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モグトワールの遺跡  作者: 無依
第1章 水の大陸(原稿用紙873枚)
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3.火神覚醒 【01】

...016


 人と宝人と動物が全て等しく、全て仲良く暮らしていた時代。人の住む町には宝人と人が半々住み、互いに種族の差など気にせず暮らしていた。

 人はエレメントをありがたがり、宝人を敬い、魔神に感謝の祈りを捧げる聖なる場所を作った。その場所は魔神がその大陸に初めて宝人を遣わし、人に恩恵を与えるようにした場所でもあった。その場所は魔神と唯一繋がれる場所と人に信じられ、その場所には神殿が建ち、魔神の信仰の礎となった。

 やがてその場所に国が生まれ、その国は神殿と共に魔神の祝福を受けた約束された国となった。

 人々はその国を魔人との盟約の国として永久の平和を望んだ。

 地上に遣わされた多くの宝人もそれを願い、魔神はそれを叶えたという。

 一つの大陸にたった一つの盟約の国。その国は神殿と共に人だけではなく宝人の為、その世界のために常に平和を祈り、平等で、幸せな国づくりを目指すと約束した。

 魔神はその想いをサポートする為に、その国を導く王に祝福を授けた。

 すなわち、この世界で唯一人と宝人との架け橋となれるよう、双方の力を持つ『半人』という存在を。

 各エレメントを持つ魔神はそれぞれ盟約の国を創り、その王座に据える人物を独自に選定したが、必ず王座に就いた人間は半人となり、契約したエレメントを宝人と同じように使いこなすことができ、宝人の持つ特殊能力をこれまた使うことができたという。

 半人は己の人間の部分が魔神の祝福すなわち宝人の部分と自身の中で契約を行うことによってエレメントを使うことができるといわれている。すなわち、半人がエレメントを使う際は契約した宝人のようにその顔に鮮やかな契約紋が浮かび上がるのだという。



 ――しかし、人の欲によって一度滅びかけた世界では、古の盟約の国の王は半人であるとされながらもエレメントを使いこなすことなどできず、それは昔の伝説として神殿の最奥にひそかにしまわれてしまった。

 人は半人の王の存在を忘れ、古の盟約の国は名前だけとなる。魔神は人を見放したと宝人は噂をし、もしも半人の、本物の伝説と謳われる王が再び現れたなら、人を少しは信用するようになるのかもしれない。


...017


「おう、今日も残ってくのか?」

「はい、すいません。仕事が遅くて……」

「いいさ。にしても変わり者の王だよな。仕事にあぶれた若者を募って王宮で雑用させるなんてよ」

 はぁ、とぼさぼさの金髪の青年は笑う。目元には隈ができており、仕事になれないせいか疲れが顔に出ている。健康的ではないその青年を哀れに思いつつも、仕事が終わらないのでは帰せない。

「まぁ、ほどほどにな。焦らないくていい。ニ週間の研修で仕事全て覚えてもらおうとは思ってないからな、こっちも」

 王は城下で仕事にありつけなかった田舎から出てきた若者を登用し、王宮で働かせると突然言った。ニ週間ごとに各部署を回らせ、適性のあった部署に三年間試用で勤務させる。

 その間に試験を受けさせ、合格に達したものを正式に雇うと宣言したのだ。昔ながらの登用方法、すなわちコネや貴族の若者などの雇用を失くすと言ったけれども反対されて、雇用人数の三割はその登用制度にすると半ばキレ気味に言い放ったわけだから当然、反発が生じている。そうしたらジル王が言ったらしい。

 だってお前ら十五の俺に比べてもあまりにも馬鹿なんだもん、と。子供ゆえかわざとか貴族の鼻っぱしを折るような行動を引き起こし、嵐を巻き起こす第三の王。それに引きずられる形となり、今回試用で運用されることになったのだった。

「王も何をお考えなのか……」

 独り言がつい口を出て若者が頭を下げた。

「すいません、迷惑ですよね……。やっぱり」

「いや、なんでお前が謝る? 貴族の若様に比べたら飲み込みは速いし、素直だし俺はうれしいよ。俺は地方出身だからね、貴族じゃないし」

 シャイデでは地方の役人はその地方の領主に任されるので、平民が運営に携わることも少なくないが、王宮はそうもいかない。貴族による政治。しかし優秀な地方の役人は時々貴族の補佐として王宮の役人として働いている。彼もそんな一例だった。

 貴族に頭は上がらないが、この金の管理はほとんど肩書きだけの貴族よりはしっかりやっているつもりだ。

「貴族もなー、しっかりしている方はすごいんだ。仕事に誇りを持っている。ほら、スベール伯爵なんかはお若いが絶対不正など働かないし。外交のエルジス侯爵は手腕は見事。逆に誰とはいえないがプライドだけの貴族さまはいるほうが迷惑なこともあるしな」

「そうですかー」

 青年は素直に話を聞いている。

「おっと、邪魔したな。最低限だけやって帰っていいぞ」

 教育係りである男性に深く頭を下げて研修中の若者……を装ったキアは誰もいなくなったことを確認すると、奥の倉庫から過去の帳簿を全て引っ張り出して驚異的なスピードでチェックし始めた。

 特に確認するのは前王らが退位する五年前からだ。前王は第四の王が不審な死を遂げたことで退位を迫られた。そのことが金の動きからわからないかと探っているのだ。帳簿を扱いなれたスピードでページをめくっていく。腕が立つジルとは違いもともとキアは父の後を継ぐためにインドア派だ。

「あ……ここか?」

 はたっと手を止める。そして月光を頼りに周辺の冊子を引っ張り出す。

「ここが……」

 キアがここに潜入してから五日目。そろそろ結果を急がなければいけない。しかし流れは見えてきた。この流れを今度は人事でそれを確認する。さて、ハーキはそろそろ軍を見終わったか。

 ジルと連絡を取るにはジルが寝ている時間、すなわち夜だけなのだがキアとハーキが自由に動けるのも夜しかない。ジルとヘリーは心配だがああみえてジルはしっかりしている。信用するしかない。



 夜、シャイデの軍の宿舎は静まり返っている。その静かな中で、一人素振りをする男の背後で微かな足音がした。振り返った男の前にはうら若き女が笑いながら立っていた。

「あんたでしょ? 若くして軍曹まで認められた骨のある男って」

「何ものだ?」

「ねぇ、あんたあたしに従う気なぁい?」

 くすりと笑う女は背中に二振りの無骨な細い剣を背負っている。

「私を使えるのは陛下のみ」

「ふん、微妙な返事。陛下に会ったこともないくせに大した忠誠心じゃない? じゃ、あんたが使える男かどうか、見せて頂戴?誰の下に就こうが、この国の軍人なんでしょ?」

「何? 女を相手にしろと?」

「あら? 女だからって手加減する必要はないわ。あたし、強いからね。じゃ、あんた負けたらあたしのためだけに働くのよー?」

 背後に手をやって女は柄に手を掛ける。

「ささ、かかってきなさい」

 男は最初悩んでいたようだが、剣を構え、攻撃の体制に入った。とりあえず不審者に代わりない。倒して捕縛する。女は柄に手を掛けたまま微笑み続けている。男の剣が白銀の軌跡を描いた瞬間に女の剣が瞬いた。男の手に剣がなく、弾かれて遠くに飛ばされている。女が笑って構えを解いた。

「今のは……」

「あたしが勝ったわ。約束は守ってよね?」

 女はそう言って笑って剣を背後に戻す。

「ま、待て。お前は? 誰なんだ?」

「ん? あたし? いつかあんたの前に姿を現す美女ってことにしといて」

 女はそう言って闇の中に消えていった。女、ハーキはジルに言われていたリストを片付けるとふっと息をはいた。

「これで軍は大丈夫。次は神殿か。かわいいヘリーをいじめた仕返しをしに行きますかね」

 ハーキはそう言って笑った。おしとやかで優しい女王? 誰よ、そんな事言ったの。あたしは兄弟の中で一番過激な、やられたらやり返す主義の女なんだからね。そう心の中で笑うハーキは誰が見ても守護王であるとは思うまい。

 女は化粧でなんとでもなるのよねー。あー、侍女にまかせたりしないでよかったー。キアとは違ってあたしは化けるの簡単で助かったなぁ。

 といってもキアもかなり王の時は猫かぶりだ。もともと美形というほどではないが、顔の造詣が整っているオリビン兄弟は立派ななりをしてそこそこ堂々としていれば、王になれる容姿だ。

 しかし普段というか王になる前、キアは超昼行灯で、市井に出るときは目の下には隈、金髪はぼさぼさ、視線は寝不足のせいかするどく猫背。ハーキは剣を習っていただけあって、背中に剣を背負った男勝りな性格と強さで有名だった。

 王になった瞬間、それを自覚した四人は、いざというときのために化けておこうと行ったのだ。キアはその瞬間から両親と認識できなくなった人に向かって、寂しさを覚えながら自分達を着飾り王として振舞うことを宣言した。王宮からの迎えが来る前に四人ともこぎれいな姿にはなっていたので、誰も今の姿を疑ってはいない。

「王、か……」

 寂しいものだった。目の前にいる大人が両親だとわかっているのに他人にしか思えないあの感覚。王となった瞬間に聞こえた民の歓声。国を背負う重さ。なによりも否定したくとも王だと自分自身が認めてしまっている事実。

「呼べなかったな」

 別れるときでさえ両親に、お父さんお母さんと呼べなかった。嘘でも呼んで、別れたかった。



 紫紺は目の前の出来事がたぶん一生頭から離れないのだろうなぁとなんとなく幼心で思った。目の前に広がるいっそ美しいほどに明るく熱い紅蓮の空。橙の炎の壁の前に霞む様に立ち尽くす、一人の少年を。

「すばらしい!!」

 自分を押さえつける人間が呟いた。熱波が時折一行を弄るように襲う。しかし誰もそれを感じないかのように目の前の光景に心を奪われていた。


 ――数時間前――

 紫紺や鴉は人間に相変わらず監視された生活を送っていた。いくら広い空間とはいえ、この部屋から出てはいけないのは息苦しいし、人間がずっと監視しているせいで大人たちは一言も口をきかない。おかげで話すことさえ禁じられたようになって紫紺はひどくいやな毎日を送っていた。

 鴉もその雰囲気を感じ取って、こっそりと時々しか話してくれない。楓はあれから目を覚ましたようだが紫紺たちとはそもそも扱いが違う。楓が閉じ込められた箱に見えるなにかは紫紺にとって近づきがたい嫌な感がするし、近寄ろうとすると大人が止める。

