2.大国鳴動 【01】
...005
はじまりのこの地は、なにもなかったという。神はそれをさみしく思ったという。
神は己が最初何かすら知らず、さみしさからか、はたまた己の理解しえない義務感からか、原初なるこの世を作りだすことを行った。
何もない空間に、導となるものが必要だ。すなわち、まず神は光のエレメントを配置した。第一のエレメント、光である。
その時同時に光に照らされて出来た影。それに気付いた神が無の空間に最初からあったことに気付いた闇を第二のエレメントと定めた。
神は己の意志を持って初めてこの二つのエレメントを創造した。光と闇。二つは対象とされるが、個の成り立ちもあって、二つの力が同一のものとされる。
次に神は吐息を吹きかけ、昼と夜を交替に来るようにエレメントを動かした。二つのエレメントを動かし、全てを鳴動させる第三のエレメント・風である。風のエレメントが自由を意味するのはこのためだとされる。
そして次に神は動かぬものも必要と大地を創造し、第四のエレメント・土が生まれた。
これで光と闇、大地と大気が生まれた。しかし神は一人きり。何が足りないのか。最後に命を育むために涙を一滴こぼし、それが広がって雲となり、雨とをなりやがて命を生む礎となる。これが第五のエレメント・水。
そして命を育むに必要な温かさ、大地を、否、全てを動かすための力となるよう生まれた最後のエレメント・炎である。
六つのエレメントが生まれうまく機能したとき、全てが複合され、融合され、そして世界が開花した。これが原初の世であった。
...006
この国は少し特殊だ。謁見の間には王座が4つ存在する。その座に座るのはまだ若い王と女王。美しい金髪を持つ見目麗しい王。堂々とした動作はまさしく王に相応しく、青い目が輝いていた。
「それは本当のことなのか? ハーキ」
「ええ、そうよね? ヘリー」
王に問いかけられたのは、長く、先がゆるやかにカーブした青い髪を持つ、女王だった。美しい顔つきではないが、女王としての威厳と優しさが覗く。
「本当。だってそう告げてきたもの。信じてはくれないの?」
「宝人のことでヘリーに勝るものはいない。そうだろハーキ? 僕は信じるよ」
「ジル、そうだけど……信じられるものではないわ」
「でも、僕は最後にはキアに従う。君が一の王だ」
そう言い切ったのは、黒い髪をした、少し幼さの残るまだ少年と言ってもいい外見の王だった。
「そうね、どうするの? 私も貴方に従うわ」
「ヘリー、もう一度教えてくれるかい?」
金髪の王、キア陛下が末妹、ヘリー女王に聞く。その聞き方は優しい。
「うん。水の大陸で一番大きな宝人の隠れ里が、暴かれ、宝人が怒っている。たぶん、襲った国は……私達とお友達」
「うん。公共軍から連絡は無いけどね」
ジル、三の王が告げた。
「古の制約に従い、神の領域を侵したなら、人間の始祖の血を引く我らは隣国を裁かねばならない。それは戦争になる。それもわかるね、ヘリー四の女王」
「ええ、キア一の王」
ヘリーのまっすぐな白髪が揺れた。湖水の底のような緑の目が悲痛な色を映す。
「我らシャイデ、宝人の朋友。今決断の時か」
キアが澄んだしかし青い目を王座の果てに向ける。それに釣られて、二の女王ハーキの白い目も同じ方向を見た。三の王・ジルの赤い目は一瞬妹であり、この凶報をもたらしたヘリーに向けられた後に、兄、姉を見て果てを見る。ヘリーは辛そうに目をそむけ、そして決断を兄にゆだねた。
「ジル、鷹を」
「了解」
「ヘリー、竜を」
「うん」
「ハーキは獅子を」
「ええ」
「聞け! 我が民よ! 我が盟友よ! 我、魔神の加護の下、一の王・キア=オリビンが宣言する。我が友、ジルタリアは朋友の地を侵した。裁かねばならぬ! 魔神のために! そして我が朋友のために!」
白銀に輝く剣が腰から抜かれる。その剣に光るのは六色の宝石だ。
「我が心と身体は陛下の御為に!!」
どこにもだれも人がいないのに、その声は確かに聞こえてくる。その声は津波のように、押し寄せるかのように、後から後から響き、反響して大きくなってくる。
「ありがとう!!」
四人の王と女王はその声を聞いて、誰もいないのに膝をつき、返礼のポーズをとった。
「早速繋がった。来るわ!」
ヘリーが立ち上がって叫んだ。
「早く言えよ」
ジルが叫んであわてて白い布を手繰り寄せた。急ぐ様子の彼に何も無い空間から声が響いた。
「我ら古の制約により、巫女の御為に第一の光の使徒、推参致しました」
謁見の間に光が漏れ、次の瞬間に一人の女性が現れる。
「お応えいただき感謝いたします」
「ええ、古の盟約によりシャイデの巫女さまがお呼びくださいましたなら、わたくしら一番の速さを持つ光の宝人が一番が駆けつけなくては。そう、リュミィさまにも申し付けられておりますゆえ」
現れ出た女性は背が高く、まるで光を体現したかのような白い髪と目をしている。
「では、早速よろしいですか? 時間ありませんもの、ヘリーの言うことが本当ならば」
「本当です。あの里の宝人は生き残ったものは逃げ、捕らえられたものは鳴いています。リュミィさまはこれから向かう予定です。旧友が心配とのことで」
「国旗の色は?」
キアが聞く。短く女の宝人が言い放つ。
「緑」
キアが肩を落とした。
「やはり、ジルタリア」
「状況をこれからも教えてくださいます?」
「もちろんです、われ等がの光の巫女姫」
ヘリーに向けて優雅に宝人は一礼すると四人の王に目礼する。
「我らシャイデ、人間として必ずや力に。準備を進めます」
「盟約に従って」
唐突に宝人は消える。
「さぁ、準備を」
キアの言葉に残りの三人が頷いた。
水の大陸の東側に広がる大国の一つにシャイデ王国が存在する。神代の時代に建国を許された唯一の歴史の古い国だ。
神に認められて、神に選ばれた王が代々治世を行ってきたのだ。しかし、この国が一番特殊なのは、王が四人存在することだろう。
王は同じ血族の中から選ばれることが多い。いつの時代も王は必ず四人。神に定められた決め事である。その四人は血が繋がった兄弟であったり親子であったり。しかし王位継承に問題を生じたり、脚をひっぱったりしたことはない。この国の王位継承には、神の意思が存在するごとく、人間では関わりあうことができない。
