103話:壊れた歯車②
翌朝、俺たちはニュウナイスが発見した修道女が寝床にしている町へと向かう。名前はペルシャの町。グラン峡谷から更に北へと進んだ場所にあるそれなりの大きさの町だ。
ニュウナイスを翼にして上空から町の中の様子を伺う。王都カレンダの領外ではあるが先の戦争に戦える男は参加していたのか、町の大きさの割に人の往来は少ない。
「それで、勇者バッサイザ―を見かけたというのはどこだ?」
修道女と一緒に居たという勇者バッサイザ―。こんな場所に隠れていたのか?
グラン峡谷で見失ったという報告を受けてから近隣を探させていたが予想以上に近くの、しかも普通に町に居るという事がまだ信じられない。
(そう言えばチェーンソーの勇者を探せって指示していたからな。ミュゼルワールが魔王を回収していたなら魔物にバッサイザ―が誰かを判断する材料がなかったって事か……)
そういう意味では戦争開始時のバッサイザ―の獅子奮迅の活躍を、しっかりと視認していたニュウナイスを追跡者にしたのは偶然とはいえラッキーだったな。
「あ、居まちたよ。あそこの小屋でちゅ」
(なに? 居ただと?)
町中の一角には小さな丘があり小屋が建っている。そしてその小屋のすぐ傍で洗濯物を干している一人の男……
「えっ……バッサイザ―?」
かごの中にある大量の洗濯物を一枚ずつ丁寧に扱っているその男は、確かにチェーンソーの勇者バッサイザ―だった。隠れるわけでもなく普通に生活している異世界の勇者。
(なんで、普通に生活してんだよ! チェーンソーが無いから戦うのを諦めたって事か? それにしてももう少し隠れるとかするだろ普通)
……いや、何かおかしいぞ。そもそもミュゼルワールはチェーンソーである魔王を回収しているんだ。魔物ならまだしもミュゼルワールがこんなに堂々と生活しているバッサイザ―の居所を把握していないなんて事があるのか?
「これで捜索完了でちゅね」
「あぁ……そうだな」
……確かめてみるか。
俺たちは町から少し離れた場所に降りる。
「あ、どうでした? ピクルス様」
「うん、居たよ。勇者」
「良かったわねピクルス君。今夜はスッポンで祝杯よ」
「そうだな、だがその前に……ウィズィ、悪いが一つ頼まれてくれ」
「ほえ? 私ですか?」
俺はペルシャの町を指さす。
「あの町の東に小さな丘がある。そこで洗濯物を干している男を俺が言う場所まで連れて来てほしい」
「えっ、ピクルス様? ウィズィリア様を町の中に入れるんですか? それは危なくないですかね」
「……やれるか? ウィズィ」
「ふっふっふ~。私を誰だと思っているんですかピクルスさん。ウィッチーズの誇る稀代の魔女ウィズィちゃんですよ。そんな丘を吹っ飛ばすくらい雑作もありませんよ」
得意気に鼻をこするウィズィ。
「誰も吹っ飛ばせとは言ってない。というか町中だから魔法は使えないだろ。お前は外見が普通の少女だから簡単に町に侵入できるはずだ」
それにウィズィならもし昨日の修道女に見つかっても、魔物から命からがら逃げて来た可哀想な少女、そう思ってくれるはずだ。後はバッサイザ―が食いついて馬鹿なウィズィでも言える簡単な一言を……
「……そうだな、その丘にいる男にこう言ってくれ『町の外でコンビニを発見したからついて来てほしい』と」
ウィズィを町に送り込んだ俺たちはペルシャの町から少し離れた湖畔で身を隠してバッサイザ―を待つ。
「ところでピクルス様。コンビニって何なんですか?」
「あぁ、なんでも手に入れる事ができる魔法の名前だよサイ君」
「へぇ~初めて聞きました。そんな奇跡のような魔法もあるんですね」
他愛ない会話をしながら待つ事一時間。町の方角からウィズィと、そして異世界の勇者バッサイザ―がやって来た。
(よし、食いついたようだな)
しかしバッサイザ―の姿は随分と軽装だな。武器も持っている様子はない、イーシオカ大陸には最近魔物が少ないから油断しているのか? だとしたら好都合だが……
「それで、ウィズィちゃん。コンビニって何かな?」
「いや~それが私にも分からなくて。すぐ分かる人連れて来ますね。ここら辺に隠れているはずなので!」
(おいおい、俺たちが隠れている事を言うなよ……まあいいか、どうやら一人だ。奴もまさかウィズィが魔王軍側とは思っていないのだろう)
「よし……行くぞ」
俺たちは勢いよく草むらから飛び出し、バッサイザ―の前に姿を現す。
「これはこれは、初めまして勇者バッサイザ―。こんな所でお会いできるなんて光栄です、実は我々もコンビニを探していましてね、宜しければご一緒しませんか?」
「ひっ! ま、魔物……」
腰を抜かしたようにその場に尻餅をついて倒れ込む勇者。
ん? なんだ、様子がおかしいぞ?
