表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
モグトワールの遺跡  作者: 無依
第2章 土の大陸
20/24

2.地竜咆哮 【02】

...070


 キィが生贄の儀式を受けると決めてから、付人であるファゴはもちろんのこと、カナの付人であるファンランも忙しそうにキィの手足となって働くようになった。カナはファンランに出来る限り手伝うように言った。文君ではない自分が手伝えることなど皆無だからだ。ファゴの話によるとジルドレが自由にしていいと言ったのを最大限利用してキィはかなりの人数の暗君キョセルを自在に動かして調べ物をしているらしい。

「で、なんか分かったのか?」

「んー。まだ読めてはこない。今度は書記官ラウダの方面を調べてる」

 キィもまだ手掛かりをつかめていないようで不機嫌そうだ。そこにノック音が響いた。

「キィ様」

「ファゴ」

 キィが意外そうに瞬きをした。ファゴは確かヴァン家の本家まで使いを出したはず。戻ってくるのが早すぎるのだ。ファゴは答えにくそうにうつむいてからキィに近寄った。

「お前、ずいぶん早かったな」

「その、どうしても早く手渡さねばならぬものがございましたので……」

「ん?」

 キィは頼んでいた資料を持ってきてくれたと思ったのだろう。しかし、ファゴの手に荷物はない。

「こちらを……ミィ様よりお預かりしてございます」

 キィが驚いて差し出された封書に目を見開いて見つめる。

「っ! そうだな、お前を使いに出せばそうなることを失念していた……」

 キィはそう言って少し震える手で封書を受取った。

「手紙?」

 カナはそう言ってファゴを見る。ファゴが答えにくそうに頷いた。

「御返事を御預かりするのであれば、その……」

「わかった、少し待て」

 気を使うファゴを留めてキィはその場で封書を切り、内容を読み始めた。

 その間、ファゴは部屋を見渡す。そして大綱集が積み重なった机に寄った。何冊か手にとって眺め、周囲に散乱している資料を眺めていた。カナはふっとその様子が目に入って違和感を覚える。

 ……驚いている?

 何故キィがしようとしていることを知っているはずのファゴが、ファゴ自身が過去に集めた資料を見て驚いているのだろうか。ファゴに尋ねようとしたところで、紙を畳む音が聞こえ、カナとファゴはキィの方を見た。

「キィ様、御返事は?」

「……書かない」

「え?!」

 カナもファゴも驚いてキィを見返す。

「あのよ、なんて書いてあった?」

 カナが聞きづらそうにしつつも内容を問う。

「俺にその気が在るのなら、儀式の前に俺を攫う準備が在ると、記してある」

 カナが驚いた。だが、前科が在る姉だ。当然儀式が真実味を帯びた今、その事くらい考えて在るだろう。

「じゃ、なおさら書いてやれよ!」

 カナが言うと、キィは難しそうな顔をして首を振る。

「だめだ。ミィに下手に動かれると困る。それになんて書くんだ? 俺は死ぬつもりはない。だから誘拐の準備は必要ないって? お前のことも書かなきゃいけなくなるだろう? じゃなきゃミィは俺が死ぬ必要がないことを納得しない」

 キィはそう言ってカナを見た。カナは唸る。

「そうだけどよー」

「ファゴ、ミィの機嫌を損ねて調べ物を続けるのは困難だろうが、返事は書かない。俺は元気そうだと伝えてくれるか?」

「は、はい。かしこまりまして」

 キィの意志は固く、ファゴも頷いた。

「で? どうだ? 進捗状況は?」

 ファゴが困ったように笑う。

「その、ミィ様に気取られないようにというのが中々……ティーニもキィ様のご様子を案じておいでで」

 キィは苦笑する。

「そうか。ティーニは優秀な文君だ。ミィに気取られはしないだろう。手伝ってもらってもいいぞ」

「わかりました。では、どの辺りまでを調べさせましょうか?」

 キィは少し悩む。

「お前には当時の書記君を調べてもらう予定だったな。ティーニには少し手を広げてもらって、その当時の議会記録を洗ってもらうか。どうだ? 頼めそうか?」

 ファゴが少し不思議そうな顔をして言う。

「議会記録、ですか」

 キィは何故ファゴが疑問に思うのか不思議そうな顔をしながら、続ける。

「だって大綱の書き換えは必ず議会で議題が上っているはずだろう? この紙質は置いておくとして、改正印が不自然な年……約二十年前位から調べてもらえるか?」

「はい」

 ファゴはそう言って自然な動作で机の周りに散らばっている資料を集めて机の上に重ねる。そして、一枚の紙を見て、動きを止めた。

「……キィ様」

「なんだ?」

「この書記君のリスト……」

 キィがファゴの元に寄る。カナも先程から違和感を覚えるファゴを不自然に思い、ファゴの側に寄った。ファゴが見ているのは、以前ファゴが集めた歴代の神殿で大綱集の改定を任された書記君のリストだ。神殿で国宝である大綱集の原本を扱う書記君はいわば、書記君の中でもエリート中のエリート。書記君なら誰もが憧れる役職だ。

「……そういうことだったのか!」

 ファゴが聞き取れるか否かというような小さな声で呟く。しかし二人とも近寄っていたために、聞きとることができた。

「何かわかったのか?」

 キィが尋ねる。

「キィ様、疑問に思わず私の質問に答えて下さい」

「? なんだ?」

 キィが不審そうにファゴを見る。ファゴは真剣な瞳でキィを見た。

「キィ様は何を不審に思って、大綱集や歴代書記君の情報をお集めなのですか?」

 キィが不愉快そうな顔をして言う。

「何故ってお前も知っているだろう? 大綱集に不自然な点があって、それを知る事で……」

 キィはそこではっとした。カナもキィの視線をみて剣の柄に手を掛ける。

「お前は誰だ?」

 キィの目が異様に黄色く光る。カナは剣を抜いた。細かい砂の粒子がどこからともなく舞う。

「ミィの言っていた通りだ。あんた、優秀なんだな」

 ファゴの顔をした誰かがそう言う。ファゴにしては表情が気楽そうで、別人の様な印象を覚える。カナは相手に剣を胸に押し当てた。キィを庇うように相手を睨みつける。

「やめときな、ルイーゼのええっとなんていったっけ? あんたじゃまだ俺には勝てないよ」

 ファゴの姿をした誰かはそう言って瞬時に何かをした。

「う!」

「カナ!!」

 何をされたか分からなかった。しかし、ファゴの姿をした誰かによって一瞬でカナは剣を取り落とした。そんなの初めての事で、カナは目を白黒させた。

「何が目的だ?」

 キィが砂を舞わせて脅すように問う。

「ふーん。神子ってのは本当だったんだね。安心しなよ。俺はあんたらの敵じゃない」

「信じられると思うか?」

 カナも取り落とした剣を拾い、構える。

「まったく、動揺して騙しきれないとは、おれもまだまだ未熟だわな。俺はあんたの姉のミィに手紙を密かに直に届けてくれって頼まれたのさ。だから不審がられないよう、この格好を借りただけ」

 ファゴの姿をした誰かはそう言って資料をキィに返す。

「……精霊も嘘をついているとは言っていない」

 キィがそう言って睨む事は止めずに言う。

「自己紹介してほしいものだけど?」

「えー。こういうのは隠密が基本だからあんまり正体晒したくないんだよねー。とりあえず、ミィの手紙は届けたし、俺、もうお暇するわ。ってことで、さっきこの身体の本人に命じたことは聞けないんで」

 ファゴの姿をした誰かはそう言って堂々と扉に向かう。その身体の右側からキィが、左側からカナが掴んで止める。相手は困った顔をして振り返った。

「侵入者は神兵ナルマキアに突きだす事になっている」

 キィの言葉に逆に相手は笑う。

「したきゃしてもいいよ。つかまんないから」

「だから、一つ質問に答えていけ」

 キィがそう言う。面白そうに相手は口元を釣り上げた。

「どうぞ?」

 キィは頷いて手を離す。

「あんた、さっき何かに気付いたみたいだけど、書記君のリストの何を見て気付いた?」

「あんたが不審に思った時期に書記君を務めていた男の中に一人、俺の知り合いだったからね。あんたが教えてくれなかったから、俺もまだ仮定の状態だ。答え合わせは本人にすることにした」

 そう言って歩き出そうとした男を今度はカナが止める。

「俺の質問には答えてないぞ!」

「え?」

 相手は不満そうに口を尖らせるが、黙った所を見ると質問には答えてくれるみたいだ。

「あんた、その見事な変装にその強さ……もしかして世界傭兵『千変師』テルル・ドゥペーか?」

 相手は少し目を見開いて驚いた顔をすると、すぐに不敵な笑みを浮かべた。

「さぁね?」

 にやっと笑うと扉が音もなく閉まり、不思議なファゴの姿をした男は消えていた。

「なんだよ、あいつ~~!!」

 カナが悔しがる。そんなカナに目もくれず、手に戻された資料を見る。二十年前、五名ほどいる書記君。

 ――彼らが鍵を握っているということか?