四人の王または女王が王位につき、誰か一人の命が失われたとき、自動的に次の王位を継ぐ四人が自国のどこかで選出される。選出された王や王女はシャイデの国民なら、誰しもが王と認識するようになる。
その選定には自国に住む宝人の総意であると言われていることから、神に定められた国として宝人を朋友とし、彼らと盟約を交わす唯一の国だ。
現在その王座を温めるのは、一の王・キア=オリビン。オリビン兄弟の長男にして、建国王を名乗る。優しげな顔つきに光り輝く金の髪は、大地の守護を得ている証。水の大陸の国として、その目は青色を映す、国の象徴ともいうべき王。歳はまだ二十歳であり、若い。
二の女王・ハーキ=オリビン。オリビン兄弟の長女にして大国の良心。水の大陸に相応しく水の加護を受けた長い青い髪と日の力を受けた白い目を持つ、優しさの象徴、守護王を名乗る。歳はキアと少し離れて十八歳。うら若き乙女だ。
三の王・ジル=オリビン。オリビン兄弟の三番目にして次男。黒い髪に赤い目を持つまだ少年とも言える王。名は英雄王。良き兄の助けをする優しい王だ。十五歳。
四の女王・ヘリー=オリビン。オリビン兄弟の末子にして次女。柔らかな白髪に湖底を思わせる緑の瞳。国の慈悲の象徴ともいわれ、囁かれる名は巫女王。十三歳にして、この世の理を知り、宝人を最も愛する。
この兄弟王の治世はまだ一年もない。王権交替がなされたばかりだ。もともと平和な国であるこのシャイデは前王もその前の代も平和を築いた。天災に見舞われることもなく、特に何も問題なく、治めてきたのだ。
しかし、彼らの王権交替は波乱があった。突然に前王の一人が死に、急に王権交替がなされた。一人の王が死ねば、自動的に次代の王、四人が神によって選出される。和平を築いた残りの三人の王は何も問題を起こしていなくとも、退位を迫られることとなる。
前王の配下に満ちた王宮では王政交代に反対が相次ぎ、波乱に満ちた。そして不満が渦巻く王国の中枢で神の意志によって急速に選定されたオリビン兄弟たちこそが王位に着いたのだった。
神からの選定に疑問さえ抱かない民からの信頼だけは厚いが、それでも急な王の交代には不思議が残る。先王はなぜ急死した?と。
「お待ちくだされ、陛下」
円卓の会議で、古参の配下が反論を唱える。先ほどの宣誓を聞いてあわてて駆け付けた大臣の要請により、急いで臨時会議が催されることになったのだ。円卓会議の中央に座すのはキアである。その隣にハーキ、ヘリーと並び、ヘリーの隣にジルが座す。円卓には議員が全員座り、四人の王を眺めていた。
「何がいけない」
「おわかりなのですか? 陛下。我らシャイデとジルタリアは同盟国なのですよ! 大した確証もなく、同盟を一方的に裏切り、戦争を引き起こすなど、我らは侵略国となってしまいます!」
「ヘリーが“声”を聞いた。それ以上の理由はない」
「それはどうでしょうか? あいにく、我らは神殿の巫女一同、そのような『声』は届いておりません」
年配の女性にはっきり言われて、ヘリーに視線が集まる。
「そんな……!」
ヘリーが泣きそうな声を出す。シャイデには王の次に権力を持つ神殿という組織が存在する。神殿には、大巫女が率いる巫女が存在し、巫女は神の声、ならびに民意を聞くことができる。だが、巫女全員がその声を聞けるはずもなく、力を持つ巫女だけが声を聞ける。
その声を治世に生かすよう、王に進言し、民の嘆きや思いを届けるのが神殿の勤め。今はその大巫女の位を四の女王、ヘリーが務めている。彼女自身、宝人の声を聞き、神の声を聞くことができる巫女の力を兄弟のなかで唯一持っている。
しかし王の突然の交代に不満を持つのは中心だけではなく、神殿もそうだ。急に十三歳の少女を大巫女として仰げというのも無理な話であった。
「馬鹿を言うな! 我ら宝人、悲鳴が届いていない者はいない! ヘリー様のお言葉は真実だ」
「今は声の真偽を問う場合ではなく、戦争を本当にしかけるかが、問題だ!」
「幸いキア陛下のなされたのは宣誓のみ。お言葉を叶えずとも問題はない」
「それこそ、馬鹿を言うな! 宣誓を叶えぬ言葉など、とんだ笑いものだ! 陛下を陥れる気か?」
「そのようなことは!」
「その前に本当に戦争を起こすおつもりなら、国民への説明はどうなさいます? 『宝人の里が襲われたから代わりに仕返しに行きます』とでも?」
「そなたこそ、陛下を馬鹿にしておりませぬか?」
くすくすと笑いが生じる。ダン、とキアが円卓を叩いた。
「静まれ」
「申し訳ありませぬ、陛下」
「とにかく、私たち兄弟は盟約に従ったまで。何か間違ったか?」
こういう場合はこのような対応をするというような教本が王にあるわけがない。キアは常識というか、そういうものとして行動を起こしたが、この反感は間違っていたのか。
「い、いえ。しかし陛下、その盟約は太古に交わされたものですし、今となってはその存在すら疑わしく……」
大臣の一人が言い放った。
「皆様、太古の盟約に従うは我が国の誇り。それに陛下は宣誓を下されたのです。問題はそこではありません。今友好国となっているジルタリアと開戦するに当たり、貿易やそれに関連する民の扱いの方がはるかに深刻です」
その大臣はまだ若く、この場にふさわしくない力強さで言う。それを見て、影でぼそりとささやく声がする。聞こえている嫌味を若者は聞き流した。
「ただの血筋だけの若造が」
「戦争を、するとおっしゃいますか」
「無論です。それが魔神との契約です。わたくしからすれば、皆様がなぜそこで議論したいかがわかりかねます。それよりは開戦した暁に訪れる問題を議論する方がはるかに時間を有効に活用できます」
はっきりと言い放つ。キアは若い大臣を見て、ほっと一息ついた。キアたちオリビン兄弟は急遽、王座着いたゆえに、味方がいない。兄弟しか安心して本音を話せる者がいないのだった。
キアはこの円卓会議も、建国もしていないのに建国王と呼ばれるのも、実は嫌いだ。王座なんか最初から望んでいない。普通に両親の田園を継いで兄弟仲良く過ごせればそれでよかったのに。自分が黙っている間にせっかく開戦に向かっていた流れは逆戻りだ。同じ手をあの大臣も使えないし、さて……。