明らかに俺たちに対して恐怖しているバッサイザ―。確かに多勢に無勢ではあるが戦う構えすら見せようとしない。
「……おい」
「ひぃ! 助けて下さい、助けて下さい!」
な、なんだこいつ……
バッサイザ―を威嚇する俺の前にウィズィが両手を広げて立ち塞がる。
「ちょっと、ピクルスさん。驚かすのはやめてあげて下さい。この方はどうやら記憶を無くされているみたいなんですから」
なに? 記憶を?
少女に庇われながらガタガタと震えるバッサイザ―。戦争で見せたあの勇敢さは見る影もない。それどころか勇者の力さえ微塵も感じない。
(演技……じゃないよな。コンビニという言葉にも反応しないし)
……なるほど、魔王が使用者を飲み込むってこういう事か……
魔王が自分自身をチェーンソーに閉じ込めた様に、この男の中にも以前は異世界から来た誰かを入れていた……だが、それも今は飲み込んで……つまりこのバッサイザ―の中身はもう別物なわけだ。
ふぅ、と小さく息を吐く。
「殺す価値もないな、もう行っていいぞ」
俺の言葉にウィズィを置いて一目散に町へと逃げ出す勇者バッサイザ―。いや、勇者バッサイザーだった男。
「あらら、行っちゃいましたね。今度私の帽子を洗ってくれる約束をしていたのに」
「それは残念だったな」
俺は釈然としないままペルシャの町を背にする。
ミュゼルワール……一体何を考えている。あいつがこの事を知らなかったはずがない。ならば何故俺にバッサイザ―の捜索依頼なんて出したんだ?
「あの男の人がお空を飛んでた勇者でちゅよね? いいんでちゅか、逃がしても?」
「……もういいんだ、行くぞ」
「はーい。あっ……」
その時、何の前触れもなくウィズィの三角帽子がふわふわと逃げるように空を舞う。
「もう、なんなんですか。風なんてないのに」
髪を抑えながらふくれっ面で帽子を追いかけるウィズィ。
確かに随分と不自然な飛び方だったな……。俺は何気なく空を遊覧する三角帽子を眺める。
(ん? なんだあれ?)
三角帽子の内側で何かが光っている。あれは……刻印? しかもあれって確か瞬間帰還の時に打ち込む刻印だよな……なんで……
何か嫌な予感がした俺は咄嗟にウィズィに静止を促す。
「ウィズィ止まれ!」
「はい?」
ギュ――――ン!!
俺の声と同時に三角帽子目がけて物凄いスピードで光の球体が飛んでくる。
「ふわ~ビックリしたでちゅ。なんでちゅか!?」
「あ……レモンバーム将軍」
サイ君が呟いた通り、光の球体の中から現れたのはレモンバーム将軍。そしてコックリとシャーマが付き添うように立っていた。
(レモンバーム将軍? 今の瞬間帰還はレモンバーム将軍の魔法か。でも、なんでこんな場所に?)
「レモンバーム様! もしかして迎えに来てくれたんですか! やだな~心配しなくても一人で帰れますよ~」
そう言って嬉しそうにはしゃぐウィズィ。
「ウィズィ……」
「シャーマ? どうしたの?」
暗い表情でウィズィの名を呼ぶシャーマ。
なんだか様子がおかしい……いや様子がおかしいのはシャーマだけではない。
「ウィズィ、こっちへ来なさい」
「どうしたんですかコックリ様まで? なんだか顔が怖いですよ?」
「いいから早く来なさい!」
コックリの荒げた声にビクッと反応するウィズィ。
やっぱり何か変だ。そもそも呪術軍の長であるレモンバーム将軍が自分の統治する地を離れてまでこんな場所に来るなんて……何か重要な用事でも……
……!!
瞬間、脳裏に過った最悪のシナリオに全身の毛が逆立つ。
ま……さか……
「ピクルス軍師……」
ゆっくりと俺に視線を向けるレモンバーム将軍。
ゾクッ……
ダークエルフの統領の顔は恐怖を覚える程、静かな怒りに満ちていた。
そしてその顔を見たとき全てを理解する。
(ちくしょう! 嵌められた! ミュゼルワールの野郎ぉぉぉ!!)
俺は咄嗟に九蓮宝刀に手をやる。
ズババババァァァン!
目の前の大地がレモンバーム将軍の魔法によって裂ける。ノーモーションで繰り出された強烈な一撃に九蓮宝刀へと向けた手が止まる。
巻き上がった砂埃を払いながらレモンバーム将軍が冷たく言い放つ。
「ピクルス軍師。四大将軍アールグレイ暗殺手引きの罪、魔王様への反逆とみなし貴様を処刑する」