 鴉に聞くと、楓は無晶石に閉じ込められているようなものだといった。そう言って自分達の手枷を指差したのだ。

「それって楓はつらくない?」

 自分達はこの手枷だけでも嫌でたまらないのに。だからみんな体調が悪そうな顔をして口数がすくないのかもしれない。

「つらいだろうけど、どうもできねーだろ、俺らには」

 箱の中で身を動かすことすら出来ない楓はずっと紫紺たちに背を向けたままだが時々身動きをしているから意識は戻ったのだろうと鴉が教えてくれた。そんな中、兵士と楓に暴力を働いた偉そうな人間、王と呼ばれていた人が入ってきた。鴉は隠すことも出来ないが紫紺を背後にかばう。

「ご機嫌如何かな? 楓くん」

 背後には冷たい目線の宝人の女の人もいる。その人は紫紺を見つけ、鴉から引き剥がすと、紫紺の首にナイフを当てた。

「これで機嫌がいいと思いますか?」

 楓の掠れた声が響く。兵士に命じさせてゲージの鍵が開かれる。蓋が開いて、兵士によって無理やり檻から出された楓は急な動きで関節が悲鳴を上げている。その場にへたりこんだ。腕の模様は消えている。縛りは解かれたみたいだ。鴉はそれを見て一安心する。

「これからの君の働き次第で、どうにかするかもしれないがね」

「……何をさせる気ですか?」

 楓が鋭く問う。ジルタリア王は笑う。

「一つ町を焼き滅ぼして欲しい」

「拒否権は……ないのでしょうね」

 紫紺を、人質の宝人たちを見て楓は冷静に言い放つ。

「いいね、頭のいい子は嫌いではない」

「理由を伺っても?」

「氾濫分子を匿っていたからね。町ぐるみで罪人というわけだ」

 宝人たちはジルタリアのお国事情など知ったことではないが、フィス皇子を逃がした大臣が数名逃げ込んでいた潜伏先を見つけたのだ。今からジルタリアを本当に自分のものにするため、これらは滅ぼさねばならない。

「そうですか……一応言わせてもらいますけど」

 楓はそう言って挑戦的にジルタリア王を見つめ返した。

「僕は炎を使う炎の宝人ですが、炎は忌まれるものです。その炎を僕は使ってきませんでした。だから、町を焼くなんて大規模な炎を上手く使えるかわかりませんよ」

 宝人の誰もが息を呑んだ。ここで捕まっている宝人たちは楓を忌避し、楓と関わっていない。確かに楓が炎を使っているのを見たことがある人間は少ない。楓の炎を扱う能力がどんなものか知らない。

「はぁ? そんな嘘が……」

 ジルタリア王が胡乱下に言うが楓ははっきり言う。

「嘘ではありません。なんならそこの女性に聞いたらいいんじゃないですか? 宝人とはいえ、エレメントの操作には才能と訓練が要るかどうか。練習しなければ宝人とはいえ、上手く使うことなんてできないものですよ」

 楓はハストリカに視線を投げかける。ジルタリア王の目線に答えてハストリカが頷く。

「確かに、私も水のエレメントを使う訓練をしておりました」

「で、お前は炎の宝人なのに炎を使ってこなかったと?」

「当たり前です。やって嫌われることをあえてやるような人間に見えますか?」

 楓はなんとか自分の考えていることを悟られないよう、挑戦的に言い切った。

「まぁ、その点は納得しよう。来い」

 ジルタリア王はそう言って楓を連れ歩く。紫紺も何故か連れて行かれた。

「え?!」

 紫紺の当惑する声に鴉が声を張り上げた。

「待てよ! そいつは関係ないだろ!!」

「この前のように殺そうとか考えられては困る。人質は必要だ」

「なぜ! そんななにもできないがきだぞ!」

 ジルタリア王は鴉に見せ付けるように紫紺を引っ張る。

「なにもできないがきだから効果的なんだろう?」

「……っ!!」

 鴉が声を失うが、すぐにジルタリア王を睨んだ。

「俺も連れてけ! 紫紺が不安に思うからな!!」

「……いいだろう」

 人質の価値しかないとわかっていても紫紺の揺れる目を放っておけない。鴉は決心した。

 何か箱のような乗り物に揺られて紫紺と鴉は初めて近くで楓を見た。兵士が隣で睨んでいるから会話など出来なかったが安心させるように紫紺に向けて笑ってくれた。優しい顔をしていると思った。

「着いたぞ、降りろ」

 そこは紫紺たち宝人の里よりは小さいが人間が多く住んでいる気配がする。

「さぁ、この町を燃やしてくれ」

 楓も戸惑っているようだ。なにせそんなことをしようと思ったことがなければ、初めて人間の町を見たのだ。それに幼い紫紺でもわかる。もし燃やすなんてことをしたらそこにいる人たちはとんでもないことになるし、これから暮らしていけないのだろう。そんなことをしろ……と?

「……本気ですか? その罪人だけ捕まえればいいじゃないですか」

「口答えをするなよ」

 紫紺と鴉を人質だと目線で知らせると楓は諦めたかのように首を振った。

「……わかりました」

 楓の無晶石の手錠と足枷が外された。楓の目線が町一体を見渡す。息を吹きかけるだけで赤い精霊が急速に生まれる。他のエレメントと違って炎のエレメントは世界に少ないが故か、特に楓が使う炎の際には炎の精霊は急速に生まれ育ち、楓の意思に従ってくれる。

(決して、生きているものを傷つけないで)

 楓の想いに精霊たちが頷く。

(できれば見た目は派手だけど、あまりものを燃やさないで欲しいんだ)

 自身もそういう炎を思い描く。そう、決して熱くない炎を。誰も傷つけない炎を!!  そして、軽く腕を振るう。

 ――ゴッ!!!

 それは突然のことだった。町全体が文字通り火を点けられて燃える。何もなかった空間に橙色の猛威が急速に広がり、地を舐める。気づいた町人が叫びを上げながら逃げ惑う。

 楓はその様子を見て、心を痛めた。自分の炎も結局、疎まれるだけのものなのだと。

「……すばらしい!!」

 後ろで人間が騒ぐのが聞こえる。……大丈夫、誰も傷つけてないはず。

 楓はあれだけの炎を使ったのに声一つ上げず、動作も腕を軽く腕を振っただけ。エレメントを使う際に見られるエレメントの主色しゅしょくに身体が変色する現象さえ見られなかった。

 各エレメントには己の色を個性として持っている。

 ――光は白。闇は黒。土は黄。風は緑。水は青。そして炎は赤。

 宝人は人間と契約するとその契約の印として己のエレメントの色の紋章が顔に現れる。

 だから楓の顔には今、赤い印が光っているのだ。そして宝人はエレメントの色かその従属色を身につけて生まれてくることが多い。鴉は闇のエレメントの宝人。その髪と目は黒色だ。ちなみに従属色とはエレメントそのものを表す主色の次にそのエレメントを示す色のことだ。

 ――光は灰色、闇は紫色、土は茶色、水は紺色、炎は橙色だ。唯一例外として風は薄い緑色や黄緑など緑系の範囲の広い色が従属色だ。まだわかっていないとの説もある。

 土の宝人である紫紺は髪と目は従属色である茶色の髪と目をしている。また、各エレメントの名をつけられ、そのエレメントの特色が強く出ている大陸に生まれた人間もそのエレメントの主色や従属色に近い色の髪や瞳を持つ人間が多い。

 しかし楓は疎まれたのか、黒髪に黒い目をしている。そういう己のエレメントの色を持たない宝人はエレメントを使う際は髪や目がその主色や従属色に変ずるのが当たり前なのだが、楓はそれさえ見られない。契約の際にはその現象が見られたからてっきりまたあの姿が見られると思っていた紫紺にとって少し残念だった。逆にそれを見ていた鴉はぞっとした。

(――こいつ、こんなヤバイやつだったのかよ!!)

 紫紺は幼くエレメントを使う経験が皆無に近いからわからないだろうが、鴉程度の年齢になればわかることも多い。己の色がエレメントの主色ではない場合、エレメントを使うときに自分の身体が変色するのは当然だ。それが見られなかったってことは……

(あの程度の炎は余裕ってことだ!!)

 エレメントを使おうとすら考えていないということだ。宝人はエレメントの管理者。慣れれば自分の守護するエレメントを使うのは呼吸をするようなものでたやすい。だが、自分の能力以上のエレメントを使おうとすれば自分の力をそれだけ使うことになり、それに反応してエレメントの色が出るのだ。

 だから、町一つ瞬時に燃やす巨大な炎を生み出し、扱うことなど呼吸に等しく容易いと楓が考えている、いや、そういうレベルの宝人である証拠。

 大人の宝人たちが楓の能力を知っていたかは知らないが、恐れられるのも頷けるというものだ。たしかに、この炎を目の前にすると――こわい。

 だが、それならなぜあんなことを言ったのだろうか? 楓は偉そうな人間に言っていた上手く扱えない発言を不思議に思う。出かける前に言った言葉はまるきりの嘘になるからだ。

(そうか、わざと手加減するための言い訳……!)

 鴉ははっとする。ここまで人間にされて、人間を想っているのか? 今までとは別の目線で楓が見えるようだ。燃え盛る炎の壁の前に立ち尽くす楓。オレンジの明るい炎に照らされて、その姿は鴉や紫紺からは黒い影にしか見えない。だけどその細身の姿からは哀しさを感じるのはどうしてだろう。

 ――本当に楓は、炎は怖いのか?



