22.秘密兵器
足元の暗闇に、とっさにぎゅっと目を閉じて落下に対して身構える。
遊園地なんかでよくあるフリーフォール系ライドは大の苦手なんだよ。あのふわっと浮く感覚は全身の血が逆流するみたいで気分が悪くなる。
まだ落っこちてもないのにあの感覚が戻ってくる。体が覚えてるのだ。勝手に全身の毛穴が開いて汗が噴き出してくる。首筋も背中もぞわぞわする。
「……なんで、落ちないの」
落ちてるだろうがっ、この感覚がまさにその証拠じゃねえのかよ。頭の先までぞわぞわが突き抜けて、重力が戻ってくるあの一瞬を待つ。
だが、戻ってこない。重力が。
「なんで、落ちないの」
イラついたクソガキの声が聞えたと思ったら腕をつかまれた。フリーフォールの感覚が続いてる状態でなんで腕を握れるんだよ。
腕を振り払おうと目を開けて――俺は固まった。至近距離にあのクソガキの顔があって、その後ろに見えるのは赤い絨毯を敷いた階、そして玉座。
「お……っこちて、ない」
「だから、なんで落ちないんだよっ」
思いっきり顔をゆがませたクソガキが俺の方を睨んでくる。さっきまで出ていた黒い気配はずいぶん薄まっていた。
足元に穴が開いたんだよな、確か。
視線を床に落とすと、真っ黒な口がやっぱり俺の足元には広がっていて。落ちる感覚がリバースしそうになったのをなんとか精神力で押しとどめて。
――落ちてねえ……な。
右腕につけた腕輪をちらと見やる。
足元から吹き上げる柔らかな風。俺を包み込むように展開されている特殊空間が、ぼんやりと蒼い光を放っている。
クソガキがつかんでいる腕の部分から、その光はクソガキのほうへ伸びていく。驚いて俺の腕から手を離したクソガキは、それでも広がり続ける蒼い光に手をぶんぶん振り回した。
「なんだよ、これっ!」
「はは……」
声がようやく出た。
なんだ、成功してたんじゃん。
俺は左手首の腕輪を外して調整すると、左の二の腕に――右腕と同じ場所にはめた。
足元から吹き上げる風が強くなる。さっきまで髪の毛すら揺らせない程度の微風だったそれは、俺の剛毛を揺らす程度に強くなった。
両手で柏手を打ち、あわせた手のひらの間に隙間を作る。蒼い光で覆われたその部分はほんの小さな空間だ。目を閉じて今欲しいものを思う。手のひらサイズの空間で腕輪を作るのは無理そうだから、同じ機能を持つ指輪にして意識を集中させる。
「お前、何やってんだよっこれどうにかしろよっ」
「男ががたがたうるせえな。ちったぁ黙って我慢しろっ」
「なっ……」
またブチ切れて黒い気配が染み出すかと思ってたが、意外とその気配は変わらなかった。
チンとまるで大昔の電子レンジのような音が脳裏に響く。目を開き、合わせていた手のひらを開くと……思った通りのものが現れた。
自動サイズ調整機能付き、リモート機能付き、小指の爪ほどのカボッションカットの赤石が嵌められた、銀色の指輪。
「何……お前、それ、どっから出した」
「何だっていいだろうが。それより手ぇ貸せ」
クソガキの青い光に包まれた腕をつかもうと手を延ばすと、クソガキははっきりと恐怖を表情にあらわして後ずさった。その分ずいと歩を進めれば、膝が笑っているクソガキなんざ捕獲するのは朝飯前だ。
「は、離せっ、僕に触るなっ」
「何言ってんだよ、さっきはお前の方からつかんできたくせによっ」
抵抗するガキを体重かけて取り押さえると、手を無理やり開かせて右の中指に指輪を突っ込んだ。途端に輪っかの部分が縮まっていき、ぴったりのサイズになったところで全身に蒼い光が広がった。
「おっと、調整調整っと」
「や、やめろっ、離せっ」
もがくガキの力は思ったより弱かった。指輪の調整を済ませてから解放すると、クソガキはあっという間に玉座の後ろ側に逃げ込んだ。
