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モグトワールの遺跡  作者: 無依
第1章 水の大陸(原稿用紙873枚)
9/24

3.火神覚醒 【04】

...029


 ハーキは円卓会議を勝手に開催し、十分後にきっちり女性用の鎧を身につけ、腰に二振りの剣を下げて登場した。その水の乙女と呼ばれるたおやかで優しげ、儚い印象の乙女像はがらがらと崩れ去る。というか別人のようだった。その隣には下級の巫女がつきしたがっている。

「偵察したんでしょ。報告」

 会議は全員が席に着くのを待つこともなく始まった。それどころか開催者であるハーキも席についていないので、誰も席に着くことが出来ない有様だった。

「は! 確かに禁踏区域は何者かの攻撃を受けており、宝人たちが逃げ惑っております」

「敵は?」

「……紫地に白の紋章。……ラトリアと思われます」

 ハーキは頷いて誰も用意していないと最初から気づいていたらしく、ハーキの背後の壁に地図を張り出した。

「で?」

「と、申しますと……?」

 報告した隊長は不思議そうに問い返す。

「だから、攻撃されているのを見たわけでしょ? どうしたのよ」

 ハーキは地図上に印を書き込もうと筆を構えている。

「二部隊が阻止に回りましたが……」

「それはどこから? 敵の数は? 方角はどっちから? 風向きは? 宝人の逃げている方向は?」

 矢継ぎ早にハーキが質問する。どもりながら兵士はそれを報告し、ハーキが地図に書き込んでいく。

「将軍、すぐに出撃できるのはどれくらい?」

 ハーキの問いに将軍もおずおずと答え、ハーキが頷く。

「じゃ、命じて。いい? 禁踏区域の東から二百、中央から三百、西から二百で回り込んで。南から宝人たちの救出部隊として三百向かわせ、そのうちの半数を挟み撃ちに使う。保護した宝人は城の最上階に避難してもらいなさい。ラトリアの兵はできるだけ捕虜にして頂戴。それから三百を市街地に向かわせて城下の民を避難させて。城の警護に残りを使うわ。どの部隊を向かわせるかはすぐ決定できるわよね? 将軍」

 ハーキの言葉に将軍は驚いているようだ。

「陛下、理由をお伺いしても?」

「うん。軍人ならそれが当然ね。風向きは東から。挟み撃ちする理由はそこ。風下だから挟み撃ちしやすいし、宝人の兵がいても気づかれにくいわ。それとこの地形。西側は奇襲に向いている。三方向から退路を絶って、挟み撃ちにする。宝人たちには近づかせない。単純な作戦だけど緊急時名だけに、こういうほうがシンプルでわかりやすいと思ったの?異存あったら言って頂戴」

「……いえ、ありませんが」

「じゃ、次に配置ね。西のここ、五十名をここにおいて、弓矢で矢の雨を降らせる。宝人たちは均等に配置しつつ、比重は奇襲部隊において。突破されたら話にならない。あと作戦の指揮はビュフェス=ラージにやらせて。あの部隊は作戦指揮の成績が良いから。ここまでで質問は?」

 ハーキの指示に将軍が驚いている間に命令を伝えなければ、シャイデの軍は初動が遅い。

「君、聞いていたわね。今のことを至急伝えて。ラージに総指揮を任せる。一人も宝人を殺さないこと。禁踏区域内でラトリアを止めることを命ずる」

「は!」

 将軍の了解が取れたとしてハーキが伝令を送る。彼はジルが目をつけていた『鷹隊』の一人にして、シャイデに残した方の優秀な人物の一人だ。

「お待ちください、陛下! ラトリアと戦争など、本気ですか?」

「軍を動かすには一の王の許可が必要です」

「軍を動かすにあたり、国民にはどう説明を? それに予算申請が通ってからでなければ軍を動かすことは……」

「神殿の許可も必要です」

「議会の過半数の賛成もありませんぞ!!」

「ラトリアは我国の友好国ではありませぬか!」

「ジルタリアとの関係修復もまだなのに、我国を孤立させる気ですか?」

「それは王の越権行為では?」

「そうです、独裁ではないですか!!」

「まずは議会の開催を! そのために我らを御集めになられたのでは??」

 一瞬ハーキが黙った瞬間を狙って、今度はハーキが矢継ぎ早に質問交じりの攻撃を受ける。ハーキはそれを静かに聴き、白い目で一同を見回し、そして言い放った。

「もう、いいたいことはないのね?」

 ハーキはそう言って、息を吸い込むと、女とは思えない大声で叫んだ。

「貴様ら全員、一度死ね!!!」

 言われた言葉に驚き、その後で怒りで言い返そうと口を開いた瞬間にハーキが打って変わってにっこり微笑む。

「私は緊急事態だから集まれと言ったのよ。緊急事態! いつもと同じ対応で事態が間に合うならそうするわ。間に合わないけど、どいつもこいつも私の元に提案さえしないわ。なら私が命令するしかないでしょ? これが今の文句の答えよ。さ、続き。城の最上階の管理は管轄はスフィア大臣ね? 使用可能かしら? どのくらいの人手がいる? 避難期間を一ヶ月として何がどの位必要かしら?」

「陛下!!」

「何? まだ何か?」

 ハーキは今度は円卓に白い紙を広げ、必要事項を記載しつつ言った。

「前代未聞ですぞ!」

「当たり前でしょ。起こっていることが前代未聞なんだから。今までと同じ対応ができるわけないでしょ」

「そういうことを言いたいのではありません」

 ハーキはうんざりした顔を隠さず、前を向いた。

「だからね。今、現時点でこの国の領土が他国によって侵されているの。そしてその場にいる命が損なわれよとしている。それを護ることは当然でしょ? それとも何? 誰か言ってたけど、ラトリアが友好国だからって、我国の禁踏区域を無血開城でもして、領土を差し上げろとでも言ってるわけ? 友好国だろうが同盟国だろうが隣国だろうが、こっちに攻めてきたらそれは敵。排除する必要がある。孤立を恐れてどうすんの? それで属国にでもなるつもり?」

 ハーキはそう言って違う高官を射抜く。

「で、キアはいない。確かに決定権が多くある一の王がいないんじゃ、困るわ。だから私がいるんでしょ? 緊急時一番がいなかったら決定権は二番になるのが常。だから、私が命令する。それに何か問題が? 問題があったら帰ってキアが私を罰するなりなんなりするでしょ」

 ハーキはその後、顎を人差し指で押しながら答える。

「独裁と議会だっけ? 独裁結構。王ってシステムを上げている以上、この国は独裁に近いシステムなことは誰だって承知の上でしょ? それに言ったでしょ? これ何度目? 緊急事態なの。いつもみたいに座って戦争賛成ですか? 宝人の保護賛成ですかってやってたらその前にみんな死んじゃうでしょ?」

 ハーキはそう言った後に、誰もがうっとりするような微笑を浮かべているのに、腰の剣を抜いて円卓に突き刺した。その行為と音にぎょっとした高官たちは一歩下がる。

「これだけ言ってもわからないなら、貴方達は言葉どおり越権でも独裁でもなんでもいいわ。王として私が命令します。勅命でも構わない。“命令さえ聞けない無能は首”よ。副官に現時点で交代。その副官も使えなかったらその次。使えるなら下官でも構わないわ。意見は構わないわ。それに納得できないなら言ってくれて構わないし、進言も聞く。よりよい方向に解決することがベストだからね。……いま言ったことすらわからないなら、貴方達が禁踏区域に行ってきなさい、今すぐに。襲われる宝人の盾にでもなってくれた方が効率いいから。“今すぐ死ね”ってこういう意味。わかった?」

 ハーキはそう言って剣を引き抜いた。腰に治め、何事もなかったかのように筆を取る。今すぐ死ね、その意味には二つあった。無能ならその身分も役職も今すぐ白紙にする。それさえ反対するようなら戦場を体験して実際に死んで来いという、なんともまた過激な発言である。

「陛下」

 答えるべき大臣を差し置いて若い高官が進み出、そして言った。

「代わりにお答えします。最上階を避難場所としての利用は可能です。しかし、西側の部屋は宝物庫と化している部屋がいくつかあります。避難している宝人の総数は百名でしたから、多少狭い可能性があります。それに食料や衣服、寝具などの面も考えると城で一時的にはならともかく一ヶ月は苦しいかと存じます」

 ハーキは頷いて紙に書き出していく。

「陛下。城下町の避難ですが、城下町に決まった避難経路などはなく、避難を呼びかけると民が大混乱を起こす可能性があり、逆に危険が増すのではないでしょうか? それに避難場所も決まっていませんし、あったとして全員収容は無理だと思います」

「では、警備は増強できる?」

 それには将軍についてきていた軍人が答える。

「禁踏区域の人を割き、尚且つ城下町の警備に当たらせると、城の警備に穴が開きます。ラトリアの目的がわからない以上、それは避けるべきだと進言いたします」

「それもそうね……」

 いつの間にかハーキの周りには一部の高官を除き、次官や若手が集まっていた。大臣や高官たちがおどおどしている間に話が進んでいく。そしていったん話がまとまったのか、ハーキが顔を上げる。

