92話:魔獣ヘルオパンティ戦
ズーン、ズーン、ズーン……
大きな足音を立ててのっそりと当てもなく歩くヘルオパンティの様子を、俺はじっくりと高台から観察する。
「こちらピクルス。あと数分で目標がB地点を通過するぞ」
トレスマリアが遠くで十メートル程の跳躍を見せる。拡散聴力で俺の声を拾った合図だ。
「よし、頼んだぞトレスマリア」
俺たちはそれぞれの持ち場でヘルオパンティを迎え撃つ準備を整える。急遽の作戦会議に少し時間を取られて数十分遅れての地上への到着となったが、城とほとんど変わらぬ大きさのヘルオパンティを発見する事は容易かった。
「と、トレスマリアさん大丈夫でしょうか……」
「大丈夫、トレスマリアはああ見えて体術だけならビースト軍随一の実力者だ」
俺はポンッと不安そうな顔をするシャーマの頭を叩く。
「そうですよシャーマ。ピクルス軍師の立てた作戦を信じましょう」
「は、はい! そうですね」
二人のウィッチーズは顔を見合わせて頷く。
火力だけは凄まじいが何も考えて無さそうな黒猿に複雑な作戦は必要ない。トレスマリアがヘルオパンティと正面切って戦っている間に後方からウィッチーズの攻撃魔法で肛門を狙う、これだけだ。至ってシンプルだが予行演習なしのぶっつけ本番ならこのくらい分かりやすい方がいい。こちらも戦力的には充実しているしな。
後はこちらの攻撃タイミングだが、十分注意を引いた瞬間……つまりトレスマリアに向けて口から黒水晶大爆発を放った瞬間に攻撃を撃ち込む。これなら反撃のリスクなく攻撃可能なはずだ。
(できれば一撃で仕留めたいところだな……)
「ピクルスさん、ピクルスさん」
俺におんぶされていたウィズィが後ろから耳をグイグイと引っ張る。
「痛いな、なんだ?」
「私は攻撃に参加しなくていいんですか?」
「だってお前、今魔力ないんだろ?」
「でも穴を塞ぐ栓としての役割くらいは果たせますよ?」
言ってる意味分かってんのか? あれが絶対に入ってはいけない穴だ。
「いいから、ここはコックリとシャーマに任せておけ」
「うぅ~」
不満そうな声をあげながら俺の右わき腹に数度ボディブローを捻じ込むウィズィ。
うぜぇ! ウィッチーズじゃなければ侮辱罪で始末してるところだぞ。まあ、だがここは我慢だな。ここで呪術軍全体に恩を売っておけば今後何かと事が運びやすい……
「トレスマリア様が動きました!」
コックリの声に反応してトレスマリアが待機していた方角を見る。俺の目に映ったのは軽快なステップを踏んだトレスマリアが今まさに鳥のごとき跳躍をみせてヘルオパンティに飛びかかろうとしている所だった。
「よし、こちらも攻撃準備だ! 攻撃タイミングの指示は私が出す。二人とも遅れるなよ!」
「はい!」
「は、はい!」
ペチン!
……へ?
まるでハエでも追い払うようにヘルオパンティに叩き落とされるトレスマリア。そのまま派手な土煙をあげて地面へと叩きつけられる。
その光景は予想していないものだった。
「ば、馬鹿な……まさかトレスマリアよりも身体能力が上だというのか!? 魔法生命体が!?」
トレスマリアは再度体勢を立て直してヘルオパンティへと飛び掛かる……が、先ほどのリプレイを見ているようにまたしても振り下ろされた黒い右手に難なく叩かれる。
(嘘だろ……陽動にもならないのか、トレスマリアが!?)
