112話:ピクルスVSキュービック
ベンガルトの腕力はトレスマリアにも劣らない。剣を持っていない俺がベンガルトに勝つのはまず不可能だ。いや、力で押し切るタイプのベンガルト相手では仮に九蓮宝刀を持っていたとしても勝ち目は薄いだろう。
(ここで切り札を使う訳にはいかないしな……どう乗り切るか……)
ジリッと間合いを詰めてくるベンガルト、俺はそれに合わせるように一歩下がり距離を保つ。恐らく一撃でも食らえば致命傷は避けられない、回避を優先に正対して構えをとる。
「はははー! ついに観念して戦闘モードに入ったようだなピクルスよ。それでは早速始めるとしようか『ビースト缶けり』を!」
は?
頭のおかしいキツネが懐から空き缶を取り出して声高らかに宣言する。
「缶けり? この状況で何言ってるんだ、ふざけてんのか?」
「ふざけてなどおらんぞぉ! そうか、貴様はやった事がないのだな『ビースト缶けり』を。これをただの缶けりだと思っていたら痛い目を見るぞぉ!」
その言葉にベンガルトも腕を組みながら二度三度と小さく頷く。なんなんだビースト缶けりって? 俺が知っている缶けりと何か違うのか?
キツネは缶を地面に置いて半径10メートル程度の円を地面に描きながら、ビースト缶けりのルールについて語り始める。
「『ビースト缶けり』とは古来より伝わる罪人を裁く儀式。鬼と呼ばれる罪人と正義と呼ばれる裁きを下す者たちとに分かれて行う断罪の儀だ。」
円をトントンと足で踏みつけながらキツネは続ける。
「この円の中の缶は罪人であるピクルス、貴様そのものだと思え。そして我々正義は20数える間に身を隠し貴様の命ともいえる缶を狙う。助かりたければ我々を探し出した後、見つけた者の名前を呼び缶を踏むのだぁ。そしてこの『ビースト缶けり』の恐ろしい所は……」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべて地面に置いた缶の向きを変える。
「こ……これは!?」
缶の中央には多分俺の顔だと思われる絵が描かれていた。
へ、下手だ……
「はははー! どうやら気付いたようだな! この『ビースト缶けり』は罪人の顔を缶に描くことで蹴られる度に誇りと尊厳を奪われていく過酷な儀式なのだぁ!」
なるほど、つまり普通の缶けりか。
大仰に説明するキツネに冷ややかな視線を送る。
「我々が蹴り続ける限りこの儀式が終わる事はない。何度でも何度でもお前の顔を描いた缶はボコボコにされ続けるのだぁ!」
いや、別にいいけど。
このキツネに「そんな事するよりこのままベンガルトに俺を襲わせればいいんじゃね?」と聞くのは野暮な話だな。
高まっていた緊張感は消えて無くなり、気怠さすら感じて来た。そう思わせるこいつのこれは一種の才能なのかもしれない。
「何か聞きたい事はあるかぁ?」
一通りの説明を終えたキツネは俺に質問してくる。
聞きたい事……か、お前の脳みそは一体何でできているのか? とか、生まれて来た事を後悔したことはないか? ぐらいしか聞きたい事はないな。
はぁ、と大きく溜息をついた俺は渋々口を開く。
「俺の勝利条件は二人を見つけて名前を呼んで缶を踏む……って事でいいんだよな?」
興味はないが一応キツネに聞いてみる。
「もしそんな事ができればこの儀式はお前の勝ちだ。この場は見逃してやるぞぉ! もっとも天才軍師である私が正義である限り、万に一つもあり得ないがなぁ!」
あ、見逃してくれるんだ。気前がいいを通り越して反逆者レベルの無能っぷりだな。
「僕もこんな事したくないんですけど、すいませんピクルス先輩。分かってください」
苦悶の表情でこちらを見るベンガルト。
大丈夫だ。分かるぞベンガルト。缶けりは三人いないとできないからな、つまりお前は数合わせに呼ばれたんだよ。
「はははー! とにかく貴様がこの儀式から逃れる術は我々から勝利をもぎ取るか、飽きるかしかない! 諦めて正義の鉄槌を受けるがよいわぁ!」
飽きても終わるのかよ。
「他に質問はないかぁ!?」
「別にない」
「では最後に諸注意だけ言っておくぞぉ。トイレに行くときは必ず申告する事、途中でいなくなったら心配するからな。あと缶には石などを詰めては駄目だぞぉ、危ないからな。それに相手に向けて蹴るのも禁止だ」
ビースト缶けりにおける注意点を懇々と説明するキツネと丁寧にメモをとるベンガルト。そしてあくびをしながら話が終わるのを待つ俺。
三者三様の想いが交差してその時は訪れる。
「では説明はここまでだ……覚悟はいいなピクルス! 早速『ビースト缶けり』を開始するぞぉ!」
その宣言を聞いてベンガルトが猛々しい雄叫びをあげる。
(めっちゃ盛り上がってる……)
すぐさま正義である二人は小さく円陣を組んで作戦会議に入る。隠れる場所や、陽動の方法などを相談しているのだろう。時折り聞こえる「いいね!」という台詞が癇に障る。
そして数分の作戦会議の後、キツネは俺に向かって偉そうに指示を出す。
「いいかピクルス、目を瞑って20数えるんだぞぉ!」
そう言ってベンガルトと共に少年のように目を輝かせて、小躍りしながら駆けて行くキツネ。あっという間に見えなくなった二人を尻目に俺は港町の方向へと振り返る。
「……さて、行くか」
二人を無視し俺は当初の予定通り港町に向けて丘を下る。