 悲鳴や叫び、怨嗟の声が炎の中に消えていく。誰もが真っ赤な炎に逃げ惑い、散り散りに生きる道を模索している。その様は楓にとってとてもつらい。こんなことをしたいわけじゃなかった。いくら人を傷つけないよう、ものをそこまで燃やさないよう気を配ったとて、その光景はきっと深く人の心に傷を残すのだろう。

 救うために里に放った炎を、拒絶した宝人たちのように。それは哀しい。それは寂しい。

 宝人にとって自分の守護するエレメントは自分の一部。世界に溢れる、だけど自分でもあって自分が世界の一部で、そういうもの。

 それは吐息でそれは身体をめぐる血のような……不可欠で、それでも自分だけのものではない。世界と自分を繋ぐ大切な絆のような。

(誰も炎を必要としない……)

 扱いやすい火は誰もが欲しても、心底炎を理解してくれる存在は自分だけだ。

 ――世界に炎は一人だけ。それがとてつもなく、楓には寂しい。

 他の炎の宝人が欲しいわけじゃない。みんなに火を使って欲しいと感じているわけではない。理解してもらおうとも思っていない。なのに、この事実が楓には哀しい。

(誰もが利用はするのに心から欲してくれはしない)

 だから、こんなことをさせるために契約をさせられるんだろう。楓はわかっていた。炎がもつその扱いやすさとそこから招く結果も。でもそれは全てのエレメントに言えることなのに、炎だけが強調されている。過ぎた使い方は身を滅ぼすのはどのエレメントも同じだ。

(今なら、逃げられる)

 紫紺も鴉も、捕まった宝人も、みんな楓に優しかったわけじゃない。誰もが炎に優しかったわけじゃない。関係ないじゃないか。自分をないがしろにした人たちなのに。

(切り捨てられない)

 仕事をした炎の精霊が笑って気持ちよさそうに楓の周囲を踊る。炎の宝人は楓が放つ炎のエレメントに触れられてうれしいのだろう。精霊とエレメントの関係も深い。

 楓は微笑んだ。放出しすぎたわけではないがその力が集まって赤い石がいくつか楓の周辺で形成される。小さな、人間からすれば目に見えない欠片を精霊が大事そうに抱えて飛び去っていく。

(この炎を五日間は絶やさないで)

 じゃないと逃げた人たちがまた見つかってしまう。楓が嫌々ながら大きな炎を放ったのは、罪の無い人間を追うことが出来ないようにジルタリア王たちをけん制する為のものだ。

「火晶石だ!!」

 炎に恐れをなしていたのに、人間がうれしげな声を上げた。しばらくして重力に従い火石が落ちる。だが楓はそれを拾おうとはしなかった。

 そして、楓は燃え盛る炎を目の前にして実は困惑していた。

(どうしよう……)

 もう一つ、楓の中でどうしようもない想いがある。

 ――こんなに炎を出すことがうれしいなんて。

 楓は里の人を刺激しないように、炎は出来るだけ使わなかった。必要最低限と言っていい。他のエレメントは晶石でなんとでもなった。炎だけが必要とされないならその機会は減る。炎の宝人なのにろくに炎を出せない宝人でもあった。

 今回、初めて、いや二回目だが大掛かりな炎を出した。一回目は光を逃がす為に必死だった。今回はそれだけ余裕があったのだ。自分の意思を形にした。己に流れるエレメントを放出して世界に還した。たったそれだけの行為なのに、自分が生きていてもいいと世界に言われた気がした。

(うれしい。炎と共に居られて……気持ちいい)

 今まで見ないようにしてきたことがあった。炎を否定される世の中は炎の宝人である楓を否定するものだったこと。炎を出す行為は火の魔神が楓に許した、否、課した役目。どんなに人に糾弾される行為でも、楓にとってこれほど幸せなことはなかったのだ。

(もっと燃やしてしまいたい)

 さすがにそんなことはしないけれど。だけどこんなに幸せだったなんて知らなかった。

(ああ、僕は炎の宝人なのだなぁ)

 楓の思いも人間の思惑も、何もかもを飲み込んでその日、炎は空を赤く染め、燃え続けた。


...018


 森の中でフィス皇子の配下とジル、それにセダたちはジルタリア城をどう襲撃し、宝人達と子供達を救出するか話し合っている。

 話し合いの結果、ジルが隠密で第一の救出作戦を行い、鳥人計画の子供達を救出する。その間に最も慎重にかつすばやくセダ達が宝人を救出する。フィス皇子が大掛かりに叔父を討つ。という寸法になった。

 実はこの作戦前にジルとフィス皇子の配下、グッカス、ヌグファの皆で何晩か夜に城へ入って調査を行っていた。フィスの配下は宝人も多くいて、エレメントを用いた多彩な潜入となった。

 セダは参加しなかったが隠密が自分の性に合っていないことは一番知っている。グッカスは特殊科だからだが、ヌグファ以上の魔法の知識がある人間がいなかったためだ。

 何度かの潜入でわかったことはいくつかあった。その間にヌグファが胃を痛めていたようだが、テラがいつもの神経痛だと流していた。

 まず、鳥人計画のために連れてこられた子供はみんな十五歳以下の子供らしく、四十人ほどいた。これは予想外の大人数だった。救出にしても保護にしてもそんなに大勢だと手間取る。しかも年齢層が幅広く無理な救出作戦であれば相手を逆に怖がらせ、相手に知られてしまう恐れがあった。

 次に宝人たちは大人から子供までいたが多くの魔法使いが部屋に配置され、兵士も多く、救出が難しい。魔法に関してはヌグファが対抗策を取ることが決まった。そして最難関がジルタリア王だった。こちらを陽動にするにはジルタリア軍を相手にすることになる。こちらの人数はせいぜいフィスの部下を含めて五十人もいない。しかも宝人救出に何人か割くことになっている。三十人ほどで軍隊と渡り合うのは無謀だった。

 そこでどうするかを今話し合っているのである。そこで鳥人計画救出にはジルが一人でやると言ったのだ。最初はこちらにも人を割く予定だったが、余裕がないと見るやジルの決断は早かった。

「にしても、お前は一人で大丈夫なのか? 宝人のようだけど……」

 セダはジルに言った。

「ああ。心配いらねーよ。俺だけが妹と連絡を取り合っている。妹にも協力させて無事に救出できるから」

 ジルはそう言った。そういうがセダはジルが妹と連絡を取り合っているのを見たことがない。

「お前さ、何もの?」

「ん? 気になる?」

 年からすればセダの方が上なのだが、どう考えても経験はジルの方が上に思える。

「あ、そっか。宝人ってことは俺らより年上なのか」

 ぽん、と手を打ってセダが思いだす。宝人は人間より成長が遅く、寿命が長い。ゆえに年上の事もありえるのだ。

「あー、そね」

 ジルはそう言って目を泳がす。グッカスがその様子を注意深く眺めていた。陽動はジルとフィス皇子で行う。実は一番救出が困難と考えられているのが宝人たちの救出だ。多くの宝人達は居場所がわかっているが、楓がどこにいるかもわからず、おそらく一番兵力も投入されて捕まっていると考えられる。

 他の問題は楓の立ち位置だ。契約を迫られ、きっと契約してしまっている楓のために、契約を解除してもらわなければいけない。

「それにしてもどうする? フィス皇子、ジルタリア城に常駐している軍はどの程度の規模なんだ?」

 セダが聞く。こちら学生の身で軍人を相手にしたことはない。

「今はシャイデと戦争をする構えで結構国境付近に軍を配置しているみたいでしたけど」

 ヌグファが言う。フィスは頷いて答えた。

「城の外と内側両方で2旅の編成だった。他は国内に散らばせてあって全軍で2軍程度か……【※1旅=500人/1軍=2500人】。もともと穏やかな国だったからな、そんなに軍隊の規模としては多くない」

「城外に派遣したのは二~三割程度かな……?」

 セダが言う。打倒だとフィスが頷いた。四十人強VS八百人。無謀だ、何度考えても。

「やはり奇襲が基本で、夜だな」

 グッカスが言う。

「ジルタリアに宝人の軍人は何割居る?」

「あまりいない。全体の五分といったところだろう」

 ジルはそれを聞いてにやっと笑った。

「じゃ、こっちは宝人の人が一団体に比べて多いことだし、エレメントを存分にかく乱に使うしかないな」

「そうだな。かく乱程度ならエレメントの悪用にはならないだろう。どちらかというと護身程度に考えてもらえればいい」

 グッカスの言葉にフィス皇子の宝人の部下が頷く。

「ヌグファ!」

 セダが声をかける。

「宝人たちを捕まえている魔法はわかったか?」

 ヌグファが頷く。

「私は古代魔法専門なんで、あまりくわしく近代魔法はわからないんですけど、宝人を捕まえているってことは無晶石を利用した魔法としか考えられません。たぶん、術の構成に部屋の隅に無晶石を置いて、それを基点に魔方陣を立ち上げていると思います。見た限り、四隅に魔法使いがいたので……」

 ヌグファは紙の上に四角を2つ組み合わせて書いた。ちょうど直角に四角形を交差させた模様で頂点を結んで八角形をつくり、その内側に円を描く。

「『フィザーソン魔方陣五型』に間違いないです。この円形の中に対象を閉じ込めます。対象は円から出ることが出来ません。で、この四隅に魔法使いを置いて術の維持と構成……こっちの四隅に無晶石で術のエレメント無効果と魔方陣の安定性を図っていると思います」

 ヌグファの説明に頷いた。彼女は魔法使いでない人にもわかりやすく教えてくれる。

「これって、無晶石を壊したら術って止まる?」

「魔法使いの程度によります。だけど基点を失うわけですから七割の確率で壊せます」

「じゃ、テラだな」

「そうね」

「魔法使いの弱点って何だ?」

「その魔法使いが何系統によりますが、一番は喉ですね。呪文の詠唱ができませんから」

 さらっと当たり前のようにヌグファが言う。意外とこういうときこわいわよねと内心テラ。

「でもそれだと嫌々命令とかに従っているかもしれない人も殺しちゃうことになるわよね」

「みた感じ、あの人たちは杖を使う魔法使いですから、杖を取り上げるとか……一番は気絶させることですか」

 独り言のように言うヌグファにジルが言った。

「それだな! 闇のエレメントで強制的に夢に誘う。『夢招き』が得意な宝人はいるか?」

 フィスの部下がおずおずと手を挙げる。頷いた。

「救出組みはテラとあなただな! あとは周囲の兵士をのす役としてセダがいいか」

 グッカスの言葉にセダが頷く。

「ヌグファもほしいだろ。いざというときに対抗できるのがヌグファしかいない」

 ヌグファも頷いた。セダが兵士をのし、その混乱に乗じてテラが無晶石を破壊し、闇のエレメントで魔法使いを眠らせる。その間に宝人を開放し、保護する。

「問題は叔父上か」

「フィス皇子を陽動にするんじゃなくて、俺たちが陽動になればいいんじゃないか?」

 セダが言う。

「馬鹿か、それじゃ楓が……」

 グッカスが言い募るのを制してセダは言った。

「ジルは子供達を救うのにどれくらいの時間が要る?」

「そうだなぁ……上手くいけば四十分もあれば大丈夫かなぁ」

 ぎょっとした目でグッカスが見た。子供四十人を騒がせることなく城外に救出するのをその時間で?!