「どうする? キア」
こっそり妹のハーキが言う。ため息で応える。その時、横で音がした。
「……な、なにをなさいます、ジル王!」
円卓に踵を乗せたジルはふん、とあからさまに鼻を鳴らして会議を中断させる。
「いくぞ、ヘリー」
隣の妹の手を握り、ジルが立ち上がる。
「え、ちょ……! ジル!?」
「俺たちお子様王は大人の会議には必要ないからな」
ふん、と笑う。頭に巻いた白い布の隙間から紅い目がのぞいた。この場に不釣り合いなのは事実で子供はこの二人しかおらず、兄弟では年長組のキア、ハーキですら場違いに見える。
「そうそう、一つ教えてやるよ。神代の契約を疑うのなら、俺たち神に選ばれた王は不要、ってはっきりそう言えば? この会議は王を笑うために催されたか? ならば、それ相応の対価をお前たちに与えるぞ」
それはわずか十五歳にしてはあり得ない殺気。
「そうだな、今回は初犯だし…悪夢程度で許してやろっか? キアの身を立ててね」
くすくすとジルは笑う。
「あ、悪夢だと……ふ、子供め」
囁いた重鎮に、隣の者が言う。
「お、おい!」
「そうかぁ、スティレスさまにはとっくべつな悪夢をお届け☆」
子供らしく笑うジルにぞっとする大人たち。
「俺は他の兄弟たちのように優しくも寛大でもない。短気で激しい。……俺は、」
わざと言葉を切り、ジルは頭の布を取り払った。漆黒の髪と紅玉の如くの紅い目が現れる。
「激情は炎」
そう言った瞬間に半分の者が震え、目をそらす。
「俺は、炎」
ジルが辺りをにらんだ。辺りはシーンと静まり返った。
「おっと悪い悪い。場を凍らせたな。キアごめん。だから俺退場するけどー、もしこれ以上うだうだ言ってキア困らせたら俺……怒っちゃうよ?」
三番目の王は身勝手にそう告げると、会議場を抜ける。
「ふぅ」
キアは弟に感謝しつつもやりすぎだ、とため息をついた。くすっとハーキが笑う声が聞こえる。弟が自分を犠牲にした沈黙を利用しない手はない。キアは声を張り上げた。
...007
この部屋の空間としての広さはそうないと思う。しかし、広大に思えるのは、その部屋の用途が神秘的なものに使われているからだろうか。広さだけでなく高さもそうないが、広大な大地に寝転がって果てのない夜空を眺めている気分になる。
天井と思える場所は漆黒に埋め尽くされ、夜空の星を転写したかのように色とりどりの光が瞬き、光り輝く。それは天井だけではなく、この部屋すべてがそうだった。この部屋自体が小宇宙のようである。
その部屋の中心でこの部屋の主が肩から長すぎる棒状のものを肩から外し、一回転させ、地にダン、と叩きつけた。その瞬間に周囲の星の光が棒状のものを叩いた場所に吸い込まれていく。儀式の終了の合図だ。
ふらぁっと傾いた中央にいる人物にまるで置物のように動かなかったもう一人の人物が初めて、すばやくその身を立ち上がらせ、中央の人物を抱きとめる。
「今回は長かったな。大丈夫か」
「違う結果が見えて、追っていた」
抱きとめる人物は若干息が上がっている。それだけ集中したということなのだろう。
「違う結果って……」
「更新年だからね、前々から注目してはいたんだ」
「で、結果は? 動くのか?」
息を整えた人物は顔を上げる。抱きとめられているが、ちゃんと顔をみて話したいというかのように。それを知っているとばかりに抱いている人物も顔を覗き込んだ。
「動く、必ず。というか、もう動き出しているとみた」
驚きがその顔に上る。
「場所は?」
訊くその表情は真剣だった。その顔には真っ白な紋章が光っている。対する抱かれた人物の顔には黒い紋章が浮かび上がっている。
この顔に各守護するエレメントの色を持つ紋章が現れるのは人間と契約した宝人と決まっており、この紋章を契約紋という。つまり、二人とも宝人である証拠だ。
「神代の創生では一番は光。光が動けば同じ源である闇も動くはず。しかし動いた形跡はない。今は風が西に吹く季節。ならば、時周りも逆になるだろう。そうすれば、最後と考えるのが妥当。でも、」
その言葉は白い目をした男、抱いている人物が引き取った。
「炎は死んでいる」
対する黒い人物は頷いた。
「炎は死んだ、だから炎と同じ力巡りと考えれば、最初に鳴動するのは……」
「水か!!」
こくり、と再び頷く。
「一番力を持つエレメントが一番に動くのか……! これはおおごとだ。もしかすれば……」
「うん。追ったよ。水の大陸は大国同士が戦を起こすね。バランスが崩れると思う。水は戦火を生じ、その広大さゆえに、その火は飛び火する。うまく自身の性質を思い出せば他の大陸にまで戦火が及ぶ事はなく、はやく終結するだろうけどね」
「待てよ。ってことは戦火が及ばなくても、水が終結すれば、次に動くのは土か?!」
「いや、そこまでは読めなかった。今回は何が起こるか分からない。星も激しく動いているし。なにせ炎が死んで初めての更新年だから……神代が動くかも知れないね」
それこそ白い男は仰天したようだった。
「神化するっていうのか!? 俺たちだって獣化までだぞ? それ以上は神話の話だろう?」
「わからないさ。この闇にまで動きを与える時には風の向きも変わっているだろうし、星も動いているだろう。とりあえず、今は……“動き出した”ってことが重要」
しばしの静寂の後に白い男は黒い棒、今ではそれが杖とわかるが、それを握り、消し去った。両手が空になると、黒い方の人を抱き上げる。
「ちょ、自分で歩ける!」
「いいから」
「白闇!!」
白い闇、そう呼ばれた男は天空の太陽をくりとったような白い髪を持ち、真っ白な目を相手に向ける。
「いいから。俺がそうしたいの、いいだろ? 黒光」
「俺がガキどもに馬鹿にされんだろ?」
対するのは闇を切り取ったかのような漆黒の髪を持ち、黒い目を白闇に向ける。あからさまに不満がにじんでいる。
「いいじゃないすかー。夫婦仲がよろしいと子供はいい子に育ちますのよー?」
「誰が夫婦だ、誰が子供だ、コノヤロウ」
