20.あっさりと。
外に出ると、夜だった。
うーん、あの部屋に時計欲しい。ナオトは時間把握してたっぽいけど、どうやってやってたんだろう。
まあでもおかげで昼間よりは人通りも少ない。
後ろに扉がなくなってるのを確認すると、俺は歩き出した。
あの部屋の出口をつないだのは、宮殿の入り口からさほど遠くないところだ。普段なら人通りの多そうな正門に連なる通りの一角。
夜だから当然、入り口は閉まってるだろうと思っていたんだが。
なぜか開いていた。
城の周りには堀があって、跳ね橋を渡らないと宮殿には入れないらしい。
その入り口には、槍を持った蒼い鱗の兵士が二人立っている。
あの時――ナオトを迎えに来たのと同じ格好だ。
広い正門前を歩いてるのは俺か酔っぱらいぐらいなもので、それ以外は誰もいない。
できるだけ物陰に隠れて、意識を逸らしてもらいたいんだけど、木切れを放ってみても、石を投げてみてもピクリとも動かない。
目の前を酔っぱらいが通り過ぎても兵士二人は声をかけることもない。
そこに人がいるのがわかっていないかのようだ。視線どころか目玉すら動かしていないようにも見える。
俺はナオトが連れていかれた時のことを思い出す。
あの時、部屋にいたのはナオトだけじゃない、リオもいた。でも、リオには何もしなかった。
こいつらは、もしかしたら命令されたこと以外、できないのかもしれない。
そう考えて、俺は物陰に隠れるのをやめた。
こいつらは、きっとカミサマとやらと直結しているのだろう。
話を聞いている限りだと、宮殿に自ら望んで来る人間はいない。何かの間違いで入ろうとしたら、押し返すかもしれない。
でも、カミサマに見えてない俺だったら?
見えないものをどうしようもないよな。
光学迷彩を使って入り込むことも考えたけど、入口よりむしろ入った後のほうがきっと危険度は高い。
入口なら、槍で押し返されて終わりだろうけど、不法侵入を見とがめられたらその時点で即死刑になっても文句言えないだろうから。
思わずこの世界にいない神に祈る。俺の考えが間違っていませんように。
怯えた格好で恐る恐る入るのはもはや意味がないので、震える拳を握り締めて背を延ばす。
俺は今、死人なんだ。
お前たちには見えない。
そう念じながら、跳ね橋に近寄る。
最後の道を渡ったら目の前はもう跳ね橋だ。
ごくりと喉を鳴らしてつばを飲み込み、二人の兵士には視線もくれず、まっすぐ橋の向こう――宮殿の門を睨みつけ。
俺は道を渡った。
◇◇◇◇
心臓が口から飛び出しそうなほど高鳴っている。足が震えてその場にへたりこみそうになって、慌てて宮殿の柱に背中を預けた。
――通れた。
橋の両脇に立つ二人の兵士は微動だにしなかった。
なるべく音を立てないように歩いていたけれど、端に足を乗せた瞬間に小石をはじいた時には飛び上がりそうになった。
それでも、兵士の動きはない。四つの目はただ、真正面を向いているだけだった。
駆け足で渡りたくなるところをぐっと抑えて、ゆっくりと足を運ぶ。
向こう岸に足を下ろした瞬間、止めていた息を吐いた。
それから城門をくぐる。くぐったとたんに嫌な気配がした。
ずっしりと重たい空気、支配的な、精神的圧力を常に感じる。そのうえうすら寒い。
夜だし、その可能性は一応考えてきた。でも、橋のこっちとあちらで明らかに気温が違う。
神域に入ったのだ。
城門を抜けた先は庭園が広がっていた。
晴れた天気の下なら綺麗な庭なのだろうが、月光の下で風に揺れる木々は不気味以外の何者でもない。
それでも、向こうのほうに見える宮殿までの一本道が木々に覆われていないのは有難かった。そうでなくともこれだけの不気味な舞台設定で、宮殿までの道も暗く森に閉ざされてるなんてことになったら途中でリタイアしたくなる。
……するわけにはいかねーんだけどな。
一本道の周辺には兵の姿もない。この時間に神域に入る者自体、ありえないのだ。
道の果てにたたずむ城は石造りの堅牢な佇まいで、まるで要塞のようだ。――これがカミサマの住まう宮殿だ。
ここにも入り口には人が立っている。だが、俺の方をちらりとも見ない。
リオが言っていたように、廊下にはぞろりと兵士が立ち並んでいる。彼らも蒼い鱗の鎧を身に着け、槍を掲げている。だが、まったく動かない。
やはり、彼らはカミサマの手足であり、ただの傀儡――人形だ。
ならば、カミサマからは見えない俺も、兵士たちには見えない。