「よし! じゃ、あとは行ってみるだけね」

 腰の剣を確かめてハーキが部屋から出ようとする。すると、我に返った様に高官がハーキを呼ぶ。

「あれ? まだいたの?」

 ハーキがそう言ってトドメを指すような一言を言いきってハーキは颯爽と部屋を出て行き、話の中心にいた人物たちはそれに続くように部屋を出て行った。後に残された高官たちは唖然とするばかりである。



 バスキ大臣を納得させ、ジルタリアにキアが残って(居座って)一週間が経とうとしていた。その間にもジルタリアはラトリアによる一方的だが、大打撃にはならない攻撃を受けていた。

 ラトリアはそれはまるでジルタリアの攻撃は囮です、と言わんばかりなのでキアは薄々狙いはシャイデの方だったか、とフィスと一緒に当たりを付け始めていた。ならば、シャイデに帰った方がいいかと思い始めた頃、それは突然起きた。

 ジルタリアの首都から離れた、しかしそう遠くもない、規模としては小さな集落が攻撃されたというのだ。近場だったのとラトリアの軍を率いて、こちらからすれば意味不明な行動を取る真意を説い正したくて、キアは動けないフィスの代わりに無理を言って現場へ直行した。

 集落はほぼ壊され、そこにいた人々は逃げたか、捕まったようだ。軍はすでに引き払った後だったのか姿が見えない。ジルタリア軍と協力して付近を捜索させることにし、キアは一人で集落を見て回った。民家としか思えない、どんな小さな建物でも壁をまるで吹き飛ばしたかのような惨劇だった。それはまるで竜巻が通りすぎた後の街のような……。

「自然災害に合ったと言ったほうが、まだ説明がつくな」

 キアはそう言って周囲を見渡しても屋根やら、瓦礫がないことの理由を説明付けようとした。そして全壊した民家の跡地に脚を踏み入れる。そこには、ジルタリアの文化か、広い面積の部屋に何人もの人間が共同で生活していた様が伺える。中には子供もいたようだ。

「……?」

 キアは何かが引っかかる。この生活様式はどこかで……。

「ああ、宝人だ」

 王になるにあたり、神殿から得た知識にあった。宝人は親がいない代わりに集団で暮らすのだと。宝人の住処は二階がないのが特徴だ。そして部屋も分かれていない。おおよそ個という空間がないのだ。だが驚くほどに衝突しないで過ごす。小さな小屋や集団居住地などは別だが、普通これだけの敷地がある場合、人間は個人の部屋を作り、共同の場を設け、そこで一緒に暮らす人間同士でコミュニケーションを取る。

 ほぼ吹き飛ばされて正確にはわからないが、十五人くらいで生活していたなら、人間なら狭さに辟易して二階を作り、そこに寝室など最低限名個人の部屋を作るものだ。もちろん、貴族になれば豪華になるし、金が少なければ個室とはいかなくなるだろうが。

「ということは……宝人の集落だったのか、ここは」

 すなわち、ラトリアはジルタリアに隠れ住んでいた宝人たちを狙ったことになる。

「では、宝人を戦力にでもする気か? 死体がないのは、捕虜にされたからか!」

「ご明察」

 背後で軽やかな声が響いた。キアが振り返る。そこには薄い金髪を男のように短く切った姿が印象的な女がいた。目は鮮やかかつ透明感のある緑。綺麗な緑色だ。薄い色合いの襟巻きを風になびかせているが、そのほかの格好は肌の露出が多く、ノースリーブにホットパンツという軽装さだった。

「痕跡を消す前に、ばれてしまうとはね。優秀な兵士もいたものだわ」

「宝人の誘拐をばれたくないなら、優秀なジルタリア兵につかませない方法にするんだったね」

「本当はそうしたかったんだけれど、『鳴かれ』たら厄介だから」

 宝人の特殊能力である『鳴き声』を知っている。キアは警戒して女と対峙した。

「お前は何者だ?」

「やぁね、教えるわけないじゃない」

「まぁ、この村の襲撃犯で間違いはなさそうだな。詳しく話を聞きたい。怪我をする前に投降を勧める」

 キアの腰にチラリと目をやって女は笑った。

「出来るものならやってごらんなさいな?」

 女が軽く腕を振ると、一瞬でごぉっという風が吹いた。その瞬間、キアのほほが浅く斬られている。風による斬撃! 魔術の行使の跡がないことから、相手が宝人ということがわかった。

「宝人か」

 冷静に呟いて次の行動を思考する。

「あら、意外に冷静なのね」

「その目の色といい、さっきの攻撃といい、風使いか……」

 キアはそう言って女を冷静に観察する。

「ご名答。でもこれ以上貴方と話している時間もないし、さよなら」

 女がそう言ってもう一度同じ動作を繰り返す。キアはそれを避けようともしなかった。女の風による攻撃を受けて、キアの身体が血を流す……ことはなく、木っ端微塵に砕け散った。明らかに人間のそれではない。どちらかと言えば、人形、否、土の塊を砕いたような……。

「え?!」

 女が驚いた瞬間、女は足首を捕まれ、そのまま膝まで土の中に埋まる。

「女性にしつこくするのは紳士的には良くないんだけれど、今は状況が状況なんで、逃げられないようにしたよ」

 背後で声がする。キアはにっこり笑って、手を土に翳した。黄色い文様が顔に浮かび上がる。

「とりあえず風を遮断させてもらう」

 キアの背後、二人の周囲で土が盛り上がり、二人を囲うようにドーム状に土が組みあがっていく。

「まさか、貴方も宝人だなんて……! ジルタリアには宝人の兵士は少ないと聞いていたけれど……いえ、違うわね。その契約紋……シャイデの旗印よね?」

 女は力を使い続ける際に現れたキアの黄色い契約紋を観察する。

「なら、さっきまで契約紋がなかったことが納得できるものだわ。光栄ね、シャイデの半人の王に出会えるとは」

「あれ? そこまでわかっちゃったかー? じゃ、あきらめて自己紹介くらいしようよ? 名前呼ぶときに困るでしょ」

 土のドームが完全に閉じて、まるで夜のように二人の間は暗闇となる。かろうじて姿が認識できる程度に。

「風のエレメントの相克関係は土。土のエレメントに満たされたこの空間なら、君の力も半減とまではいかなくても困ったりするくらいにはなるのかな?」

「……半人というだけでも眉唾物なのに、こうも宝人と同じようにエレメントを使いこなされては……宝人の立つ瀬がないわね。いいわ。貴方に興味が出てきた、時間が許すだけお話しましょうか?」

 くすくす言われ、キアはにっこり笑いながら答えた。内心女の方が余裕があるとわかって土の壁を厚くする。

「それはうれしい。私はキア。君は?」

「私はしょう。ご覧の通り風の宝人よ?」

 翔は土に身体がどんどん埋まっていくことに少し焦りを覚えながら声色は変えず言う。

「では、質問ばかりで嫌がるかもしれないが、君はラトリアの軍人かい?」

「いいえ。フリーの雇われ人よ」

「では宝人の村を襲ったのは本位ではない?いいや、違うね?宝人は仲間意識の高い種族だ。雇われていても仲間を傷つけたりはしないね。……人質でも? ううん、これも違うね? それにしてはすっきりした表情をしすぎだ。……ひょっとして、私怨、とか?」

 翔が息を呑む。それを感じ取ってキアは声を出さずに笑う。

「図星だね? 宝人が嫌いなんだ、君。変わってるね」

「うるさいわね! こっちも聞かせなさいよ。なんでシャイデの王がジルタリアの、しかも偵察みたいな行為をしてるのよ!」

「いいよ。交互に質問しようか。答えは簡単」

 勝手にそういうルールを作られ、翔はキアのペースに乗せられてしまっている。

「君たちに逢いたかったから」

「はぁ!!?」

 シャイデの王は知っていたというのか、では、計画が全部ばれていたことになるのか?

