25.目覚めたナオト
「遊人!」
リオの声にはっと顔を上げると、唸り声が聞こえた。ナオトの横に着くと、手を動かしながら眉間にしわを寄せて苦しそうに首を振り、唸っている。
こんな顔をしたナオトなんて見たことがない。
リオは左手を握り締めて摩っている。俺も振り回している右手を握り締め、軽く腕を叩いた。
「おい、ナオト、起きろ」
夢を見て唸ってるなら、眠りは浅いはずだ。刺激を与えながら声をかければ、うまく目覚めてくれるかもしれない。
「ナオト、起きて。帰ろ?」
まつげが揺れる。ゆっくり目を開いたナオトは、ぼんやりと天井を見ていた。
「ナオト!」
「おい、わかるか、ナオト」
目の前で手をひらひらさせてみるが、いまいち反応が芳しくない。リオが顔を覗き込むと、ようやく目が動いた。
「……ひどい顔ねえ」
ようやく開いた口から聞こえた声に、リオはしがみついて泣き出した。手を離すと、リオの背中をぽんぽんと宥めるように叩いている。
「ナオトっ……」
「はいはい。……ここにいるわよ」
ナオトはそういいながら回りに視線を走らせる。俺を見た時、右手を伸ばしてきた。
「遅くなって悪かったな」
手をつかむと、ぐいと力を込めて引っ張ってくる。俺はナオトが体が起こせるように引っ張った。はりついたリオも一緒に起き上がってくる。
「まさかほんとに助けに来るなんて思ってなかったわよ。……ほんと、いい男」
「約束だったからな」
「ところで……ここはどこなわけ?」
「宮殿の三階。玉座っぽいところだ」
ぐるりとあたりを見回したナオトは、少し離れた場所にいるハルを鋭く見つめている。
「じゃあ、あれが……そうなのね」
「ああ。……ハルと名付けた。今は俺の支配下にあるから何もできない。させない」
「そう……。やっぱりあんたは甘ちゃんね」
ナオトが言いたいことは分かる。が、事情を知った今では排除するなんてできやしない。
ハルを呼び寄せると、少し気まずそうな顔で寄ってきた。
「ハル。彼がナオトだ」
「あの……ごめんなさい」
ハルは名乗る前に頭を下げた。俺が話したことは一応理解はしてくれたのだろう。
「……アタシにだけ謝ったってしょうがないでしょう?」
「ごめんなさい……ごめんなさい」
ナオトの冷徹な一言にハルは俺とリオにも頭を下げた。その表情はまさしく子供が悪いことをして叱られた時のそれそのものだ。
「……遊人。ちゃんと説明はしてくれるんでしょうね」
じろりと俺を見るその視線は、今までになく冷たいものだ。
「ああ」
「ハルって言ったっけ……どれだけアタシたちが苦しんできたか、知らないとは言わせないわよ。どれだけの人間がアンタの犠牲になったか……。今ここで、この手で八つ裂きにしたいほど……殺したいほど憎い」
ハルを見据えてナオトは容赦のない言葉を投げかける。
「謝れば済むと思ってる?」
ハルは青い顔で首を横に振る。
「消えて。……二度とアンタの顔は見たくない」
その声は、いつものオネエな声ではなく、野太い男の声だった。初めて聞いたナオトの素の声は、心底くたびれ、震えていた。
ハルはもう何も言わなかった。俺も何も言えなかった。
ナオトがどれだけの傷を抱えていて、かさぶたを無理やりはがされたのか想像もつかない。俺が陥りかけた手術前の一日なんて、可愛いものだったんだろうと思う。
それほど、ナオトの表情は苦渋に満ちていた。
「さ、帰りましょ」
ナオトは立ち上がると、まだくっついているリオを抱き上げた。リオはエマージェンシーブランケットを握り締めたまま、泣き寝入りしている。
「ああ、もうそんな時間だよな」
「そうよ、こんな夜遅くに外に出てるだけでお説教ものよ? ……今日だけは許すけど」
「すまん」
ナオトはふふ、と笑ってリオに視線を落とし、ブランケットでくるむように抱っこしなおした。
「どうせあんたとの約束破って突入してきたんでしょ」
「……まあ、な」
「やっぱり。リオらしいわねえ」
ナオトのあきれたというよりは慈しみにあふれた笑みに、俺も釣られて苦笑する。
ちらりとハルを見ると、ナオトに叱られたまま、立ち尽くしている。
今後ハルが新しく玩具を呼ぶことはもうないだろう。あとは……リオさえ立ち直れば、俺もナオトもお役御免だ。
「遊人?」
出口へ歩き始めたナオトが足を止めてこちらを見ている。
俺はちらりとハルを見たのち、ナオトのほうを向いた。
「ナオト、先に帰ってくれ」
「……どういうこと? 遊人」
「俺はまだやることが残ってる。……リオを頼む」
このままここにハルを放置して帰ることはできない。
俺だけが聞いたハルの事情を、長く被害者であったナオトやリオに聞かせるつもりはない。俺はこっちにやってきて日が浅く、ハルに対する恨みもそういう意味合いでは二人よりは浅い。
だからこそ、俺がやるべき事だろう。
もしかしたら、その予測があったのかもしれないな、ハルには。まあ、わかんねえけど。
「アンタ……まさか」
「話はあとでな」
言いかけるナオトの言葉を遮って、手を振る。しばらくナオトは俺を今まで見たこともない冷たい目でにらみつけていたが、リオが身じろぎしたタイミングで背を向けた。
「……すまん」
わかってる。ナオトが受けた仕打ちも、今まで玩具にされて壊された人々も、リオも。簡単なことで許せるはずがないことは。……ナオトのあの表情からするに、ナオトも心の傷を暴かれたのだろう。
それでも、俺はハルを傷つけたくはない。リオの兄弟でとなるはずだった魂なのだとしたらなおさら。
ここでその真贋を見極めることは困難だ。そんなことはわかってる。
でも、それではだめだと思う。
恨みつらみをハルにぶつけて終わる話じゃない。……リオの心の傷を癒せなければ、ハルは再びリオを匿うだろう。この世界に。
もしかしたらそのほうがリオにとってはいいのかもしれない、とちらと思う。
現実世界でどれほどの心の傷を受けたのかはわからない。死にたいと願うほど辛いのであれば、この世界に逃げ込んで正解だとも思う。
だから……これは俺のわがままだ。
リオが俺と同じ現実世界のしかも近くにいるのだと仮定するならば。
……ここから解放されて戻れるのならば、リオに会いたい。現実のリオに。
そのためには彼女も……ハルも救わなければ終わらないだろう。
そして、会えた彼女が同じく幼女なのだとしたら、俺は十年ぐらい軽く待つ。……その程度には溺れてる。
「ハル」
「……はい」
前に立って呼ぶと、ハルは顔を上げた。俺はハルに視線を合わせるように床に膝をついて覗き込んだ。
「俺はリオを現実に戻したい」
「……はい」
「どうすればいい? どうすれば戻せる。教えてくれ」
なにより、リオの絶望の理由を知らなければ、戻ったところで再び絶望を得て、ハルはここに隠すだろう。
それを元から断つには、すべてを見てきたハルの協力が絶対だ。
ハルはじっと俺の目を見つめている。もう一度教えを請い、頭を下げると、頭上からため息が聞こえた。
「……わかった。手伝う」
静かに告げるハルの声に俺は顔を上げた。目の前の少年は、ほんの少し目を細めた。
「その代わり、条件がある。……宮殿の権限をすべて僕に戻して」