「くっ、取れないっ……お前っこれ外せっ」
「やだね。お前のために作ったんだ。外さねえし外させねえ」
にやにや笑いながらゆっくり玉座に歩み寄る。きっと今の俺、すっげー悪い顔してる。てか意識して威嚇するような顔してんだけどよ。
「くそっ、ここは僕の城なんだぞっ、僕のいうことを聞かないとっ」
「聞かないとどうする? 殺すか?」
玉座にたどり着いても、クソガキはその陰から出てこない。どうやら逃げる気力もないようだ。
手を延ばして襟首を捕まえると、重たそうな王冠がころりと落ちた。拾い上げたそれを玉座に置いて、クソガキの顔を覗き込む。もちろん至近距離で、目いっぱい怖い顔をしてな。
「ひ……」
「なぁ、面白いことしてくれたよなぁ?」
「ぼ、僕はっ」
「僕は? なんだよ」
クソガキは息を飲み込んでガタガタ震え出した。
「あーったく、めんどくせぇなぁ……とりあえず、外にだした兵士、全員戻せ」
「な、だ、だめ、だっ、侵入者、がっ」
襟首から手を離し、胸倉をつかみあげる。……リオにも同じことしたな、そういや。
「あれは俺の連れだ。ここまで通せ。傷一つつけてみろ。……本気でつぶすぞ」
「ひっ」
半泣きで鼻水垂らしながら、クソガキはこくこくうなずいた。
視界の隅っこにカメラバードの映像が見えている。
リオはあの俊足を生かして兵士から全力で逃げているようだ。
宮殿内にいるときに兵士に見つからなくてほんと良かった。今の俺じゃ全力疾走なんかやったらぶっ倒れる自信があるからな。
見る間に兵士たちは動きを止め、宮殿の方へと向きを変えて戻り始めた。きょとんとするリオの前にカメラバードをちらつかせると、手を延ばして捕らえようとする。あぶねえってのに。
慌てて高度を取ってから、誘導するようにゆっくり飛ばす。
兵士たちの後ろをのんびりついて歩く感じになったが、まあいいだろう。
「なんで……僕の宮殿なのに……」
そうつぶやいて茫然自失してるクソガキに口元だけゆがませる。
これは『神々の戯れ』の空間特性に気が付いたからできたことだ。
この世界では、ある一定の空間の所有権を譲渡することができる。ナオトから俺、俺からリオに渡ったように。
ならば、その所有権を持つ空間を切り離し、閉じ込めて任意に展開できるようにしたら、たとえカミサマの支配する宮殿の中でも、俺が万能である空間ができるんじゃねえか、ってな。
そこから、空間を広げるのは結構苦労した。切り離して閉じ込めた空間に接触しているものがあれば、そのものを丸ごと包含するように空間が自動伸縮するのだ。
だから、クソガキが俺の腕をつかんだ時点で、俺の勝ちは決まっていた。蒼い光がクソガキを包んだ時点で、俺の支配下に置けたのだから。
ただ、完成したとはまだ言えない。この装置……腕輪と指輪を少しでも離すと空間の所有権がじわりと元の持ち主に書き換えられるのだ。
持続性がない、というか空間側に自己修復能力があるってことなんだろうな。
この装置が空間の本来の所有者を乗っ取ってるわけで、自己修復しようとするのは間違ってない。
問題はサイズだよな。大きな空間を支配下に置こうとするなら、大きな装置がいる。腕輪二つでは手のひらサイズがせいぜいだ。
もっと効率よくできればいいんだけどなぁ。
ま、こんなこと、クソガキに教えるつもりはねえけどな。
「さぁて、ナオトのところに案内してもらおうか」
「……なんで……」
そう声をかけたが、うつろな目をしたクソガキは、結局リオが現れるまで正気に戻ることはなかった。
ちょっとショック強すぎたみたい。
あんまりに魂飛ばしてるもんだから、ちょっとかわいそうになったのは秘密だ。