「なんだ?」

 キィは今まで集めている資料を見返し始めた。



 テルルは神殿を抜けた後にキィの付人であるファゴの姿を止めた。そして違う姿に化けると道を急いで、約一日半。神殿からは少し離れているが、確かめなければいけないことがあった。

 そこは臙脂の色が目立つ町並み。その奥にある一際大きな屋敷。そこの一角にとある人物が軟禁されているのは知っていた。時々彼らの息子の様子を伝えに忍びこんでいた。

「よぉ」

「テルル!」

 相変わらず軟禁されているそのストレスを感じさせない朗らかな笑顔で迎えてくれる二人。だが、テルルの顔は険しいままだ。

「テルル、どうしたの?」

 妻である女性が心配そうな顔するが、それに笑顔で応じる余裕はテルルにはなかった。

「お前ら、自分の息子が王に選ばれたら辿る運命を知っていたな?」

「……どういう意味だ?」

 夫である男性は不思議そうに言う。

「なにが、家庭教師を務めていた文君だ。大うそつきめ。文君誰もがうらやむ特別な書記君に就いていたんだろう?」

 テルルはそう言ってようやくいつものような笑みを浮かべた。



「アーリア様」

 ノックの音だけではなく、扉が開く様子もなく、気付けばアーリアの背後に一人男が控えていた。

「なに?」

 それにアーリアは驚かない。暗君だからいつでも報告をするように言いつけているのだ。

「南棟の特別客室の元に侵入者です。いつもの世界傭兵のようですが」

「そう。彼らのお客人はいつでも見過ごせと言ったでしょう? で、何を話していたの?」

 特別室の客人とはセーンの両親であるディーとリリィの事だ。二人の元に一度か二度ほど、世界傭兵のテルル=ドゥペーが訪れていた報告は受けている。ただ、話の内容は気になるので、報告させていた。以前はどちらも息子の様子だけだった。今回もそうだろうと思ったのだが、部下の様子からどうやら違うようだ。

「それが……二十年前、ディー様が書記君だったとか、リリィ様は依頼をするように仕向けただとか」

 話が結びつかないのだろう。部下も不思議そうに言う。

「二十年前……?」

 アーリアも最初わからない顔をしていた。

「もう少し詳しく」

「はい。どうやらディー様が以前書記君に就いていたことが合ったらしく、そこから嘘つきだの、息子の運命を知っていただのと、怒っているようでした。それをリリィ様もご存じだったらしく、テルル=ドゥペーは彼女の意のままに知らず動いていたような……依頼をするよう仕向けたと憤っていた様子で……」

 どうも報告ではあまり内容が伝わってこない。

 しかし、アーリアはそれを聞くと背後の本棚から一冊の分厚い書類の閉じ込冊子を持ちだし、ページを繰る。

「二十年前と言ったのね?」

「左様です」

「二十年前というと、この辺りね」

 アーリアはしばらく無言で書類を眺めている。それはエイローズの誰がどこに配属されているかという書類をまとめたものだ。人事を簡単にまとめたものといっていい。この書類のおかげでアーリアはエイローズの誰がどこで働いているかを頭に入れているのだ。

「……!!」

 アーリアが息を飲んだ気配がする。部下が心配そうに主君を見つめた。

「他には、他に何か言ってなかった?」

「ええっと、確か夫婦そろって約十年前からとかなんとか」

「約十年前?」

 アーリアは記憶を探っているようだ。しばらくコツコツと指で机を叩きながら思案している。そしてふっと思いついたらしくまた本棚の違う場所に行き、分厚い本を引っ張り出した。

「いや、だめね。これじゃわからないわ」

 アーリアが手を叩く。すると瞬時に声がし、違う文君が入室した。

「急いで、二十年前の大綱集の一巻の複写本を持ってきて。すぐによ!」

「はい、かしこまりまして」

 文君が慌てて部屋を出る。その場に残された暗君はどうしたものかと悩んでいた。

「他には?」

「いえ。主なところはその辺りかと」

「わかったわ。ありがとう。テルルに誰かつけた?」

「一応。ただ……」

 言葉を濁す部下にアーリアは言う。

「わかっているわ。相手は世界傭兵ですもの。きっと巻かれてしまうでしょうね」

 アーリアはそう言って暗君を下がらせた。一礼して暗君が消えた頃、大綱集の複写本を持ってきた部下が再びアーリアの前に現れた。アーリアは礼を言って古い大綱集と大綱集の写本を上下に並べて置き、同時にページをめくっていく。それはまるで上下で間違い探しをしているかのよう。

「アーリア様?」

 文君が主君の慌てた様子で何をしているのか、気になった様子で問う。アーリアは集中しており、返事をしない。だが、その箇所はすぐ見つけられたようで、ページをめくる手が止まる。

「……そういうことだったのね」

 アーリアは感嘆した様子で呟くと、すぐに机から紙を取り出し、さらさらと文章をしたためる。封書に入れると、蜜蝋を垂らし、エイローズの当主印で封をする。これでエイローズの当主がしたためた公式文書となる。

「急いでこれをルイーゼのアイリス様へ。早馬で持って行って」

 文君はそれを受け取り、急いで手配するために駆けて言った。

「ったく何が聖女よ。とんだ猫かぶりじゃないの」

 大綱集と書類を元の場所に戻し、別の文君に持ってきてもらった大綱集の複写本を渡すと、アーリアは溜息をついた。そして顎に長く美しい指をあてて考え込む。

「……あの腐れジジィはどこまで関わっていた?」

 才媛と名高いだけある。アーリアはキィとカナが追いかけていた真実に一足早く辿り着いたのだ!

「セーンを王宮が追いかけていたのも理解できた。エイローズの新しい王を失う訳にはいかないわ。セーンは見つけ次第保護しなければ。……そう考えるとヴァンの生贄の儀式もうまく利用する必要があるわね」

 アーリアはそう呟くと指示を出すために書斎から出て、部下を呼び集めはじめた。



 キィとカナの一室でキィがふーっと長い息を吐いた。

「わかった……!」

 カナもげっそりした顔でえ? とキィの方を見た。カナはキィのペースに合わせて情報を洗うと言う、あまりにも似合わない行為をここ数日行っていたのだ。慣れない行為にカナは文君を目指さなくてよかったと心底思っていたところだ。

「なにが?」

 疲労の籠った声で言うカナにキィは感慨深げだ。

「詰んだ。わかったよ。大綱集の謎と、エイローズの大君が逃げている訳」

 カナはふーんと言ってまた書類に目を戻すが、キィの言葉を頭の中で反芻し、理解してばっと顔を上げた。

「まじか!!?」

「うん」

 書類を投げ捨て、キィに近寄る。ファンランとファゴも驚いて顔を上げた。

「で? なんだ?」

 カナが言う。キィは真面目な顔をして、そしてカナに言った。

「九年前、お前にとって一番大きな事件って何があった?」

 キィに問われ、カナは即答した。

「セトが死んだ」

 そしてはっとして言った。

「あ、違うよな。国の事件だろ? えっと、何だったかな?」

 カナは空笑いすると、頭を悩ませ始める。そんなカナにキィは肩に手をやって思考を止めさせた。

「いや、合っているよ。セト様が死んだ。それが全てを解く鍵だったんだ」

 カナの表情が抜け落ち、キィを怪訝そうな目で見る。

「セトが何の関係が在るっていうんだ?」

 セトはアイリスの兄で、元々カナが守るべき人として仕える予定だった人間だ。

「それをアイリス様に確認したい。急で悪いが、カナ、ルイーゼまで案内してくれないか?」

「え?! 今からか?」

 既に日も沈みかけている。それにアイリスに予定を聞いてもいない。

「ファゴ、アイリス様は俺の儀式のために首都のルイーゼ家にいるんだろう?」

「はい、確認済みです」

 キィが頷いた。

「なら、今から行けば儀式までに戻ってこれる」

 カナがキィの決意が固いと知れるや、立ち上がって伸びをした。

「ま、謎解きも気になるしな」

 ファンランとファゴが即座に着いていくために支度を始める。

「お前って自分で馬乗れる?」

「いくらインドアな俺とはいえ、王家の一員ですからそれくらいの嗜みは在りますが?」

 キィが言い返す。カナが悪い悪いと言って部屋を出た。


 ――キィの生贄の儀式まで残すところあと一日。


...071


 神殿を擁する街の砂漠の入り口、丁度街では広場になっている砂漠と街の境目で生贄の儀式が行われる。セダたちが目的にしていた土の大陸のモグトワールの遺跡がこの砂漠の丁度中央の辺りにあるらしい。

 キィはここでこの儀式のために造られた祭壇にて生贄の儀式を受け、そしてその身は聖なる供物として、モグトワールの遺跡へと運ばれる。これが生贄の儀式の大まかな流れだ。街の中で行われるからか民衆も大勢見に来る儀式で、さすがに処刑のように目の前で命を絶たれるようなことはしないようだ。

 つまり、セダたちがキィをかっさらうことは十分可能ということだ。あれから少ない日程で、セダたちは情報を集め、キィの救出作戦を練っていた。それは一応ミィには極秘に計画を立てた。テラ曰く。「あっと驚かせたいじゃない?」とのことである。

 祭壇の前には貴族や王族の血統が高い人のための場所が用意され、あと数時間もすればこの席は皆埋まる事になるだろう。ミィも王家の一員としてこの席の最前列に列席する事になるだろう。

 祭壇を取り囲むように配置されているのは神官と神兵である。この生贄の儀式のために列席している神官と新兵で千人を超すらしい。その背後にようやく民衆が列席できる。

 セダたちはヴァン家に頼み込んでその民衆の席と貴族らの貴賓席の間辺りに位置している。この場にいるのはセダ、テラとリュミィだ。ヌグファは魔法の発動のためにミィの付人ということで貴賓席に座っている。グッカスはセダの肩に止まっている。

 本来ならば楓の転移に頼る予定だったが、リュミィが楓をこれ以上危険な目に合わせられないと憤ったので、一瞬で消えるなら光の転移の方が炎の転移より自然に見せられる観点からリュミィに白羽の矢が立ったというわけである。光と楓はセーンと共にお留守番だ。

