27.封印
夢を見た。
……いや、夢を見ている。
小さなリオがきらきら目を輝かせながら笑いかけてくる。こんな表情をするリオを見たことがない。
誰と会話しているのかわからないが、ニコニコ笑いながら、しゃべっている。
リオに語り掛けられている自分がいったい誰なのかわからない。だが、これほどリオが無条件で信用して懐いて話しかけてくるリオの関係者がうらやましかった。
夢の中のリオは、笑いながら手を伸ばしてくる。
それに自分の手を差し伸べようとするのだが、なかなか自分の思う通りには動かない。もたもたしているうちにリオの手がするりと巻き付いてきた。
手をつなぐだけではなく、腕にしがみつくように手を回してきたリオは、本当によく笑う。
何歳ぐらいだろう。五歳ぐらいか。
曇った表情一つ見せないリオは、本当に天使に見えた。
ああ、こんなリオがそばにいてくれれば、俺はどこまでだって頑張れるだろう。
それにしても……マジ天使だ。小さいころから傍にいられたら、間違いなく溺愛してたな。今のサイズのリオも好きだけど、こんな笑顔は見せてくれたことがない。それが少し残念だ。
場面が変わって、少し大きくなったリオが目の前にいた。
紫がかった銀髪が柔らかく背中に流れている。今のリオと大体同じか、少し小さいくらい。
誰かの手を引っ張って歩いている。時折振り返っては声をかけている。口の開き方からすると、『パパ』と呼んでいるような気がする。
ということは、この、引っ張られている人物……俺が見ている、俺が入ってる人物はリオの父親なのだろう。
全幅の信頼を寄せているのがありありと見て取れる。
公園まで引っ張ってきた父親の手を離し、駆けていくリオ。
幸せそうだ。
この顔を、このシーンをハルはずっと見てきたんだろうか。それとも、リオの内側から見ていたのなら、見えていたのは父親の顔か。
どこからか拾ってきたボールを投げられて、受け取ろうと手を延ばす。うまく受け取れなくて顔面で受け止めたところで場面がまた変わった。
今度はもう少し大きい。中学生ぐらいだろうか。
どこかのセーラー服を着たリオ。桜の舞う中で着物を着た女性と校門に立っている。入学式なのだろう。
横にいるのは母親らしい。紋付の小袖を着た母親の髪の毛は黒い。駆け寄ってきたリオは手にしていたカメラを取り上げ、俺の手を引っ張って母親のところまで連れていく。
カメラを誰かに渡したらしいリオが戻ってきて、俺と母親の間に滑り込む。腕をぎゅっとつかまれた感覚があった。スーツの男性が構えるカメラに笑みを浮かべ、シャッターが切られる。
礼を告げて受け取ったカメラの小さなモニターには、三人が写っていた。
父親と母親、そしてリオ。
モニターが小さいから父親の顔ははっきりとは見えないが、髪が黒く背が高いのだけは見て取れた。
次に見えたのは、私服のリオだった。
タンクトップと短パン姿で、リビングのソファでくつろぐリオ。
背もすらりと伸び、面差しはそのままですっかり大人の女性の顔になっている。柔らかな銀髪は相変わらずで、背中辺りまで伸ばしたものを一つにまとめて縛っている。
俺の方をみて、やはり『お父さん』と声をかけてくる。
さっきまで可愛い少女と思っていたリオは、すっかり美人になっていた。濃い紫の瞳といい白い肌といい、こんなに美人に育ったリオのことだ、きっと男たちは捨て置かないだろう。
中学の時もそうだったが、彼氏の一人や二人、いてもおかしくない。
そんなことを考えながら、胸が苦しくなる。
これは夢なのか?
それとも俺の願望なのか。
願望だとしたらずいぶん歪んでいる。
俺はリオが好きだ。が……父親のポジションを希望したことはないはずだ。
確かに年の差は……アレだけど。
今のリオは十二ぐらいだろうか。……俺とは十六も違うことになる。
そもそも恋愛対象にすらならないだろう、とは思っている。俺が勝手に惚れ込んでるだけだ。だから……もし現実に戻って、リオを見つけることができたら、大人になるまでいつまでも待つつもりだ。
でも。
今、目の前に見えているリオは、何なのだろう。
ハルが見て来た過去なのか、それとも未来の姿なのか。
教会で誰かの葬儀が執り行われている。
喪服のリオも見える。
誰が亡くなったのだろう。傍に寄り添っているのは母親だ。そして……その横には銀の髪の女性が立っている。
リオは泣きながら、俺に対して『お父さんはお父さんだけだから』と繰り返す。
その時初めて、教会の前に設置された祭壇の遺影に気が付いた。リオよりハルによく似た男の顔だ。はちみつ色の髪と瞳の、リオによく似た人懐こそうな笑顔。
もろもろの疑問がすとんと胸に落ちてきた。
そうか。……そういうことなのか。
リオの涙はなかなか止まらなかった。
その後、リオは俺の目の前からいなくなった。あの銀髪の女性――母親の妹が連れ去ったのだ。
どうやら本当の父親という人物は、どこかの金持ちの放蕩息子だったらしい。唯一の後継者たるリオを返してくれと言われて、俺――いや、父親は承諾した。
リオを思いやっての決断だったことは理解する。だが、リオはそんなもの、望んではいなかったろうに。
最後まですがるように俺を見ていたリオの涙がいつまでも脳裏にこびりついた。
◇◇◇◇
目を開けると、寝る前に見た天井が目に入る。
大して時間が経っていないようにも思えるが、地下では外の様子がわからない。せめて明かり取りの天窓でもあればよいのに、と天井を眺める。
起きる直前まで見ていた夢は、くっきりはっきりと覚えている。少し経てば忘れてしまう夢だろう。だが、忘れたくなかった。
あの夢が真実だったかどうかはわからない。ハルにはまだ何一つ聞いてないのだから。
それに――リオにこの話を聞いたところで覚えているとは限らない。
なぜなら、ここはハルの作り上げたリオのための避難所だから。現実を思い出すような記憶は消し去っているに違いない。……俺ならそうする。
ベッドから起き上がり、足をぶらぶらさせながらじっと床を見つめる。
今見た夢が本当のことであると仮定して。
……現実に連れ戻すことは、リオにとって良いことなのか。
俺は現実の世界でリオとともにいたいと願う。そこはぶれてない。
だが、連れ戻して壊れるなら、ここでいいじゃねえか、と思ってしまう。
俺が現実のリオの支えになるから、と言い切れないのは――リオが俺を求めてはいないからだ。
俺でなくてもいいんだ。その事実が俺を苛む。
ナオトがいれば、リオは今まで通りこの世界で生きられる。
次に誰かが落っこちて来たら、そいつでもいいのかもしれない。まあ、ハルはもう誰も呼ばないと言っていたから、次はないだろうが。
それに、父親の視点でずっと見ていたせいか、現実のリオが壊れる一因を自分も担っているように思えて、俺の思いを罪悪感が塗りつぶしていく。
リオは俺を見ない。――それが当然なんだ、と。
ああ、これが心が折れたってやつなのか。それとも、失恋したのか、俺。告白もしないうちに。
胸が痛む。心臓はまだ止まったままだが、心がどんどん血を流していく。
「……俺がいなくなったら、リオは悲しんでくれるのかな……」
優しいリオのことだ、涙は見せてくれるかもしれない。だが――きっとそれだけだ。
頭を振って考えるのをやめる。
もう一度ベッドに体を横たえて目を閉じる。
そうして、二十八にして初めて覚えた恋心を、封印した。