「で、俺たちも上手くいけば一時間ちょい? 位ならそれが終わって俺らが派手に騒げばいいんじゃないか? っていうのと……逆に救出する宝人の人と子供達に騒いでもらえばいいんだよ」

「……宝人はともかく子供達を危険には……!」

 がそれをさえぎってジルが言った。

「それ、案外いけるかもな。でも子供達はだめだ。一気に救出する方法しか俺は考えてない」

 ジルがきっぱり言い切った。

「宝人も人に捕らわれた。人を嫌悪しているはずだろう? 協力してくれるのか?」

 グッカスが指摘する。そこでそれは十分にありうると皆が黙り込む。宝人の性質としてエレメントを使って報復などは考えないだろうが一時も早く人から離れたいと考えるだろう。もしかしたら己のエレメントを使ってすぐさまその場から離れることも考えられる。

「そもそも救出する為の作戦ですから、助けた者への協力は傲慢ではありませんの?」

 リュミィがそう言った。それもそうだな、とセダも唸る。

「やっぱり陽動にフィス皇子の宝人さんたちは派手に暴れてもらうしかないか」

「いえ、待って」

 テラが言う。

「何も実際派手に騒ぐ必要はないのよ。例えば、子供達を逃がした後に子供達が逃げ出したとわざと騒いで兵を割り振らせるの。宝人たちもそうよ、スマートに助け出せれば助けた後に逃げたと騒げばいい。そしてそのタイミングをできれば同時に行えば情報が錯綜して立派な陽動になるわ」

 一瞬の沈黙。後にセダが騒ぎ出した。

「テラ! お前天才!!」

「三人寄れば文殊の知恵だな……まさに」

「……グッカス」

 いつもの漫才のようにグッカスが呟き、ヌグファがフォローに回る。フィスはそれをほほえましく見ていた。



 救出作戦に入る前夜、グッカスは夜中密かに行動を開始する。フィスは城の真後ろにある森に逃げ込んでいた。森の奥に王家が狩猟などの際に使う小屋があり(といってもさすが王家で大きい)、そこを今一行は使っている。

 こんなわかりやすそうな場所がなぜ敵に知られていないかというと、フィスの部下の宝人たちが頑張って方向感覚をずらしており、外部からは絶対に入って来れないようにしているらしい。光と闇のエレメントで視覚的にニセの森を映しているのだという。

 しかしグッカスはもう内部に入っているので迷うことはない。目指すは少年のところだ。少年はフィスの勧めにも従わず、木の下で寝ている。つまり野宿しているということだ。それがくせだといっていたが、人間の少年にそんなくせがあってたまるか。

「何か用か?」

 気配は殺していた。なのにすぐに気づく少年ははやり只者ではない。しかも寝るときまで頭の白い布を外さないらしい。

「お前は何だ?」

 率直に訊く。とりあえず敵ではない。セダたちの目的もフィス皇子の思いも理解し、共感して作戦に参加していることはわかる。しかし少年の正体だけがわからない。

「そういうどうとでもとれる質問って回答にこまるんだけど」

「お前の目的はなんだ、ジル」

「ジルタリア皇子王権奪取と妹の救出」

「嘘だろ?」

「嘘じゃない。大事な事だ」

「前半はともかく、お前ほどのヤツが簡単に妹を攫われるとは考えにくい。……お前、妹を城にもぐりこませたな?」

 ジルが目を丸くする。驚いている表情だが、その答えはどちらか。よく言い当てたというものか、それともそんなこと考えていないという驚きか。嘘のように感じられるのだ。シャイデ代表というのも本当か裏付けることはなにもないのだし。

「そもそも捕らえられた妹とどう連絡を取り合っているんだ」

 追求するように言う。

「『夢渡り』さ。俺は闇のエレメントを使うことが出来るからな」

 夢渡りとは闇のエレメントを用いて相手の夢に入り込む、宝人のそれも闇の宝人独特の技だ。闇のエレメントは『形にとらわれない』のが性質。その技や使い方はエレメントの中でも多岐にわたる。

「基本的にお前は他人を信用してない。そんなヤツに自分のことを教えたところで信じてもらえるなどと俺は考えない。何を言っても同じなら簡単に俺は手の内を明かさない」

 ジルがその年齢に見合わぬ厳しいことを言った。グッカスの眉根が寄る。

「お前がフィス皇子の事を思い、俺を不信がるなら教えたかもしれない。かの皇子の思いは本物だから。セダにしたってそうだ。本気で光と楓を、そしてフィス皇子の力になりたいと思っている。そういう思いをぶつけた上で俺が疑わしいと思うなら、俺も本気で応えよう」

 ジルはグッカスを見据えて言い放つ。

「お前の考えがどうかを俺は知らない。お前の思いは少なくとも俺には本気には感じられない。だから、お前に俺は応えない。……俺が何者か知りたい? 俺の目的が知りたい? 知ってどうする? ……知った上でお前は何を行動に移すんだ? 打算的な考えで動かせるほど、人は軽くないぞ」

 その言葉はグッカスに突き刺さる。自分が人間でないからと区別していることをこの少年は見抜いているようだ。

 グッカスは人間が嫌いだし、宝人も嫌いだ。愚かな思考を持つこれらの生き物をグッカスは好いていない。だから距離を置くし、自分の考えや本心を伝えるなんて考えてもいない。

「……少なくとも今は本気ということだな? フィス皇子とセダは気に入っているようだ」

 グッカスは少年からただならぬ気配を感じて苦し紛れに言った。

「そうだな。それは認めよう。そしてお前の中に何かがうまく隠していながらも何かあることを俺もまた認める。だから教えよう。一つだけ。……俺は世界傭兵として生を受けた瞬間から過ごしてきた。これで答えになっただろうか」

 グッカスが言葉を失った。

「……ばかな……?!」

「俺の言葉が嘘か真かは俺次第。だけど俺の言葉を信じるか否かはお前次第だ。さぁ、もう寝ようぜ」

 ジルはそう言ってもう取り合わない意思表示か、目を閉じてしまった。グッカスだけがその場に取り残される。しばらくして、思い出したかのようにグッカスは歩き出した。だがその方向は自分の寝る場所へ戻る足取りではない。混乱した頭を落ち着けようと当てもなくさ迷っているだけだった。

 ――世界傭兵だと?! 生まれたときから?? それが本当なら一般人で知らない情報を知りえていることも、暗剣を使いこなす腕前も、その態度もわかる。すべてが繋がってしまう……!

「公共軍はとっくに事態を察知していたということか?」

 世界傭兵の招請は公共軍が一番にその権利を持っている。

「いや、やつが宝人なら悲鳴を聞いて独自に乗り込んだか??」

 グッカスは改めて眠るジルを見る。こんな子供が……。

 世界傭兵とはこの世界の六つの大陸に渡って傭兵活動をする一種の軍隊のような集団のことだ。各大陸に二十名ずつ常駐し、暗殺から大戦経験まで豊富な傭兵の中の傭兵、兵の中の最強者。

 世界傭兵を雇うことが出来れば戦争を行う国は絶対的に有利とさえ言われている。例えば各地で開催されている剣の大会のようなものには彼らが参加することは出来ない。レベルが違いすぎるからだ。そういう大会のチャンピオンでさえかなわないレベルの達人の集団のことだ。

 彼らは独自のネットワークと活動方針を持ち、世界中を巡り、その土地土地で集団の理念に従い悪を罰し、人の手助けを行う。正義の味方のような集団だ。悪法で虐げられるが、政府から中々助けが来ないような民衆が世界傭兵に助けられて感謝されるなどといった話はよくある。

 だが、彼らは己の理念に基づいて行動する。各国の事情は構わない点からあまり国の政府にはいい顔をされないもの事実だ。

「だからこその、自信か……」

 グッカスはようやく己を落ち着けると部屋へと足取りを戻した。



「ヘリーちゃん、お話してー」

「いいよー、みんな集まってー」

 兵士達も息を潜める夕暮れを過ぎた頃。夕食が配られ、寝る前のひと時にヘリーは御伽噺や昔話をして自分より幼い子供達の心を軽くしている。

 ヘリーは昔からこういう類の話が大好きだった。暇さえあれば本を読んでいた。これはキア譲りで、キアが読破した本は大抵ヘリーへ回ってきていたのだ。というのも、上の兄弟であるハーキとジルは剣を振ることが好きで、部屋にこもることが滅多にない人物だった。

 キアはそんな兄弟を見てやれやれとため息を付き、自分だけ勉学の世界に戻るのである。そう言ういきさつでヘリーが本を好きなことはキアもうれしいことのようだった。

「今日は何のお話がいいかな?」

「双子皇子がいい!!」

 どこからか声が聞こえた。それに賛同する声もある。

「そう。じゃ、今日もそのお話にしよう!」

 光が小さい子供をヘリーの周囲に、比較的年齢が高い子供をその周りに座らせる。

『あるところに黒という色を嫌う国がありました……』

 ヘリーの優しい声が響く。最初泣き叫ぶだけだった子供達を落ち着かせて眠らせるこの行為を見張りの兵士達は最初は諌めたものの、本心は助かっているらしく、いまや黙認している。そうして披露されたヘリーの御伽噺の中で、オリジナルでそして一番人気のお話がこれだった。

 実を言うとヘリーと光、他の比較的年齢が高い子供達の合作なのだ。ヘリーに言われてみんなでいろいろ唸って考えたのだ。だからちょっと変なところがあっても見逃してほしい。



 ~~双子皇子~~

 あるところに黒という色を嫌う国がありました。もともと黒という色はみんなの暮らしに浸透している普通の色でした。誰もが普通に黒色を使い、黒色も他の色と同じように接していたのです。

 しかし、ある日を境に国は夜が明けなくなってしまったのです。お日様が昇る時間になっても真っ暗なまま、お星様や月の光さえない、黒く暗いままなのです。誰もが驚いて、困ってしまいました。

 王様はどうしたものかとこの国一番の占い師にこの黒い世界のことを占わせました。

「この黒い世界は悪い魔術師の仕業です」

 占い師が言います。魔術師がこの場所に目をつけて、人々を混乱させて楽しんでいる。この後にもっと悪いことが起こるだろうと、その影響が現れている証拠がこの黒い世界なのです、と占い師は言いました。

 悪い魔法使いが呪いではみんなを困らせないと分からない限り呪いは続くとも言われました。王様はそれではみんなが困るし、不安に思う。どうしたらいいか、と占い師に尋ねました。

「この先、王様にはご子息が二人生まれます。どちらか一人が魔術師の呪いを代わりに請け負われます。その皇子には魔術師の呪いが届きにくいこの国の聖なる場所で過ごしてもらうのです。魔術師が去るまで」