「儀式ってまだか?」

 セダが隣のテラに声を掛ける。貴賓席はとっくに埋まり、リュミィがようやく祭壇を視認できる程には目の前に人が集まっていた。

 背後はもっとひどく、近年行われなかった神子による魔神編の生贄の儀式を見ようと多くの民が押し掛け、警備の新兵や武君が苦労している声が響いていた。単純にヴァンの民は生贄となるキィの姿を一目でも焼きつけようと押し掛けている。

「もうすぐだと思うけど」

 テラは日の高さから時間を考えて言う。

「ヌグファは大丈夫かなぁ?」

「どうだろ」

 実はヌグファはミィの付人としていく事になっていたのだが、朝になってもミィが姿を見せず、ティーニに言われて一人先に会場入りしている。ミィが側に居らず、どうしていいか不安に思っているだろう。

 それよりもキィの命が消えようとしている儀式を目の前にしたミィの方がセダたちには心配だった。救出作戦を伝えた方がミィにはいいとセダは言ったのだが、グッカスは計画が漏れる事を危惧して秘密にしたのが実情だ。

「ミィ、もう来たのかな?」

 セダが呟くと、テラが首を横に振った。目が良いテラにはヌグファの前に座るはずのミィの席が人影から見えているのだろう。

 そこにわっと動揺のような民衆の声が響く。漆黒に銀の刺繍が入ったドゥバドゥール独特の詰襟ドレスをまとったアーリアと淡い水色に桃色の刺繍が入った詰襟ドレスのアイリスが会場入りしたのだ。二人は各王家の上座に座した。ジルドレがそれ見てヴァンの上座に着く。ミィの姿はまだない。

 ジルドレが太陽の位置を気にし、神官長はジルドレの合図を待っている。明らかにミィを待っているのだ。しかし、ジルドレは刻限が来たと知れると、神官長に合図を送った。

 その時、淡い桃色に白い刺繍の入ったドレスをまとい、頭にヴェールをかぶったミィが現れ、ヌグファの隣に静かに座した。ジルドレがほっとしたように小さく頷くと、片手を上げた。

 ――儀式が始まる。



 生贄の儀式が行われる事は光も楓も知っていた。二人してセーンにはばれないよう、気を使ったつもりだ。だから今日は誰もがセーンの顔を見に、挨拶に来なくても不思議ではなかった。

「今日は誰も来ないな」

 セーンが呟く。

「どうしたんだろうね?」

 下手に嘘がつけない光と楓は知らないふりをしようと決め込み、不思議そうな顔をする。

「まぁ、みんな忙しいのかな」

 セーンが呟き、手元の石を削る。初めて光達が見たような美しい砂岩の加工品がこの場所に来てからいっきに増えた。セーンは砂岩加工師としてかなりの腕を持っているようだ。次々と宝石が増えていくような感覚を覚える。

「俺ばかり暇だものな」

 セーンは何かを考えているような上の空でそうつぶやく。

「そんなことないよ」

 楓もそう言うが、セーンは肩をすくめただけだった。その時、扉が激しくノックされる。

「誰?」

 この小屋の出入りは楓の転移に限られている。誰かが訪ねてくるということがないのだ。だからセーンは慌てて二階に逃げ込んだ。楓は光を背後に庇いつつ返事をする。

「私! ミィよ」

 その声に楓が扉を開けると、息を切らした様子のミィが現れる。

「ミィ! どうしたの?」

 光はミィが今日、キィの生贄の儀式に出るはずだと言う事を知っている。儀式は昼。太陽が真上に上るときにはじまるはず。ならばもう屋敷を出ていなくてはならない時間のはずだ。

「テルルは?」

 転移ができないから走って来たのだろうか。膝に手を着いて、肩で呼吸を整えながら言うものだから、光も楓も驚く。

「いや、昨晩から姿を見てないよ」

「そう」

 ミィはそう言うと頭を上げた。そこで、光と楓は言葉を失う。

「――ミィ……」


 ――その額には黄金に輝く紋様が。


「王様に、なってる!」

 光が魂見を行って確かに確認した。それだけではない、光も楓も額にドゥバドゥールの紋様が現れたミィを見て、次の王だと確信する。

 ――次期砂礫大君セークエ・ジルサーデはミィ=ヴァンに決定したのだ。

「そうなの!」

 ミィが満面の笑顔で告げた。彼女は自分で弟を救うべく、運命を掴みとったのだ!!

「これでキィを救えるわ! 楓の言った通り、毎日暇さえあればお祈りしたのよ。私を王にして下さいって。魔神さまは叶えて下さった!」

「すごい!」

「おめでとう!!」

 宝人二人がミィの手を取って喜ぶ。

「キィは死なずに済むね!」

「ええ! これから儀式を中止させに行くつもりよ!」

 ミィが満面の笑顔で言った。光とミィが手を取り合って喜びながら小さくジャンプをし、くるくる回って喜びを分かち合う。楓はそれを傍から見て笑顔になった。

「よかったね! ……あ、テルルに用って?」

 楓が思いだしたように微笑みながら問いかける。するとミィも思いだしたように言った。

「うん。いざって時のためにね、テルルにキィを攫ってってお願いしていたの。でも、もう必要ないから、作戦は中止って伝えようと思ってたんだけど」

 楓と光は目を合わせて驚きの顔をする。セダ達もキィを攫う計画を立てているが、どうしたらいいのだろうか。

「えへ。また懲りずにって思ってた?」

 悪戯をばれたような子供の様にミィが照れて笑う。二人は首を同時に横に振る。

「いや……」

 楓が言葉に詰まっている。再び、目を合わせ思案する二人。

「あのね、じゃ、言うけど。セダ達もキィを救うために計画を立てているんだよ。儀式の会場にもう着いていると思うけど……」

 光の遠慮がちな声にミィが目を丸くする。

「それは大変! セダたちが犯罪者になっちゃう。急いで会場に向かわなきゃ」

 ミィはそう言う。

「それにそろそろ時間でしょう? 間に合う?」

 楓が言うとミィははっとした。

「そうなのよ。王として皆の前に立つと思うとね、いろいろ込みあげて来ちゃって。だけど、私頼りないかもしれないし、まだまだ未熟だけど、頑張るわ! キィが助かったらそれでおしまいじゃない。ちゃんと王として国をより良く導いていくって、決めたわ」

 時間ぎりぎりになっていたのはそういうことだったようだ。

「じゃ、私行くね。テルルに伝言をお願いできる? 作戦は中止にするって。もう大丈夫って」

「うん。わかった」

「あ、帰りは僕が送るよ」

 楓はそう言ってミィの手を取る。一瞬の炎で楓とミィの姿が消えた。

「ミィだったの?」

 二階から様子をうかがっていたセーンが言う。

「うん!」

「なんだって?」

 光は全てを話そうとして、はっとする。セーンは何も知らないのだ。それならば何も知らせず、全てが解決してからセダたちの口から話してもらった方がよい。

「いつもの顔を見に来ただけっぽい」

「そう」

 セーンはそう言って納得し、不自然には思わなかったようだ。

 そのうち楓が帰ってきてしばらく過ごしていた頃、テルルが顔を出した。姿を見せたテルルはセーンにはわかる仕事着だった。

「あれ? これから仕事?」

 だからセーンは当然の如くそう聞いた。テルルは本気で世界傭兵の仕事をする時、少し厚着になるのだ。服の下にいろいろな暗器を隠し、二回、三回とすぐに変装できるように準備している。

「おう。ちとな」

 テルルはそう言う。それを聞いて楓と光ははっとした。

「あ! ミィから伝言があって」

「なんだ?」

「その……」

 セーンを気にしながら光が言う。

「作戦は中止だって」

 テルルがそれを聞いて目を丸くする。

「作戦って?」

 セーンが尋ねる。逆に作戦中止が納得できないテルルは少し怒った調子で言った。

「なんで中止なんだ?」

 光と楓は目を合わせる。なんと説明したものだろう。

「その、うーんと、大丈夫だからって」

 ミィの言葉をそのまま伝えてもテルルには事情が伝わっていない。テルルはますます不機嫌になっているようだ。

「大丈夫って何が大丈夫なんだ? わかるように説明してもらいたい。ミィは会場か?」

「会場?」

 セーンが問い返す。それでテルルもはっとした。その様子を見て、セーンが不愉快そうに言った。

「この前から薄々思っていたけれど、皆俺に何か隠していない?」

「! あ! そんなことないよ!?」

 光が慌てて言う。だが、それは何かあると言っているようなものだ。光が嘘を付けないのが露呈している。楓も慣れていない言い訳になんと言ったらいいやらで、困っている。テルルはそんな宝人二人を見て、仕方ないと感じたのか、セーンに言った。

「隠してたんじゃない。みんなお前を気遣ってたんだ」

 テルルの言葉にセーンが納得できない表情で視線を険しくする。

「まぁ、この俺様が華麗に解決する予定だからぶっちゃけるが。今日、ミィの弟のキィが生贄の儀式を受ける事になっている。皆いないのはその会場に行ってるからだ」

「テルル!」

 楓と光が制止する声を上げるが、テルルはそれを片手で押えた。セーンはそこまで子供じゃない。これ以上事情を知らなければ、今度外に出る時に困ることにもなる。

「どういうこと?」

 セーンは愕然としてテルルに問うた。

「俺はミィにキィを儀式の直前で攫ってくれと依頼を受けた。それがこの格好の理由」

 テルルはそう言って、楓と光を見る。

「だが、その計画が大丈夫だから中止ってどういうことだ? 納得できる説明を求める」

 テルルからすればキィをミィが諦めたとは到底思いにくい。それとも儀式を中断させる手はずを思いついたのか? そんな大それたことが当日にできるだろうか。いくらヴァン家直系の娘とはいえ。