黒光の文句を笑って封じ込め、黒い部屋からすっと脚を踏みだした。軽々と右腕だけで黒光を抱きかかえ、扉を開く。するとすぐに明るい光と声が響いた。
「あー、ランさま! イェンさま、またぁ?」
子供が異なる名前で呼ぶ。二人きりの時は、二人は互いの魂名で呼び合う。しかし、それ以外の時は、ただの名前を呼ばれる。すなわち、白闇はランタン。黒光はイェンリーと。
「ほら、言ったこっちゃねぇ!」
抱えられた黒光はぼかり、と白闇を殴る。イテ、と形だけの声を出して、わらわらと腰のあたりに群がる子供を見る。
「いんや。イェンは大丈夫って言ったんだけど、俺が止めたの。だってイェンは働き者だからね、『結界』に支障をきたしたらまずいもの。なー?」
「そーね!」
子供が同意する。
「や、そこまでへばったらさすがに言うし」
「イェン兄ちゃん、『自動書記』は?」
「今回はいいや。そんな大した内容じゃねーから、『夢』で直接オキサに伝えるわ」
「そうやってすぐに力使うからへばるんじゃないのぉ?」
「お前ら人が弱っている時にそういうことばっか言ってると、イェンさん怒りますよ?」
「ごめんなさぁ~い」
きゃーと言って子供が散っていく。
「ちっとも反省してねー」
子供に呆れた目線を送ると、白闇が笑った。
「弱ってるんだ? 認めたね? イェン」
「う……。さっさと寝床に運びやがれ!」
「はいはい、了解しました。……にしても、里のじじばばには今の、伝えないのか? 『自動書記』を断ったってことは、だ」
「言っても信じねーだろう」
「違うだろ。世界の中心に座す、星占師・イェンリー=ミザールの占いを信じない? 違うさ、認めたくない、だろ?」
「まぁ、もともとの依頼分は自分で『自動書記』したから問題ない。だから今回の結果は、オキサにだけ教えておくつもりだ。覚悟が必要だろう、と」
「それがいい」
くいっと黒光が白闇の袖を引いた。
「ん?」
「暗殺師・ランタン=アルコルに暗殺以外の仕事を頼んでもいいか?」
「もちろん。俺の黒光の願いなら何にも勝るから」
「では、頼む」
...008
無事に学校を抜けた一同は隣町で落ちあい、そして光のいた隠れ里に向かうこととなった。すでに暴かれてしまった里だし、入れてもらえずとも、皆の安否を確認したいという光の意向に沿ったのだ。
一応隠れ里だから場所などはっきりした事は教えられないと言われたが、だいたいモグトワールの遺跡の位置を聞いたところ途中まで一緒、と言われたのだ。
「あ、おれまたやっちまったよ」
セダはそう言って、手の中にあった紅い石を粉々にした。赤い石は水晶のような形と構造をとっているが、鉱物と異なる点は、内側から命が宿っているかのように時々赤く光るところだろうか。赤い水晶のような石。
「あ、馬鹿! 貴重な火晶石を! 旅は長いのにもう一個なくしちゃったの?」
テラが怒る。ヌグファもあー、という顔をしていた。光だけが不思議そうな顔をしている。
「これ……火石?」
光が言った。不思議そうな顔をする人間に仕方なしにグッカスが説明する。
「人間は晶石という言い方をする。それに各エレメントをつけてな。しかし宝人側からすればただの石。そういうことだ」
「貴重、なの?」
「そりゃね。晶石はお金で取引されるの。人間はね、採掘所で掘れる晶石を加工して数を増やして売り買いするのよ。エレメントを与えてくれるのだから貴重に変わりないけど」
「え、これって人間の間ではお金になるの?」
光は驚いた。グッカスが呆れる。
「とんだ世間知らず娘だな。そんなことすら教わってないとは」
この世は神によってエレメントを複雑に組み合わせて創られた。つまり世界の元はエレメント、ということになる。複合していない純粋なエレメントは長い年月と純粋な力をためると結晶化する。その結晶化するエレメントの周りにそのエレメントを好む精霊が生まれ、その精霊がエレメントを動かす手助けをするのである。
つまり晶石にはそれぞれのエレメントが100%含まれた純粋なるエレメントの結晶であり、その晶石を使えば、魔法使いでなくてもそのエレメントの恩恵が受けられる。
簡単にいえば使えれば火晶石は火種となるというわけだ。旅人の間ではこれは重宝され、特に水をもたらす水晶石、火種となる火晶石、光源となる光晶石はよく持ち歩かれる。
だから人間はこの晶石が生成される場所で晶石を掘り出し、小さくして、売り買いするわけである。
「だって、石って宝人がエレメント使うとぽろぽろ出るから」
そう、宝人が悪用されやすいのはこのせいでもある。宝人がエレメントを使うと晶石を生み出すことから、一石二鳥にエレメントを使う事が出来るのだ。エレメントの管理、並びみ恩恵を与える事が主な本能であるからか、宝人にはこういう特技を必ず持っている。
宝人とは人間をはるかに超越した特別な存在と言える。この存在を自在に扱おうなどという考え自体間違いであるかのように。
「あたしも持っているよ、みんながくれた」
スカートのポケットから光輝く赤い石を光はセダに差し出した。
「うおー! こんなでかい火晶石初めて見たぜ」
「ほんと、おっきい」
テラも感心した。任務で渡される火晶石はよくて爪の半分くらいの大きさだ。しかし光が見せたのは、軽く手のひらに握れるくらいに拳ほどの大きさがあった。
「そっか、楓さん? 炎の宝人だからか」
ヌグファは言う。しかし、セダに渡そうとした火晶石を光の手に握らせて、ヌグファは言った。
「人間の世ではね、晶石は貴重な物なの。これを見せただけでどれだけのお金が手に入るかわからない。特に水の大陸では火晶石はもう取れなくなりつつあるの。火晶石の採掘所は死んだって場所ばかりだから。だから、気軽に人にこれを見せてはだめ。そんなことしたら危ない目にあうから」
「そうなんだ。わかった」
光は納得して、ポケットに紅い石を戻す。宝人にとっては晶石は簡単に生み出すことができるものであり、己が生み出すエレメントを形として残す行為でもある。しかし人間はエレメントを使うことができないから晶石に頼るのである。
「そうそう、何度やっても火をつけられないセダがドジなの」
テラはそう言って、さっと火晶石を無駄にする事もなく、木々に火を付けた。街外れまで来て、ここではもう野宿だからだ。本来ならばもっと夜が更けるまで足を進めるが、今回は子供の光がいる。