 王様は自分の子供にそんなことはさせられないと言いました。

「いえ、これはご子息の運命です。避けられない定めなのです」

 占い師は言いました。

「呪いが消えるまでそのご子息は悪いことに取り付かれてしまいます。しかし呪いの仕業であって決してその子が悪いのではありません。呪いが消え去るまでの辛抱です」

 それでは取り付かれた子供があまりにもかわいそうだと王様は嘆きました。

「大丈夫です。もう一人のご子息には私が幸運と癒しの力を与えましょう。もう一人が呪いを解く助けをしてくれるでしょう」

 そうしてしばらくして王様には双子の皇子が生まれました。一人は白い髪に青い目を持った皇子様。もう一人は黒い髪に赤い目を持った皇子様でした。

 双子の皇子様が生まれた瞬間に暗い街には再びお日様が巡り、光がもどってきました。

 人々はそれを喜びました。しかし問題があったのです。呪われた皇子様がどちらの皇子様か誰にもわからなかったのです。

 人々は黒い夜をもたらしたことから黒を嫌いになっていましたので、きっと黒い髪に生まれた皇子こそがそうに違いないと、黒い髪の皇子様を聖なる神殿で過ごさせました。

 いつしか何年かが過ぎ、皇子様らは少年へと成長しました。黒の皇子様は黒い夜の原因である呪いことを知らされることなく、神殿の中で普通の少年として育ちましたが、黒い夜の恐怖ゆえに、その黒髪は周りの人から怖がられて嫌われていました。黒の少年はそのことに心を痛めていました。

 しかし自分が体験したことのない黒い夜のことを考えるととても怖い気持ちになってしまうのです。だからこそ、嫌われてしまうこの黒い髪が仕方のないことに思えて、白い大きな布で黒い髪をいつも隠して過ごしていました。逆に白い皇子様は王様の元で次の王様となるべく過ごしていました。白い皇子様は黒い夜を打ち破った救世主としてみんなに感謝されて日々を過ごしていました。誰もが白い皇子様を見ては感謝を述べ、愛されて育ちました。

 しかし白い皇子様は日に日に自分の気持ちが嫌なものになっていくのを止められませんでした。人々が感謝を述べるたびにその人に乱暴なことがしたくてたまらないのです。みんなを困らせて混乱させたらどんなに愉快かと思わずには居られないのでした。そう考えるたびにどうしてそんなことを考えてしまうのか白の皇子様は不安に思うのです。誰かに話したいけれど、そんな怖いことを考えているなんて知られたくない、皇子様はそうやって毎日を過ごしていたのでした。

 双子の皇子様が生まれてから十五年の月日が流れました。今日は皇子様の誕生日です。王様はこの日のために国中で皇子様を祝ってもらおうと盛大なパーティを開きました。誰もが白い皇子様を一目見ようとお祝いを言いに現れました。

 王様の隣でおとなしくそれを受けていた白の皇子様はいつもの混乱を起こしたい衝動に駆られてしまいました。ついにたくさんの子供達が白の皇子様のために生誕の歌を歌ってくれている最中に、白の皇子様の中の呪いが目覚めたのです。辺りが一瞬のうちに暗闇に覆い隠され人々は恐怖と混乱で泣き叫びました。白の皇子様は驚いて、正気に戻ります。

 すると暗闇がさぁっと晴れました。しかし、歌を歌ってくれた子供達がどこにもいません。皇子様は自分のせいだと気づきました。呪いの影響が子供達をどこかに隠してしまったのです。白い皇子様は叫びました。どうしよう、どうしたらいい! と。

「大丈夫」

 すっと握ってくれる手がありました。見ると白い大きな布を巻いた少年がそっと白い皇子様の手を握っていたのです。実は王様は生まれた子供は二人で、二人の誕生日なのだから、と黒い皇子様もそっと呼んでいたのです。

 黒い皇子様は暗闇に包まれたそのときもその瞬間も全てがただ一人見えていました。なぜか泣き叫ぶ白い皇子様を助けられるのは自分しかいないとわかったのです。そして白い皇子様も黒い皇子様と一緒にいれば、大丈夫と思うのでした。

 二人は手を繋いでお城を出ます。すると城の一番高い屋根のうえに子供達が集められていました。今にも落ちてしまいそうです。子供達の親が次々に気づいて叫びだしました。王様も驚いてそして黒い皇子様を見ます。誰もが黒い皇子様を疑いの眼差し見てきます。

 今度は白の皇子様がいいました。

「大丈夫」

 そっともう片方の手も握りました。二人は頷きあい、そして手を繋ぎました。

「悪い呪いがかけられているのは僕だよ」

 白の皇子様がいいます。

「でも悪い呪いを解けるのも僕だけだ。それが僕の役目だね」

 黒の皇子様は微笑みます。すると二人の身体がふわりと宙に浮かびました。そのまま子供達の方へ飛んで、二人の皇子様は子供達に笑いかけました。

「怖いことは終わり。これから僕らと一緒にお空を散歩しよう」

 子供達は手を取り合い、その間に皇子様たちが入って、みんなが大きな輪を作りました。するとどうしたことでしょう。子供達全員がふわりと飛んだのです。そして子供達は無事に地上に降り立ちました。

「ごめんなさい」

 白の皇子様はいいます。そんな皇子様を黒い皇子様が抱きしめました。

「大丈夫、これからはずっと一緒だよ」

 その言葉を聞いて王様ははっとしました。二人を離れ離れにしてはいけなかったのだと。

「もし、これから先、君が呪いのせいで悪いことをしてしまっても、僕が君を、この国のみんなを助けに行くよ。だから、大丈夫」

「ありがとう」

 人々は自分たちが黒を怖いと思い込んでいた事に気づきました。だからこそ、黒の皇子様自身を見ることができず、黒の皇子様を傷つけてきたのでした。決して、これからは白の皇子様を嫌うようなことをしないと誓いました。

 それから白の皇子様と黒の皇子様は離れず一緒に過ごすようになりました。白の皇子様が再び呪いのせいで怖い事や否や事をすると必ず白い布を頭に巻いた黒い皇子様は現れます。

「大丈夫。怖いことはもう終わりだよ」

 黒の皇子様はそう言って白の皇子様の手を握るのです。それは白の皇子様に言い聞かせているようでもあったし、黒い呪いを怖がるみんなに言うようでもありました。おかげで国のみんなは白の皇子様も黒の皇子様もそして、過去の黒い呪いでさえも怖がることはなくなりました。皇子様達が大人になる事には、黒い色はみんなから好かれるような色になっていました。

 今ではその国では白黒両方が好かれるようになったそうです。そうなった頃には呪いなんてものすらみんなから忘れられて、魔術師は去り、人々は幸せに過ごしました。

 それからこの国では何か悪いことがあったら、黒の皇子様のこの言葉がみんなの合言葉になりました。

『大丈夫、怖いことはもう終わりだよ』

 ……おしまい。



「あたし黒の皇子様すきー!」

「あたしは白の皇子様」

 と、意外と幼い子供達に人気が出たこの話は皇子様かっこいいーで盛り上がるのだが、最後に誰かが必ずこう言う。

「あたし達の元にも黒の皇子様が、魔法の言葉を言って助けに来てくれないかなぁ」

「そうそう『大丈夫、怖いことはもう終わりだよ』って」

「そうね。みんなが信じていれば、きっと来てくれるよ!」

 光とヘリーは二人でにっこり笑顔。この話を皆がどうやって楽しんでくれるか、何回も聴いてくれるか頭をひねったのだ。本好きが幸いして一応形があるものになって、みんなが話を好きになってくれてよかった。おかげでうまくいきそうだ。

 ――救出まで、あと0日。


...019


「俺は、お前と共に行く」

 グッカスが強襲の前夜、ジルに向かってそう言った。ジルは一瞬呆けた顔をしたが、フィスとセダに視線を投げかけ、頷いた。

「好きにしろ」

 それは作戦を目前にして足手まといは置いていくと斬り捨てる厳しさが滲んでいたが、グッカスは気にしなかった。光の救出を名乗り出たのである。光は多くの幼子と同様に作戦終了まで保護することを考えたのだが、光の性格と、人間に裏切られた形の宝人たちが楓の容姿を教えてくれるとは考えにくいからだ。

 ジルは子供達救出の後に、光を連れて速やかに作戦に復帰する。ジルの作戦と同時に宝人救出も行われ、作戦終了に乗じて偽王を倒す算段になっていた。

 セダは今回お気に入りの両刃刀の他に長剣を携えていた。狭い場所での戦闘に不向きだからである。それぞれの役割を頭に叩き込み、闇夜に乗じてセダたちはジルタリア城へと乗り込んだ。



 一番手はジルである。地下から続いている水路から足音も立てずに密かに進入する。その手並みの良さにグッカスは舌を巻いた。正直、こんな子供が世界傭兵というのにも信じられないものがあるがその実力は何度か見させてもらっている。

 今回はただ単に四十人もの子供をどうやって四十分で救出するかを見たいだけだ。一人頭一分。果たしてそんなことが可能なのか。

 グッカスが同じように音も立てずに背後を着いていくと静かにというジェスチャーの後にジルが止まった。目的の場所へ一目散に向かったジルは子供達が閉じ込められている部屋へ続く廊下へすぐにたどり着いた。一度も兵士に会わなかったのは、ジルがそういうルートを考えたからに他ならない。それだけで優秀といえるだろう。

 ジルが両手首を打ち鳴らす。軽い音がわずかに響き、ジルの顔に黒い模様が現れた。しかし動きの邪魔になると考えたのか、暗円は出していない。ジルを中心として黒い闇が廊下に煙が広がるかのように流れていく。

 その光景は無音で行われ、いつの間にか廊下に灯されている明かりさえ心もとないものへとなっている。それを見たジルは腰から剣を抜いた。グッカスに合図することもなく、ジルの身体が滑り出すように闇の中へと躍り出ていく。

 手始めに近くに居た衛兵が音もなく昏倒させられた。グッカスも続く。目的の部屋の前の兵士も難なく倒し、ジルが部屋の取手に手をかけた。

 そしてしばらく観察していたかと思えば、衛兵の懐から鍵をあさり、部屋の鍵を開けた。

 開け放たれた扉から部屋の中の灯りが廊下に漏れる。しかしジルはそんなことを気にする様子もなく、堂々と子供達を安心させるように言った。

「大丈夫、怖いことはもう終わりだよ」

 その瞬間に子供たちの歓声が響いた。

「黒の皇子様だぁあ!!」

「助けにきてくれたー」

 グッカスは少々戸惑って改めてジルを見てしまった。え? コイツ、有名なの?