「どうしようか?」

 光が楓を見る。楓もしらず溜息をついて、肩をすくめた。

「僕らもよくわからなかったけれど、キィが死ぬ必要がなくなったから大丈夫なんだと思うよ」

 楓がしぶしぶそう言った。

「死ぬ必要がなくなった?」

「うん。突然のことで驚いたけれど、ミィは今日王に選ばれたんだ。額にセーンと同じ模様が出てた」

「私も視た。ミィの魂は半人の形になっていたよ」

 その言葉にセーンとテルルが絶句する。

「嘘」

「本当」

 セーンが目を見開いて驚いている。テルルも予想外の事態にどうしたらいいのかと固まっていた。

「それで、か」

「ミィは儀式の会場で自分が王に選ばれたって言うつもりなんじゃないかな?」

 楓はそう言った。キィが死ぬ前にそう言って認められれば、魔神は次の王を選び国に授けたこととなる。キィが死んでまで魔神に請う必要はないのだ。

「……はー。あのお嬢さん、やるね……」

 感心と呆れと、様々なものが入り混じってテルルが溜息をついた。反対にセーンはみるみるうちに表情が険しくなっていく。

「それで、ミィは会場入りしちゃったの?」

「……たぶん」

 楓が光と顔を合わせて頷く。

「駄目だ!!」

 セーンが叫んで立ち上がった。他の者が驚いてセーンを見上げる。

「駄目だよ! 何でミィをそれで行かせちゃったの?」

「え? だめだったの?」

 光がおずおずと言う。楓も驚いている。

「俺がどうして逃げていたか忘れた? 王に選ばれたからだよ?! 俺だから狙われてたならいいけど、もし次の王を狙っていたとしたら、ミィが危険じゃないか!」

 セーンの言葉に浮ついていた空気が凍る。皆が水を頭から掛けられたかのように冷静になって静まり返った。

「……そうじゃねーか。そうだ、ミィが危険だ」

 テルルはそう言って瞬時に身をひるがえし、窓から姿を消した。テルルはまだ誰にも言っていないが、ミィの手紙をキィに届けた際、キィが調べていた事から、事の顛末を知っている。セーンが何故狙われ続けたかもわかった。原因を排除してからセーンに伝えるつもりだったのだ。

 ――ミィは王と宣言すれば確実に命を狙われる。

「え?」

 光が姿を消したテルルを呆然と見詰めた。

「ミィを止めないと!」

 セーンがそう言う。

「でも、今から行ってもミィには間に合わないよ!」

 光が動揺して震える声で言った。

「ううん! 間に合うかもしれないよ!」

 楓がそう言った。

「楓?」

 光が言うと楓は強く頷いた。

「テラは会場入りしてるんだよね? 僕が転移でテラの元まで飛べば先回りできるかもしれないよ!」

「そうだね! 楓、私も連れて行って!」

 楓は頷いて光に手を差し出した。セーンは決意した宝人たちを見つめ、一瞬悩んだが、楓を見て言った。

「俺も連れて行ってくれ!」

 その決断は、反射的で何も考えていなかったとセーンは思う。楓が少し驚いてセーンを見る。

「でも、いいの?」

「俺が行っても何もできないかもしれない。逆に悪い事態を呼ぶかも。でも、ミィを助けたいんだ!」

 セーンの真っ直ぐな瞳を見て、楓は頷くと無言でもう片方の手を差し出した。セーンはそれを頷いて固く握りしめる。

 ――瞬時、炎が三人を包み込んだ。


...072


 儀式会場には豪華な儀式用の白い神官服を着用したキィが姿を現した。その瞬間に動揺のような声が広がる。キィは観衆に一礼すると、指定された一番の上座、すなわち祭壇の上に静かに座した。

 次に、ジルドレが立ち上がり、キィの前に跪いた。この儀式では王より魔神へ直接請う役目を負った神子の方が位が上になるのである。

 ジルドレが国を代表し、神子であるキィに魔神へ次代の王を授ける要請を請うている、形式上の要請を述べている。それを次は各王家の当主が始める。

 始めは現在の砂礫大君を擁する家であるエイローズのアーリアが、ジルドレ同様に跪いて祈る。その次にはルイーゼ家を代表してアイリスが。そのアイリスの席の隣には、さすがに神官服を着用したカナが心配そうにキィを見つめている。そうしてヴァンの順番が巡り、最後に神官長となる。

 その後キィは神官の祝詞が唱えられ、身の清めが終了する。最後に特別な輿に乗ってキィはモグトワールの遺跡へと運ばれていくのが一連の流れだ。

 アイリスの言葉が終わり、ヴァンからは当主であり実の父親であるジルガラが立ち上がった。実の息子を亡くすとわかっているジルガラは元々の病弱に拍車がかかって、様子はかなり悪そうだった。立つのもままならない様子で、常に付人の手を借りている有様だ。ミィはその時、そんなジルガラを推し留め、立ち上がった。

「ミィ?」

 ヌグファが驚いて小声で制止するが、ミィは堂々とした様子で頷く。

「お父様、わたくしにお任せ下さい」

 ジルガラも驚いているものの、ミィは当然のように確かな足取りで素早くキィの座す祭壇の元へ近寄っていく。キィもさすがに驚いていた。だが、ミィはすたすたと歩き、祭壇の前で跪いた。

「ミィ?」

 キィは儀式の前に会う時間を創っていたにも関わらず、ミィにすっぽかされてどうしたかと不安に思っていたのだ。実は一連の謎が解けたキィはアイリス、偶然居合わせたアーリアと話し合い、この儀式の後に、一つの計画を立案していた。ミィにそれを伝えようと思っていたが、ミィと会えなかったのでそれを伝え損ねたまま、儀式となってしまった。

 小声で話しかけてもミィは変じない。それどころか、急に立ち上がった。

「こちらにおわす神子・キィ=ヴァンは、今日に至るすべての時間を、魔神様への祈りに捧げてこられた。それはここにおわす神官全員、我らヴァン、そこにおわすエイローズ、ルイーゼ各王家の者も同じこと。我ら、魔神様に守護された約束の国・ドゥバドゥールの神殿が、これだけの祈りを捧げているのに、魔神様が聞き届けぬはずはない!」

「ミィ?!!」

 いきなり何を言い出すんだ? とキィがミィを見ようとするが、ミィは観衆の前に立つばかりでその表情はうかがい知れない。

「故に、魔神様は神子や神官の祈りを聞き届け、今日、この神子の命を掛けた儀式の日にそのお答えを聞かせて下さった。魔神様は慈悲深く、神子の命を摘み取る事を良しとしなかった!!」

 ミィはそう言って頭にかぶっていたベールをばっと取り払う。

「見よ!! ドゥバドゥールの民よ!!」

 ざっと風が吹く。ミィの前髪は軽やかに舞いあがり、その額にある物を皆に見せつけた。

 ――黄金に輝くドゥバドゥールの王紋を!!

「砂礫、大君!!」

 どよっと観衆全てが驚きに染まっていく。

「私が、次代の砂礫大君セークエ・ジルサーデ!! 魔神様は次代の大君を授けて下さった!!」

 キィがさすがに予想もしない事態に驚いて思わず立ち上がった。ミィはそこでようやく半身たる弟の方に振りかえった。その顔には笑顔。

「だから、キィは死ななくていいんだよ?」

 その声はキィにだけわかるようにはっきり口を開いて、だたし声は小さく。でも、照れたような笑顔の額には確かに王紋が在る。

「ミィ……」

 キィもさすがに何も言えない。だけど、その顔は自然と口元が上がる。その顔は釣られたように笑みに変わっていく。双子が久々に微笑みあった瞬間だった。

「えへへ」

 カナが遠くからその様子を見て、すげー姉だなと感心を通り越してあきれて見ていた。


 ――その時。


 テラの隣で突如炎が燃え、三人の人が降り立った。

「ミィ!!」

「楓?!」

 当惑するテラの視界の端――。


 同時――。


 どこからか射られた矢がミィの額、王紋を狙って放たれた――!



