29.『カミサマ』
「遊人! おい!」
怒鳴り声と物音に気が付いた僕が到着した時には、廊下に遊人が伸びていて。
それは昨日整えた、リオたちのための部屋の前だった。
傍らにあったワゴンには二人分の食事が乗っている。
扉をノックしようかとも思ったけど、あの男……ナオトだったか……からは二度と姿を現すなと言われている。
仕方なく、兵士を動かして遊人を僕の部屋に運ばせた。他の客室は手付かずだから使えるように指示を出す。
夕べ遊人は揺り籠で眠った。僕は――僕の知るリオの記憶を夢の形で送った。以前やったように、遊人の夢には干渉できた。
遊人なら……リオの支えになれるんじゃないかと思った。
……嘘だ。
遊人に支えてほしいんだ。
これは僕のわがまま。
僕にとっては遊人は名をくれた人だ。――リオに名をくれた親と同じく、僕にとっては遊人は親だ。
でも、遊人はあの人たちと違う。
誰の子供だから必要なわけじゃない。リオをリオのまま、受け入れてくれるだろう。
僕を――リオに恐怖の存在である『カミサマ』と思われていた僕を、きちんと話を聞いて、そのまま受け入れてくれたように。
リオと同じように生を受けて、傍にいることができれば誰よりも僕がリオを支えただろう。
あの時、生まれ得なかったことをどれだけ悔やんだかしれない。
だからこそ、遊人に委ねたいんだ。
苦しそうに遊人がうめいている。
よほどのショックを受けたのだろう。夢でうなされているような声を時折漏らす。
一体どんな夢を見ているのだろう。起こすべきだろうか、それとも……覗いてみるべきだろうか。
殴られた箇所に当てた氷嚢をとりかえる。ついでに汗の浮かんだ額をタオルで拭い、手を伸ばしたところで扉が開く音がした。
ベッドから体を起こして顔を向けると、リオが立っていた。後ろにあの男――ナオトが何か喚きながらリオの腕を引っ張っているようだ。
僕がここにいること、遊人をここに運んだことを、二人は知らないはずだ。なのにどうしてここに来た?
かけるべき言葉を探しているうちに、リオはさっさとベッドサイドにやってきて、僕とは反対側にしゃがみこんだ。
腕を振りほどかれたナオトが扉の向こうに消える。
おかしいな。この部屋は僕の私室だけど入室制限なんかつけてないのに。ナオトの声すら入ってこられないのは、だれの仕業だろう。
「遊人……」
僕はベッドから一歩離れたところに立ち尽くす。
地下に匿った僕の妹にして姉。僕が憧れてやまなかった存在。
生まれてからいつもガラス越しに見ていた存在が手を延ばせば届く距離にいる。こんな近くで直接彼女をゆっくり見つめる機会はこれが初めてだ。
「ナオトがね、ごめんって。――遊人、ごめん……」
何があって遊人が殴り倒される結果になったのか、僕は知らない。でも、リオの言葉から考えるに、ナオトがぶん殴ったのだろう。
無造作に放り出されてる遊人の右手を握って、リオは自分の額に押し当てた。
「ごめん、遊人。置いてかないで。一緒に……帰ろ?」
後半は完全に涙声になっていた。すすり泣き始めたリオに、僕は何を言えばいいのかわからない。
それでも遊人は目を覚まさない。
呻く声はしなくなった。夢を見ない深い眠りに落ちたのかもしれない。
僕はサイドテーブルからタオルを取り上げると水に浸して固く絞り、ベッドをぐるりと回ってリオに差し出した。ちらりと僕の方に視線を移したリオは、タオルを受け取ると両目に当てた。
「ありがと……えっと」
「……ハル」
「ハル。オレは」
「知ってる、リオ」
言葉を遮って言うと、リオはタオルから顔を上げた。
「……『カミサマ』だもんな、知ってて当たり前か」
「『カミサマ』なんかじゃない」
首を横に振って否定する。幸いなのは、リオが『カミサマ』と口にしたときに恐怖を感じていなかったことだ。
リオにとっての僕は、『玩具を食らう存在』で恐怖の対象だった。それが多少でも緩和されたとみていいのだろう、と自分では思っている。
「そうだね。……そういえば遊人と初めて会った時にも言われたんだよな。神の国オルリオーネだって説明したらさ、オレを神だって」
そんなわけないのにな、と少し寂しそうな笑みを浮かべてリオは僕を見る。
「リオは……『カミサマ』になりたかったか?」
「冗談だろ。オレはオレだよ。オマエがオマエなのと一緒だよ」
そう言い放ったリオの表情に笑みがなければ、僕は勘違いしていただろう。僕は口角を上げた。
「そっか。――お前がお前でよかったよ、リオ」
「よくわかんねえけど、そっか」
ニカっと笑ったリオは、子供のころのあのままだった。僕は胸の奥に痛みを感じる。
「なあ……ちょっとだけ、遊人と二人にしてくんねぇか」
リオは無言で横たわる遊人に視線を移した。僕もつられて遊人を見る。
なんで殴られるようなことになったのか。
僕が送ったあの夢を見て、遊人が何を考え、何を決めたのか。
僕にはわからない。
でも、起こしに行った時の遊人はなんだか感情の抜け落ちたような顔をしていた。
寝ぼけているだけなんだと思ってたけど、違っていたのだとしたら。
――僕は、もしかして余計なことをしてしまったのかもしれない。
「……いいよ。遊人が起きたら僕を呼んで」
「ん、わかった」
枕元に椅子を引っ張ってきてリオを座らせる。リオは遊人の手を握ったまま、視線も遊人に注いだまま。
僕は横顔をじっと見つめる。眉根を寄せて思いつめた顔をするリオなんて見たことがない。
「遊人、頼むね。――姉さん」
リオには聞こえないように小さな声で、部屋の扉の前でつぶやく。これぐらいは――許されるよね?