本来ならば町の宿屋に入りたかったが、光は水の大陸では珍しい白髪に白い目の持ち主だ。もし、里を襲った誰かが光を追っていたり、見つかったりした場合には、危険と判断したためだ。
それに今回の任務には獣や外敵の気配に敏感なグッカスがいる。野宿の方が比較的暖かいここらの場所では都合が良かったのである。
「でだ。お前、帰巣本能とやらは復活したのか?」
グッカスが言う。光は首を振った。そう、実は問題が生じているのだった。
「里の場所がわからない~~??」
宿で落ちあった四人+宝人一人ではあったが、次の目的地を宝人に尋ねたところ、里の現状を知りたいというものだった。一応その主張に納得した四人は里の場所を訊いたのだが、答えはわからない、だったのだ。
最初は人間を入れてはいけない里の秘密を守るためかと思ったが、幼くして里を出た光には里の場所を知らなかったというのだ。どうやって戻るのか、とグッカスが激昂しかけ、ヌグファが押さえてと言った時、宝人には帰巣本能があり、近づけばきっとわかると言ったのだ。
宝人という者は人間にはおおよそ理解できない能力がたくさんあるらしい。筆頭に挙げられるのはエレメントを使いこなすことだが、それだけではなく、危機が迫った時に、近場にいる宝人に知らせる『鳴き声』とよばれるものや、里のある場所に現在地がわからない状態から必ず戻る『帰巣本能』など、おおよそ獣に近い能力を持っているらしい。
「だいたいの場所はわかるんだよ!」
それはそうだ。小さい子供が家の近所まで来れば家を見つけられるのと一緒だ。それははたして帰巣本能というのであろうか。疑問が残る。
「っていうかな、急いでるんだったらそんなのんきなこと言ってる場合か! そもそもお前十四歳にでもなって自分の住んでいる地域すら言えないってどういうことだ!!」
グッカスがイラっとして叫ぶ。グッカスは口も悪いがそれよりも何よりも他人を宛てにし、己で何とかしない人間を嫌う。最初はそれでヌグファもずいぶん言われた。だが、それは誰をも分け隔てなく同じように扱うことでもあって、そういう己の考えや気持ちを正直に伝えてくれるのは好ましい。
光もわかっているからか、言い返すもグッカスが苦手、というわけではないようだ。
「いえるもの!」
「ほー。じゃ、言ってみろ」
「乙陰」
「は? どこ、そこ?」
セダがそういう。テラやヌグファでさえ、不思議そうにした。
「ああ、最北の沼地か」
グッカスがそう言った瞬間に、なんでわかったの!? という顔をみんながみんなした。
「今のは暗号?」
「宝人の言葉だよ。宝人は独自に地名や言葉を持ってるんだよ」
「なんでそれをグッカスが知ってんだよ」
「特殊科の授業でやった」
しれっと言うグッカスに光が言った。
「なんだ、人間の言葉でなんていうか知らなかったから黙ってたのに、知っている人がいたなら、早く言えばよかったよ。……でも宝人の言葉を知っている人がいたなんて」
光は意外そうに言った。グッカスはそれ以上言わず、背中の荷物から水の大陸の地図を出す。皆がそれを覗き込んだ。
「今俺らがいるのは、ここ、テトベ公共地の北。セブンスクールの隣の町ザイルを抜けた、ファイブの森だな。この森に通っているアジサシ川を下流に下って行くと、そのままシャイデとジルタリアの国境に着く」
宝人である光に説明するかのようにグッカスが言った。
「どっちの国に着くの?」
「この川が国境なの。川をどちら側にいくかによって着く国も変わるわ」
ヌグファが言った。
「で、お前が言ったのはフェザーの沼地って呼ばれているとこだな」
「通称逆沼」
セダは笑うように言った。沼と羽根は似ても似つかない。それは川の中心に座すように存在する沼地の地形が羽根というよりかは翼を広げたような三角形の形を作っているからである。
「ちなみに宝人の言葉、乙陰ってどういう意味?」
「乙はそのまま沼地。陰は北だよ」
光が言う。
「そのままだね」
テラが言った。宝人は物事を例えたり飾ったりしないのかもしれない。
「そうだ、知っていても困ることは無いわ。水の大陸を人間がどう呼ぶか、教えてあげましょうか」
ヌグファはそう言った。そして指を指しながら言葉を重ねる。
「ここら一帯が宝人にも共通認識の公共地、テトベ。私達の学校がある場所」
「他にも中央の国際軍がいるぜ」
公共地というのは、国がないだけでなく、争いを起こしてはならないという絶対のルールがすでにしかれており、宝人に安全な地として人間に多くの宝人に関する規制を強いている土地でもある。だから光も知っていたわけだ。
「テトベは水の大陸でも中央から南に位置してるわ。北に水の大陸でも大きい三大国と呼ばれる国々があるね。一つはシャイデ」
「知ってるよ! 盟約の国だよね」
光が言った。
「そう。唯一の神代からの古い国ね。その隣がジルタリア。さっきの川を挟んだ反対側の国ね。で、そのジルタリアの隣、ちょっと離れているけど、メジュー草原とエディンの森を挟んだ隣がラトリア」
「へー」
興味深々に聞く光に釘を刺すかのようにグッカスが言った。
「その国のどこかかが、お前の里を襲った犯人だ」
「未だに国際軍が討伐に動き出していないのが、その証拠。お前の里を襲ったその事実さえ、ある一定の期間を隠し通せる力をもっているのさ」
「でも……! たぶん、もう伝わる頃だとは思うよ」
光は力強く、そう言った。
「どうして?」
「多くの宝人がきっと『鳴いた』。近隣の隠れ里と宝人にそれは伝わったはずだから」
「宝人特有の能力か! それ、どんなもんなんだ?」
セダが言う。光は首を振った。
「私は争いの中にいたし、発する側に近かったからわからないけど、悲鳴が聞こえる感じだって聞いたことあるよ」
そう聞いて、光は本当に幼いのだと思い知る。エレメントを守護し、管理するという宝人。その能力だけが備わっていても、彼女自身は十四年しか生きていない経験の薄い幼い子供。自分達だって子供に近い年齢で経験は決して豊富な方ではないし、大人の庇護がもっと必要だと思っている。どれだけ無謀なことに力を貸そうと思っているかも。