「目的があるんだろう? 国同士を利用してまで宝人の里を暴いた。……襲われたのは宝人の中でも最大規模の隠れ里。……たまたまかと思えばこういう小さい里というか集落も狙う。宝人への私怨。そういえば、あの里には唯一の炎の宝人がいたとか……?」

 相手は見えないはずだ。だが、動揺を悟られているような気がする。

「……成る程、炎というだけで言葉どおり火種になるわけか」

「ま、まだあなたの目的を聞かせてもらってないわ!」

 翔はキアの言葉を遮るように言った。キアは翔を含め、炎の宝人、つまり楓になんらかのアクションがしたくて宝人の里を襲っている可能性が高くなったと確信する。楓をただ単に唯一の炎を使うものとして利用したいだけかはわからないが。

 ジルタリアに襲わせたと見せかけ、シャイデと戦争を起こさせようとした。しかし、それがうまく行かなかった場合を考えラトリアを出してくる。

「そうだったっけ?」

「はぐらかされているように感じるわ。逢いたいですって?」

「うん。だって、他の大陸に渡ったことがないから、井の中の蛙かもしれないけれど、ラトリア、シャイデはそれなりに大きな国だと思うよ? それをここまで影ながら操った黒幕ぶりは関心に値する。どちらかというと教えを請いたい位だ」

「はぁ?」

 一国の王とは思えないほどの軽さと柔軟な思考の持ち主だ。

「でも、さすがの貴方でも犯罪者には厳しいのでしょうね? 特に自国を脅かすような存在には」

 くすくすと笑いながら問うと、キアがちょっと間を置いて答えた。

「いや、そうでもない」

「またまた、ご冗談を」

「妹や弟ならともかく、私は根っから商人気質でね、商売敵に損失をこうむらされたらそこは仕返しではなく、学ぶことを覚えよと思っている。例えば君がシャイデで誰かを殺し、誰かを傷つけたら、妹と弟はこう考えるだろう。仕返しに行くにはどの程度の武力がいるか、または、二度とこういう目にあわないためにはどの程度の武力をそろえるか」

 翔は考える。新しくシャイデの兄弟王を理解していないのはジルタリアの偽王だけではない。自分もよく知らないのだと。この一の王は国の全責任を負う立場でありながら、国を思う心が軽い。

「当然だと思うし、普通でしょ。それが」

「じゃ、僕はどうすると思う?」

「……気にせずに損失の回復を図る、かしら。商人なら」

「うん。60点」

相手の顔が見えなくとも翔にはキアが笑顔でいることが容易に想像できた。

「は?残りの40点は?」

「知りたい?」

「無理にとは言わないわよ」

いけないと思いながらも相手の口車に乗せられている状況をどうにもできない。商人と自負するだけはありそうだ。しかし、経歴を調べればオリビン家は荘園経営者のはず。商人の部下が大勢いたはずだが。

「嘘嘘。私と契約する気はない? 翔」

「…………は?」

一瞬、思考が止まった。この王は何を考えているかさっぱりわからない。

「答え。残り40点の」

「は?」

もう一度、今度は怒りを込めて返すが、キアがそのまま同じ言葉を口にした。

「あれー? わからないはずないんだけど。君みたいな黒幕思考が出来る人が。それとも計画立案者は別にいるのかな? てっきりこの度胸から少数精鋭のグループで君が作戦立案者だと思ったんだけど」

「いや、考えたのは確かに私とすいだけど……って違う!」

 キアは内心自分の考えが正しいことを確かめた。そして翔は答えの意味を考える。翔がシャイデで脅威になったら、報復を考えない。そして自分と契約しろと迫ることが満点の回答。それが意味することは。

「っ!! あなた!!」

「わかった?」

 その答えとは、商人らしく強欲な……その脅威を自身の陣営に引き込んで己の武器としてしまうこと!

「なんてやつなの……」

 スケールが大きいというか、強欲というか。持ち合わせないものを育むより奪い、己の物として発展させる。

「いやぁこんなことハーキに言ったら殴り飛ばされるし、ジルに言ったら軽蔑されるし、ヘリーに言ったら泣かれるから絶対言えないんだけど、手並みの鮮やかさと、幾重にも張り巡らされた策に感心してたんだ。」

 ――なんだ、この人間は! 翔は会ったことのないタイプだと今更気づいた。王にしては国を思っていないように見せかけ。なのに、王のように強欲で国のためになるようなことを思いつくような。

「俺はお前が欲しい、翔」

 いつの間にかキアの顔が目の前にあった。男が女に告白するように真剣そのものの目つきで、全てを射抜く瞳で翔を見据え、本気で言っている。逆らえない圧倒的な何かが存在していた。

「俺の力になれ、翔」

 そしてキアが王の威厳を放ち、暗闇の中にもかかわらず、輝いているような錯覚さえ放つ。

「さすれば、お前の望みを俺が叶えてやろう」

 翔は視線を反らす事さえできず、暗闇でも青い水を映した様なキアの瞳に囚われた。

 ――その瞬間、二人の身体に異変が起きた。


...030


 数日前。

 ジルはビス殿下と共に共同作戦の詳細を詰め、後は機会を伺うだけとなったある日のことだった。

「閣下」

 ジルタリアの兵士の声だった。ジルとビスは同時に反応する。

「不信な子供を捉えたのですが……。そのジル殿の妹君だと……」

 ビスがジルを見、ジルはため息をついた。ジルタリアに着いた兄からヘリーがジルを追っているだろうという連絡が入ったばかりだっただけに、ため息しか出ない。

「通せ」

 ビスの言葉に頷いて兵に一応両腕を縛られた状態で姿を現したのは白髪の小さな女の子だった。

「……ヘリー、俺は言ったぞ」

 ジルの部下がヘリー様、とかヘリー陛下とか口々に呟くのを黙殺して、ジルがさすがに怒った口調で妹に言う。ビスは兵士に命じて拘束を解かせた。

「……ごめんなさい」

 小さく謝ったヘリーに対し、ジルは視線を外すとビスを見た。

「申し訳ない、俺の妹です。のこのことくっついてきたようです。お荷物にしかならないのですが、今から追い返すことも出来ますまい。駐在を許していただけますか? 決してそちらに迷惑はかけません」

「なに、戦場まで兄を心配してくるとは優しい妹殿だ。巫女王の名は伊達ではない」

「そう言っていただければ幸いです。重ねて申し訳ない、少々お時間をいただけますか」

「なに、構わぬ。妹殿を、そちらの陣で休ませて差し上げるのがよかろう」

「ご配慮、痛み入ります」

 ジルはそう言って頭を下げると部下に一声掛け、ヘリーの腕を引いた。シャイデというか、ジルが張った陣にヘリーを連れ込むまでジルはヘリーの方を向きもせず、さすがに怒っているようだった。自陣に残っていた部下もヘリーの姿を見て、軽く驚いている。それを視線で押さえて、ヘリーを自分のスペースまで案内する。

「キアから連絡がきた。キアもすごい怒っていたぞ。今度ばかりは勝手が過ぎただろう」

「だって……」

「だってじゃない。何かあったらどうする? いくらお前が半人の王とはいえ、戦いも経験していない幼い女の子なんだぞ。自分の身になにかあったらどうする?」

 ジルが腕を組んで、なれない説教をするくらい、無謀なことをしたということである。

「仮に身を護れたとして、心配するとは思わなかったのか? キアが、ハーキが、俺が」

 ヘリーはうなだれるが、視線を下げたりしない。

「それにお前はまだ子供だけど、シャイデの王なんだぞ。お前に何かあったら、俺ら兄弟は王じゃなくなる。そこのところ、わかって行動したんだろうな?」

 ハーキもキアもまだヘリーに王の自覚を持ってもらおうなどとは思っていない。それはそれが許される安全な場所で学んでもらおうと考えているからだ。シャイデの王の交代は四人の王のうち誰かが一人でも死んだら行われる。別に王になりたかったわけではないが、なった以上責任は果たして交代する予定だ。

「うん。わかってる」

「いいや、わかってない。わかっていたらこんなことはできないはずだ。お前と俺とは基本的な能力が違う。俺は生まれてからずっとルルと一緒に世界傭兵をやって、死線を何度も潜ったし、大人とも戦った。こんな俺でも半人前、こんな俺でも自分の実力を知っているつもりだ。でもお前は違う。戦ったことはないし、大人とまともに交渉なんて真似もしていない。いいか、これははっきり言って俺やキアへの迷惑行為だ」

 ハーキが怒るときは、烈火のごとく怒り、最後にちゃんと反省すると許してくれる。キアは怒ると諭すように、突き放すように、冷静に静かに怒られる。ジルが怒ると、許してもらうまで時間がかかる。ジルは怒ると何で怒っているかヘリーがわかるまで説明してくれる。でも、反省してもそれが身につくまで許してはくれない。

「それに、さっき俺と話していた方はジルタリアで行方不明中のビス殿下だ。この作戦でビス殿下の参加は本国のジルタリアの新王、フィスにも内密にしてある。お前は俺がいるだけでのこのこ着いてきた。だけど、本当はこういうことがある。お前がもしうっかりそれをばらしてしまったりしたら本作戦は失敗だ。お前が来たことで部下の命を落とす事だってあるんだぞ。離れた俺が何をしているかなんてお前には予測できないはずだし、それによってお前が取る行動が俺達の何の不利益になるかもお前にはわからない、そうだろう?」

「うん」

「陛下、そこまでになさっては? ヘリー姫もお疲れでしょう?」

 見かねた部下がそう言って暖かなスープを持ってきてくれる。ジルはため息をついた。

「お前が来れば、こいつはこういう“親切”をしてくれる。だけど、こいつがそれをしてくれるこの時間、お前がこなければこのスープを飲んでいたのはこいつかもしれない。お前は俺の妹だから、こういう待遇を受けられる。だが、それによって何を犠牲にしてその行為が成り立つのか、よく考えろ」

 ジルはそう言ってヘリーの前から歩み去った。泣くまい、としていた涙が零れる。だけど決して声は立てない。意地でも。下を向いて、唇を噛みしめて、ヘリーは静かに涙を流す。

