91話:漆黒の魔獣ヘルオパンティ
「ウホ」
ヘルオパンティは自らが生まれたレモンバーム城を窮屈だと言わんばかりに両手をブンブンと振り、破壊しながら外壁の水晶を足場に地上へと登る。
「いけない! 崩れます!」
レモンバーム城を構築していた緋色の水晶が音を立てて崩れ落ちて行く。城のすぐ近くにいた俺たちにも尖った水晶の残骸が雨のように降り注ぐ。
(ここは危険だな。さっさと避難しないと。でも地上に出る方法がないなぁ……ちっ、ニュウナイスを連れて来れば良かった)
今の俺にはこの地下の空洞から出る術がない、来た時と同じように呪術軍の呪文で魔方陣からビューンと飛ぶしかないだろう。
「コックリ! まずはレモンバーム将軍をお守りする事が先決だ。早く安全な場所へとお連れするのだ! ……私もついて行こう」
サイ君やシャーマも気になるが、まずは俺の安全が第一だ。次の手はそれから考えよう。
「その必要はない」
レモンバーム将軍は首を横に振りながら俺の提案を拒否する。
いや、あんたが必要なくても俺が必要なんだよ。ここは大人しく安全な場所へと退避してくれ、俺と共に!
レモンバーム将軍は両手を上へとあげブツブツと何かを唱え、そして大きく目を見開く。すると今にもその形を保てなくなりそうだった城の崩壊がピタリと止まる。
(おぉ! なんだこりゃ? 水晶がその場で青く光って止まってるぞ? 魔力による時間停止……いや物質停止か?)
「コックリよ。あの魔獣をすぐに倒しに行け。あれは我々呪術軍が生み出してしまった魔物。始末をつけるのも私たちの仕事だ」
「は、はい。しかしレモンバーム将軍。まさかその間ずっとここで停止魔法を使い続けるおつもりですか!? いくらなんでもそれは無茶です」
「いいから行くのだ! あの魔獣は必ずこちらで始末しろ、そしてドロップアイテムは全て回収するのだ。いいな!」
凄い剣幕でコックリに指示するレモンバーム将軍。自分のパンツが外部に流出するのはどうしても避けたいらしい。
しかし考えてみれば、ヘルオパンティに勇者たちを倒させるというのも手か? いや、やっぱり駄目だ。魔力の塊みたいだし『聖水結界』に守られた人間側の町が滅びるよりも早くこっちがやられるのがオチだ。それに俺に死の恐怖を与えてくれやがったあの黒猿は万死に値する。
「ピクルス軍師。すまないが、力を貸してもらえるか? コックリたちの魔法攻撃で駆除させるつもりだが、できれば陽動をお願いしたい」
……まあ、断る理由はないか。どうせ陽動するのは俺じゃないし。
「はい、当然です。しかし先にサイ君たちを探さないと……」
ガラッ……
(ん? なんだ?)
地面に落ちてひび割れた大きな水晶の塊が動く。
「危ない所だったわね。さあ行きなさい」
そこには身をていして水晶から何かを守っていたトレスマリアの姿があった。
トレスマリア、やっぱり無事だったか。こんな事でくたばるような奴ではないと思っていたが、とりあえず良かった。
トレスマリアが愛おしそうに見つめる先には蟻の行列が、そしてその横では呪術軍の魔物が水晶に圧し潰されて絶命していた。
なに守ってんだよ!
「強く生きるのよ貴方たち。蟻であろうと同じ命。決して命の火を消させはしない!」
その慈愛の心を横で事切れてる呪術軍に使ってやろうとは思わなかったのか……まあいいけど。
ガラッ……
トレスマリアの近くで同じように水晶の塊を押しのける音がする。
あれは……サイ君! それにシャーマも!
「痛たた、大丈夫ですか?」
「は、はい。私は大丈夫です。それよりサイードさんこそ私を庇って……」
「あ、大丈夫ですよ。頑丈なだけが取り柄なので、それにしても何だったんですかね? 地震?」
良くやったサイ君! どうやらシャーマは無事なようだ。トレスマリアとは違って守るべき優先順位が分かって……ん?