「これから僕と一緒に空をお散歩しない?」

 ジルが安心させるようににっこり笑うと子供達が口々にするーと叫び返す。

「さぁ! みんな手をつないで!!」

 年齢が比較的に高い方であろう女の子が子供達に言う。するとちょうど円形になっていた子供達は互いに手を取り合った。光がグッカスの姿を見つけて安心したように微笑んだ。

「グッカス、窓を開け放て」

 ジルがすばやく言ったのでグッカスはバルコニーに繋がっている窓を開け放った。大きな窓だったので開けただけで夜風が入り込み、窓際のカーテンを派手になびかせ、そしてどかした。グッカスはどうやってジルが子供を逃がそうとしているか理解した。

「さあ! 出発だ。みんな一緒にお空を楽しもう!」

 ジルはそういう。言った瞬間に光が風晶石をばら撒くように空中に投げ上げた。すばやく手を繋ぎ合わせた子供達は歓声を上げる。ジルの顔にくっきりと黒い文様が浮かぶ。

 すると円形に手を繋ぎ合わせた子供達がふわりと浮かび上がった。きゃーっと楽しげな声が響いた。ちょうどジルの対面側、リーダー格の女の子がジルに頷く。すると彼女の顔には緑色の文様が光ったのである。あれがジルの妹か! そして緑ということは風の主色!! そう、ジルとヘリーの能力を使って子供達を空から飛ばして逃がす算段だったのだ。

 よく見ると円陣は比較的年齢が高い子供と低い子供を交互に来るように手を繋いでおり、年齢の高い子供は闇晶石を手首にくくりつけている。ジルは妹と無事かの連絡を取り合っていたのではなく、逃がす算段を詳細につめていたというわけだ。協力者がいるというのもあながち嘘ではなかったらしい。

 そうしている間に子供達は空へと飛び上がり、風の力を受けてどんどん本陣の保護施設まで飛んでいく。確かに闇夜にまぎれれば見つかる可能性もない上に、障害物がないから最短距離でいける。しかもどういう仕込みをしたか知らないが、子供達が怖がっていない。

「さぁ、もう大丈夫、明日にはママやパパに会えるよ。今日はゆっくりお休み」

 ジルはそう言って子供達を地面に下ろす。係りの女性に子供達をベッドまで案内させると一人一人をなで、ジルが微笑む。黒い文様が光っているところを見ると撫でるついでに『夢招き』をして強制的に寝かせているとみた。

「グッカス!」

 光がグッカスに駆け寄った。

「このドアホ! 迷子になった上に拉致されるってどれだけ抜けているんだ!」

 頭ごなしにグッカスが怒鳴る。光は肩を竦め、ごめんと謝った。言いたいことは山ほどあったが、作戦中でもあるし、それ以上グッカスが責めることはなかった。

「グッカス、俺の妹のヘリーだ。ヘリー、今回の協力者グッカスだ。他にも何人かいるが、後ででいいな。……で、お前が光か。どうする? ここは安全だぞ」

 ジルがそう言ってグッカスにも視線で問う。ジルの隣にはやはり協力者だったのか、妹の姿がある。

「行く。楓がいるんだもの!」

「……さて、ヘリーお前一人増えても平気だよな? 狭いけど」

 ジルは即行動のために、空を飛んで戻る心積もりのようだ。この二人の兄妹なら可能だろう。グッカスが口を開いた。本来ならば光もここでおとなしくしてもらうのだろうが、ごねるのが目に見えているし、光がいないと楓が誰かわからない。

「俺が連れて行こう」

 グッカスがそう名乗出て、鳥の姿に変身した。軽く驚いた様子のジルに、さっきお前の隣を飛んでいたんだがと内心で思った。

「鳥人か! 初めて見た……」

 大人びていたジルを初めて見返すことが出来た気がしてグッカスが笑う。

「よし、行くぞ、ヘリー」

「うん」

 ジルは右手の黒い指輪を軽く口で噛んで、ぷっと息を吐き出した。その瞬間に、黒い大きな鳥が現れる。ジルとヘリーはそれに飛び乗った。グッカスも光を脚で掴むと再び闇夜へ飛び立った。



 事前に確認していたルートをすばやく通りに抜け、その間に出会ってしまった兵士はセダがすばやく昏倒させた。

「次の通りに面した部屋です」

 案内役の宝人が短く告げる。部屋の前の見張りの兵士をすばやく気絶させ、扉の両端で中の様子を伺う。確かに部屋の四隅に魔法使いと、部屋の中にも数人の兵士が居た。部屋の中央に宝人の人質らしき人が集まっている。

「いくぜ?」

「おっけー」

 学生らしき軽いノリで突入のタイミングをセダが発する。セダの長剣が一振りされ、扉の鍵が破壊される。その音に部屋の中の全員が振り向いた。兵士が殺到する合間にテラの矢が飛んでいく。

「うわ!」

 からん、と軽い音を立てて腕を射抜かれた魔法使いの杖が零れる。拾う前にテラの矢がすでに飛んでいる。四隅の魔法使いの腕を狙った後に、矢の種類を替え、強靭な鏃を持つ矢が放たれた。澄んだ音を立てて、無晶石が砕け散る。次の瞬間にヌグファが叫んだ。

「魔方陣を破壊します!」

 練り上げられていたヌグファの魔力が激しい光を発しながら床に描かれた魔法陣と激突する。古代魔法は近代魔法と違って詠唱がないのが特徴だ。しかしその分扱いが難しい。

 ヌグファは近代魔法もマスターしていて状況によって使い分けている。だからこそ、任務に駆り出されるわけだが。

 宝人が身を寄せて悲鳴を上げた。その間にセダが剣の柄を使って兵士を昏倒させる。セダの背後に付き従うようにして闇の宝人が『夢招き』を行う。あらかた片がついた頃にセダが安心させるように剣を納めた。

「えっと、驚かせてすいません。助けに来ました」

 にっこり笑うが宝人の顔は固いままだ。どうしよっかー、と目線でテラに投げかけたとき、新たな足音が響く。新手か、と全員が獲物を構えなおしたとき、明るい声が響いた。

「みんな!!」

 グッカスに連れられた光が駆け込んできたのだ。ジルも小さな白髪の女の子を連れている。子供達の救出は無事に終わったようだ。

「光!」

「光、怪我してない? 大丈夫?」

「光、無事でよかったです!!」

 三者三様の反応に光が笑顔を見せた。

「光か……!?」

 集められていた宝人の誰かが言う。光は我に返ってその人の名を呼んだ。

「助けにきたんだよ! ……留美ばぁさま、楓は?」

 集められている宝人の中に楓が居ないことを知った光はそう言う。

「いない。王に連れて行かれた」

「紫紺と鴉もだ」

 宝人たちの無晶石の手枷を破壊しながら、フィスが呟いた。

「この度は、我が叔父が……いえ、我国があなた方にしたこと、許せることではないと思います。次期ジルタリアを治める者として、大変申し訳なく思います。しかし、人間をどうか、嫌わないでください。ことを起こした私共が言える立場ではないことは重々承知ですが……あなた方に様々な考えをお持ちの方がおられるように、私共にも様々な考えがあります。ジルタリアを代表する立場である者があなた方に振るった暴力は消えることありませんがジルタリアの国民全てがそのような思いではないことだけを、どうか知っておいていただきたいのです」

 フィスはそう言って深く頭を下げた。

「私の国、ジルタリアはシャイデのように古くからの盟約の国ではありませんが、この場、このときを持って私個人ではなく、今度は国中を挙げて、あなた方宝人に……いえ、このすべての人にも誓わせてください」

 国として宝人に誓うと宣言した次期王。その誓いは――。

「……永久の和平を」

 深く重い調子で発せられた言葉は、その想いを正直に語っていた。フィスはもう一度深く礼をして、セダたちを促した。

 捕らえられていた宝人は同じ宝人であるフィス皇子の部下の先導によって救出がなされた。

「あとは、楓と」

 セダが言う。

「叔父上だけだ」

 フィスがそれに続き、王座へと足を速めた。



 手の中で軽い音を立てる赤い石を玩ぶ。笑みが浮かんでは消え、耐えることがない。たったの一回しかまだ行っていないが炎の脅威はすさまじいものだった。それを自分のものに出来るとは、なんという力を手に入れたのだろう。腕の赤い文様でさえいとしく思える。やっと待ち望んで手に入れた王座はなんと自分にぴったりと沿うものか。まさしく飼っている動物といった風情でゲージに閉じ込めている青年が宝に見えてきた。

「た、大変でございます!!」

「慌てた様子で兵士が駆け込んでくる」

「何事だ!騒々しい!!」

「こ、子供が!! 鳥人計画の子供が、逃げ出しました!」

 王は驚いた顔をして、怒鳴った。

「担当大臣は? 何をしていた? 担当の兵士は?!」

「担当大臣は、ラチスタ様ですが……担当の兵士は全員のされており……」

「そんなことはいい! 逃げた子供は!」

 王が怒鳴った。

「ええっと現在、逃走経路を……」

「捕まえよ!」

「は、はぁいいぃ!!」

 間抜けな声を上げながら、兵士が慌しく立ち去っていく。と同時に、もう一人の兵士が駆け込んできた。

「申し上げます!」

「今度は、何だ!」

「捉えていた宝人が何ものかによって、全員連れ去られました!」

「な、なんだと!!」

 その声にぴくりと楓と奥で捕えられていた鴉と紫紺が驚く。鴉と紫紺が目を見合せて笑う。もしかして、と。

 きっと嵐の元凶はちっぽけで威勢だけはいい白髪の女の子ではないか――。

 そして同時に檻の中の楓もそれを考えていた。ならば――!!

