81話:ノワクロの雪
雪は嫌いだ。
白く生きる事をやめた俺に雪の白さは嫌みでしかない。しかし何の因果なのだろうか。生まれた日も、勇者として旅立った日も、アクセレイ=ピュレに弟子入りした日も、勇者をやめて全てをぶち壊した日も、俺の岐路には決まって雪が降る。
そして今も……
目の前には勝ち誇った笑みを浮かべるネズミの軍師。手には白銀色に光る剣を携えている。惚けた台詞を吐いていたが、どうやら俺はこのクソネズミの術中に嵌ったらしい。……だがどうやって……
「どうした勇者ノワクロよ、返事をする元気もないのか?」
ネズミ軍師は俺との距離を少し保った場所で足をとめる。力の残っていない俺をそれでも警戒しているらしい、用心深い事だ。
「……ひゃは、なんだ。こんな状態の俺にビビってんのか?」
「相変わらず安い挑発だな、いや負け惜しみというべきか?」
「はっ、事実だろ。自分で戦う度胸もねぇネズミが……」
「効率的だと言って欲しいものだな。もう少し言えばお前は俺と戦うに値しない存在だった、それだけの事だ」
ネズミ軍師は少しムッとした表情で言葉を返してくる。
「しかし自分のとこの将軍まで手に掛けるとはな……予想以上の屑だったわけだ」
「……お前は以前に人の思い込みを冷気による火傷に例えていたが本質はまるで分かっていなかったようだな」
「あぁ?」
「理屈が分かっていたら怪我をしないとでも思っていたのか? 何故王都ウエディで自分がやった事を他の者が真似できないと思った? 自分だけが特別と思い込んだお前の失策だよノワクロ」
暗い地の底から響くような低い声を発し、俺を見下したままネズミは言葉を続ける。
「アールグレイ城は魔物の構成上、五階部分にしか入口がない特殊な作りだ。お前が侵入するには城を破壊するしかない。つまりいくら透明になる能力を備えた防具を持っていようともアールグレイ城が壊れた瞬間、お前が来た合図になるというわけだ。後は城から離れすぎない程度の距離で戦場を眺めるフリをして待てばいい」
「……まるで俺がここに来る事が分かってたみてぇな言い方だな」
「確証があったわけではないが、お前がこの戦争に参加するなら単身乗り込んで来るしかないと踏んでいた。なにせお前は誰にも頼る事ができないボッチ勇者だからな」
……このネズミ……
辺りの炎は勢いを増していく。瓦礫に、草花に、岩に、土に、見境なく燃え広がる炎。
気分よく長々と講釈をたれていればいい。このまま話を引き延ばせばネズミもこの火から脱出不可能になる……せいぜい悦に入っていろ。
「憐れだなノワクロ、俺が自ら放った火に焼かれる阿呆だとでも思っているのか?」
こちらの思惑を的確についてくるネズミ。だが関係ない、時間さえ稼げれば……
「この火は『海猫の火』と言ってな。ブラッドレスリーという大陸で灯台の火として使われている魔力でできた消えない炎なのだ」
余裕たっぷりと話を続けるネズミ。火はネズミの目前まで迫っている。
「……あぁ? なんだそりゃ」
「一度は海に捨ててしまったから探してくるのには苦労したよ。ま、探したのは俺じゃないがね。それにしてもこの火は『聖水結界』のない場所では本当によく燃える」
そう言って手に持っていた剣で迫りくる火を切り裂く。
シュン……と大量の水でもかけたかのようにネズミの周りの火は一瞬にして消えて無くなる。
……!? そう言えばさっきも……
「これは九蓮宝刀。魔力を吸収できる白銀色の鉱物製の剣だ。『海猫の火』が燃え盛ったままでは色々と都合が悪くてね、今から一人で火消し作業だよ。なにせ人には頼めない大仕事だ」
「……魔物全員騙すつもりかよ」
「何か問題でも? 流石に前科者にはなりたくないからね。それに勘のいい厄介な奴もいる事だし、綺麗に証拠は隠滅しておくよ」
ブンブンと白銀色に光る剣を振りながら不敵に笑う。
「随分と饒舌だなぁネズミィ。いいのかぁ? そんなに手の内をベラベラ喋ってよぉ……」
「折角立てた作戦を誰にも話す事ができない辛さを分かって欲しいものだな。それに安心して喋る理由は当然……」
ネズミはそのまま近づいて来てうつ伏せに倒れた俺の首筋に剣先を当てる。
「死人に口なし……だ」
雪は静かに降り積もる。
命乞いなどする気はない。そしてその権利もない。俺はこいつと同じような事を何度もして来たからだ。そしてその事を後悔する気もない、権利もない。
魔力でできているという火は自然の雪を溶かす事はなかった。火に囲まれても消えない不自然な雪、不自然な程に燃え盛る火、そして不自然な思考を持ってしまった勇者と魔物。
「あぁ、そうそう」
俺はゆっくり顔をあげてネズミの顔を見ながら静かに呟く。
「アールグレイは……死んだぜ」
ピクッ……
ネズミが小さく反応するのが分かった。だがすぐに冷たい声で小さく呟きが返ってくる。
「そうか、それは残念だ」
剣の切っ先には僅かに力が入り、ネズミが初めて揺らいだような気がした。
俺はそのままアールグレイの最後を伝える。
「奴は最後まで信じてたぜ。屑のてめぇをよぉ」
「……つまり馬鹿って事だろ?」
「ひゃは。その通りだよ、だがな」
アールグレイは正真正銘の馬鹿だ、こんな屑を信じて死んでいった。
勇者も馬鹿だ、自分の運命をただ受け入れて人柱として生きていく事に何の疑問も持たず今日も、明日も、明後日も、懲りもせず正義の為にと戦うのだろう。
そんな馬鹿を俺はやめた。そしてその瞬間から俺は誰よりも……
「そんな馬鹿になる勇気もねぇから弱ぇんだ、俺もてめぇもな」
「おいおい、幻滅させるなノワクロ。馬鹿になる事が勇気? 死への恐怖で気でもふれたか? お前はこの世界で一番俺に近いと思っていたのだがな」
ネズミは手に持った白銀色の剣を下へと振り下ろせば喉元を一突きできる程度の高さまで浮かせる。白銀色の剣に月明かりの光が反射して幻想的な色彩が舞い落ちる雪へと映し出される。
「結局、弱くて死ぬのはお前だけだ……さて最後に何か言い残す事はあるか? 屑勇者」
その言葉を聞いて、小さく強い勇者の少女の笑顔が脳裏をよぎる。
堕ちた後も、それでも生きる意味を見いだせたのは彼女のお蔭だ……もし最後に一言残せるのであれば俺は彼女にお礼を言いたい。
俺は懐にしまったピュレ家の紋章を強く握りしめてネズミに言い放つ。
「……ひゃは!! 口臭ぇぞぉぉ喋んなネズミィィ!!」
ズシュ……――――――――