「心配なさったのですよ、陛下は」

 泣いているヘリーを撫でて、スープを手渡す。ヘリーは泣き止めず、ただ頷いた。

「今宵はもうお休みになられた方が良いでしょう。陛下はビス殿下と話しておかねばならぬことがたくさんあるのです。こちらは陛下のスペースですから、ご自由にお使いください。足りないものがあれば近くのものにお申し付けください」

 ジルが激しく怒った手前、慰めることはせず、甘えも受け付けぬ態度で部下が去っていった。

 ヘリーは言いたいことがあった。ジルに。だけど一つも言えなかった。確かに怒らせたかも、考えなしだったかも。でもあんなに怒るとも思ってなかったし。わかっている。

 涙がスープの中に落ちて、液面に映っていた泣き顔が歪む。一口飲んだ。しょっぱい、涙の味かと思った。



 ラトリア軍によって攻撃を受けた禁踏区域は大混乱に陥っていた。里が暴かれ、襲われた直後だったために混乱は頂点に達していた。誰もが『鳴いて』、そして己のエレメントを用いて『転移』を始めていた。パニックに襲われた宝人たちは誰もが我先に逃げ惑い始め、その混乱の最中、楓はテラの手を握ってセダたちと合流しようとしていた。

「セダたちはあっちで別れたけれど……今はどこにいるのかしら」

「わからない。僕もここに来たのは初めてだし」

 様々なエレメントが入り乱れ、今にも爆発を起こしそうなほど、宝人たちがエレメントを制御できていないのも気にかかる。テラには見えていないが、火のエレメントがあればきっと発火を起こしていそうだ。

「向こうも探しているかも」

「にしても、ラトリアの旗印? ラトリアが攻めてきてるって……」

 目のいいテラには遠くで暴れている人間の纏う鎧についているマークまで見える。そしてかなりの遠くから宝人を捕らえようとしている兵へけん制の意味を込めて矢を放っている。

 その隙をついて宝人たちは『転移』を繰り返す。宝人たちのパニック様は半端なく、互いに助け合う心を忘れているかのように我先に逃げている。よってエレメントを上手く使いこなせない子供の宝人は走って人間のように逃げている。しかしそれも限界があって、人間に捕まってしまった子も多くいるようだ。

 楓は意を決したのか、炎を使って兵士を遠ざけている。そんなことをしながら移動していた二人だが、ついにテラの矢が尽き、楓の炎しか頼れなくなった。

「ねぇ、楓。あっちの方向って何があるの?」

 テラが指差す方向は禁踏区域の中心、集会場だ。

「……詳しく知らないけど、集会場があるって」

兵は宝人に攻撃をしながらそこを目指しているようだ。そこに里長でもいるのだろうか。

「里長のおばあちゃん、さっきまで私らと一緒にいたわよね。まぁ、知らないのかな」

 トップに脅しでもかけるつもりなのか、と不思議がっていると、その里長である留美と呼ばれた老婆が老体に鞭打ってその場所へ向かっている。

「あ」

 楓とテラは留美の尋常じゃない様子に驚いて、駆け出す。

「そなたらは何をしているかわかっておるのか! この人間共め!!」

 留美に続いていたのか老人の宝人たちがラトリア兵に立ちふさがるかのように立ちはだかる。

「この場所に立ち入ることは宝人でも許されぬ!! 去れ!!」

 エレメントで追い払おうとした瞬間、容赦ないラトリア兵による攻撃が老人達の身体を吹っ飛ばした。壁のように立ちふさがっていた老人たちは脇に投げ飛ばされ、ラトリア兵が集会所に入っていく。

「あいつらぁ~~!!」

 テラが怒って楓とともに狼藉を働いた兵士を追おうとしたとき、それは起こった――!!


 ――アアアアアアア

 ――イアァアアアア

 ――キィィイイイ


 獣の声に近い、その音は今や禁踏区域の全ての場所から響いていた。それに釣られたのか、それとも宝人自体が発しているのか、その音は集会場を中心にまるで輪を描いたように響く。

 テラは驚いて辺りを見渡す。うめきながらも逃げようとしていた宝人たちが、今や呆然と立ち尽くしている。

 その顔は一切の表情が抜け落ちて、ただ虚空を見上げている。口が半開きのまま、その音を共鳴させて、揺らし、響かせ大きくなっていく。音によるうねりが、人間であるテラにとっては怖くてたまらないものに思え、思わず頭を抱えてしゃがみこんだ。

「なんなの!!?」

 叫ぶが、誰も答えを返さない。楓を見るが、楓も同じ様子で我を無くし、虚空を見つめている。テラの周りの宝人誰もが同じポーズで、そして悲鳴のような絶叫のような声だけが大きくなっていく。

「楓?」

 思わず楓の肩を揺するが反応は無い。そして、その音は始まったときと同様に突然止まった。虚空を見上げていただけの宝人の無機な目がいっせいに集会場に向く。テラは自分が見られているわけでもないのにその光景にぞっとした。

 顔にはそれぞれの個性があって、別人であることだってわかる宝人たちが感情をなくした目で、操られた人形のようにいっせいに同じ動作を行っている。瞬きさえせず、集会場を見つめて離さない。

「どうしちゃったの……?」

 不安でたまらない。こういうときにセダがいてくれたら……。

「ったく、なんだ、あの音は!」

 悪態をつきながら押し入っていたラトリアの兵士達が集会場から出てきた。兵士達も自分たちを見ているとしか思えない様子の宝人たちの異様な雰囲気に圧倒され、一歩下がる。

「な、なんだよ、てめぇら!」

 言い返す声にも怯えが混じっている。それに対する宝人の返答はない。無機な目がただ無感情に見つめるのみ。そして、次の瞬間集会場ごと、人間たちの集団が消えた―ようにテラには少なくとも見えた。細かく描写するなら、土は盛り上がり、裂け、水が襲い掛かり、人間の内部から破裂したように見えた。風は見えない透明な刃を向け、闇が集まったと思えば光が集まって、ちらりと炎が覗いた。一瞬で六色の色が駆け抜け、すべてのエレメントが集まり、そして跡には集会場ごと何もなくなっていた。

「……っ!!」

 テラは怖くて、腰が抜けてしまった。よく見ると集会場は地下に何かがあったようで地面に空間がある。そこには岩の塊のようなものがあったようだが、おそらく先ほどのラトリア兵の仕業でその岩の塊のようなものが砕けているのだけがわかった。異常なのは、集会場さえ形も残っていないのにその岩の塊だけ残骸が残っていることだろう。あれは、なんだろうか。答えを与えてくれる宝人たちはみな狂ったようにその岩の塊のようなものの残骸を見つめている。

「な!! 貴様ら!!」

 禁踏区域のほかの場所から集まってきたのか、数人の宝人を捕まえたラトリアの兵士達が呆然としている宝人たちを見て、何かを感じ取ったのだろう。もしくはこの場所の攻撃を命じられていたのかもしれない。

『イィィィィ』

 捕まっていた宝人たちも同様に我を失っている様子だったが、無表情のまま、獣のような声を出した。それに反応したのか、一斉に宝人の目が新たにやってきたラトリア兵の集団に向く。それは機械のように恐ろしいほどに揃った動きと同じ顔で、ラトリア兵もぞっとしたのか、じりっと下がる。

 無晶石で拘束された宝人たちも同じように人間を見ている。今度はテラにもはっきり見えた。宝人たちそれぞれが守護するエレメントが勝手に動き出したかのように身体から溢れ、あるいは足元から動き、人間に向かって攻撃を加えようと暴走しているように見えた。

 そう、意思が感じられないのに、怖いほどにエレメントそのものから“怒り”を感じる。

 ――怒りとは、すなわち激情を司るエレメントといえば……!

「楓!!」

 テラが叫んだ。楓の感情が抜け落ちた瞳がテラを捉える。怖い、あんなに怖いけれど、テラはまっすぐ楓の目を見つめ返した。

 “テラ”

 楓は口を開いていない。なのに頭の中に響くように楓の声が聞こえる。

“手伝ってくれるよね”

 無表情なまま差し出される手。テラは楓の目を見つめたまま、首を振った。契約紋が刻まれた右腕が勝手に楓の手を取ろうと動くのを、テラは左腕で必死に止めた。楓の髪から火の粉が舞い始める。

「だめだよ、楓。だめ、それはだめだよ!」

 楓の目が感情を映していないのに、宝人全ての怒りを映したかのように赤く染まっていく。

「ふざけてんじゃねーぞ! こっちくんじゃねー! こいつがどうなってもいいのかよ!!」

 怯え、逆上したラトリア兵が宝人の子供を盾に叫ぶ。子供の宝人が獣のように甲高く鳴き、楓の目も、宝人たちの目も一斉にそちらを見た。



 ――その瞬間、火柱が空を赤く燃やした。

 天高く、そして水の大陸のどこからでも見えたであろう赤い空と大地を繋ぎとめた炎の柱。

 それは徐々にただの火柱、炎の塊からあるものの姿を取り始めた。太いただの炎だったものが、分かれ、木の幹のように三本に天に伸びたかと思えば、大地から湧き上がる炎も木の根のように二本に分かれた。