その後も何度もヘルオパンティへと挑むトレスマリア。しかし全く問題にされず空と地面へのダイブを繰り返しズタボロになっていく。
……所詮は魔法生命体、魔力はずば抜けていてもあの巨体で四獣王の動きについて来れるはずがない……という俺の予測はあまりに安易だった事に気付く。
「こ、このままじゃトレスマリアさんが死んじゃいます。私、回復に行って来ます!」
「待てシャーマ!」
「で、でも……」
「トレスマリアは自分の仕事をまっとうしようとしているんだ。お前も自分の仕事をしろ、ウィッチーズだろ!」
「……は、はい」
ギリッ……
予想していなかった展開に苛立ちが募る。
どうしたトレスマリア、俺の期待を裏切る気か? まだまだ働いてもらう予定のお前に、こんな所で死んでいいとは言っていないぞ。
「ぴ、ピクルスさん!?」
俺はウィズィを背負ったまま高台の最先端まで身を乗り出して大声で叫ぶ。
「どうにかしろぉぉトレスマリア! そんな黒猿に負けるつもりか! 四獣王の玄武はそんなもんじゃねーだろぉがぁぁ!!」
その声が届いたのかトレスマリアはこちらに向かって長い耳でVサインを作る。
……そんな曲芸は今いいから、お前このままだと死ぬぞ!?
「大丈夫ですよピクルス様。トレスマリア様は負けたりしません」
同じく高台から戦況を見ていたサイ君が俺の隣まで来て声を掛けてくる。
「いや、サイ君。滅茶苦茶劣勢なんだけど」
「そっか、ピクルス様は知らないんですね。作戦会議が終わって地上に戻って来る前、トレスマリア様は言ってたんです。ピクルス君は強い女が好きだから、私は誰にも負けないって」
……トレスマリア……
「だから青酸カリによる腹痛にも絶対負けないって」
まだ患ってたのかよ!
「私は死なないわ、ピクルス君が守るもの……とも言っていました」
図々しいな! お前、俺の護衛だろうが!
しかし成程。それで動きが鈍いのか……だがそれを差し引いてもヘルオパンティ、火力だけの魔物じゃねぇぞ。
ビョーン!
何十回目になるのだろか、懲りもせず特攻を仕掛けるトレスマリア。そしてこれまた同じようにペチンと右手で叩かれる。
「……ちっ! もういい! 一旦逃げろトレスマリ……って、えっ!」
今叩き落とされたばかりのトレスマリアがヘルオパンティの右手の甲をすり抜けて顔面目がけて跳躍していた。
「残念! それは残像よ!」
良く見ると、さっき地面に叩きつけられたのは……ただの野ウサギ!?
まさか、トレスマリアが知恵を使って戦った!? いや、これは考えられた戦術じゃない。戦いの中での咄嗟に編み出した勝つ為の本能か!?
「ラビットヘッドバァァァット!!」
強烈な一撃がヘルオパンティの顔面にヒットする。驚きなのか、ダメージなのか、とにかく少し後ろへとのけ反る黒猿。
「……ウ、ウホォ!!」
そして怒ったようにトレスマリアを睨みつけると口を大きく開く。
「来た! 黒水晶大爆発! よくやったぞトレスマリア、後は退避して俺たちに任せろ!!」
俺は後ろを振り向きコックリとシャーマに目配せする。二人は準備万端とばかりにヘルオパンティのケツに向けて杖を傾ける。
「ウホ……黒水晶大爆発……」
口から放たれる超魔法、そして手筈通りに大ジャンプでそれを躱すトレスマリア。
「よしっ! 今だぁぁぁ!」
俺は右手を大きく振り下ろす。
「輝神火焔波動!」
「東風神斬撃!」
二人のウィッチーズから放たれた炎と風の強大魔法が唸りをあげてヘルオパンティに襲い掛かる。
(タイミングバッチリ! 行ける!)
パカ……
ウィッチーズの魔法が到達する前にヘルオパンティのケツに大きな穴が開く。
え……?
「ウホウホ……黒水晶大爆発……」
ま、まさか……二門同時発射だとぉ!?
ヘルオパンティの肛門から発射された黒い光の魔力球は口から放たれたソレの倍以上の大きさで、物凄い勢いでこちらに向かって飛んで来る。
(駄目だ! 逃げる暇なんかねぇ!)
「く、くそがぁぁ!」
「ピクルス様!?」
俺は九蓮宝刀を前方に掲げて魔力球の吸収を試みる。
ギュルルルルルルルゥゥゥゥゥゥ……
しかしあまりの魔力量に九蓮宝刀がギシギシと悲鳴をあげる。
(ぐっ……駄目だ……吸い切れね……)
ドドドドォォォォォン……
地平線まで続くような大地への爪痕を残して黒水晶大爆発の魔力球は俺たちの居た高台をあっさりと消し飛ばす。