 楓が唇を噛みしめて、一つの決断をする。


...020


 入り口付近がざわざわと細波のように騒がしくなる。まさか、とかご無事でとか微かに聞こえる。そのさざめきが不吉に思えて、王は声をわざと荒げた。

「何をそう騒ぎ立てるか。我が前ぞ。落ち着くがよい」

 静かでいて、遠くまで通る声。しかし、その声は驚きにふつりと止まってしまった。

「御久しゅうございます、叔父上」

 王は思わず立ち上がった。手から赤い石が零れ落ちる。むなしい音をたてて転げ落ちるその赤い石を誰も見ていない。それはまるで手のひらから零れ落ちる権力の様か。

「フィ、フィス!!?」

 あの時逃がしたまま行方知れずとなっていた甥っ子が堂々と王の貫禄を漂わせて目の前に居る。手勢はわずか。しかも歳若い子供といえるような者ばかりだ。

「な、何をしに戻ってきた?」

 フィスは不思議そうに首をかしげて言った。

「何をしに? 妙なことを仰いますね、ここは我が城。理由などなくとも私がある限り戻ってまいります。それともなんですか、私がいると叔父上に不利なことでもありましょうか?」

 セダはあまりにも今回の悪役が焦っていることに驚いた。だってフィスを逃がした時点でこういうことは想定していてもよさそうなものだが。



 というのも――。

 実は軍隊をこの少人数とぶつかり合わせても負けることが目に見えている。どうやって叔父から王座を奪還するかというときにセダがいったのである。

「なにも、戦わなくてもいいんじゃないか、と」

 フィスは正式な王位継承者だ。許されざる罪を背負っているわけでもないし、戻ってもいいんじゃないの。というわけだ。だが相手も馬鹿じゃない。現国王を殺した罪をフィスになすりつけている。

 だから、誰にも拘束されず、公の場で身の潔白を証明できれば追いつめられるのは、向こうだ。その為に決行を送らせてまで情報収集に努めたのだ。



「何を申すか! そなたは国王を殺害した大罪人ぞ! 衛兵! こやつらをひっとらえよ!」

「待て! わが父を殺したのは私ではない!」

 フィスが近寄って来た衛兵に告げた。衛兵はとまどって二人を見比べる。

「叔父上、そもそも私が城を離れたのは父上を殺害したと思われる犯人に襲われたからです。バスキ大臣のおかげで命からがら逃げおおせたのです。叔父上の身柄を案じておりましたが、無事でなによりです。にしてもおかしな話です。私は逃げ延びた後に、バスキ大臣の副官であるロヴィン殿に助けて頂くまで父上の訃報を存じませんでした。その私が父上を殺す真似などできましょうか?」

「口ではなんとでも言える。バスキ大臣が兄上の暗殺を謀っておったことは知っておるのだ!」

 フィスはその言葉にも動じずに言い放つ。

「私もそれで父上を殺した、と? では私はなぜ父上を殺す必要があったのです?」

 フィスは次期王位継承者。病により先が長くない父親を殺す必要はない。それに公私ともに父とフィスはとても仲が良く、互いを支え合っていた。殺す理由が本当に全くないのだ。

「そして仮にバスキ大臣が暗殺を謀ったとして、そのバスキ大臣はどちらです? 私に逃亡の手助けを行った後行方が知れないのですが。それに彼の屋敷の街はすでに焼き払われた後でした」

「国外に逃げたのではないか?」

「それはおかしいですね。もし何らかの事情で彼が父を殺したとして、その後自ら屋敷を焼き払ってから逃げる必要性を感じませんね。証拠隠滅? 罪が暴かれたからこその逃亡ですよ? そもそも叔父上は何の証拠があって彼を犯人と決め付けます? むしろそれを証明できる手管があったにも関わらず未然に防げなかったというのですか?! 騎士団長であったあなたが!!」

 フィスが喝を入れるかのように大声で王座に座す男に言い放つ。

 兄王であるカラ陛下とビス殿下は折り合いが悪かったが信頼関係はあったらしく、そこら辺が不思議に思われるがカラ陛下の王の側近でありながらもっとも近い近衛兵としての騎士位の最高位にビス殿下はいたのである。

「それを恥じることもなく、その父上のあるべき場所に貴方が悠然と居座れる理由をご説明いただきたい! 私が知る貴方なら、今頃地の果てまで父上を殺害した犯人を探しに行っていることでしょうね! 私が殺したと思うなら、それこそ貴方は私を殺しに、こんな場所ではなく、愛馬を駆っていたでしょう!!」

 フィスはどうして叔父がこのような行動を起こしたか全く理解できなかったし、信じられなかった。だが、いろいろ調べてもらって違和感を感じずには居られなかった。自分が知る叔父とは行動が反対なのだ。今まで騙されていたと言われればそれまでなのだが、この違和感が相手を目の前にして嫌悪感に変わった。

「白帝剣をどうなさいました?」

 フィスは王座から滑り落ちそうなほど青ざめた男を見る。もう、はっきりわかった。

「……あ、あれは」

「叔父上と父上の父、すなわち私の祖父に頂いたもので、貴方は寝る時でさえ手放さないその命より大事だった剣ですよ。身につけていないとは珍しいですね」

 ジルタリアを示す深い緑のマント。そのマントの下にあるべき白銀の大剣がない。

「その王座に身を落ち着かせるには、邪魔でしたか?」

 フィスが穿つように言い放つ。

「それとも、持てなかったんですか?」

 それに続くように配下の一人が軽蔑をもって王に言う。

「な、なにを!」

「最初は半信半疑だったんですよ。というかほぼ私の希望だと思いました。そうであればいいとそう願っていたのかもしれません。でも、お会いして、確信しました。……貴方が、ニセモノであると」

 フィスが言った瞬間に、男が呻いた。

「何を申すか!!?」

 王座から立ちあがって男が怒鳴る。それにフィスの周囲の配下もほとんどがフィスのその発言に驚いた。

「白帝剣をお持ちでない。それこそが、貴方が叔父上でない最大の理由です」

 フィスがそう言いきった。セダは目を丸くする。それだけの理由?

「そう言えば、ビス殿下は昔、戦場で大けがを負われたそうですね。確か……胸から腹にかけてこう、斬られたとか……一命を取り留め、戦場に復帰するのに一年かかったとか……」

ジルが隣でそう言った。

「あー、それ俺も聞いたことある。たしか、世界傭兵が珍しく陳謝した件だったよな」

 セダがそう言う。テラも、ああと頷いた。

「では、貴方が本物のビス殿下なら、胸に傷が残っていることになります……ねっと!」

 ジルがそう言うや否や、構えさえ与える暇もなく、腰の剣を一閃した。その軌跡すら常人には見えなかったであろう速さだ。グッカスは舌を巻いた。

「ちょっと!」

 誰もが行きすぎた行為に口を開きかけるが、ジルだけはニヤっと笑って、腰に剣を戻すと、男に視線を投げた。ジルは見事に纏っていた洋服だけを切り裂いて、男の胸を露わにしていた。その、傷一つない、対して筋肉質でもない胸板を。

「傷がない!!」

「偽物だ!!」

「ビス殿下ではない!」

 男は我に返ると、フィスを睨んだ後に、呆然としている近衛を押しのけてこの場から逃げ出した。謁見の間にある王座から逃げ出した男は、謁見の間と続きの間になっている閣僚たちが会議を行う部屋へと逃げた。謁見の間の会話が聞こえ、返事を待たせる間に話し合いがもたれる場だ。そこに命からがら逃げ出したかと思うと、叫んだ。

「ハストリカ!」

「はい」

 楓、並びに紫紺と鴉の番をしていたハストリカは服装も乱れ、血相を変えた主に歩み寄る。

「追われている! 足止めせよ!!」

「はい!」

 セダ達が追ってくる足音が近づいた瞬間に、水の壁が襲いかかる。

「な、水!!?」

 セダがすぐさま気付いて脚を止めた。瞬時の判断でテラが矢を放つが、水の猛威に力なく折れるだけだった。水の猛威を止める方法は一番は相殺関係の炎をぶつけることだが、炎は滅多に使えない。すると他のエレメントで対応するしかないのだが。

『方位は東、色は黄色、応ずるは茶、場の設定には白。力は増しませ、基準は我の左右に一直線で展開! 出でよ!!』

 ヌグファが杖を掲げて叫ぶ。すると黄色い魔法陣が浮かび、その周囲に茶色の魔法陣が浮かぶ。床材に使われていた白い石材が剥がれ、持ちあがるかのように隆起して壁となって一行を水の大波から防ぐ壁となる。

『続いて、方位は同じく東、色は緑、応ずるは萌黄、場の設定には黄緑。力は鋭し、基準は我より直前で放射! 出でよ!!』

 タイミングを図ったように、土の壁が崩れ落ちるその瞬間に緑と萌黄色の魔法陣今度は空中で光り、ゴウっと風が放たれる。真っ向から水の壁を粉砕させ、その間にセダたち武闘科のメンツとジルが滑り込んだ。

「チ!」

 水の壁の向こうから出てきたのが細身の女性、しかも青い紋章が顔に浮かびあがっているとあっては、セダたちは驚いた。

「な、宝人?!」

 セダたちにはその宝人が敵なのか、どうかが判断できない。そう思って脚を一瞬止めた瞬間に水が降りかかる。

「うぁ!」

 水を目くらましに使われた、と気付いた瞬間、オレンジの軌跡を描いて、一羽の小鳥がハストリカの顔面に攻撃するかのようにぶつかった。

「きゃぁ!」

「悪いな!」

 セダはグッカスと分かった瞬間に、自分の武器の柄を相手の腹に叩き込んだ。ハストリカの顔から離れて小鳥は優雅に一回旋回するとふわりと降り立ってグッカスの姿に戻る。

「油断したな、馬鹿め」

「悪かったよ」

 ハストリカによる水がなくなり、全員が男を追い詰めた。

「楓!!」

 光が叫んだ。部屋の奥にはなにやら箱上の何かが置かれている。よく見れば、それは一面が格子をはめられた小さな檻であることがわかった。その中に、信じられない事に人が入れられている。

 光の目線はその檻に釘付けだった。光は駆け出した。小さな女の子の行動を男はハストリカが倒されたことが信じられず、それを見逃した。光は紫紺と鴉の傍により、檻の中の少年に声をかけた。

「楓! 楓、助けに来たよ」

「光! ……お前がいるってことは……みんなは?」

 鴉が信じられない驚いた顔をして言う。光は力強く言った。

「みんな助けて、もうリュミィを先導に逃げてる。大丈夫。あの人たちが協力してくれたの」

 あの場には宝人の信頼も厚いリュミィが先導になって宝人を逃がす指揮を執っている。終わればこちらに合流する予定だ。

「……光?」

 顔が上げられない楓は確かめるように視線だけを上げて、弱弱しい声で言う。

「うん、楓、あたし、助けにきたの」

「逃げてって言ったじゃないか……」

 苦笑する楓の優しい目をみて、光は泣きそうになってしまった。こんな時も楓は自分の心配をしてくれる。

「だって……」

「でも、ありがとう」

 楓がそうつぶやく。鴉は目の前の無晶石のついた手枷を示す。光は誰かの手を借りようとセダを見た。

「あそこにいるのが楓か?」

「ひどい……!」

 テラが言った。あそこまでする理由がわからない。しかも檻の前には二人の幼い少年がいる。彼らも宝人だろう。

「投降して下さい」

 フィスはその現状に眉をしかめ、厳しい声で言った。やっと現実に返った男は近づくな、と言いたげに叫ぶ。

「私には、まだこれがある! さぁ、恐れ慄くがよい!」

 楓を閉じ込める檻に近づき、男は怒鳴った。

「馬鹿言え! 宝人のみんなは解放されたんだ、誰が従うかよ!」

 鴉が今までためていた怒りを一気に放出するかのように怒鳴り返す。

「黙れ!!」

 男が懐から短刀を取り出し、怒り任せに振り下ろした。

「っあぁああ!!」

 鴉が目のあたりを押さえて呻いた。抑える手から血が滴り落ちる。紫紺は震え上がって後ずさった。

「お前、なにしてんだ!!」

 セダが怒りに叫んだ。相手は子供だ。そんな子供に逆上するとは。

「さぁ、炎で奴らを殺せ! 私を助けるのだ!!」

 楓を無晶石の檻に入れたままということすら忘れ、男は光を乱暴につかんで叫ぶ。

「いや!」

 光が叫んだ。楓の目が見開かれる。

「光!!」

 その刹那、光と音がが爆ぜた。


 ――バンっ!!