 ――アアアアアアアア


 何かの魂を切り裂くような悲痛な叫び声が響き渡った気がした。一瞬の事で、一体何がなんやら。どうなったかさえも誰も正確には認識できていなかった。

「なにが……?」

 誰かが呟いた。

「ミィ! ミィ!! ミィ!!」

 色を失って絶叫しているのはキィだ。

「キィ……!」

 いつも飄々としていて、絶えず余裕な表情しか見せていなかったキィが、倒れたままぴくりとも動かないミィを祭壇の上から覗き込んで、ミィの名を叫び続けている。

 その様子はとても普段のキィを思えず、動揺とか、そういうレベルではない。気が狂ったようにミィを祭壇から落ちんばかりに叫ぶ。

「ミィ!」

 何度呼んでも何度叫んでも、ミィの目が開くことはない。

「誰? 誰がミィを……誰だ!!! 誰だぁああああ!!!」

 キィがミィを絶望的に見つめたまま、周囲に向けて叫ぶ。誰も答えることは出来なかった。

「……遅かった……」

 テラの隣に降り立ったセーンが青くなって呟いた。

「……ミィ」

 セダも呟いた。ミィが王であると宣言し、その王紋を見せた。それによって王紋が見えた者は誰もがミィを次の砂礫大君だと認識したはずだ。土の大陸の神国・ドゥバドゥールはそういう方法で魔神が次の王を選ぶのだから。

 なのに、ミィが王であると分かった瞬間に、ミィは何者かに矢で射られた。

「何をしている! 矢の方向から犯人を突き止めよ!」

 ジルドレが立ち上がって叫び、ヴァン家の人間と武君が慌てて駆けていく。

 その時点になって会場は混乱に包まれ、観衆は立ち上がって、何が起きたか知ろうとし、神官は儀式を続けられないと神官長の指示を仰ごうとしておろおろする。

「許さない……許さないぃいい―!!」

 キィが誰にも聴こえない声で呟いた。それはキィを見ていたカナだけが気付いた。

「キィ?!」

 思わずキィの方に駆けだす。虚空を見つめるキィの目が異様に黄色く染まっていく。その視線はなにも捕えていない。ただ、己の半身であるミィを害したその世界そのものを見つめている。

 風も吹かないのに、キィの髪がふわりと持ちあがる。その髪は持ちあがって揺れ、もともと色素の薄い金髪だったのに、黄金色の夕日を浴びた様に、黄色く光っていく。それに伴い、小さな最初は誰もが気付かない様な砂の粒子がふわりと舞い上がる。

 それは、キィの周囲を渦巻くようにして徐々に、だが、すぐに誰しもがその異様さに気付く範囲で広がっていく。カナがキィの元にたどり着くその直前、周囲を巻き込んでそれは突如として発生した。

「砂嵐だぁあああ!!」

 観衆が叫び、超至近距離で発生した砂嵐に誰もが対応できず、遠くが見通せない様な砂の中に誰もが巻き込まれる。砂漠の砂がまくれ上がったかのように、一斉に辺りを包み込み、昼間なのに夕暮れの様に暗くなる。見上げる空でさえ、砂に埋められて暗く、茶褐色に覆われた。この視界で誰もが動けない。だが、そうも言っていられなくなった。

「逃げろぉお!」

「砂が巻き上げられ始めたぞ!!」

 キィがいた辺りから、砂が渦を巻いて、空へと立ち上り始めていたのだ。螺旋を描いて、勢いよく回転するように立ち上る砂の脅威。逃げようと急いで駆け出し、貴賓席の人間は我先に避難しようと身勝手に動き始め、儀式会場は大混乱になった。それは遠くから眺めていた住民も同様で、逃げようと混乱が生じる。

「キィ!!」

 カナが砂嵐の中心にいるであろうキィの名を呼ぶ。当然、答える声はない。

「おい! キィ!!」

 逃げ惑う人々を逃がさないと言わんばかりに、ぐらりと、今度は大地が揺れる。

「え?」

 走っている人々は気付かない。だが、それは確実に揺れ幅を大きくし、そして人々に襲いかかった。セダ達もあまりの揺れ幅に最初はバランスを取ろうとあがいていたが、それも無理だと直感的に次の瞬間わかることになる。

 「うわぁああ!!」

 セダたちはあり得ないほど、経験した事のない大地の揺れに倒れ込んだ。セダたちだけではない、この場にいる人は誰もが立っていることができず、倒れ込んだ。

「くっ!」

「地震……!!?」

 いつもは動くことのない不動の大地。それが揺れている、動いているという異常事態に誰もが夢とも思ったようだ。しかしそれは悪夢だ。恐怖のどん底だ。誰も悲鳴を上げて、大地に身をゆだねるしかない。

 街中でがらがらと建物が揺れ、石造りの建物が崩壊していく音と、人々の怒号や悲鳴が響き渡るのが同時だった。逃げようとしていた、街に駆けこんだ人の上に容赦なく瓦礫が降り注ぎ、建物の上から観覧していた人が建物の倒壊に巻き込まれて落下する。人々は逃げることも避けることもできずに大混乱に陥る。

 なのに、ドンと一際大きい揺れの後、これ以上の災厄が降りかかった。

「……嘘だろ」

 セダたちでさえ、あまりの恐怖に真っ青になる。

「……地面が、割れてる……?!」

 大地が割れて地震は収まった。しかし、誰もが動けない。再び揺れるのではないか、と動けずにいる。だが、それだけではない。祭壇を真っ二つにするように、街の中ほどまでは届いてはいないものの、砂漠の先までも両断するように大地が裂けていた。その亀裂がどこまでか、どこまで深いのか、誰も見通す事が出来ない。

 セダはようやく身を起こした。

「落ちた人が……いるのか?」

 呟くことしかできない。祭壇から始まった大地の裂け目は今や流砂のように砂漠の砂を飲み込む断崖絶壁と化している。その切り立った崖のような砂漠を両断した裂け目はその裂け目の中心で渦巻く砂嵐が発したものだろうか。その砂嵐は明らかに規模が大きくなっている。

「もう、あれは……」

 グッカスが呟いた。

「砂嵐というレベルじゃ……?! 竜巻に近いぞ!?」

 最後は恐怖の混じった叫びだ。大地を割いた割れ目の中心で育った砂嵐はもう点に届くかというほど巨大な砂を巻き込んだ渦と化している。その砂嵐のおかげで周囲で砂が雨の様に激しく叩きつけられ、ごっそりと地形が変わっていく。

 通常竜巻は上空の雲と風が嵐となって地上に届くものだ。ゆえに、風が全てを巻き込み、地上のものが全て破壊される。

 しかし、これは違う。風は伴っていない。全て砂の小さな粒一つ一つが意志を持ったかのように動き、竜巻のように渦を巻いて立ち上り、移動を始めている。砂嵐にしてもそうだ。風がないのに、砂粒が持ち上がる。砂粒が猛威をふるう。それは通常ではありえない。つまり、これは。

 ――魔神の怒りだ。

 せっかく授けた王を人間の都合で捨てた。その怒りだと、誰もが思った。

 ドゥバドゥールは土の魔神の信頼を裏切り、裁きを受けているのだと!

「ここにいたら、まずいんじゃないか?」

 誰かが叫ぶ。

「どこに逃げたらいいの?」

「どこが安全なんだ!?」

 人々が混乱し、恐怖で立ち竦み、空を見上げて叫び、嘆く。上空で育つ何かを、魔神の示す天罰を見極めようとしている。

 その砂礫の竜巻はどんどん巨大化して伸びあがり、やがて渦を巻きながら姿を変えていく。横に伸びて、縦横無尽に空を舞う。砂嵐だったものは今や巨大な砂を纏ったなにかに。

「なんだ、あれは?!」

 これもまた誰かが叫ぶ。

「……蛇?」

「いや、あれは……竜、じゃないか?」

「地竜だぁああ!」

 ――竜。

 それは、伝説の生き物。魔神が地に降り立った時に、竜の姿を取って降りてきたとも、竜の背に乗って降りてきたとも言われている。それは地域によって違うが、様々な伝承を元に、神聖なる魔神の使いとして、人々に語り告げられている生き物。

 姿は巨大で、蛇に似ている。ただし、立派な角を持ち、人に似た顔をしているという。脚があり、その脚の爪は鋭く、軽く振られただけで地形を変えると言う。魔神の次に自然を操るに長け、宝人を生みだす際に魔神は竜の血を一滴垂らすことで、エレメントを管理する能力を与えたとも言われている。

 その竜が現れたと言われても誰もが信じるような光景が眼前に広がっている。目の前の上空にたたずむその砂の固まりは、確かに生き物に見え、その生き物はこの世のものとは思えないものだ。

 そう、砂嵐ではなく、今はもう伝説の生き物の姿である竜の形によく似て、空を飛び、周囲に砂を降らせ、地形を変えている。

 ――グォオオオオオ!!

 砂を纏った竜が吠えた。

「きゃぁあああ!!!」

「うわぁああ」

 その叫びだけで人が巨大な砂混じりの風にも似た力の固まりの鉾に叩きつけられて飛んでいく。竜が吠えながら上空を飛びまわり、その度に地面が揺れる。人は立ち上がることもできず、だが、この場所には恐怖で居れず、尻をついたままじりじりと後退し、逃げようとあがき始める。

「キィ!!」

 叫ぶカナの声は届かない。キィとミィの姿は見えない。

「カナ!!」

 己の名を呼ぶ声に、カナがようやく気付いて振り返る。そこには部下に肩を掴まれ、少しでも安全なところに避難させようとさせられているアイリスの懸命な姿が合った。

「アイリス!」

 カナはアイリスの元に駆け寄った。鍛えているせいか、立っているのもやっとの地震の中、バランスをうまく取って駆け寄っていくカナはさすがだ。

「ここは危険です。避難しなければ!」

 アイリスがそう言って手を伸ばす。アイリスを支え、守るのがカナの武君としての仕事だ。それだけのために今まで腕を磨いてきた。――だけど!

