからなくなってきた。ケツが冷てえ。それになんだか肌寒くなってきた。あたりが暗い気もする。
顔を上げると、通りを行き交っていた人もたむろしていたおばさん連中もいなかった。
ほっといても何かが始まるわけじゃない。誰かが迎えに来るわけでもない。金もなければチートもない。
しょっぱなから絶望だらけのこんなとこ、地獄でなくて何だよ。
こんな世界、一秒だっていられるかよ。
とにかく何とかしてこの世界から元の世界に戻らないと。
……戻れるかどうかなんてわからねえけどさ。
「腹へったな……」
こんな時でさえ腹が減る。これがもし眠ってる俺の夢なら腹なんかへらなくてもかまわねえのに。
「お、オレの話聞く気になったか?」
幼女の声が至近距離から聞こえた。
「なんだよ、まだいたのかよ」
「当たり前だ。オレはお前の水先案内人だからな」
顔を上げればにかっといつもの顔で笑う幼女の顔が至近距離にある。
「水先案内人? なんだそれ。聞いてねえぞ」
「あったたりめーよ。まだ説明してねえもん」
幼女は両腕を組んでない胸を張ってふんぞり返る。ぷんと頬を膨らませて、ついでに鼻の穴まで膨らんでいるその顔があまりにおかしくて、口元が緩んだ。
「ふんぞり返って言うセリフか? それ」
すると幼女はにかっと笑った。
「ようやく笑ったな」
「え?」
「お前、笑ってるほうがいいぞ」
「な、にバカなこと言ってんだよっ」
ぷいと顔を背ける。
なんなんだよこの幼女はっ。そのセリフは男が女に言う言葉だろう?
それをよりによって俺に言うか?
何考えてんだよ、こいつはっ。
顔に血が昇ってくるのが分かる。
なんだよこれ、なんで幼女の言葉で赤くなってんだよ、俺。
中身おっさんだぞ? わかってんのか俺。
このさい男でもいいとかがっついてるんじゃねえぞ俺。
俺は女が好きだ。ぼいんぼいんで腰のクビレがあってむっちむちの。
そんな女が良いんだ。
胸の谷間もないようなこんなつるぺたで寸胴幼女体型の、綺麗な紫がかった髪の、深い紫の瞳の、笑うとえくぼが出て、ぶんむくれるとぷにぷにしたほっぺたに触りたくなるような、笑顔のいい女なんてっ……。
「何だ? オレの顔になにか付いてるか?」
幼女はごしごしと頬を撫でている。
言われてようやく俺はあまりにも長く幼女の顔を見つめていたことに気がついた。
「ちっ、ちげーよっ。あんまりこするなよ。赤くなってんぞ」
ついと手を伸ばすとこすりすぎて赤くなった場所に触れる。弾力のある肌は吸い付くように肌理が細かく、柔らかい。
「ん、ありがとな」
やっぱりにかっと笑う。
どうしたんだろう、俺。
二十八年、平々凡々の人生を生きてきて、彼女がいなかったわけじゃない。
中学生ぐらいまでは告られてつきあったこともあった。
でも、長続きはしなかった。
何が悪いのかわからなかった。
ただ、彼女からは『わたしの好きと遊人くんの好きは違うよね』と言われ、別れた。
好きは好きだ。それ以上の何者でもない。
そう、思っていたのに。
胸が痛い。
なんで俺、こいつの笑顔に見惚れてるんだろう。
十かそこらのガキの、前歯丸出しの笑顔に。
「なあ、おっさん幼女」
「なんだよその呼び方は。オレはリオだって言っただろ?」
ぷん、とむくれて俺の手を払いのける。
こいつのことはおっさん幼女で十分だ。名前で呼んだりしたら、きっと俺は勘違いしてしまう。
自慢じゃないが恋愛経験はあれ以来皆無だ。ゆえに俺の恋愛スキルは中学時代で止まってる。
手を繋ぐ程度でさえ勘違いするに違いない。
それくらいの自信はある。
「てめぇはおっさん幼女で十分だ」
「やだ」
「なっ……」
おっさんのくせにやだとか言うなよこのやろう。幼女の口調だと勘違いするだろうがっ。
「リオはリオだと言ったろ? リオと呼べ。でなきゃ話してやらねえ」
ぷいと背中を向ける幼女の仕草さえ心臓が早鐘を打つ。
早速自制心を試されることになろうとは。
チッと舌打ちして、俺は心を鎮めると口を開いた。
「り、リオ」
名前を口にするだけで声が震えるとか顔が真っ赤になるとか、なんだよこれ。ほんと勘弁してください俺。
幼女はくるりと振り向くと、いつもの笑顔を俺に向けてきた。
「よろしい。これからよろしくな、遊人」
差し出された手は二度目だ。
恐る恐る手を伸ばすと、小さな手がきゅっと俺の親指以外の四本の指先を握ってきた。
柔らかくて温かい手の感触。
「よろ、しく、リオ」
視線を逸らしながらそれだけ口にする。
心臓バクバク言ってる。
幼女に手を握られてそっぽ向きながら真っ赤になって震えてる俺。ナニもんだ、ほんと。傍から見たらたんなる怪しい男でしかねえだろ、これ。
神原遊人二十八歳。
初恋が幼女らしいです。