 天に伸びた中心の一本は短く、他の二本はばらばらに動くことを覚え、大地の二本は前後にそれは歩く動作のように動き出す。

 その姿は――まるで、炎の巨人。


...031


 ジルは闇のエレメントを用いてシャイデに残した部下と連絡を取って驚いた。シャイデの宝人の避難区域、すなわち城の影に匿うようにある王家が定めた禁踏区域がラトリアの攻撃を受け、その直前にジルタリアも攻撃を受けたと言う。

 ジルはすぐさまそれをビスに伝え、一国の猶予もないという同意見に達した。部下の兵士達も自国が攻撃されたとあって士気が高まっていた。本来ならば夜襲にする予定だったが、ちょうどラトリア王もその重鎮、将軍も揃っているとの情報もあり決行に移す直前、耳鳴りのようなものが響き渡った。

「っく! なんだ!!」

 ジルのほかにはヘリー、そしてもっとも様子がひどかったのは宝人の兵士たちだった。

 皆頭を抱えていたかと思えば、突然虚空を見上げて反応しなくなる。ジルもそのわめき声のような甲高い音が頭で響き、頭を軽く抱えていた。

 痛みに耐性があるジルでさえ、身動きするのが困難なほどで、宝人たちに至っては心ここにあらずの様子だった。ビスは心配して宝人の部下を叱咤したり、揺すったりしたがまるで反応がない。

「作戦開始という時に……どうしたのか」

「……『卵核』が壊されたの」

 ヘリーが頭を抱えたまま呟いた。シャイデの王は半人。宝人のような特殊能力が身につくが、宝人と同じかと言うとそうではない。王に選ばれた兄弟全員がエレメントを使いこなすことはできるが、宝人の様に精霊と会話ができるわけではないし、かすかに見えたりするくらいだ。当然晶石を生むことはできない。

 宝人の『鳴き声』もジルは聞き取れない。そういう宝人に対する感受性とでも言おうか、そういう能力はヘリーが巫女王と言うだけあって一番能力が高い。兄弟の中でヘリーだけが宝人の『鳴き声』を聞け、精霊ともコミュニケーションが取れる。

 宝人の『鳴き声』は宝人の危機を遠くにいる同胞に知らせるもの。聞き取ることが出来れば、何が起こったか遠隔の地でも知ることが出来る。

「……今のは鳴き声なのか?」

「うん。今までの中で一番ひどい。でも当たり前。『卵核』が壊されたんだもの」

「何だと!!?」

「らんかく?」

 ビスが聞き返すが、ジルは真っ青な顔になった。周囲の宝人たちの様子に納得できる。

「宝人の卵。すなわち、宝人を生み出す、次代の宝人たちが眠るものです!」

 ジルはビスに言った。ビスは内容を理解した瞬間、顔を青くする。そして虚空を見上げるままの宝人たちを呆然と眺めた。そして両国のある方向に赤い光が見える。

「……あれは、なんだ?」

 ジルもビスも全員が空高く柱のように上っている赤い光を見る。遠く、何かわからないが重大なことが起こっていることだけは確かなようだ。

「ビス殿。宝人たちはそっとしておきましょう。我らにとって赤子が、いえ、母体共々来年生まれる命を殺されたようなものなのです。そして宝人は祈りによって生まれる。それは宝人全員の子供であり、宝人の未来なのです。卵核が壊されたというなら、これからどうなるかわかりませんがラトリアがやった以上、もう待てません」

 ビスが力強く頷いた。多少の変更点を部下に言い伝え、出立の雰囲気が漂う。

「ジル。私も行かせて」

「おい!」

 当初追いかけてきたことを反省し、自陣でおとなしくしている約束だったが、ヘリーはジルに自分の意見をようやく伝えた。というか、今度のことで決意した。

「わがままに思うだろうけど、行かなきゃいけないの。巫女王としてどうしてこんなことをしたか、ラトリアの王様に私が会わなきゃいけないの。だから行かせて」

 ヘリーの顔はわがままや寂しさからの発言ではない。王としての責任があるような決意のまなざしだった。

「シャイデの巫女王を、朋友の危機を目の前にして下がれとは言えないはずよ。英雄王」

 ジルは妹の本気に今度ばかりは折れなくてはいけないようだった。というか初めて妹に王としての気迫があった。その気迫に折れたと言ってもいい。

「俺のそばから離れるなよ」

「うん」

 深くため息をつくとジルは黒い指輪を口に含み、ぷっと息とともに吐き出した。するとその息は黒く染まり、闇で出来た黒馬と変じた。

 ジルはジルタリアから直接来たため、己の愛馬を駆ってこれなかったのだ。そういうときのために闇のエレメントで作った愛馬のコピーをつくっている。

 ジルは闇のエレメントを宝人並みに使いこなすが、宝人でないために『暗円』のような補助具を作って能力を安定させている。その延長線上である一定の形を記憶する為、指輪や腕輪型に形を形状記憶させている仕組みである。

「落馬とかしたら即置いていくから」

 ジルは馬に跨り、部下を見渡す。ビスも愛馬に跨り、部下を引き連れていた。

「行くぞ!!」

「おお!!」

 猛々しい声が響き渡り、馬が一斉にラトリア城目掛けて駆け出した。

 走りぬき様に右腕を差し出したジルの手をヘリーは掴み、力強いその腕に引っ張り上げられ、いつの間にかジルの馬に相乗りしていた。振り向くと前を見据えた厳しい表情の兄の顔がある。初めて見る顔で、これが離れていた間に叔母であるルルと一緒にいたときの子供ではなくなってしまったときの顔なのだ。

 自分と一緒にいるときは決してみせない大人の顔。戦士の顔だ。両親も、兄も姉もジルを片手で数えられるその年齢で戦士にしてしまったことを深く後悔していた。だから、次にそういうことがあったら止めなくては、止められなくても自分が一緒にその痛みを分け合わなくてはとヘリーはずっと心に誓っていた。

「前を見ていろ。護ってはやらないからな」

「うん」

 皆、相当の駿馬を駆っているのか、それともなれていないヘリーだから速く感じるのか遠目に見えていた城はいつの間にか目の前に迫っていた。

「ジル……」

 ごおごお感じる風に負けないように名前を呼ぶと、ヘリーの方を見ることもなくジルが厳しく言う。

「舌をかむぞ。口を閉じていろ」

 乗馬は出来るとはいえ、戦場に出ている馬とはこうも違うものかとヘリーは膝に力を込めた。確かに無駄口を叩くと舌をかみそうだった。

「陛下、一番槍はいただきますぞ」

「おう、蹴散らしてきな」

 部下の一人が土煙を上げながら近づいたかと思うと一言交わして姿を遠ざけていく。ジルとビスの部下が城の姿がもう目の前と言うところで弓を構えた。流れ星のように綺麗な放物線を描いて矢が門の中へ消えていく。そして馬の持つ跳躍力と速度で門番が蹴散らされ、木製の門が破壊される。

 鉄製の正門ではなく裏門の使用頻度が高くない門だからこそ馬で蹴散らしたというわけだ。激しい音が鳴り響き、気づいたラトリアの見張り兵が警鐘をけたたましく鳴らす。緊張した空気が流れたがジルたちは構わず進む。

 ビスたちとはそこで別れ、ジルたちシャイデの兵は城の中でさえ馬で荒らすように押し入り、そのまま上階へ馬のまま上がっていく。警鐘を聞いたラトリア兵が行く手に立ちふさがるが城の中まで馬で押し入る芸当を近年経験していないためか、まさに蹴散らされている。

 目の前で突き出される剣や槍を馬上でジルが見事に払う。そのたびにヘリーは目をつぶってしまい、馬の首にしがみついていた。

 さすがに上の階にいくにつれ通路が狭くなり、ジルたちも馬を下りる羽目になった。馬に下に行くように命じ、不思議と言葉は交わさないのに、馬は従って階段を下りていった。

 ジルたちはどこかを目指す。ヘリーは慌ててジルの背中を追いかけた。

「いたぞ!」

 新しいラトリアの集団が出てきて斬りあいになるが、ジルは相手にせずに奥へ進む。そうするたびに部下が一人、一人と戦場に残っていった。

 そういう作戦だったのか、ジルは部下が着いてこないことに目も触れず、先に進んでいく。

 そしてある一室を蹴破って押し入った。そこは王の執務室のようだ。執務室といっても広く、部屋の端から端まで走ったら息切れしそうだとヘリーは思ったものだ。ラトリア王と思われる人物は驚いていたが、無言で王を護衛している近衛兵か騎士がジルに向かって刃を向けた。

 ジルはヘリーを背後に庇いつつも、腰から双剣を音もなく抜き、駆け出す。二人の影が交差した瞬間にその人物は倒れ伏していた。ヘリーは息を呑んでそれを見つめる。ジルが平気で人を傷つける。その現場を見たのは初めてだった。しかしちゃんと見ておかねば、と思い息を殺してジルについていく。

