26.玩具居住区
「ちょっとおっ!」
帰ったはずのナオトが戻ってきたのは、見送ってから一時間も経たないうちだった。リオを抱きかかえたまま、大股で階段を昇ってくる。
ナオトが殴りこんできた時、俺は三階の玉座の間にまだいた。ハルはすでに奥の私室とやらに引っ込んでいるおかげで顔を合わせずに済んだ。
「どうかしたか?」
「なんで店の権限、リオに書き換えたのよっ!」
「……もしかして、まずかったのか?」
少しだけ気にかかってたことではあった。
ナオトが俺に権限を移したのと同じだと思ってさくっと書き換えたんだけどまずかったのか?
「まずいどころじゃないわよっ。リオが寝ちゃったおかげで、道が開けないじゃないのっ」
「あー……そうか」
リオは普段、二十時を過ぎたら眠りにつくと言っていたっけ。今日はイレギュラーで夜遅くまで起きてた。ということは、おそらくこのまま夜が明けて朝になるまでリオは目覚めない。
リオが道をつながない以上、空間に戻ることもできないってことか。
「すまん。そこまで頭が回らなかった」
そもそも、カミサマに見つかったら生きて帰れねぇと思ってたからなあ。まあ、そんな恥ずかしいことを口にする気は一ミリもないが。
「まったくもう……どっか寝られる安全なところを教えなさいよ」
「あー、うん。ちょっと待っててくれ。そこ、動くなよ」
がしがし頭をかきむしると、俺は玉座の奥に向かった。
扉を閉じて廊下の壁にもたれこんで頭を抱える。
「どうすっかなぁ……」
「何かあったの?」
ハルが奥の闇から顔をのぞかせている。
「ああ、いや」
「さっきの二人の気配がした。戻ってきたんだろ?」
「……わかってるならわざわざ聞くな」
「わかったのはそれだけだよ」
で? と首をかしげるハルに、かいつまんで話をするとすぐ二階に広い部屋を準備すると言って消えた。
ほどなく戻ってきたハルに場所を聞いて、玉座に戻る。
「ナオト、部屋の準備ができたらしい」
「……あいつに部屋準備させたの?」
その答えに、俺はうかつにも口を滑らせたことに気が付いた。
ナオトは不機嫌な顔で俺を見下ろす。……ああ、ナオトのほうが背が高いんだ。ヒールも履いてるし。
「何聞かないふりしてんのよ。……どういうつもりよ」
二人がいなくなったからと思って気を緩めたのが間違いだった。俺は眉間にしわを寄せる。
「ハルについては俺が全部責任を取る。だから、しばらく今のままにさせてくれ」
「……冗談じゃないわよっ。あんた一人で責任が取れるほど軽い問題だと思ってんのっ!?」
「わかってる」
「わかってねえだろうがっ! 何人犠牲になったと思ってんだよ!」
野太い男の声でナオトが吼える。びりびりと怒りが伝わってくる。
でも、俺はもう決めたんだよ。
「悪い。――部屋はこっちだ」
「ちょっとっ!」
くるりと踵を返すと、慌てた足音と衣擦れの音が背後から聞こえてくる。
部屋に着くまでの間、後ろから散々詰られたけれど、俺は何一つ返さず無言を通した。
◇◇◇◇
何もない部屋。
それが第一印象だった。
ナオトたちを送り届けた後、ハルに案内されてやってきたのは地下の部屋だ。つい先ほどまでナオトがいた部屋。リオが閉じ込められていた揺り籠。
兵士たちの乱れた足跡が床に残っている部屋の中には簡素なシングルベッドと椅子が一脚だけ。
どう考えても人間が暮らす場所には見えない。
もし、リオがいた時もこの状態だったのだとしたら、なんと寒々しい子供部屋だろうと思う。
「あいつがいた時はもっと広かったんだ。図書室もあったし、プレイルームも、食堂もあった」
「そうか」
それならまだましだろう。だとしても、誰一人いない空間に一人ぼっちではあまりに寂しすぎる。
「俺も一歩間違えばここにいたってことか」
そうつぶやくと、ハルは顔をゆがめた。俺の場合はナオトの空間にいたのに夢で囚われそうになったから若干違う気がするけど、その前に兵士に追いかけられたのは事実だし。
「そういや、『神々の戯れ』にはお前、干渉できなかったんだよな?」
「あれは……僕の作ったあいつのための逃げ場だから」
「……あー、なるほど」
リオを宮殿から出したのがハルの意思なら、その逃げ場もハルが絡んでて当然か。
「あそこだけは、僕の権限が及ばないようにあいつに権限を渡したんだ。……まさかこんな風に使われるなんて思ってなかったけど」
指輪を触りながらハルは苦笑する。ハルに嵌めた指輪は、宮殿のすべての権限をハルに戻した今はただの飾りだ。
「まあ、発想の逆転? みたいなもんだ」
とか偉そうなことを言ってみたが、実際にできるかどうかは微妙なところだったのは内緒だ。
そうか、最初っからあそこはリオのための空間で、リオのモノだったのか。じゃあ、今の状況は一番最初に戻っただけなのだ。
「なあ、ハル」
「はい」
「……どうやって玩具を選んでた?」
背後で息をのむ音がした。
「俺はなんで選ばれた? お前、言ってたよな。変わり種とか面白かったとか言ってなかったか」
「……僕には、あいつの見る世界をガラスの向こうから見ているしかなかった。干渉できるのも、眠りにある人間だけだ」
なるほど、だから俺は手術で意識を失ったところを引っ張られたのか。
「あいつの目がガラスみたいに濁ってから、以前あいつと会って話した人間の中から、あいつが微笑みかけた相手を探したんだ」
リオの記憶を共有しているハルには、過去出会った相手を探すことは難しくなかったのだろう。
その人物がハルの手に届くところに来るのをひたすら待っていたのかもしれない。
……ちょっと待て。その理論から行くと、俺は以前リオに会ってるってことにならないか? ナオトも、そのうちの一人だと?