「ごめん! 先に逃げていてくれ」

「カナ?!」

 アイリスが驚いてカナの手を思わず取った。

「キィがいるかもしれないんだ。俺は今、まだ神官見習いだろう? 儀式を抜けるわけにいかないんだ」

「そんな建前!」

 アイリスの叫びにカナは首を振った。

「お前にはお前を守ってくれる者もいる。お前には逃げる場所もある。だけど、キィは今、それがない。キィは俺の命と将来を案じてくれた。俺はそれに返す恩が在る!」

 カナはそう言って剣を抜き、柄をアイリスに差し出した。

「それとも、お前の武君は恩を忘れ去るような、人として許されざるもので構わないのか?」

 ただの武君ではない。三大王家の当主である人間の武君になろうとしているのだ。ただ武力に優れればいいと言う訳ではない。すべての武君の鏡となることが必要なのだ。アイリスは苦痛を堪えた顔でカナをしばらく睨んだ。

「……許可します」

 アイリスは剣を受け取ってその刃の背で軽くカナの肩を叩いた。

 ――それはまるで半成人の儀式の時の様に。カナの誓いをアイリスが受け取った証だ。

「ただし、危険だと思ったら絶対に帰ってきなさい!」

「御意」

 カナは頭を垂れ、恭しく剣を受け取ると、すばやく立ち上がり剣を腰に差すと砂嵐の真っただ中に向けて走り出した。

「アイリス様」

 部下に引きずられるようにしてアイリスが儀式上を立ち退こうとする。

「待って!」

「お待ちください!」

 そのアイリスを少女と青年の声が引きとめた。遠目から二人の人がアイリスに向かって駆けてくる。護衛の武官が庇うように前に出た。小柄のアイリスより少し背が高い少女とヴァン家の証を身に付けた青年。

「……あなたは?」

 二人が視認できるくらいに近づいた瞬間、その二人が跪いた。


...073


 セダは一緒に地面に倒れ込んだグッカス、テラと共に手を貸し合って立ち上がった。今は地震は収まっているようだ。しかし、その感覚が身体に残っているような気がしてならない。足元がぐらぐら揺れている気がして歩いててもふわふわしている気がする。自分が真っ直ぐ歩けているか不安だ。

「おまえらどうした?」

 セダが隣に降り立った光たちに尋ねる。

「ミィに王紋が出たって言われたんだけど、セーンの事が在るから……」

「危険だと思ったんだが、的中したっていうか、間に合わなかったな」

 セーンが言葉を引き継ぐ。

「ミィを止めに来たのか?」

 セーンが頷く。

「ただ、あの様子では……」

 グッカスが真っ二つにされ、地面が割れて近寄れない祭壇を見上げる。祭壇の上で逆巻く砂の固まり。

「……キィとミィは無事ではないだろう? 魔神の天罰が下ったなら」

 グッカスがそう言う。すると光が焦った様子で首を振った。

「魔神さまの天罰なんかじゃないよ」

 誰もが王と宣言したミィを害した事に対する魔神の天罰だと思った。

「待って! とりあえずヌグファを探しに行きましょう。心配だわ」

 テラが言おうとする光を制して、祭壇の側を指差した。ヌグファはミィの付人として貴賓席の最前列にいたのだ。無事が確認できないと安心できない。

「それもそうだな」

 セダたちは急いで祭壇の方を目指して歩き始める。しばらくして貴賓席の残骸が見えてきた頃、座りこんだ緑色の頭が見えた。

「ヌグファ!」

 叫ぶとふっとヌグファがセダたちを見て、安心したように立ち上がる。その動作も不安げなのは、一人で怖かったせいだろう。どうやら一緒にいたヴァンの人たちはティーニを除いて逃げてしまったようだ。

「セダ!」

「ヌグファ、何があった?」

 セダの問いにヌグファはセダたちと変わらぬ説明をした。身近にいても何が起きたかわからなかったようだ。

「どうします?」

「ミィとキィは生きているのか?」

 グッカスの問いにセダは生きていると返し、不安視してるのがティーニとヌグファだ。身近で巨大な砂嵐と感じたせいもあるだろう。

「待ってってば」

 光が言うので、楓がどうしたの? と問いかける。

「私の話を最後まで聞いてよ!」

「ああ、悪い。みんな気が動転しててな」

 セダが謝る。光はまっすぐ祭壇の上空で渦巻く砂でできた竜巻を指差す。

「ミィとキィは生きているよ。魂が見える。あれの中」

「本当にございますか?!」

 ティーニがほっとして溜息を吐きながら言った。光が力強く頷く。

「でも、あの中ってどういうことだ?」

 セダが言いながら砂の竜巻を見つめた。つられたように皆が見る。

「あのね、言いたかったことはキィの事なんだけど。私、初めてキィを見て、一瞬しか見られなかったから聞くけど、キィって本当に人間なの?」

「?」

「は?」

 誰もが光の言葉が何を意味しているかわからない。

「グッカス、あの竜を『視て』みて」

 グッカスはそう言われて、魂見を行う。確かに魂が二つ見えた。そこでグッカスが目を見開いた。

「ね? キィって本当に人間だったの?」

「どういう意味?」

 楓がそう問うた。

「神子って宝人のことじゃないの?」

「?!」

「え?」

 それはティーニでさえ驚くことだ。誰もが驚いて不思議そうにしている。

「グッカス……」

「光が魂見で嘘を付くはずないだろう。確かに、あの竜巻の中にはミィの魂と思われる半人の魂がある。もう一つがキィだろう。だが、あれはどう見ても宝人の魂の形だ」

 グッカスも自分で言って信じられないように呟く。

「じゃ、キィって宝人だったのか?」

「そんなはずはございません! キィ様は確かにミィ様と同じ時をしてお生まれになったのです。では、宝人を人間が宿したことになりますよ?」

「それってありえるの?」

 テラの問いにはリュミィが否を唱えた。

「そんなはずございませんわ。宝人は卵から生まれますのよ? 人の腹からは生まれることができませんわ。もし宝人と人が結ばれたとして、生まれてくるのは人だけですのよ」

「……じゃ、キィが宝人ならあれは魔神の天罰じゃない」

 楓が呟いた。人間達はそれについて行けない。

竜化りゅうかしたんですわ、キィが」

「話が見えないんだけど」

 リュミィも驚いて砂の竜巻を見つめながら説明する。

「宝人というのは卵から生まれますが、その孵化には宝人特有の『転化てんげ』というものを伴いますの。ええっと……説明が難しいのですけれど、宝人は卵の中の時は人の形をしておりませんの。前に孵化するまでに三年を要するのですけれど、その間に宝人は人の形を覚えて人の形を取って生まれてきますの。それを『人化じんか』と申しますわ。宝人はその能力の制御の段階によって形を変えることができますの。その形を変える行為を『転化』と言いますわ」

 その言葉に一行は驚く。宝人というからには、エレメントが使える人の仲間と思っていたが、そうではないらしい。卵から生まれる時点で人間とは一線が引かれていることにはなるが。

「『人化』以外の形態を宝人が取ることはめったにありませんわ。と申しますのも、それ以外の形態を知らないと申しますか、覚えないとできないのですわ。これは神代の言い伝えですけれど、宝人は五形態の『転化』を行えるらしいのですわ。で、話を戻しますが、宝人が竜の形を取ることを『竜化りゅうか』と、申します。その、あの形を見、そしてキィが宝人であればあれは竜化した姿と……思えますの」

 テラが手を目の前に出して唸った。

「ちょ、待って! こんがらがるよ」

 誰もがテラと同じ気持ちだ。突然宝人の特殊は設定を言われても理解が追いつかない。ただでさえ事態はひっ迫しているのだ。

「とりあえず、ミィが王と分かった瞬間に命を狙われた。それに激怒したキィがこれらの事を起こしたってことか?」

 セダがそう言った。

「キィって自分が宝人って知ってたのか?」

「そんなことはないと思います」

 二人をよく知るティーニがそう言った。土のエレメントが自在に使いこなせるのはキィが神子だからだ。周囲も本人もそう思って過ごしてきたはずだ。

「……もしかすると神子って宝人のことなのでは?」

 ヌグファが悩みながらそう言う。

「待てよ。今はそうじゃないだろ、話が戻っている。キィが宝人かどうかはどうでもいい。大事なのはあそこからキィとミィを救えるかってことだ」

 セダがそう言う。するとテラもリュミィもはっとして頷いた。

「そうね」

「でもあれらをキィが引き起こしているのなら、この前みたいにどうにかできるかもしれないだろ」

 セダがそう言う。水の大陸の時で慣れたのか、セダならそうするとわかっていたのか苦笑しながら皆が頷いた。

「ま、待ってよ! あれをどうにかする気?」

 セーンが驚いて聞く。セダは同然の様に頷いた。

「だって、ミィもキィも助けないと。それに、うまくすればこの土の暴走状態も収められるかも、だぜ?」

「それは希望的観測だろう」

 グッカスが呆れて鋭くつっこんだ。

「どうやって?」

 セーンは唖然として聞き返す。

「んー」

 セダは何も考えていない様子ながら決意だけはあるらしく目は先を強く見詰めている。

「なんでだ? 危険だぞ!」

 セーンがセダたちの身を案じて言う。するとセダだけじゃなくテラも皆が頷いた。

「だからって、放っておけないだろ?」

 セダが当然の様に言って背中に納めていた武器を出した。

「セダ、私も連れて行って!」

 光が言う。光を困ったように見つめて、しかしセダは結局光が言い出したら聞かないと分かってか、頷く。

「おう、行こう!」

 それを見て楓も行った。

「僕も役には立てないかもしれないけれど」

「いいわ、一緒に行きましょう」

 テラは楓にそう返す。

「じゃ、まずどうするかだな」

 グッカスがそう言って竜を睨んだ。

「待ってよ! 砂塵竜巻の危険さをわかっていないんだ!!」

 セーンはそう言って皆に叫んだ。

「この距離だって危ないんだ! 近づいた瞬間に飛ばされて死んじゃうんだぞ! 早く逃げなきゃ!」

 そのセーンの不安げな様子にセダは逆に安心させるように笑いかけた。

「わかってる。だからお前はティーニさんと避難してくれ。リュミィ二人を送ってくれるか?」

「わかりましたわ」

 セーンは信じられない顔をして二人を見て、叫んだ。

「なんでだ! どうして土の、この国に関係ないセダたちがそこまでしようとするんだよ!?」

 セダは逆にセーンの言う事がよくわからない顔をする。

「そんなこと関係ないだろう?」

 セーンはそのセダの返事を聞いて目を見開いた。

「俺が水の大陸出身とか、どうでもいいじゃないか。目の前で知り合いの危機だったら誰だって助けるし、目の前で困っている人がいたら助けるだろ? 至ってフツーのつもりだぜ?」