 何かが爆発したような音がした。その方向は楓が閉じ込められていた光のすぐ後。激しい音と共に、楓を閉じ込めていた檻がまるでガラス細工のように粉々に一瞬で砕け、炎の中に溶けて消えた。一瞬、誰もが呆けてその方向を見た後、事態を理解する。セダたちが武器を構えて駆け寄ろうとしたときだったので誰もが目を見開いてその明るい炎を見た。オレンジ色の明るい炎の中で立ち上がる楓の影。

「おお! さすが、これこそが炎! さぁ、こやつらを殺すのだ!!」

 男が嬉々として叫ぶ。セダ達は光を人質に取られた上に楓の行動がつかめず立ちつくす。

「契約を、解除して下さい」

 一瞬で爆発の余波で楓を包んでいた炎が消え、炎から現れた楓が静かに言い放った。

「はぁ?!」

 男はすでに半乱狂といった体で言う。逆にセダたちは初めて楓という少年を見た。全体的に細身の印象に、茶色みを帯びた黒い髪と目。熱に煽られた彼の衣服や髪がゆらりと揺れ、熱が時々彼の姿を滲ませる。

 そして何より目を引くのが、彼の左頬から額にかけて描かれた赤い模様だ。それはひし形を組み合わせて楓の葉の様な形を成し、彼を楓と言われる所以となっている。

「貴方は僕に宝人の仲間達の身の安全と引き換えに契約を迫りました。事あるごとに仲間の命を、責務を盾にして僕にむりやりエレメントを使わせた」

 静かな声だが、その声に怒りが混じっていることは初めて会ったセダたちでもわかる。

「だけど、仲間はもう解放された。僕が貴方に従う理由はこれでない」

「なにを! だが、この娘はお前の知り合いなのだろうが!!」

「貴方はそうやって人質を取って僕を脅した。だけど、知ってますか? 人質を傷つけた時点で、それって人質の意味を成してないんですよ? ……あなたは鴉を傷つけた」

 その視線に怒りが宿っている。ここに里の大人がいたら、楓を抑えようと必死になったはずだ。あれだけの拘束にエレメントを否定する無晶石の檻。それすら一瞬で破壊してしまった、楓のその能力。

「……あと、人には逆鱗ってあるんだって知ってます?」

 男がほとんど楓の言う意味を理解していないのをわかっていながら言わずにはいられないといった楓。

「光を僕の新しい人質にしたのは、最大の間違いです!!」

 楓が叫んだ瞬間にこの空間そのものが一瞬にして燃え上がる。突入しようとしていた兵士たちが悲鳴を上げて逃げ始め、炎が瞬時に壁や床を伝い、勢いを増して激しい音を立てて爆発を起こす。その熱波から身を守るように一行は腕で顔を覆った。熱波は一行をなぶっただけではなく、部屋の窓ガラスを激しい破砕音を立てて壊した。その瞬間に外の空気が流れ込み、より一層炎は攻勢を強める。

 部屋中で炎が空気を巻き込んで爆発を起こしている。盛大に燃え盛る真っ赤な炎が容赦なく城を破壊していく。

「これが……炎……!!」

 楓は無表情になって男の手を取った。

「でも、大丈夫。貴方は僕と契約していますから、今も熱くも怖くもないはずです」

 楓が怒った事が男を正気に戻したのではない。自分はとんでもないものを起こしたらしいことがようやく理解できた男は、楓が光を拘束する腕を外させたのにも自然と従ってしまった。

「楓!」

「だから言ったでしょ? 僕を助けることは考えずに、逃げてって」

 楓はそう言って光を自分から突き放した。男の手を取る反対側の手でポケットを漁り、緑色の風晶石を何個も取り出した楓は、男を視線から離さずに、叫んだ。

「風よ! 僕が触れていない人物をこの建物から逃がして安全な場所へ運んで!!」

 炎に包まれたこの部屋では確かにセダたちは逃げ場所もないが、それより楓が起こそうとしていることがなにか分かって光が叫ぶ。

「だめ、楓!!」

 しかし自らの意志とは関係なく、風のエレメントによってこの場にいた誰もが壊れた窓から身を躍らせるように外へと運ばれていく。空を飛ぶという経験を初めてした人間のセダたちは大いに驚いた。

「でも助けに来てくれてありがと。たぶん、僕をそうやっていつも救ってくれるのは光だと思ってた。リュミィも光の我儘につきあってくれてありがとって言っておいて」

 光を庇うように抱きしめていたセダたちにも楓は礼を言った。

「それから、人間の皆さんも、仲間をすくってくれてありがとう」

 ずいぶん楓と距離が離される。一行は風の精霊によってすでに窓の外へと運ばれていた。

「楓! どうするつもり!!?」

「契約を解いてもらう! ……いや、これ以上は耐えられない。解く!!」

 楓はそう言うと男に向き直った。セダ達はこれ以降もう、部屋の中が見えないほどに運ばれていった。残ったのは楓と男だけ。

「解いてもらおうとは最初から思ってません。貴方がそう言う人じゃないの、わかってますから。契約は互いに解除する方法が一番望ましいのですけれど、一方的に解くこともできるんですよ」

 楓がそう言った瞬間に、楓の契約紋から炎が噴き出した。契約紋でさえ燃やしつくそうというように、楓の形をした赤い模様から炎が噴き出す。楓は契約紋が熱いと感じた。ああ、これが皆が言う、熱さなのか。でも自分にはこれが身体を傷つけ、命を削る熱さでも、とても親しみのあるものに感じる。それと同時に男の腕にあった契約紋も燃えだした。

「わ、わしの腕が、腕がぁああ!!」

 燃え盛る腕を見て男が部屋を駆けまわる。そう、燃えろ、僕ごとこの男を含めて、全て!

「燃え尽きろ!!」

 楓が叫ぶと同時にがくりと膝をついた。思わず胸をかきむしる。楓の魂と結ばれた人間の魂を無理に引き剥がすその対価が激痛となって楓に襲いかかった。

「あ、熱いぞ! ハストリカ! ハストリカ!!」

 もう片方の宝人の名を呼びながら炎の中、男が転げまわる。熱いと感じるということは、男との契約が切れて来た証だ。もう少し、この男だけは許せない。

「僕と一緒に死んでもらう!」

 炎の宝人である楓は炎で死ぬことはないだろう。だけど、無理に契約を解く対価として死ぬかもしれない。宝人の人間との契約は魔神に課された宝人の義務。一方的な契約の解除は魔神から課された役目を放棄することと同じだ。それは宝人の生まれた概念を否定する行為。だから魂が苦しいのだ。だから死ぬほど苦しくて、死んでしまうことが当たり前なのだろう。自分で自分の存在を否定しているようなものなのだから。

 でも、楓は構わなかった。炎を使う喜びはある。でもそれは他人を怖がらせて傷つけてまでやることじゃない。なにより、自分の意志に反する炎は自分が許せない。

 ――瞬間、炎が爆ぜて完全に部屋が燃え落ちた。



「楓! 楓―!!」

 光が叫びながら地面に下ろされる。その瞬間に光達がいた場所が爆発して白の外観が崩れるほどに燃え始めた。

「光!」

 セダが叫んだ。爆発を聞きつけてリュミィが光となって駆け寄ってくる。

「光は宝人なんだろ! 水のエレメントは使えるのか?」

 この場にいる宝人はハストリカしか水の宝人ではない。しかし彼女はいまだ目覚めていない。リュミィは光だし、幼い宝人は一人は怪我をしているし、もう一人は恐怖におびえている。ジルもヘリーも首を振った。

「……わ、わからないよ」

「じゃ、ここに残れ!」

 セダはヌグファに行った。

「俺に水をぶちまけてくれ。テラ預かっててくれ」

 セダは武器を全てテラに預けて身軽になる。

「セダ、危険すぎます」

 ヌグファが言うが、セダは退かない。

「楓を助けなきゃ、なんのために俺らは来たんだ。さぁ、ヌグファ」

『方位は西。色は青。応ずるは紺、場の設定には水色。力は弱く、基準は我の直前に穏やかに放出! 出でよ!』

 さぁっと水がセダに降り注ぐ。

「行くのか? 無茶だぞ」

 グッカスが言うが、セダが笑う。

「大丈夫だって」

 駆け出そうとしたセダにグッカスが言った。

「俺は炎には耐性がある。俺に乗って行け。今なら部屋まで一直線だ。上空で待機している。楓を連れてこい」

「無理ですわ! 楓の炎が起こした熱で今やあそこの空気は熱せられておりますのよ! 鳥だって飛べませんわ」

 上昇気流が湧き立つように生じているであろうその場所で、楓は鳥として飛べないと言ったのだ。

「私も光を使って運びたいのは山々ですが、あの熱気には耐えられないでしょう」

 セダはなにもかも理解したうえで頷いた。

「行ってくる」

 何も云わず、何も云わせずセダが駆け出す。誰も止めることも出来ずに焦熱地獄と化しているあの部屋へ行くセダを誰も止められない。光が一瞬泣きそうな顔をした後にセダを追って走り出した。

「光!」

「あの馬鹿!」

 しかし城の中に飛び込んでいった二人の影を追うことは誰にも出来なかった。二人が通り抜けた瞬間にその場所が燃え落ちたのである。


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