ハルを振り返ると、俺が言いたいことは予測していたんだろう。目を合わせた途端に首を横に振った。
「僕は君を知らない。……どうして君がここにいるのか、わからない」
「おい……お前が呼んだんだろう? はっきりそう言ったじゃねえか」
「呼んだのは僕だよ。それは間違いない。……でも、どうして君なのかがわからない。過去に接点がないのに、君の顔が浮かんだんだ」
「……そうか」
俺だけ呼ばれる理由がないとかどういうことだよ。
どこかでリオと会ったことがあるのかとぬか喜びした上、記憶の総ざらえをしかけていたのだが、その期待はぺしゃんこにつぶれた。
やはり、現実での接点はないのか。
しかも、ナオトの空間にいたのに夢に干渉された。あれは何だったんだ?
そうつぶやくと、ハルは思い当ることがあったのか、うなずいた。
「ああ……それはね。あいつからほかの人間に空間の所有権が移ったせい」
「何……?」
「だって、僕が呼んだ人間が権限を持ってるんでしょ? なら僕の権限のほうが上だから」
ということは、ハルと同等の権限を持つのはリオだけで、周囲にいた俺たちはやはり権限は下なのだ。
ちょっと待て。
その理論から行くと、俺がハルを支配していたと思っていたけれど、実際は干渉可能だったわけで。あんなに怯えていたのも、フリだったってことことか? 俺はハルの手の中で転がされていたことか?
「……じゃあ、その指輪もお前にとっては無効だったわけだ」
そう言い捨てると、ハルは首を横に振った。
「フリじゃないよ。言っただろ、呼んだのは僕だけど、選んだのは僕じゃない。そのせいかわからないけど権限を上書きできなかった。この世界で僕が操れないのはあいつの支配下にあるものだけだったのに。だから怖かった」
俺は首をかしげた。
俺自身はハルの支配下にあった。でなきゃ夢の中に侵入できねえよな。でも、俺が支配した空間はハルの支配下になかった。
だからこうやって、ハルを支配下に置けた。
……変な話だ。
腕輪をそっと触りながら、眉根を寄せる。
自分で作っておいて何だが、俺の理解を超えるアイテムだ。
「それに……」
急に言葉を切ったハルは、視線を外した。
「……僕に名前をくれた」
「え?」
名前? 呼びにくいから。ただそれだけの理由で付けただけだ。それが関係するのか?
「僕を『ハル』にしてくれたのは君だから」
妙に熱っぽい目でこっちを見るハルに、俺は半歩後ずさった。
「いや、でも本当に適当につけただけだぞ? 特に思い入れなんか……」
「……あいつに名前があるのがうらやましかった」
はっと息をのむ。
生まれたリオ、生まれなかったハル。親が愛を込めてつけてくれるはずの名前を、こいつは与えられなかったんだ。
だから、リオのことを『リオ』と名前で呼ばないのか。羨ましいから。
「そっか」
俺はハルに歩み寄ると金の頭にぽんと手を置いた。
「悪ぃな、俺みたいのが適当につけちまって。きっとお前にも親が名前を準備してくれてたはずなのにな」
「僕は『ハル』になれてよかった」
俺の言葉にハルは首を横に振り、嬉しそうに、儚そうな微笑みを浮かべる。ぽろりとこぼれそうなほどに目じりに涙をためたハルの頭を撫でた。
捨てられそうな子犬、というのがぴったりくるだろう。ハル、と呼べば嬉しそうに微笑む。その顔は、見た目通りの子供の顔だった。
「ところでその……今までも干渉してたのか?」
ハルが落ち着いたところで、聞きたかったことを口にする。ハルは少し考えたのち、首を横に振った。
「君以外に干渉したことはない。あいつを怖がらせないように、しないようにしてたんだ。……でも、そうだな。気になってたのは本当。あいつとの接点がわからない正体不明の君には執着した」
「俺は普通の会社員だけどな」
するとハルは口元をゆがめた。
「あいつを本気で思って僕を倒しに来るなんて考えたの、君しかいないよ。……今までの玩具は逃げることしか考えなかった」
「まあ、得体のしれない場所に連れてこられたら普通逃げようとするわな」
「でも、君はしなかった」
なぜ? と聞かれて俺は口を閉ざした。
なぜか。そんなの決まってる。俺がそうしたかったから、だ。
宮殿にこもってる『カミサマ』とやらが筋骨隆々の男だったらあっさりゲームオーバーしてただろうけどな。ああ、それを知っていたらどうしただろう。それでも――やっぱり突入してたか。
リオを大事に思うから。それ以外の何物でもない。
俺はその結論をハルには言わないことにした。
「……ここ、もう機能してないんだよな?」
「うん。衛兵以外のほとんどの機能は止めたよ」
「じゃ、俺ここで寝るわ」
「えっ、でも、上に部屋が……」
乱れたシーツを気にせずにごろりとベッドに寝転がる。簡易寝台的サイズだな、ほんとに。寝返り打ったら落ちそうだ。
「リオたちが目覚めたら起こしてくれ」
あおむけに寝転んで見上げた天井に、なぜか手術台で見た光景がダブって見える。しばらくハルのため息が聞こえていたが、眠りに落ちるのは早かった。