「そっか、じゃ、やっぱ急がなきゃだな」
セダが力強く笑う。できないと嘆き、他人に言うだけでは何も救えないし、何も始まらない。無理だった、ダメだった。そのときはその時だろ、そうセダは思う。
「で、話を戻すぞ。お前の里は沼地なら、俺は急ぐ旅でもあるし、この先のテリアの町で簡単ないかだでも買って、川を下るのが一番だと思うんだが」
「それはいいな。速いし、楽だしな」
セダも賛成した。
「でもこの人数だと、いかだは危険だと思うわ」
しかも国境を越えるような長い川下りになる。交代で休息をとる必要もあるのから、いかだはないかも、とテラは考えた。
「定期の商業船が出ていないでしょうか。川を使うものがあるはずです」
「一緒に乗せてもらうか。公共任務許可証を持ってるわけだし、公共地から出る船には乗せてもらえるかも、だな」
セダが言うとグッカスが締めくくり、地図を閉じた。
「決まりだな」
...009
神殿内は水が溢れている。さらさらと流れる音が水の音でもその音は人工的な水路で作られていると知っている。
「ラダさま」
会議がやっと終わったのだろう、五十代も半ば過ぎた巫女に長丁場の会議はさぞ腰を痛めたことだろう。その後ろにいつもは縮こまっている幼い巫女姫がいないことを、不思議に思う。
「おや、ヘリー姫はいかがなさいました?」
「兄王が連れて行きました。本日は戻らないでしょう」
「あら、姫巫女の好きな果実を用意いたしましたのに」
残念そうに言った。
「して、本日の議題は? やはり建国王の宣誓ですか?」
「ええ」
苦々しく口にする老いた女の背後をきっちり歩いて自分の顔が見えないようにしながらからかう口調を出さないように気を配って問う。
「姫巫女さまがやはりご忠告をなさっておいでで?」
「そうとも! 『声』が聞こえたのだと、そう仰って」
「して、ラダさまはどうお答えになったのです?」
「そんなものは巫女一同聞いていないと」
「おや、では幼い姫巫女は嘘を……?」
「当然です。あの姫巫女が来る前までわたくしが大巫女の御位を前王さまからいただいていたのです、そのわたくしが聞こえぬのですから。あの姫は悪戯に兄をあおっただけでしょう。これだから子供は困ります」
「まぁ」
と言うに留めた。というかそれしか言えなかった。なんという浅ましさよ。
「ニオブ、他の巫女に徹底はしましたね?」
「はい。滞りなく、ラダさまのお考えを申し伝えました」
「結構。わたくしはつかれました。数日休みを取ります。その間はお前に任せましょう」
「はい、お任せください」
腰を深く折って、見送る。老けた女巫女の姿が消えた瞬簡に影で息を潜めていた複数の巫女が姿を現した。
「ニオブさま!」
「ヘリーさまは今宵も神殿にいらせられないのですか……」
「私ども、皆ヘリーさまをお待ち申し上げておりますのに……」
「っし! こんな廊下でこのような話はなりません。ラダさま付の巫女たちに聞かれたらどうするのです! いいですか、これは待ちに待ったチャンスなのですから、ヘリーさまはわれ等が救世主ですよ! 物事は慎重に進めるのです」
ニオブは現在の神殿で上から五番目に位置する高位の巫女である。第一の位は国王でもある大巫女のヘリー女王であることに間違いないが、第二の位置は、前王が命じたラダである。第三の位置は老いた古くからいる巫女で今は病気で臥せっている、ということにされて退位を命じられた元大巫女のブラン。第四位がラダ腹心の部下ピマー。そして苦労してラダに取り入ったニオブである。
実は政治の場と同じくらい位争いが激しい神殿は巫女たちの蹴落としあいが激しい。
「で? 会議はどうなりましたの?」
部屋に移動して再開された話はもっぱら臨時会議だった。臨時会議には神殿の第一位と次位の巫女に出席の義務がある。ラダは神殿の総意を伝えに行ったというわけである。
「ラダさまはヘリーさまのお言葉を否定したそうよ。嘘で兄王をからかったのだと」
「馬鹿な!!」
「宝人の嘆きと怒りはこんなにも深いのですよ、炎が死んだこの世にこんな凶報……宝人がどう動くか誰も気にしないというのですか! この神代のシャイデが!!」
宝人が自らの危機を嘆きに乗せて周囲の宝人に伝えるという『声』。それは、宝人のみが届けられるわけではなく、各地に散らばった宝人の総意を人間に伝える役目を負う人間、すなわち『巫女』にも伝わる。
その『声』は宝人の間では『鳴き声』とも呼ばれる。身を切り裂くような悲鳴が届く。その痛みを同時に受け取って、受け取った者が放ったものの正確な感情を知る。
「今はラダさまに従っておくのです。ヘリーさまのお力になれるときが必ず来ます。そう占ったのですから、わたしたちの力を信じなければ!」
「欲に塗れた今の神殿など不要! 強欲なラダさまは己の所業を見直さねばならないのです。そうしてブランさまの復活と共に、ヘリーさまに真にこの神殿を治めていただかなくては。まだ幼き身の上ですが、神のお声を伝える神殿が腐っていて、国など動かせるはずもなし。ヘリーさまには頑張っていただかなくては。そのために、ブランさまにはお戻りいただき、我らをまた、導いていただく必要があります」
そう、ブランが大巫女であったときに育ったニオブは師としても、また幼き姫巫女を支える為にもブランを望んでいた。そのために己の権力に固執する欲塗れのラダは排除しなければならない。
しかし、中枢に太いパイプを持つラダは、王の権力が弱い今では排除は難しい。だから弱い力を持たない巫女達は、必死に水面下で耐えている。
「大丈夫です。あの兄弟王、一筋縄ではいないみたいですよ」
占いを得意とする巫女が力強く言った。
会議をなんとか終結にもっていって会議を終えた上の二人はため息を吐きつつ王達しか入室を許されていない場所に帰ってきた。
「あー、つっかれた」
キアが歳に似合わず肩をゴキゴキ、首をバキバキ鳴らしながら入る。
「軟弱ねぇ」
「あー、軟弱ですとも」
すると部屋にはすでに弟と妹がベッドに座って待っていた。
「お疲れ、キア。ハーキ」
「ジル、さっきは迷惑かけたな」
「気にしないでよ」