「ありがとうございますサイードさん……あっ、すぐに治療します。特に左手の傷がひどいです」
確かにサイ君は左手に大怪我を負っていた。シャーマとは別に左手で何かを守っていたようだ。
「いや、見た目ほど痛くはないから大丈夫ですよ。それよりこの子たちを先に治療してあげて下さい。何匹か潰れちゃって……」
そこには蟻の行列が……って、サイ君も蟻を守ってたのかよ! どんだけ蟻好きなんだお前等!
「うぅ……ぴ、ピクルスさん。わ、私も連れて行ってください」
瀕死のウィズィがフラフラと立ち上がり俺に話しかけてくる。しかし足元がおぼつかないウィズィはそのまま足がもつれて転倒しそうになる。
「いや、お前は寝ていた方がいいんじゃないか?」
俺は倒れかけたウィズィの肩を支えながら率直な意見を口にする。正直立っている事さえままならないこんな状態で何かの役に立つとは思えない。
「そうですよウィズィ。貴方もうほとんど魔力が残っていなくてフラフラじゃないですか」
「だ、大丈夫です。私がフラフラなのは魔力欠乏症というよりはコックリ様から受けたダメージによる所が大きいですから」
「う……」
チクリとコックリを攻めるウィズィ。
「それに、ヘルオパンティは私が生み出した魔物。特性も、弱点も把握しています」
「そうなのか?」
「はい。ヘルオパンティの好物はバナナ……」
ほう、それはどうでもいいな。
「……」
終わりかよ! 猿に関する浅い知識を言ってみただけじゃねーか!
俺は冷たい目線をウィズィへと送る。
「な、なんですかぁ! なんでそんな目で私を見るんですかピクルスさん!」
いや、お前またコックリにお仕置きくらうぞ。
「なるほど、つまり大量のバナナを用意して注意を引きつける作戦が有効。そう言いたいのですねウィズィ」
あ、あれ? こ、コックリ!?
「でもバナナをすぐに用意はできないですし……困りましたね。どうしましょうピクルス軍師」
……そうか、割と普通だから忘れていたがコックリも魔王軍の一員。まともな作戦など立てられるはずもなかった……やっぱり俺が指揮を執るしかないな。
「……ウィズィ。バナナの情報はありがたいがどうやら作戦に組み込むのは難しそうだ。他には何かないか? ヘルオパンティの弱点というか急所というか」
「あ、ヘルオパンティの急所は肛門ですよ」
なに、肛門?
「それに先程の黒水晶大爆発も本来の威力ではありません。あれは元々肛門から発射してこそ威力を発揮する呪文。口から放たれたソレとは十倍は威力が違うでしょうね」
さ……さっきの十倍……だと?
「しかし最大の発射口は最大の弱点にもなり得るのです。ヘルオパンティの全ての機能は肛門に凝縮されています。言葉も肛門の形を変化させながら発していますし、息をするのも肛門から、そしてバナナも肛門から摂取するように設定しています」
何故そんな設定に!?
「つまり肛門さえ閉じてしまえばヘルオパンティは生命活動を維持できなくなるのです」
自信満々にヘルオパンティの悲しい生態を説明するウィズィ。『琺魔水晶』へのイメージがそんな悲劇を生んだのか、それともこいつの頭がただ腐っているだけなのかは分からないが、どうやら危険を冒してでもヘルオパンティの肛門を塞ぐしかないようだ。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、ですね!」
文字通り穴に突っ込んでどうする。こいつ、ぶっ飛ばすぞ。
しかし……さっきの十倍の威力か……もし放たれたらマギナギ大陸が消し飛ぶんじゃねーか?
「レモンバーム将軍! ヘルオパンティ討伐の作戦指示、私に一任頂いて宜しいでしょうか?」
俺は停止魔法を展開して呪術軍を守るレモンバーム将軍に、本作戦の指揮を任せて貰うように願い出る。
「あぁ。元よりそのつもりだ、私も呪術軍の魔物の避難が完了したらすぐに向かう。それまでは……頼んだぞ」
逃げるという選択肢は今のところはない。このまま放っておいたら無差別に黒水晶大爆発をぶっ放ちかねない。それではこのままミックスベリー城に逃げ帰っても安眠とは程遠い生活が待っているだけだ。俺はゴキブリを見つけたら叩き潰すまで寝ない主義だからな。あの黒猿は俺の心拍数上昇の罪と安眠妨害の罪の二つに抵触している危険因子だ。全力で排除させてもらおう。