 そうして晴れやかに笑う。

「危険は全く考慮していないがな」

 グッカスが溜息と共に言う。セダはあはは、と苦笑いする。


 ――ざあっと風が通り抜けた気がした。


 そして思いだす光景。

 生まれ育った村で、あれは夏だった。子供を保護して隠れ家に戻る前の一時。あれが家族が最後に集まった最後の時間だった。おじいさんを見た、最後でもある。

「どうして王紋を晒したりしたんだ?」

 父が珍しく怒った口調でセーンに詰めかけた。

「だって、あの子が……」

 セーンは確かに約束を破ったが、そこまで怒られる事をしたとは思っていなかった。

「いいえ、セーン。私たちはセーンの行動を怒っているわけじゃないのよ」

 母は困ったように笑っていたっけ。

「セーン、お前は人にその王紋を晒して、そして王になる覚悟があったのか? その短慮を言っているんだ」

 父親は尖った口調で言う。母が肩を叩いてなだめていた。

「そんなの関係ないよ。目の前で死にそうな子がいたら、誰だって助けるのが普通じゃないか」

 セーンも納得できずに父に言い返す。

「それに王の覚悟って言うけど、目の前の子供一人助けられなくて王様が務まるもんか!」

 それを言った瞬間、おじいさんが噴き出した。

「確かに、セーンの言うとおりだ。ディー君、ここは君が矛を収めるのが賢明だぞ」

「そうですが……」

 父は難しそうな顔をして黙り込んだ。

「なぁ、セーン。お前は優しい。そして正義感もある。セーン」

 おじいさんの声がよみがえってくる。

 ――お前は、もし王になったらどんな国をつくりたい?

 自分はなんて答えたっけ?

 そう、そうだ。


「困っている人がいないような、みんなが笑える国を造りたい。救いの手を払わない様な、誰もが進んで手を差し伸べられるような、そんな国の鏡ともなれるような王になりたい」

おじいさんは笑ってそうかって、頭を撫でてくれたっけ。


「そうだ」

 セーンは人知れず呟いた。

 ――あの時、子供を助けた時に、とっくにセーンの答えは出ていたのだ。

「あの時そう思ったじゃないか」

 国に何故頂点が必要か。どうして王が必要か。両親とその事について話し合った時、一人でできない事を、多くの人を助け、支え、より多くの幸せをつかむために王が必要だと、理解していたはずじゃないか。

 確かに実際に国を動かすには、お金も人もうまく使わないといけない。綺麗事だけじゃ国は動かないことも知っている。だけど、理想を持っていてはいけないとは言わなかった。

 ――最初の気持ちは、セダと同じだったじゃないか。


「待ってくれ!」

 砂嵐に向かっていくその背中に声を張り上げた。

 不安はある。ミィの様に遠くから矢を射られてしまうかもしれない。知らない間に死んでしまったおじいさんを思う。そして音信不通状態の両親を思う。

 ――怖い。あの砂嵐、自然の猛威。魔神の怒りと思うあの砂の暴威に脚が竦む。

 今すぐ後ろを向いて駆けだしてしまいたい。こわいのだ。脚が、手が震える。

 だけど!!

 セーンは肩にかけていた布を取り払った。落ちた肩布はすぐに砂嵐に埋もれて消えていく。

 ポケットからつけることはなくても、捨てることができなかった耳飾りを取りだした。深い臙脂の房が付いた王家の人間を示す耳飾り。セーンの御印は羊だった。薄い緑の砂岩の中に羊の彫りが見える。耳飾りは重く感じた。それが責任の重さだと着ける度に思う。

「セーン、お前!」

 セダが驚いた声を上げる。セーンが自ら飾りボタンを一つずつはずしていく。

 砂嵐の悪い視界の中でも輝くように王紋がその存在を主張する。

「魔神の怒りじゃないのなら、あの竜、俺がどうにかできる」

 逃げそうになる脚を、それでもセーンは自分の意志で進めたいと思うのだ。

「いや、魔神の怒りだと感じるからこそ、俺がどうにかすべきなんだ!!」

 ――救いを求める人がいるのなら。

 困っている人がいるのなら。

 それを迷いなく救うことを、ドゥバドゥールの国民ではないセダたちがやろうとしている。なのに、自分はどうか。魔神はセーンを王に選んだ。なら、自分が立たなくてどうする! 自分が動かなくてどうする?!!

 ――民の不安を取り除き、幸せに導くために、王が必要だと言うのなら!

「それは今だ!!」

 セーンは己から脚を踏み出した。セダたちに駆け寄っていく。

「お前、王紋をどうして……?」

 グッカスが驚いてセーンを見る。グッカスだけではない。皆が驚いている。

「この砂嵐に地震。地割れに空に舞う地竜。民がこの場にはまだ残されている。多くの市民は不安に思っているだろう。あの竜は街の中ほど、遠くからも見えるだろうし、竜の咆哮はドゥバドゥール中に響き渡っただろう」

 セーンはそう言って咆哮を続け、砂を勢いよく巻き上げ続け巨大化していく竜を見る。

「光はあの竜を見て、キィだと言った。キィは宝人かもしれないから、あれは魔神の怒りじゃないっていう。だけど、宝人だから竜化というのが出来るからと言って、それが魔神の怒りの形じゃないってどうして言える?」

 セーンがそう言う。それに誰もが目を見開いて、その可能性を考える。宝人は魔神が生み出した種族。魔神の怒りを代替わり出来る存在でもあるのだ。

「キィは目の前でミィを射られたんだ。怒らないわけがない」

 セーンはそう続け、そして自分の王紋を抑えた。

「この国は、次期王を何故魔神が選ぶのか、その本質を忘れている。王紋を授けられた次期王を害そうとしたその事実は残るんだ。その反省を国民が強いられている形が、今この天罰として現れているなら、それは俺たちが、王家の人間が守らなければいけない。次期王の選出は国民の悲願だった。国民の祈りでさえ、ある一部の人間が裏切っていたなら、それは天罰を下されるのは国民ではないはず」

 セーンは毅然と顔を上げた。

「なら、この後始末は、次の王に選ばれた俺がするべきだ!」

 皆が息を飲んだ。ただのか弱い逃げ続けた少年が、今、王として変わろうとしている。

「……それで、お前は関係ない俺達に逃げろっていうのか?」

 セダがセーンを軽く睨みながら言う。

「だって、お前らは水の大陸から来ていて、この国の事情は関係ないだろう? はやく国民と避難を……」

「ふざけるな!」

 セダがそう怒鳴った。セーンは目を見開いて驚いた。

「俺らとお前、もう他人じゃないんだ。頼れよ、そんな水臭いこと言うなよ。一人で何ができるっていうんだ?」

「そうだ。お前、あれを止めるって一人でどうにかする気か?」

 セダとグッカスがそう続ける。

「そうそう。元々王家に知り合いなんていないんでしょ? なら期間限定であたしたちがセーンの一番の部下だよ」

「なんで期間限定なんだよ?」

 テラの言葉にセダがつっこんだ。

「いや、あたしたち学生だし……」

 その二人を見て光が笑う。楓も微笑んだ。

「あなたは王だよ。それは間違いない。だけど王って一人で何でもできるものなの?」

 光の言葉にセーンもはっとした。

「協力してくれるのか?」

「もちろん! だってミィとキィを救うんだろ? ついでに国民も」

「ついでって」

 セーンが笑う。一行は一時笑った。

「で、王様よ、俺たちに命令してみな?」

 グッカスがそう言ってにやっとしながら笑う。セーンも笑う。

 恐怖が消えていた。皆と一緒なら大丈夫だと思わせる力が、セダにはあった。

「うん」

 セーンは頷いた。


...074


 アーリアは自ら馬を駆り、儀式場から遠ざかる一行を追いかけていた。

「ジルドレ様!!」

 声を張り上げる。砂粒が口に入ってくるがそんなことは気にして居られない。ジルドレがミィを射ることをもし命じたのなら逃がしておけない。だが、アーリアの考えが正しければ、彼は……。

「急ぐのだが!」

 目の前の馬が速度を落とした。しかし完全に止まってはいない。アーリアは馬を併走させる。それで十分だ。

「ミィ様の事、ご存じでは?」

「知るわけなかろう! 大事な姪だぞ。今更何を言う?!」

「率直に申し上げますわ。ミィ様を射た者を負うつもりならお止めなさいませ」

「なんだと?!」

 ジルドレが目を吊り上げて怒鳴った。その様子でアーリアはジルドレの関与を否定した。演技であったなら相当の狸だ。自分では敵わないと認めるべきだろう。演技であったなら、だが。

「今追えば背後の組織まで取り逃がします! アイリス様の御苦労を水泡に帰すつもりですか?!」

「どういう意味だ?!」

 アーリアはジルドレの質問に答えない。

「いいですか! 今はこの儀式場の街の民を、いえもしかすると国民全員を気に掛けなければなりません。その音頭を取るにはジルガラ様では荷が重いでしょう! 貴方様がなさらなくてはヴァンが動けません!」

