24.揺り籠
ハルとリオの関係について、若干加筆しました。
「お前、リオを見たとき動揺してたろ……教えろ。お前とリオ、どういう関係だ」
ハルは階に腰かけてうなだれたまま、動かない。
二人は髪と目の色を省けばよく似て見える。
日本人には欧米人の区別がつきにくいとかいうから、もしかしたら単にそうなだけなのかもしれないけど。
同じくらいの年恰好をしたリオとハル。それは一体何を意味しているのか。
「リオは地下を怖がってた。……あいつを玩具にしたのはお前だろ」
「……玩具……じゃ、ない」
長い沈黙のあとで、ハルはそれだけつぶやいた。まるで冤罪だと言わんばかりのその口調に苛立って、俺はハルの胸倉をつかむ。
「嘘を言うな。リオは宮殿から逃げるまでずっと、地下にいたんだろう? 地下は玩具用の住居スペースだと言ったのはお前だろうが」
「違うっ!」
「何が違う?」
怒り顔で噛みついてきたハルの目は、今までにないほど真摯に俺を見ていた。
「……もとは揺り籠だったんだ」
「揺り籠? 檻の間違いじゃねえのか」
ハルはうつむいて首を横に振った。
「違う。……僕はいつだって見てきた。……笑った顔も泣いた顔も、怒った顔も」
胸倉をつかんだままだった手を外す。一体何を語り始めたんだ。
「だからあの時、こっちに引き込んだ。守るための揺り籠に」
膝の上で握られた小さな手の甲に水滴が落ちる。
「お前……リオの何だ」
ハルの前に膝をついて視線を合わせるように下からのぞき込むと、ハルは潤んだ目をごしごしこすりながら俺と視線を合わせたまま首を横に振った。
「……わからない。でも、僕はずっと見てきた。生まれたときからずっと。ううん、生まれる前から」
「生まれる前から……? どういう意味だ」
その質問に、やはりハルは首を横に振る。答えられないのは、答えを知らないからなのか、言えないからなのか。
じっと見つめていると、視線を外してハルはうなだれた。
「僕らは同じ場所にいた。暗い水の中に。あいつが生まれたとき、僕も生まれた。でも……僕はここにいた。一緒に生まれるはずだったのに……」
その言葉の意味をとっさに受け取り損ねて――それから一つの可能性に思い当って、俺は眉根を寄せた。
――バニシングツイン。
オカルト方面はそれほど詳しくねえけど、友人にオカルトマニアがいるおかげで基礎知識だけは頭に入っている。
双子だったはずの胎児が、いつの間にか一人になって、もう一人が消える現象……だっけな。
もし本当にそうなのだとしたら。
ハルはリオの兄か弟ということになる。
そこまで考えて、俺は首を横に振る。
いやいや、おかしいだろう。そんなこと、現実に起こるわけねーんだ。
ここがどこだか知らねえが、消えた胎児の居場所だなんて、あるはずねえ。しかも、まったく関係のない赤の他人を引きずり込める、こんな場所が、あるはずねえ。
「ずっと見ていた。あいつが……生きるのを拒否した時も」
ハルのその言葉にはっとリオを見る。ナオトのそばにへたり込んで深い青の髪の毛を撫でているリオが見える。
あの、前歯全部見せてニカっと笑うリオが……まさか。
「どういう……ことだよ」
どれだけ揺さぶっても、ハルは詳しく口にしようとはしなかった。
俺はハルの横にへたり込むと足を投げ出した。
そもそもバニシングツインなんて話やここのことを完全に信じられるかと言われれば即座に否定するだろう。――いつもの俺は。
だが。
ここに俺がいて、ちゃんと触れる存在としてのリオやナオトがいて、ハルがいる。
すべてが夢だと片づけられるのならとっととそうして起き上がりたい。
目覚めたらきっと病院のベッドの上で、なかなか起きてこない俺を心配して誰かが必死に起こそうとしてるとか、そんなところだろ。
でも。
今の俺にとってのリアルはこの世界で……すべてを夢だと忘れることができない。
どうやったら元の世界に戻れるのかも分からない。何より……リオを見捨てて戻れるはずがない。
だから……信じることにする。
そして――一つだけ、俺にとっては嬉しいニュースがあった。ハルの話からすると、リオは現実に存在する人間だということ。