 そうして部屋にいた護衛が一人もいなくなったとき、ジルがラトリア王に剣を向けた。

「ラトリア王だな」

「そういう貴様はなんだ?」

 厳しい顔をしているもうすぐ初老という年齢の男性はとても宝人に悪いことをするような人には見えなかった。

「お初にお目にかかる。俺はジル=オリビン。このような形で合間見えるとは残念の極みだな」

 青い髪に混じった白髪と尖った顎が目立つが、きっと笑ったら優しそうなのに、とヘリーは思う。

「オリビン。シャイデの新しい王か。この前会ったのはお前らより年上の男女だったが……。シャイデは複座の王だったか。ではお前は弟か」

「第三の王だ。兄弟では三番目。わかりやすいだろう?」

「ふん。で? 無礼極まりないな。国際問題に発展する行為を行っているように見えるが? 何か用か?」

 完全に相手が子供と知ってか、それともそれ以外の理由か見下した口調で続ける。

「シャイデとジルタリアを襲っておいて、片腹痛いな」

 ジルは鼻で笑い飛ばすと、剣を構えなおしラトリア王に問うた。

「何故宝人の里を襲い、宝人や子供を攫いつつもシャイデとジルタリアを乗っ取ろうとした?」

「子供のお前にそれを説いてなんとする。我が軍門に下るとでも言うつもりか?」

 ヘリーはそこで前に出る。

「教えて。なんで宝人にひどいことをするの? どうして宝人の宝とも未来とも言える『卵核』の破壊を命令したの?」

「おやおや、シャイデの最後の王……というか姫が似合うか? なんでかって? そうやって問うて教えてもらえる甘い世界と思うかね、お嬢ちゃん」

 完全に馬鹿にした様子でヘリーとジルを見下す。キアやハーキはそんなに感じの悪い王ではなかったといっていたが、それは外交上の表面というわけか。

「下がっていろ、ヘリー」

 ジルは妹を背後に庇うと、ラトリア王をにらみつけた。ラトリア王も護身用か愛剣か腰の立派な長剣を抜き放つ。

 刃を互いに向けて向かい合い王と王。先に動いたのはジルだった。水の大陸を中心に活動した世界でも抜きん出た腕を持つ集団『世界傭兵』の一人であった叔母ルル=ミナに従事し、直接その全てを叩き込まれたジルの実力は一国の王でさえはるかにしのぐものであった。

 ジルは王にさえならなければそのままルル=ミナの後継として世界傭兵になる予定だった。というか世界傭兵として二年ほど活動した後だったのだが、また名を知らしめるほどの活動をしていないだけの話だ。

 勝負はすぐに勝敗を決し、部屋の隅に弾き飛ばされたラトリア王の剣がむなしく光った。ジルはラトリア王に傷を負わせることもなく勝負を決めると首元に刃をつきつけた。

「しゃべらないなら、しゃべらせるまでだ。まぁいい。時間はたっぷりある。ジルタリアなりシャイデなりにお越しいただきゆっくり語っていただくまで」

 ジルはそう言うとラトリア王をこれまた世界傭兵にしか知られていない縄抜け出来ない縛り方で拘束する。

「貴様! 度が過ぎるぞ、この私に向かって! すぐにでも私の危機を知って兵士が続々とこの場にやってくる。数瞬後にはこの姿なのは貴様だ」

 負け惜しみを言う王に追い討ちを掛けるようにジルは言う。

「残念だったな。俺が一人で乗り込んできたとでも思うか? 城は俺の部下とあの名高いジルタリアの白帝剣がきてもうまもなく制圧する。お前の懐刀でさえ、お縄に着くぞ」

「ビス=アザンシードは確かに殺したはず!!」

「あの愛国心、兄への忠誠心が高いあの方が自国への勝手な真似を許すわけないだろ。確かに殺したなら、化けて出ても俺は不思議に思わないけどね」

 ジルはそう言ってくすくす笑う。縛ったラトリア王を無理やり立たせ、連れて行こうとするとラトリア王が叫んだ。

「すぐに来い! 彗!」

 ジルが警戒を解かずにヘリーを庇うとその場に水が瞬時に溢れ、中から人影が姿を現す。水によって転移した水の宝人だ。

「へ、陛下……」

 怯えた声を出した男の宝人は薄い水色の目に怯えを乗せ、状況に困惑している様子だ。

「今すぐこやつらを殺し、私を自由にせよ!」

「へ、陛下。こ、ここ、殺すなんて真似、ぼ、ぼぼぼくには、と、とと到底できません!!」

 首を振って腰を抜かしたのかへたり込んだ青年にラトリア王は怒鳴る。

「言うことを聞け! 仲間がどうなってもいいのか!!」

「そ、そそそんなぁ……」

 今にも泣き出しそうな様子で青年がジルやヘリーとラトリア王を交互に見つめる。脅されて言うことを聞かされている宝人であることはすぐにわかった。

 顔に契約紋がないから契約はしていないのだろうが、哀れな宝人だ。もしかするとジルタリアやシャイデから拉致された宝人かもしれない。ジルは宝人の方に歩み寄った。ひっと悲鳴を小さく上げてへたり込んだまま、慌てて後退しようとする宝人にジルは笑いかけ、剣を収めた。

「大丈夫、仲間は俺たちが必ず救出する。だから、もう脅しに屈しなくてもいいんだ」

「ほ、本当ですか?」

「ああ」

 安心させるように力強く頷くと宝人の青年に手を差し出した。おずおずといった様子で青年がジルの手を握る。

「もう、大丈夫だ」

 ジルがそう言って笑いかけたとき、青年が何かを呟いた。

「何だ?」

 ジルが小さい声を聞き取ろうと耳をそばに近づけたとき、その言葉がはっきり聞こえた。

「『ジルコン』」

 ジルは目を見開いて青年を見つめ返し、握った手を離そうとしたが、青年は手を離さない。

「っ!」

 ジルが叫び、振り払おうとしたが、力強く握られたというよりかは捕まれた腕は離れない。

「『ジルコン=ダグラッド=オリビン』」

 青年がそう言って別人のようにニィっと笑った瞬間、握られたジルの右手の甲に青い模様が浮かび上がった。ジルは腕を離そうと左腕で腰の剣を掴んだ瞬間、青年がぱっと笑顔になって腕を話した。

「お前……何故!」

 ヘリーはジルの元に駆けつける。兄の腕に青い刺青が広がっている。さっきまでなかったものだ。

「何故俺の魂名を知っている!」

 ジルがそう叫んだのを聞いてヘリーが目を見開いた。魂名は家族でさえ知らない本人だけの唯一のもの。ヘリーだけではない。おそらく生んだ両親でさえ知らないものを。

「よぅし、よくやったぞ! 彗!」

 ラトリア王が縛られたまま叫んだ。チッと舌打ちをして、ジルは己のふがいなさを悔やむ。

「勘違いしないでいただきたい」

 青年は今までのは演技だと言わんばかりに冷静な顔と態度でラトリア王を見下す。その目を見たジルはこの青年の本質を悟った。すぐさま双剣を抜き放ち、ラトリア王と青年の間に入り込む。

「おや、国を、宝人を襲った愚かな王を助けるのですか?」

「こいつから事の真相を聞いてねーからな。それに、愚王かどうか決めるのは俺たちじゃないさ。ラトリアの民だろう。だからお前がラトリア王を殺すのを両手喝采ってわけにはいかねー」

 彗と呼ばれた宝人の青年はふむ、と頷く。

「彗! 私を王にするのではなかったか! 私をこの水の大陸全土の王にすると! それがお前らの望みだろうが」

「他人にそれを望む時点でその資格はありませんよ。ラトリア王。さて、シャイデの王。こんな愚かな男、殺してしまった方が世の為、国の為、人の為ですよ? 愚かな指導者を持つのは本当に不幸なことです」

 ジルは青年を睨み、鋭く言い放つ。

「偉そうに上から物を言うな。お前がどれほど偉いか知らないがな……口封じに殺そうって魂胆が見え見えなんだよ、黒幕さんよ!!」

 ふぅっとため息を吐き、目を伏せた青年はジルを出来の悪い子供を見るようにして言った。

「さすがかの英雄王。言うことはご立派ですが……させませんよ」

「ぐっ!!」

 青年が目を見開いた瞬間に、ジルが苦悶の声を上げて、青い模様を描かれた右腕で握っていた剣を激しい音を立てて落とした。

「ジル!!」

 左腕で右腕を押さえるジルの顔には脂汗が滲んでいる。

「お前……さっきのことと言い、俺に何をした?」

「俺は宝人の中でも『魂見』に特化した宝人。俺が魂の性質だけでなくその本質、果てには個人の『真名』でさえ見通すことができる。俺に触れたのは軽率でしたね、ジル王。魂の本質さえ分かれば宝人はその魂に向けて『呪う』ことができる。真名はそれを教えるようなものですから」

「……あの短時間で俺を呪ったってか」

「その通りです。貴方に掛けた呪いは紋様の成長具合でわかるでしょうが、いずれ心臓に達し、貴方の魂にたどり着きます。さすれば真名を呪われた貴方はその瞬間に呪い殺される。貴方のその高潔な心は正直美徳ですが、今この時点では邪魔でしかないので」

 青年はジルに死刑宣告をしているときでさえ、まるで何も感じていないかのように言い放つ。そしてジルの背後でラトリア王の絶叫が響き渡った。水のエレメントによって一瞬で殺害されたのだ。

 ジルは左腕を離し、落ちていた刃が白い剣を右腕に握らせると止血帯を使って右腕と剣を縛りつけ、固定する。左腕で刃が黒い剣を握り、立ち上がる。そして、刃の切っ先を青年に向けた。

「おや、相当の激痛のはずですが。ラトリア王も死んだことです。おとなしくしていてくれれば呪いを解いてもいいのですが」

 それを聞いてジルは剣を下げる。青年がホッと一息つくが、ジルは口元に笑みを浮かべて両手首を打ち鳴らした。その瞬間にジルの顔に黒いシャイデの紋様が浮かぶ。

「そうしたいとこだけどな、お前は後にシャイデに害をもたらすだろう。それを放ってはおけないんだよ」

 ジルがタンと軽く脚を踏み出す。その身体のリーチからは考えられないほどの間合いで青年に近づくと、剣が一閃される。青年は目を見開き、思わず息を呑んだ。――速い!!