ジルは幼い年齢であるにも関わらず、この国の将軍と一対一で渡り合うほどに実は武力に優れている。そして己が認めたもの以外に決して屈しない、生まれたときからの王の素質を備えている人間だった。
幼いのに昔からその国を治めることを義務付けられた皇子のように堂々としたその態度は兵士のようなものにはあこがれを抱かせるが中枢を支配する古参のものには折り合いが悪い。
そして子供は大人の視線に敏感にできている。ジルはいち早くそれ察し、己の行動をどうするかによって周囲がどう反応するかを一番に試した人間であった。そのおかげで兄であるキアは結構すんなりと王室の関係性や権力を知ることができたのである。
「で、結局どうなったの?」
ヘリーは気になったのか、尋ねる。
「宣誓は取り消さないが今すぐに戦争になることにもならない。あのまま平行線」
「宝人のみんながかわいそうだよ」
「そうね」
ハーキがヘリーをなでる。だが、キアが考えていることは違った。
「なぜジルタリアなのだろう?」
「え?」
ハーキが問う。王政が交代したとき、キアとハーキは隣国の王に謁見した。そして変わらぬ友好を保とうと約束を結んだのだった。
「ジルタリアは宝人も抱える国だったし、いくら歴史が薄れたからといって伝説かもしれないけれど、古の誓約を誓う我らシャイデも理解していたはず。では、なぜ宝人の隠れ里を襲うなどといった暴挙に出た?」
「そういえば、そんなことしそうな王様にはみえなかったわよね」
ハーキは思い出す。ジルタリアの王はもう年老いていて、謁見のために王座に座すことでさえ苦痛なのですと笑うような朗らかで穏やかな人だった。次の国王は息子のフィスに任せますゆえ、どうぞよろしくなどと自分の後のことも気にかけている人物であった。
対面したのはその一度きりだったが、そんなことする人には到底見えなかったし、その次期王であるフィス皇子も気が弱そうではあったが、そういう人物には見えなかった。
「死ぬ前の暴走? いや、一国の王がそんなことするはず無い」
キアは唸る。なにかが引っかかる。まるで宝人をえさにシャイデを巻き込もうとしているようなそんな気分になる。確かにヘリーの言うとおり、宝人の為に戦ってやりたくはあるが、戦ってはいけない気がする。国を巻き込んではいけない気がするのだ。
「やな予感がするんだよね」
本心は戦争なんてまっぴらごめんだ。兵士一人一人、顔も知らない人の死を背負うなんてごめんだ。本当に俺は王に向いてない。
「戦争したくないんだね?」
ヘリーが言った。子供が考えるような正義と悪などと割り切れる世界ではない。ヘリーもわかっている。戦いが子供の御伽噺のように興奮するようなかっこいいものでもなんでもないことを。
「ヘリーには悪いけど、大臣達の言うように軍を動かす気は無い」
「宝人は鳴いたのに?」
ハーキは言う。宣誓もしてしまった。戦争しなくてはならない。でも、する必要があるのか。そう感じてならない。
「確証が欲しい。ジルタリアが悪いという」
「宝人は鳴いた、それでもだめなのね? キアの悪いくせよ。自分が納得できないと動けなくなるのは」
ハーキがため息混じりに言うのを苦笑してなだめる。
「どうせ、大臣どもを動かすには一ヶ月くらいは必要だろう?」
ジルが悪戯を思いついたように笑う。
「言ってごらん? ジル」
キアのそうやって何でも聞いてくれる姿勢がジルとヘリーは好きだ。
「俺がジルタリアを見てくるさ。そして俺がシャイデの王として、ジルタリアの王と会ってくる。戦争なんかしなくてもそれで解決できれば上々」
ハーキが驚く。キアはその意見に虚をつかれたかのような顔をする。
「いいな、それ」
「だろ? でも俺はキアのように口が達者じゃないから、もっと関係を悪化させるかもだけど」
「ありえるわね」
ハーキが冗談に乗る。ジルは不満そうに唇を尖らせた。
ジルは王にありながらその特異な身の上のせいでほとんど王政に関わっていない。ちょっと軍の一部に人気があって、一応軍の一部を動かせる肩書きだけの権力を持っているくらいで、一ヶ月くらいいなくても問題ない。
しかも彼は王であるにも関わらず、結構王宮を抜け出し、キアが知ることができない市井の様子を教えることができる人物だった。しかも腕も立つ。
「あ、あたしも一緒に行く!」
ヘリーが言った。これには全員が驚く。
「俺は……」
ジルが判断をキアに任せようと、キアに視線で問う。
「だめだ」
「なんで?」
「お前には神殿があるだろう。それにお前にはまだ早い」
「どうしてよ、あたしとジルはたった二つしか変わらないのに」
この意見にはハーキも賛成しかねるようだ。
「だってヘリーは自分で身を護れないわ」
「あたしは光と風が味方なのよ!」
「ヘリー!」
キアが言う。幼い妹の気持ちはわかる。しかし許可できない。サバイバル精神が強く、幼い頃から鍛えられたジルとは違ってヘリーは旅に慣れてもいない。無謀だ。ジルの脚を引っ張ることになるのは目に見えている。
「わがままを言うな。お前には神殿がある。ないがしろにはできない、こんな状況だからこそ、だ」
「だって、だれもあたしを信じてくれないわ」
それはキアが一番わかっている。一番妹がいたくない場所であることも。
「お前は王なんだぞ」
王を背負うにはあまりにも幼い身の上。まだまだ理解できないことも多かろう。
「ジルだって王だわ。どうしてあたしがだめで、ジルならいいの! ジルが強くて、赤い目を持っているから?!」
「ヘリー!!」
ジルが怒鳴った。ジルは赤い目に生まれたことを気にしているのだ。そして赤い目が周囲に与える影響を一番知っているのもジルである。
「……とにかくヘリーはだめだ」
キアはそう言って、幼い妹の視線を振り切るように部屋を出た。ハーキもそれに続く。ヘリーは泣かないように必死に下を向いて唇をかみ締めている。
残されたジルはため息をついた。泣いているヘリーを慰めるのは同じ姉妹のハーキではなく、いつもジルの役目だった。今度ばかりはキアの言うことが正しすぎるのだが、ヘリーが神殿を嫌がっているのも知っている。
ヘリーは暇人のジルの下にたびたび神殿を抜け出して遊びに来ていた。そう、王でさえなければ遊んでいても許される年齢のヘリーである。
