2.やっちまった
「ちげーよっ」
苛立ってつい、差し出された手を弾いた。
「てめーの名前聞いてんじゃねえっての」
「じゃあ何が聞きたいってんだよ」
手を引っ込めて幼女は唇を尖らせた。拗ねた顔もなかなかかわいい。
「だからぁ、てめぇの正体を聞いてんだよ。神様でないなら何なんだよ」
「だからさっきから言ってるだろうがよ、リオだって」
「意味わかんねー」
俺はしゃがみこんで頭を抱えた。
目の前にいる幼女は中身おっさんで、手術は成功したのかどうだか分からねえ。それどころか俺が生きてるのか死んでるのかもわからねえ。神の国とやらに引っ張り込まれて寝間着だわ裸足だわ幼女には頭ごなしに叱られるわ、ほんと意味わかんねー。
何者か聞いたらリオとしか言いやがらねえし。リオってなんだよ。カーニバルで有名な街かよてめーは。
誰か教えてくれ、俺はなんでここにいるんだよ。手術は終わったのか? 俺、死んだのか?
「まあ、深く考え込むなや兄ちゃん」
ぽんぽんと肩を叩く手。しゃがみこんでるせいで幼女の背でも手が届くのだろう。顔を上げてじろりと睨め付けると予想通りにかっと笑った幼女の顔が至近距離にあった。
理由の半分以上はてめーのせいだ。
……って胸ぐら掴んで揺さぶってやりてえ。
じろりとにらみつつ、頭を横に振る。
いかんいかん、いい年した大人が、幼女掴んで揺さぶってるとかやっぱヤバいよなあ。そうでなくてもさっきからちらっちらっとこっちを見て通る人の姿が目に入ってて、通りの向こう側にはおばさんぽい女性がこっち見ながらヒソヒソ話してる。
……我慢、我慢。
ふかーくため息をついて、地面にぺったりと腰を降ろし、立てた膝に肘をついてうなだれる。
「とりあえず、その格好をなんとかしろや、兄ちゃん」
「……うるせぇ」
頼むからもうほっといて欲しい。
何でここに来たのか分からねえけど、この幼女の言ってるのが正しいのなら異世界でもなきゃ転生したわけでもねえ。チートもなけりゃ金もない。
何も能力や才能のない俺が、どうやって金を稼げるっていうんだよ。
あれか? RPGよろしく冒険者にでもなれっていうのか? あいにく剣道もやってなけりゃ柔道もやってねえよ。受け身は取れるけどよ。
あーもう、何も考えたくない。
このまま寝て目覚めたらベッドの上とかってねえかな。
また宥めるようにぽんぽんと肩を叩かれた。
「うるせえよ。ほっといてくれよ。どうせ俺なんかギルドに登録した最初のチュートリアルでそこらへんのゴブリンだかスライムだかに一発で食われておしまいの武芸未経験者だよ。こんな世界で俺に何させようってんだよ。パソコンもインターネットも何もないこんな世界で、俺に何ができるっていうんだよ」
「はぁ? なにわけのわかんねえことぶつぶつ言ってんだよ。チュートリアルだのゴブリンだのパソコンだの、一体何の話だ?」
喚き散らしてから、仕事のことを考えてる自分に気がついた。
ぶっちぎりの納期、クライアント任せの仕様変更、ぐだぐだなテスト仕様書、とりあえずの納品。徹夜、会議、書類書き、徹夜、バグ取り、サーバーメンテ、アップデート、徹夜、書類書き、書類書き、書類書き。
ストレスで胃をやられて手術する羽目になった原因だってのに、まだ考えてる。
あのプロジェクト、無事完結したかな、手術の日が公開日だったはずだ。あいつにあとを任せたけど、大丈夫だろうか。テスターが足りねえとか言ってたけど。実機が手配できないとかこぼしてたからなぁ。なんて、ぐるぐる考えてしまう。
ああまた胃がキリキリ痛んできた。
「なんだ、てめぇも単なるヒキニートか。つまんねぇな」
「……なんだと?」
不意に落とされた言葉に、頭をあげて幼女を睨め付ける。
「引きこもってもニートでもねえよっ! ちょっと分かったような顔して適当な単語並べてんじゃねえよっ! あのプロジェクトにどれだけ時間と人手をかけたと思ってんだよっ! 俺だってなあっ、手術さえなかったら、公開日当日にみんなと一緒に完成を喜びたかったよっ! 必死に生きてる人間舐めんなよっ!」
ああもう頭ぐちゃぐちゃだ。
何言ってんだよ俺。ここでこいつに当たり散らしたって仕方ねえのに、吐き出した言葉が止まらない。頭がぐるぐる回ってる。
「ちょ、おい、兄ちゃん、ギブギブ!」
幼女の悲鳴にはっと顔を上げる。
気がつけば地面にあぐらかいた状態で幼女の胸ぐらを両手で掴んでゆすりあげてた。あちこちからヒソヒソ言ってる声とか視線とかばしばし刺さって、あわてて手を離す。
「わ、わりぃ……」
あー、だめだ。死んだ、俺。
最低最悪だ。
この世界でもう生きて行けねえ。
やらかした。
さっきからバシバシ視線が突き刺さる。痛えよ。
変な格好したいい年の男が幼女虐待って、スポーツ新聞の格好のネタだよな。
神原遊人二十八歳。
ここまで清廉潔白にノー前科でやってきたってのに。
幼女虐待で警察のお世話になんのか。
この世界に警察あんのか。なんとか騎士団とか自警団とかいうのが来るのか。しらねーけど。
もーどーでもいいわ。
あー、一服やりてえ。
入院してからこっち、敷地内禁煙だとかで強制プチ禁煙中だ。
イライラもたまるってもんだよ。
「……タバコ吸いてぇ……」
うなだれて地面を眺めながら、俺はつぶやいた。