10.夢か現か
「アンタたち、出てくるのが遅いのよっ」
部屋から出るなり超不機嫌なナオトに文句を言われた。
「仕方ないだろ? 部屋から出るのに手間取ったんだからよ」
ナオトは特に説明しなかった。リオが部屋からの出方を知ってる風な口調だったし。
リオが知ってると思うじゃね? ふつー。
「ありえないわぁ。ほんと」
リオは何も知らなかった。
窓も扉もない部屋に閉じ込められて、ありとあらゆる場所を探し回った。
そして。
癇癪をおこしたリオが「出しやがれ!」と叫びながらぶん殴った壁に扉が現れたのだ。
ナオトはリオの両頬をつまんでぐにぐにと引っ張る。
「い、いひゃいよ、にゃおろ」
「ボケてんじゃないわよ、リオ。あの部屋からの脱出方法忘れるとか、ほんっとありえないのよ」
「お、おい。痛がってんじゃねーか。手を離せよっ」
「これはリオが受けるべき正当なお仕置きよ。あんたは口出さないでっ」
痛がるリオの悲鳴と涙を無視してナオトはぐりぐりとほっぺたを引っ張り倒して、ようやく手を放した。
「ナオト、痛いよ」
「痛くしたんだからあたりまえでしょお? まったく。……何があったの」
不意にナオトの声が厳しいものになった。今日は赤ベースに豪華な刺しゅう入りの深いスリットの入ったチャイナドレスを着ているが、それにそぐわないほど低い声。
「……遊人が、落っこちそうになったから」
「……へ? 俺?」
ああそういえば、一度起きた時にリオ、ぼろぼろ泣いてたよな。あの時に、落っこちそうになってたって言ってたけど、あれって、ベッドから落っこちそうになってた俺を引っ張ってくれたとか、そういう話じゃなかったのか?
俺、てっきりそう思ってたけど。
「そう。……ずいぶん早いわねえ」
うつむいたリオはナオトの言葉にこくりと頭を縦に振った。
ナオトはちらりと俺のほうを見て、頬に手を当ててため息を吐く。
「もう迎えが来るなんて。早すぎるわ」
「うん。……まだ、渡せない」
ぎゅっと目をつむったリオは、力強く頷くと、俺のほうを振り返った。
「遊人」
「なんだ」
じっと俺のほうを見るリオの目は、今まで見てきたのとは全然違っていた。
中身おっさんだけど時折見せる表情はどれも十代の女の子の顔で、俺は気にせず子供だと思ってきたけれど。
今見せている――目に浮かんでいる感情は、どれも十代の子供の見せるようなものじゃないのは俺にもわかった。
年齢不相応な、諦念ともいうべきもの。
こんなリオを、俺は知らない。
たかだか昨日出会っただけの少女のはずで、どんな顔がリオらしいかなんて語れるようなものでもないけど。
リオがまるで百歳も二百歳も年を取ったように見えた。
と、リオが不意に目を閉じ、うつむいた。
「リオ?」
次に顔を上げ、開かれた紫色の瞳は、いつもの幼いリオのもので、八の字眉でおなかに手をやった。とたんに腹の虫らしい音が聞こえる。
「おなかすいた」
「はいはい、すぐ用意するからそこに座っといて。……まったくもう」
ナオトもいつものコケティッシュな……と男に使うのは間違ってると思うんだが、とりあえず手当たり次第に愛想を振りまく笑顔を浮かべると、姿を消した。
「遊人もご飯たべよ。オレ、腹ぺこだよ」
「あ、ああ。そうだな」
そう答え、昨日と同じ場所に腰を下ろしながら、俺はリオから目が離せなかった。
一瞬とはいえ見たリオの表情を、見なかったことにはできない。
「リオ」
「ん?」
「……ちゃんと説明、してくれるんだろな」
向かいの席のリオは、俺の目を見て、すぐ視線をテーブルに落とした。
俺が怒っているのは伝わっているのだろう。
「遊人」
「はいはい、お待たせ。まずはご飯食べなさい。それからアンタの部屋に案内するから。話はそのあと。いいわね」
口を開きかけたリオの前にプレートが置かれる。トーストとゆで卵、生野菜にウインナー、ベーコン。いい匂いがして俺の胃もくーと鳴く。
「うん。……遊人もそれでいい?」
「ああ」
ナオトの提案に乗ったリオの言葉に、俺は相槌を返す。
スープカップとカフェオレボウルもテーブルに置かれて、俺はトーストに手を伸ばした。
昨日食べたナオトの料理は絶品で、リオと楽しく食べた食事は最高の食事タイムだった。
でも、今はまるで味がない。
砂を噛んでいるような気分だった。