「ヘリー」
そっと声をかける。妹をあんな静かでいやな雰囲気のとこに閉じ込めたくない。王になってキアもハーキもヘリーを前ほど構っていないし、口を利くことができる時間も空間も限られているとあってはヘリーの不安が増すのも仕方ない。一ヶ月ジルがいなければヘリーはどうするんだろうと思えば、ジルもお兄ちゃんである。
「内緒でつれてってやろっか?」
「ほんと?」
「ただし条件がある。守れなかったら、連れてかない。いいな?」
「うん」
真剣に頷くヘリーにジルは旅には同行者がいた方がきっと楽しいと思うことにした。
「一週間準備期間をやる。その間に今から言うものをこっそり集めろ。まず、動きやすくて、乾きやすい服。それと邪魔にならないあったかい上着。豆とかができない自分にあった走ったりできる靴」
長旅が初めての妹に丁寧にわかるように伝える。
「身につけるときに邪魔にならないけどいつも身につけていられるような小さめの鞄。その鞄の中にはすべての種類の晶石と小型のナイフ、小型の水筒、非常食を入れられる袋、予備の袋三枚、身を拭いたり様々なことに使える布五枚、火打石、つる縄、財布。それと一組の茶碗とスプーンを入れること」
ヘリーがメモを取っている間にゆっくりと後は何がいるかなぁとジルは思い馳せる。
「こんなにいっぱい?」
「野宿もするからな。いやになったか?」
「ううん! 鞄に入るかなって」
「入るかじゃなくていかに整理して自分の使いやすいように入れられるかも問題なんだ」
これはジルに旅を教えてくれた人がそのまま言ってくれた言葉だ。
「ヘリーは女の子だから替えの下着もあってもいいな。他には自分がどうしても持って行きたいものとか邪魔にならない程度ならいいよ」
「わかった」
「それから、これはキアとハーキにも内緒だから、絶対ばれちゃだめだ。自分で集められそうにない道具があったらそれは仕方ないから俺に言って」
ヘリーに言い聞かせる。ばれたら自分も旅に出れなくなる予感がする。
「うん」
「で、こっから重要。ヘリーは俺と違って神殿の長だから、まず自分が信用できる神殿の人に旅に出るけど、俺と一緒で安全で一ヶ月で帰る予定っていう手紙を書いて、旅立つ日にその人が読むことができるようにしておくこと。そのときにどこに行くって書いちゃダメだぞ? キアがなんか考えているかもしれないから」
ヘリーは頷いた。
「最後に一番大事な準備を教える」
「なに?」
改まって言うジルにつられヘリーも改まる。
「キアとハーキにごめんなさいと心配しないでの手紙を書くこと」
「ジル!!」
兄に思い切りヘリーは抱きついた。こういう気遣いができる優しい兄を持って幸せだ。ジルはウインクをして、ヘリーの部屋から出て行った。それからヘリーはうきうきと自分の衣装だなを開け、ジルの言った服装に見合うものを見繕い始めた。
「ヘリーにはかわいそうなことしたかな」
キアたちが王政交代をしてから一番に決めたことは自分達以外は入れない居住区を王宮の中に構えたことだ。先代の王達のように華美な部屋ではなく、質素で静かな空間を選んだ。
しかし決して広くなく、兄弟間の部屋も近い場所がよく、兄弟が仲良く話したり、ご飯を食べることができるように計らった。それが必要だと主張したのはハーキで、それを一番に望んだのがヘリーだ。
「もう、母さんにも父さんにも会えない。俺たちしか頼れないのだから」
シャイデは王政交代には神の意思が宿る。自動的に選定され、選定された者は何故か知らないが直接血の繋がった血族を忘れる。キアたち兄弟は両親を忘れてしまった。暖かさとか、優しかったとか、教えてもらったことは覚えているのに、その教えてくれた人の声や顔はぼやけて思い出せない。家の場所は覚えているが、帰ったところでその場所にいる人を両親とは認識できないのだろう。
それは王に選ばれたものの運命であり、代々の王もそうであるという。はた迷惑な国め。
「ヘリーも王なのだから、理解しなくてはならないわ」
ハーキは厳しく言った。シャイデにおいて王とは普通の人が国の頂点に起つ、という意味ではない。王という別次元の存在になると言う言い方が近い。キアとハーキはもちろん、きっとジルも本能で理解している己の存在。シャイデの王が何たるか。
「それより、キア。なぜジルタリアかと言ったわね?」
「ああ」
「なにを感じたの?」
「いや、まだ何もわかっていない。情報も足りない。だからジルをやるんだ」
手足となる配下が欲しい。決して裏切らない家臣ともいえるものが。
「これはチャンスと考えるんだ、ハーキ」
キアが笑う。キアが悪いことを考えているときの笑顔だった。
「戦争に乗じて、一気に敵味方の区別をつけるぞ」
「わかってるわよ。だからこんなまねしてるのよ? 私」
「うん。頼りにしてる」
そこでノックがされ、ジルの声がする。
「ヘリーは?」
「これから毎日一緒に遊ぶって言ったら機嫌直した。せめて旅に行けないから旅人ごっこするって言ったのさ。もう旅人のつもりで仕度してるよ。結構本格的な」
ジルの優しさに救われる。キアとハーキが明らかにほっとした顔になった。
「で? 出かけるまでお二人はどちらに旅人ごっこを?」
「うーん。王宮の地下迷宮なんていかがですかね?」
シャイデの地下には避難経路と称して幾重にも道が広がっている。使われなくなって久しく、今はどこがどう繋がっているかわかっていない場合が多い。ジルは普段これを勝手に利用して市井に出ている。一番把握しているのはジルだろう。
「あ、ひどい。私も参加したいわよ」
ハーキが言った。実は冒険好きなのである。
「大人は参加できません」
「言ったな、この!」
ハーキが殴る真似をし、ジルが笑った。キアはそれをほほえましく見えている。
「あ、本題。これ」
ジルは二人に黒いリングを渡す。ちょうどピアスくらいの大きさだ。
「定期連絡用ね。俺が旅に出たら必ずつけて。夢で知らせるから」
「わかった」
キアもハーキもその場で身につける。と、いつものように弟を信頼したのが間違いだった。一週間後、ジルはヘリーをつれて、冒険ごっこと称した地下迷宮から旅立ったのであった。