「馬鹿な! 貴方が死ねば、残る王もみな退位を迫られるのですよ」

「そりゃ悪いな! だけどな、俺が死のうと、みんなが死のうともこの俺がシャイデを背負う王になった以上、後の禍根は!」

 水による盾が一閃され、ジルの身が躍り出る。

「今、断つ!!」

 彗は驚きを隠せない。呪いを掛けた状態でここまで動けるのも信じられないのに、死に恐怖しないだと!?

「お前を逃がしちゃいけないって、本能が告げてんだよ。俺から逃げるのは諦めな」

 彗は自分の動きや水の動きが遅いと感じていた。いつもならもっと動けるのに。そう思ってはっとした。

 黒い紋様。それは半人の王である証と同時に宝人と同じようにエレメントを使いこなせる証でもある。黒が意味することは、闇。すなわち『重力操作』!!

「致し方ないですね!」

 呪いの効き目を速くし、痛みを強くするように呪う。一瞬ジルの動きが止まったが、すぐに動き出す。

 あの痛み、感覚がもうないはずだが、剣を固定し、無理に腕の力で動かしているらしい。

「わかっていますか? その模様が腕を這い登り、心臓まで伸びたら最後、貴方は死にますよ」

「だから?」

「命が惜しくないのですか?」

「命ねぇ……」

ジルはそう言って笑う。

「貴方が死ねば、他の兄弟は悲しむでしょうね」

「かもな。だけどさ、命を伸ばすだけならさー」

 ジルはそう言いながらも攻撃の手を緩めない。水でガードするのが精一杯だ。

「腕なんて斬り落とせば済む話だ」

 軽い調子で言われたその一言は彗を止めるのに十分な言葉だった。この少年はどれだけの覚悟で、王というものに挑んだのか。ジルが右腕を振り上げる。やられる、と覚悟した瞬間、光が二人の間を通り抜けた。

「仲間か?」

 ジルが驚きもせず冷静に問う。彗は誰かに抱えられていることに気づいた。ジルとの距離が離されている。視線を上に向ければそこには仲間の姿があった。

はやて!」

 白髪で白眼。光の宝人だった。

「お前が失敗するとは珍しい。ああ、王は始末した後か。こいつが邪魔なんだ?」

 笑う仲間に気をつけろ、と短く声を掛けた。

「人数が増えた位で調子乗ってると、痛い目見るぞ」

 ジルが殺気を隠しもせずにそう言い放つと同時に二人の身体は地に引っ張られるように叩きつけられた。重力操作の真骨頂。二人にだけ重力を何倍にもして掛けているのだ。

「この!」

 隼が這いつくばったまま、光のエレメントを使って光を飛ぶ刃のように扱う。無数に光るその鋭利な攻撃をジルは黒い剣を回転させ、じんわりと染み出した闇に吸収させてしまう。

「何!?」

 正直この攻撃を避けられはしても無効化されたことは一度だってなかった隼だ。驚く間にもジルが二人を捕らえようと攻撃を仕掛けてくる。重さで動けない二人だが、隼は彗の服をつかみ、違う場所に転移する。

 光に重さはない。光と化してしまえば重力は無効化できる。だが、と隼と彗は冷静に状況を見つめなおす。闇のエレメントを使いこなされてしまっただけで、ここまで苦戦するとは。しかも相手は子供ということを抜きにしても自分たち宝人よりエレメントを使いこなすことに長けていない半人だ。それを普通の闇の宝人よりはるかに巧みに使いこなすだけでなく、相当の訓練を積んだのか半端ない双剣使いでもある。

 はっきり言って彗も隼も他の宝人相手に引けを取らないだけのエレメントを使いこなす技術がある。しかしこの少年は相手が悪い。彗の水は重さを掛けられ動きを鈍らせるし、隼の光は闇で吸収される。闇に対抗する以上の力を使おうと思えば、彼の素早い動きに捕まってしまう。

 現状は彼が彗の呪いによって動きが少しだろうが鈍いことと、隼の光の転移でなんとか攻撃の刃から身を護っている状態に他ならない。

「お前らが何を狙っているかは知らない。でもそれがシャイデに害をもたらすならば、俺はお前らをここで逃がすわけにはいかない。たとえお前らを殺しても」

 黒い髪の間から覗く赤い瞳。そのわずかな赤い色に映える黒いシャイデを示す半人の契約紋。

「お前は俺に死ぬのは怖くないかと訊いたな。では逆に訊く。お前らは死ぬのが怖いか?」

 そう問われた瞬間に彗の腕を何かが通り抜けたと感じた瞬間に火傷したかのような発火したような熱さが生じ、ぬるっとした感触が腕を伝う。見ることさえ叶わなかった。斬られたのだと理解するまで時間がかかった。

「彗!!」

 隼が叫ぶが、彗は己の傷より目の前のジルから目が離せない。

 ――王だ。彼こそが、魔神に認められた王なのだ。その魂が、王である。

「お前らはラトリア王を手に掛けた。その正当性をラトリアの民に示せるならやってみせるがいい。お前らが宝人の里を襲い、年端も行かぬ宝人の幼子に悲鳴を上げさせたその恐怖と苦痛を取り払えるなら、やってみせろ。奪うだけ奪い、殺すだけ殺すというのは示しがつかないぞ」

「知ったような口を利くな、小僧!」

 隼が叫ぶ。

「では貴様こそ、どうして俺たちがこんなことを始めたか考えたことはあるか!?」

「知ったことか」

 ジルが見下す目には怒りが宿っている。

「貴様らが大層な理由を掲げても、シャイデの民をそして水の大陸に暮らす者を危機に陥らせたのは変わりない。それを許すと思うか。俺がそんな慈悲深く見えるか!」

 意思を折られそうだ。この少年が王であることに。そして本気で民を想っていることに。

「許しは請わない。決めたことはやり遂げる。それには貴方が邪魔なのは変わらない」

 彗はそう言って深く息を吐いた。

「その『呪い』は本来三日で完成するものだ。しかし貴方が従わないのはわかった。貴方は今晩死ぬ。呪いの速度は倍以上だ。貴方のような指導者に恵まれたなら、世界は平和であったろう。貴方がもっと早く生まれていればよかったと思うが、残念だ」

「わかりあえなくて残念だ」

 ジルが再び剣を振り上げる。隼が彗を連れて転移を行い、ジルは見越したように転移先へ切っ先を向ける。

「貴方は死ぬ覚悟がおありだろう。そしていざとなったら己の身を省みないのだろうな」

 彗は隼に囁いた。隼が頷く。

「だが、妹王にそれはおありかな?」

 ジルが振り返った瞬間、ヘリー目掛けて無数の光の刃と水の刃が全方向から放たれる。ジルとヘリーの目が見開かれた。

「ヘリー!!」

 ジルの決断は一瞬だった。宝人二人への攻撃を全て止め、ヘリーに駆け寄ってその身を庇うように抱きしめる。闇のエレメントを使ってヘリーの背後から襲い来る無数の光の刃を吸収させ、残った水の刃を叩き落す。それはがら空きのヘリーの背中を護るために。他の方向のものも水の刃は剣で打ち落とせるものは打ち落とした。そしてきつく妹を抱きしめる。

 ヘリーはジルの胸に抱かれ、何も見えない。攻撃は一瞬だった。それをすべて払い落としたとは思えないが、ジルは苦悶一つ上げない。闇のエレメントによる重力操作が消えた瞬間二人の宝人は逃げる構えを取り転移しようとした。

「逃がさない!」

 ジルがヘリーを抱いたまま、叫ぶ。しかし二人の身体が光に包まれていく。ジルは握っていた剣をすぐさま投げつけた。

「ぐぁ!」

 その刃が黒い剣は隼の腹に深く突き刺さる。転移を阻止された隼だが、ジルが諦めていないと知ると、すぐさま剣を腹から抜き捨て、再び転移を開始する。二人の姿は一瞬で光と化し、後には血がついた黒い剣だけが残った。