建物の構造を把握しておきたいところだけど、あまりにも広すぎ、しかも横道がいっぱいある。
ナオトがどこにいるのか。そしてカミサマはどこにいるのか。
兵士たちが立ち並ぶ廊下の入口で、リュックを下ろして中の機材を取り出す。
まずは地図。
キューブ型クリスタルで、3D投影できるやつだ。もちろん、仕組みなんかは適当だ。俺がこういう機能を持ったこんぐらいのサイズのもの、と念じて作っただけだから、性能は正直、不明だ。
宮殿内が何階層になってるのかもわからないから、とにかくオートマッピング機能付きに仕上げた。……って言っても、スタート地点から俺がたどった道の情報が描かれるだけだけど、それだけでもずいぶん違うはずだ。少なくとも、同じ道をぐるぐる回る可能性は減る。
次は、偵察用の無音型カメラバード。
手のひらサイズのドローンだ。ネズミ型にしようかとも思ったんだけど、それだと視点が低すぎるかなとも思ったんだよな。
こいつの撮影した赤外線映像はゴーグルに送られる。というわけで暗視ゴーグルもつけると、元のようにリュックを担いで立ち上がった。
宮殿内は暗かった。夜の廊下は月明り以外の光源がない。立ったままの兵士たちはたいまつ一つ持たず、暗闇の中に立っている。つまり――闇に紛れるのは簡単だ。
あとは宮殿内をくまなく探してナオトを見つけるだけだ。
時折ずきりと心臓が痛む。
これは――ナオトの心が痛めつけられているせいだろうか。あいつのかけた魔法が溶けかかってるのかもしれない。
だとしたら、のんびりしてる余裕はない。
とっとと攻略を始めよう。
俺はクリスタルキューブを握り締め、闇に沈む兵士たちの廊下を歩き始めた。
◇◇◇◇
広い宮殿内にはいくつもの大きな部屋があった。だが、どれも真っ暗で、ほこりとカビの匂いしかしない。片っ端から廊下に面する部屋を開け放ち、道を探す。
上に上がる階段は見つけた。おそらくカミサマは上にいるのだろう。階段を少し上がると体にかかる威圧感がぐんと上がる。
地下があるのか、それともカミサマのそばにいるのか。
その時、不意に空気が揺れた。
廊下に立ち並ぶ兵士たちが動いたのだ。鎧の立てる金属音、ピシッと足音をそろえて兵士たちが廊下を外へと――俺が入ってきた方へと歩き出す。
どうするべきか、一瞬悩んだ。
何が起こったのかはわからないが、何かが起きた。
それは――神域への侵入者なのか、あらたに落ちてきた人でもいるのか。
どちらも嫌な予感しかしない。
誰かが入ってきたというのなら――リオかもしれない。
新たに誰かが落ちてきたのだというのなら、それは――ナオトが『壊れた』ことに他ならない。
でも、俺の心臓は止まっている。時折痛むが、止まったままだ。ナオトに何かあれば俺の時は進む。
まだ、大丈夫だ。
こいつらについて行って様子を見るべきか、それとも手薄になった城を攻めるべきか。
躊躇することなく、俺はカメラバードを飛ばした。一台は兵士の向かう方角へ、兵士を追い越して飛ばす。もう一台は二階へ。
それから、ポケットに入れておいた腕輪を両手にはめた。
さっき見つけた上への階段に足をかける。
プレッシャーだのなんだの、そんなのは慣れっこだ。大企業の偉い人たちを前にどれだけプレゼンをさせられてきたか。俺は営業じゃないってのに。
あの、心臓を雑巾絞りされるような感覚よりよっぽどましだ。
続々と兵士が流れていく。俺を無視して。
リオなのだとしたら――。
すぐに取って返したくなる心を叱咤して階段を駆け上がる。一分一秒でも早く、ナオトを見つける。
通りすがりの部屋をすべて確認し、開け放っていく。本当に誰一人住んでいないのだ。侍女や世話係の人間でさえいない。
それもすべて、カミサマがやっているのだろうか。人形たちにやらせているのだろうか。
三階に上がったところで初めて、自分の足音と兵士の立てる音以外の音が聞こえた。
「ようこそ、玩具君」
ワンフロアぶち抜きのそのだだっ広い部屋は、かがり火があちこちに焚かれていて、床には黄色と赤のじゅうたんが敷き詰められているのが見て取れた。
その奥に、三段上がったところに、真っ赤なタペストリーの前に、一脚の椅子があった。
金に輝く椅子に座るのは、白地のベストとズボンの上から金糸銀糸で縁取りされた真っ赤なマントを纏い、頭に赤と白の王冠をかぶった――リオぐらいの少年だった。




