アーミー!①
ミザリ=ロックハルトは悩んでいた。
「隊長、そんなに気を落とさないでくださいよー」
レオン=グレイは、狐のような顔でへらへら笑いながら彼女の肩を叩く。
――またか。
隊員たちは額に汗を浮かべ、固唾を呑む。やがてロックハルトの首が、錆びた鍵穴を回すようにぎ、ぎ、ぎ、と直角に回転する。引きつった口元で硬い笑みのまま、彼女がレオンを睨むとも見つめるとも言えない視線で捉えると、彼の開いているのかよくわからないほど細い目とかち合った。
「……貴様、これで何度目だ?」
「何がです?」
ロックハルトの明らかに怒りを含んだ声色にも顔色ひとつ変えず、レオンはいつもどおり涼しい顔で微笑を浮かべていた。ああ、もうダメだ。そう他の隊員たちは思ったことだろう。
「アタシに貴様の尻拭いをさせるのが何度目だって訊いてんだオラァ!」
怒号が飛ぶ。隊員たちはこの暑い草原の中で真冬を体験したかのように、背筋を凍らせていた。隊長の機嫌と、それをおちょくるような隊員の態度に恐れをなしていたのだ。
「いいか、最後のチャンスだレオン=グレイ。夜明けまでにクソ虫どもを連れてきな。さもなきゃ貴様はクビだ。どっかの超僻地にトばして二度と貴様の顔を見ないで済むようにしてやる」
ロックハルトはその鍛え抜かれた腕でレオンの胸倉を掴み、囁くようにまくし立てるという器用な技を使った。彼女に揺さぶられたレオンは、ぬいぐるみのようにぐにゃぐにゃとされるがままになっている。
「そんな隊長、ここだって相当な僻地ですよ」
気味の悪い笑顔を向けたまま、レオンは明るく冗談を飛ばす。それがさらにロックハルトの怒りを呼び……その繰り返しを、ここのところ毎日隊員たちは見ていた。しかし何度見ても彼らの肝は冷えっぱなしだった。
「うるせぇ、口答えすんじゃねえ! 貴様、立場がわかってんのか?」
「わかってますよぉ。すみませーん」
「貴様は全然謝ってるように聞こえねんだよ。だいたいなあ――」
ロックハルトは大きく息を吸って、怒鳴りつける準備をした。
「貴様の“さ行”の発音が気に入らねえんだよ!!」
「さしすせそ」じゃなくて「しゃししゅしぇしょ」になってんだろうが! となぜか怒りを露にするロックハルトに、それ関係ないじゃん……と隊員たちは呆れていた。
「えー、そうですかあ? そんなにヒドいかなあ? でも隊長、文章ではちゃんと“さ行”で書かれてるので大丈夫ですよ」
「口答えすんなっつってんだろうが? アタシの耳にはそう聞こえるんだよ!」
ここで隊員たちの意見も分かれた。レオンの「さ行」が微妙に「しゃ行」に聞こえる人、六割五分。言われてみればほんのちょっと「しゃ行」に聞こえるという人、二割五分。しめて九割が隊長に同意したが――やはりこれは今関係ないと思う人、全員。
「隊長、せっかく美人なのに鬼みたいな顔してたらダメですよー」
「どうやらアタシにケンカを売ってるようだな?」
ロックハルトは、腰のベルトに下げているナイフを左手で抜いてレオンの首筋にぴたりと押し当てた。すぐにナイフを取り出してしまうのが、短気な彼女の悪い癖だった。
「――とにかく、いいな、夜明けまでだ。それを過ぎたら許さん」
ごり、とロックハルトは額をレオンのそれに押し当てた。この気候でも汗ひとつかかないレオンは、ますます気味が悪い存在だった。ロックハルト含め他の隊員たちは皆日焼けしているというのに、レオンだけは妙に白い肌というのも不気味だ。「僕、日焼けしない体質なんです」と以前冗談めかしていたが、真相は定かでない。
「お前たちもわかったな? ……解散!」
レオンの胸倉を掴んでいた手を放し、辺りを睨みまわすロックハルトの釘に刺された隊員たちは、背中を押さえながらそれぞれのテントに戻っていった。
「……なあ、なんでオレらの隊長があの人なんだ?」
「そりゃお前、規格外だからだよ」
「何の?」
「……女として」
ぎゃははは、と隊員たちは笑い出した。地獄耳のロックハルトは舌打ちしながらその場を去っていった。
「ったく、どうしてウチの隊はバカばっかなんだ? くそったれ!」
『それでミザリー=ロックハート君。先日の報告にあった案件はなんとかなりそうかね?』
「……はい。明日の朝までには、なんとか」
頼むよ、と言って通信は途切れた。先日、ロックハルトの隊はある物を盗まれていた。軍事作戦に関する機密ファイルのコピーの一部だ。重要な部分は暗号化されているとはいえ、外部に漏れることはあってはならない。そして盗まれた日、コピーの管理を任されていたのがレオンであった。“わざと盗ませた”ようにしか考えられないミス。
「どうしたもんかね、本当に……」
珍しく彼女は、頭を抱えた。