「くそ!」

「……ジル?」

 荒い息をする兄を見上げようとヘリーは兄に離す様促した。それを受けてか、大きな音を立ててジルの右腕から剣が抜け、切れた止血帯が落ちた。視界の端に白いはずの止血帯が汚れているのが見えた気がした。身動きできるようになったヘリーはなにかぬるっとした暖かなものに触れたと思ったとき、目を見開いた。

「ジル!!」

「逃がしちまった。格好悪りぃの」

 口元だけ笑みを浮かべた兄の背は無残にも無数の光の刃に刻まれて血だらけだった。防ぎきれなかった水の刃が所々腹まで貫通している。茶色い革でできたジルの上着を赤黒い何かが色を変えている。鋭利な穴が何箇所も開いている背中からじわりと滲む赤いもの。

 ヘリーを護って兄は傷ついたのだ。上着は赤黒く染まり、両腕には伝う血が止まらず流れている。ヘリーを抱えていたはずのジルは逆にヘリーに凭れ掛かるように体重をかけ、その重さに負けたヘリーがジルに釣られるようにして膝を着く。

 ずるり、と滑り落ちるようにジルの身体が傾いでいき、ごん、と重い音をたててジルの頭が床に落ちた。ジルは倒れ伏し、気を失った。

 血溜まりが音もなく広がり、ヘリーの膝をぬらす。血まみれの傷ついた兄。それを見、状況を理解したヘリーが絶叫する。

 そう、甲高い音となって遠くまで響き渡る『鳴き声』を。


...032


 隼の転移によってジルから逃げ出した宝人二人はヘリーの『鳴き声』を訊いていた。

「まずいな……」

 状況を正確に伝える宝人のその能力によって自分たちがラトリア王を殺したことだけでなく、互いの会話やジルを傷つけたこと全てがどこまで遠くかわからないが宝人に伝わっている。それどころか、かの巫女王は半人のくせに『鳴き声』を使うだけでなく、それに己の意思を伝える上等手段まで併用している。

『――聞け! ラトリアの民よ! そなたらの王は殺された。絶対にこの二人をラトリアより逃がすな!!』

 すぐさま移転を用いてラトリアの宝人が二人を追ってくる。

「隼! もう一回転移できるか?」

「……ちくしょ、あの小僧……やってくれる!」

 逃げる前に黒い剣を投げられ、それが刺さったのは知っているが、傷口から黒い模様が浮かび上がっている。

「まさか、半人のくせに『呪い』を使いこなしたっていうのか?!」

「お前じゃあるまいし、俺の真名をあのガキが知るわけない。……あれ『陰陽剣』だろう? シャイデで眠っているはずの剣が主を得て目覚めたとすれば、これは剣の呪いだ」

 隼が冷静に言う。隼が傷ついて動揺しているのは自分のようだ。

「効果は?」

「わからねー。下手すりゃ死ぬか」

「くそ! わかった。転移は俺がする。傷が水に浸かるが我慢しろよ」

「ああ。今は逃げることが先決だ」

 彗が水の在り処を感知し、転移を行う。宝人二人はそうしてラトリアから姿を消した。



 まるで痙攣したようにキアは動けない。遠く離れたラトリアにいる妹の声がここまで聞こえる。『鳴き声』を通してジルが重傷、ラトリア王は殺害された事実を知る。

 半人であるキアが『鳴き声』を受け取れたのは初めてだった。ヘリーの絶叫が今もなお、耳に残る。

「さすが巫女王と名高いことはあるわ。普通の宝人でも国を超えるような『鳴き声』は出せないのよ」

 翔が耳を押さえて言った。キアはふっと視線を上げる。

「今の青い髪と白い髪の男、お前の仲間か?」

 翔がふっと笑う。

「今のでわかったでしょ? 私をここから出してよ。そうしたら私が彗に弟さんの呪いを解くように言ってあげるわ。いくら商人気質でも命までは買えないでしょう?」

 彗と隼が予想外にやられている。こんなところで待ってはいられない。もう用済みの王を消したし、宝人の里を消した。目的は達せられた以上長居は無用だ。

「だめだ」

 キアの表情は近くにいるので良く見える。今まで余裕だったのか口元に笑みが浮かんでいたが、今は違う。無表情だった。これが本当の顔か。――許さないって、人間らしい顔をやっとした。

「そんなこと言っている場合? 呪いは本物よ。ジル王が死ねば貴方達はもう王ではなくなる。それ以上に兄弟を失うのが辛いでしょう?」

「そうだな。ジルが死ぬようなことになれば、俺はお前らを許さないだろう。でも今はジルの命よりお前らを逃がすことの方が大きな間違いになるだろう」

 あの弟にしてこの兄あり。

「馬鹿じゃないの?! あたしが彗に呪いを解くよう言うのは本当よ! だから逃がしなさいよ」

「ジルが死に、俺たちは王でなくなってもそれは今夜の話。今ではない。今、俺が王である以上事態を引き起こしたお前らを逃がす愚行は王として犯さない」

「なんでそこまでするのよ! 貴方が王になったのはこの前の話でしょう? そこまで国に愛着があるの?」

「ないさ。でも魔神に選ばれた以上、逃げるわけにもいかないだろう。俺が逃げて、俺が好き勝手生きてそれで助かる高官はたくさんいるかもしれない。それで事態は解決するか? それでシャイデは平和に幸せに豊かになるか! 誰かの幸せの元に成り立つのが王ならば、その幸せを与えるのもまた王だ!」

 翔は返す言葉がない。先ほどの『鳴き声』の中にあった彼の弟も、どうしてここまでの器を持つのか。

「逃げはしない。俺は運命から逃げない。俺は、いや、俺がこの運命を掴み取ったなら、俺は流されずに己の意思を貫く。王が俺の運命なら、国を位背負ってやるさ。だから、お前たちがそれを阻むなら容赦しないさ」

 キアはそう言って翔の首に手を掛けた。キアはジルやハーキのように武人ではないので、気絶のさせ方など知らないのだ。しかし、気絶させないとこの女は止まらない。

「安心しろ、殺しはしない。気を失ってもらうだけだ」

 喉が圧迫され呼吸が困難になる。目がちかちかする。苦しい翔がキアの両腕に手を力なく掛けたとき、土の塊が音をたてて砕け散り、光が差した。

「翔!!」

 キアは腕の力を緩めず、新たな敵を見定めた。顔には黄色だった契約紋が浮かんでいたが、瞬時に青い契約紋が浮かび、水が溢れ出す。水が男に襲いかかる様に噴出した。

「離せよ!!」

 白い髪の男は水に恐れもせずに自身を光とし、キアに襲い掛かる。キアは仕方なく翔を手放すとすぐさま掻っ攫うように男が翔を抱きかかえた。

「大丈夫か、翔」

けい! ありがと」

 咳き込みつつ翔が立ち上がる。戦う様子を見せた啓に翔はそれをやめるように言う。

「しかし翔!」

「いいの。……貴方は魂からして、王なのね。魔神に選ばれるのも当然だわ。貴方には負ける。王をたくさん見てきたけれど、貴方ほど王らしく残酷で強欲で、そして全てを背負う覚悟を持った人に会ったことはなかった。貴方は王だ。正真正銘の王。貴方のような良き指導者がこの世界を統べたなら、少しは世界は良い方向にいったでしょうに。残念だわ、キア王」

 寂しそうな表情をして翔は言う。キアは二人を睨みつけたまま動かない。ジルと違って武力に優れないキアは二人の宝人を相手にして勝てるとは思っていない。

「シャイデを大切にして。貴方の統べる国を見てみたい。貴方が自慢するほどの国が本当に夢のように素敵な国だったら、貴方の誘いにそのときは乗ってもいいわ。さようなら、キア王。再び会うことが無い様祈っている」

 翔はそう言って啓を掴むと、突風を生じ、空のかなたへと消えていった。キアは無言でそれを見送る。翔とキアを閉じ込めて拘束していた土の塊が壊れたのを見て、兵士達が寄ってくる。

「キア王、お怪我は?」

「ありません。ご迷惑をおかけし……」

 キアがそう言おうとしたとき、突如空が紅蓮に燃え上がった。呆然と見上げる空が煌々と赤く染まっている。その方角はシャイデ。赤い空が意味することは……!

 キアはそれを見上げ、表情を険しくする。一回、ラトリアの方を振り返り、そして拳を握り締める。下を向き、少し悩んだあと、毅然と顔を上げシャイデの方角を見た。

「急ぎ、シャイデに戻る! 大臣には引き続きジルタリアに残り、後を任せるよう伝えよ。誰かフィス王に伝令を」

「陛下!!」

 ジルタリアの兵が頷き、シャイデの兵がキアの様子を見て緊張した雰囲気になる。

「事態は火急だ! 光の宝人はいるか? 手を貸してくれ」

 それを見てジルタリアの兵が近寄る。

「すまないがシャイデまで転移を続けてもらえるだろうか?」

「承知しました」

 シャイデから来た宝人の兵士達は各々転移の体制に入る。ジルタリアの光の宝人がキアと共に光となって消える。


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