俺がこの世界から去りがたいと思っているのは……間違いなくリオの存在だ。
リオと会えなくなるなんてことを考えないようにしているだけで、この世界から現実に戻れるよと手を差し伸べられても、きっと俺はその手を取らなかいだろうから。
と、まあ、自分に都合のいい情報だけはしっかり脳内に記録しておいて、元の議論に戻る。
リオがなぜここに来たのか。
ハルの言葉を信じるならば……現実のリオに生きているのが辛いほどの何かがあったということ。
その苦痛から解放するために、ハルはリオをここに連れてきた。
でも……なんで地下なんだ。
揺り籠、と言っていたけど、リオを現実のストレスから解放するためなら、閉じ込めるのはダメだろう。
そこまで考えて、リオが宮殿を出てきた理由にたどり着いた。
「ハル。……ネヴィという名前に覚えはあるか」
ハルは首を横に振る。誰に命じたのかなんて覚えてないのだろう。
「リオを宮殿から出したのは、リオの希望だったのか?」
「ううん……僕が出した。二度と戻らないように」
あのリオが、地下の揺り籠に幽閉されて平気でいられるはずがない、と俺でさえ思う。
リオがハルの顔を見ても反応しなかったことから、リオの揺り籠にハルは顔も出さなかったのだろう。誰もいない空間に一人。気が狂ってもおかしくない。
だから出したのだ。……リオを守るために。
宮殿の外にあれだけの人を住まわせているのは、リオの望む『普通の生活』を演出するためだったんじゃないだろうか。そう思えてきた。心の傷を癒すために、箱庭を作り上げたんだ。
「じゃあ、なんで俺のような玩具を呼んだ?」
ハルはびくっと体を震わせた。
「……俺は、『カミサマ』が気まぐれに玩具を呼び、弄んで壊すと聞いた。壊れたら次を呼ぶんだと。リオやナオトは、お前が気まぐれに呼んだ玩具を逃がすために動いていた。俺もリオとナオトに救われた口だ」
「僕は……」
体を起こすと、ハルは唇を強く噛みしめていた。
「最初はな、『カミサマ』が人間の感情を食らってるんだと思ってた。どっかのアニメや小説みたいにな。そんなのカミサマどころじゃねえ、まるで悪魔のような所業だと思った。だから、そいつに一矢報いてやろうと思ってここまで来たんだ」
リオとナオトに視線を向ける。
床に視線を落としたままハルは口を開いた。
「……僕はあいつと一緒に育ってきた。あいつが笑えば僕も楽しいと思ったし、あいつが泣けば僕も悲しいと思った。でも……こっちに引き込んでから、わからなくなった。揺り籠にいるあいつは泣いてばかりで、笑うこともなくなった。だから……近くにいた人の感情を借りたかった」
「借りたかったって……」
そんなに簡単に言うなよおい。
手術が終わってさっさと起きるはずだったのに、周りに迷惑かけっぱなしで、いつ戻れるともわからないって……。
いや、俺はまだいいよな。ナオトなんかどうなんだよ。リオはナオトはずいぶん長い、と言っていた。
何年、こうやってこの場所に閉じ込められてるんだ? その間、本来の体はどうなってんだよ。俺の体だって……。
そう詰ろうとしたけど、言葉が出てこない。
「いつも笑っていて欲しかっただけなのに」
知らねえよっ。しかも、あの時無限ループになっていたのは、どう考えてもいい感情じゃない。手術前のピリピリした雰囲気、いつまでも終わらない一日に対する恐怖。そんなのを絞り出してどうすんだっての。
「そんなことせずに……お前が話し相手をすればよかったんじゃねえのか」
「僕には……話せることなんかない」
「別に、話さなくってもいい。話を聞いてやるだけでもいいんだぜ。……リオはその……死にたいと思うほど思い詰めてたんだろ?」
ハルはのろのろと俺のほうを向き、ハの字に眉を下げた。
「なら、聞いてやればよかったんだ」
誰かに胸の内を聞いてもらうだけでも救われることだってある。
なにより……共に生まれてくるはずだった兄弟なのだ。それだけで特別な存在だというのに。
ぺしっと後頭部を叩くと、ハルは涙目のままうつむいた。
「僕……間違えたんだね」
ぽたりと涙が床に落ちた。