 アーリアはジルドレの疑問もなにもかもを抑えて言う。

「ここは神殿を擁する街ですよ! ヴァンが動かねば、王がいない今は!」

「しかし! ミィとキィが!」

 ジルドレの馬は明らかに失速している。迷いが生じているのだ。

「王家の二人と国民では重きはどちらと思われます!?」

「だが!!」

 ジルドレを囲んでいたヴァン家の者もアーリアを囲んでいたエイローズ家も次第に馬をとめた。地割れや木っ端みじんになった祭壇、それに中空に浮かぶ砂の竜にしか見えない竜巻も視界に入っている。逃げたくとも逃げられない民。被害にあって途方に暮れつつ、泣き叫ぶ者。我先に逃げ出す王家――。

「そこにおわすはヴァン家ご当主とエイローズご当主でお間違いないございませんわね!!」

 そこに第三者の声が突如聴こえた。誰もが警戒して辺りを見渡す。

「失礼いたしますわ!!」

 突如一行の真ん中、アーリアとジルドレの馬の間に二人の人物、リュミィとグッカスが現れる。二人はリュミィの光の転移で移動してきたのだ。

「何奴!?」

 二人の配下が二人を庇うように前に出て、武器を構える。

「私共にお二人を害する気などございませんわ! 火急の自体故、各王家のご当主をお探し申しておりましたの!」

 リュミィが二人の目を真っすぐ視て言った。

「誰の使いだ?」

 ジルドレが馬上で跪く二人に問いかけた。

「アーリア様はわたくしの顔をご存じですね? わたくしがどこの誰と共に居たかも」

 グッカスがそう言ってアーリアを見上げる。アーリアも頷いた。

「ミィ様の……」

「仰る通りです。わたくし共は次期、いえ、現在は空位ですので、当代と申し上げて差し支えございません。砂礫大君陛下からのお託を各王家ご当主さまへ携えております」

 グッカスがそう言った。ジルドレもアーリアも驚く。

「では、ミィは?」

 ジルドレの言葉には答えず、リュミィが続ける。

「そしてこのお託は三大君の寄るものです。今は証明する手立てがありませんが、大君陛下全員のお託、いえ、ご命令とお考えいただき、ぜひにもご協力を……」

「三大君がそろったですって?」

 アーリアも目を見開いた。誰だとその目が問いかけている。

「魔神様はミィ様を砂礫大君にお選びになられた際に、同時に残り二つの大君の選出も行われたようです。選ばれた三人には王紋もございます。此度が解決した暁にはご確認も叶いましょう。ですが、今は事態が事態ですので、ご納得いただく他ございません」

「で、誰なの? 新しい王は? その名くらい告げてもよいのではなくって?」

 アーリアの言葉にグッカスが頷いた。

「新たな大地大君に選ばれましたのは、セーン=エイローズ様。並びに新たな岩盤大君はカナ=ルイーゼ様。最後の砂礫大君はご存じの通り、ミィ=ヴァン様。三大君、お揃いでございます。三大君はこの事態の速やかなる解決を望まれております。ご理解いただけましたら、一刻の猶予も争います。お託をお聞きくださいますようお願いいたします」

 二人とも一瞬呆けていたが、すぐに思考の切り替えを行えたのはアーリアだ。

 ――ああ、やはり彼が王だった!

「聞きましょう」

「なに?」

 ジルドレは驚きから抜け出せないまま、しかも何も言えず、二人を見た。グッカスは頷いた。リュミィが頷き返し、セーンの行った事を伝えるため、口を開く。



「で、お前はあの竜をどうにかできると言っていたが、具体的に何をするつもりなんだ?」

 グッカスがそう問うた。セーンは頷く。

「あれって砂塵竜巻の巨大版に見えるけど、たぶん砂の塊だと思うんだ」

「なんで?」

 テラが問う。セーンは竜の上空の空を指差す。

「竜巻とか砂嵐って風を巻き込むんだ。竜巻は上空の雲が巻き込まれている場合が多い。だけど、空は普通だろ?雲がないじゃないか。それに風もここでは吹いていない。今暗いのも、さっきの砂嵐のせいで視界を遮られているから。つまり、風を巻き込んでいないってことは自然に起こった災害じゃないんだ。あれは砂自身が意志を持って螺旋状に渦を巻いている。それで砂を吐きだし、猛威をふるっているんだ」

 セーンの説明は気象をよく知らない一行には目から鱗の話だった。これも両親の英才教育のおかげだ。

「ならあれは対極の力をぶつけてあげればいい」

「対極の力?」

 リュミィが少し考えて言う。

「風のエレメントということですの?」

 セーンは頷いて、説明を補足する。

「そう。だけど厳密には違う。俺は半人だから風と土のエレメントを使いこなせるけど、あの竜に対抗できる程の力は持っていない。だから、俺が考えたのは風のエレメントを使った方法で怒りを鎮めるのと同時に風のエレメントをぶつけてどうにかしようと思ったんだ」

「……具体的には?」

「皆には砂岩の加工を見せただろう?あれをあの竜に向けてやるんだ」

 それには全員が呆気にとられた。

「できるのか?」

 セーンは唇を固く結んだ。できるかわからない。大きな賭けに近いこともわかっている。あの竜に近づくのも怖いし。だが、不思議と出来ないとは思わなかった。

「できる!」

 グッカスやリュミィは何かを言おうとしたが、それを制してセダが頷いて笑う。

「そだな! やってみようぜ! できなかったらまた違う方法を考えようぜ!」

「セダ」

 セーンは逆に驚いてセダを見返すが、自分の考えに、その意志に賛同してくれたことが嬉しくて頷き返した。

「わかった。実際にどう動く?」

 グッカスがセダの様子を見て、聞き返した。

「砂岩の加工には唄を使う。みんなに見せたよね? 唄であの砂の猛威を殺す。相殺して、削る。竜を解体して、ミィとキィを救いだす。そうするとたぶん、竜は抵抗するだろうから、周囲に被害を及ぼす可能性は減る、と思いたい」

 セーンはそう言った。砂岩の加工では形を整えるのは人の手で行うが、細やかな色の変化や質感、様々なものを変える際に唄を使う。唄を使って石を加工するように竜を加工すると言ったのだ。

「砂岩はもともとただの石。石はみんな砂粒から出来ている。ならできないことじゃない、と思う」

 最後が尻すぼみな口調になってしまうのも仕方ない。意志を持った石を加工した事もないし、動いて成長を続ける石を相手にしたこともない。あれだけ巨大ならどれだけの時間がかかるかもわからない。

 ――だが、何もしないで、国民を不安にさせてはだめだと思うのだ。

「成程、いい案ですわ。歌は風の属性ですから、相克のエレメント、ということになりますわね」

 リュミィがそう言った。

「でも、どこまで近寄るの? 声が届くの?」

 テラがそう言って不安げに訊いた。セーンもさすがにやったことがないので見立てができない。

「ヌグファは魔法を使えるんでしょ? 声を増幅させるような魔法が使えるとありがたい」

 セーンは頭をフル回転させる。今まで両親に知らずの内に叩き込まれた知識が高速で展開されていくようだ。

「できるか?」

 セダだけではない、皆がヌグファを見ている。

 ヌグファはこうやって多くの人間に注目されたり、期待されたりするのが苦手だ。期待に応えられなかったり、うまくできなかったりすることを考えてしまう。萎縮してしまう。

 だが、セーンの目が今までとは違う事に気付いた。セーンはヌグファに完璧など、成功ですら求めていない。ただ、助けてほしいと思っている。ミィの目もそうだった。

 ――手伝って、助けてあげたいと思う目だ。

「ちょっと待って下さい。理論を構築する時間を下さい。できるかもしれません」

 ヌグファはそう言って座りこんだ。砂の上にかなりの早さで杖を使って魔法の構成を記し、考えていく。

「ありがとう。あとは土か……」

 セーンはそう言う。

「どういう意味?」

「俺の声を届け、それで土を相殺する。だけど、次から次へ砂が供給されたらそれはこっちがスタミナ切れして終わっちゃう可能性がある。それを阻止したい。土を動かさない魔法も欲しい。でもヌグファに同時に二つは頼めないし……」

「それって土のエレメント、流れを止めるってこと?」

 楓が訊き、セーンは頷いた。

「それなら僕が手伝えるよ。僕は宝人だから、簡単な魔法と同等のことはできる。土晶石があればね」

 楓の言葉に光ははっとした。

「私もできるかも!!」

 セダを見て光が言う。セダも頷いた。

「そっか。じゃ、お願い、俺を手伝ってくれ」

「わかった」

 宝人二人が頷いた時、テラが問うた。

「で、あれを止めるのはわかったけど、セーンは何のために王紋を晒したの?」

 セーンは頷いた。そして一行を見渡した。

「民の不安を鎮めるために、竜を止める前に名乗り出るつもり。それが一番の理由。だけど、本命はそれを見た各王家に一時的にでも俺が王だと感じてもらう為。皆水の大陸出身でもこれを見て、俺を大君と思ったんでしょ? なら、その魔神の威光を利用する」

 ミィのような宣言をするのだ。この混乱状況下で、ミィを暗殺したつもりの下手人はこの会場から逃げているはず。ならば、セーンの命は狙われる可能性が低い。しかも今はミィと違って周りにはセダたちがいる。

「民を逃がすには各王家の力が絶対必要なんだ。俺の名を、ううん、俺が王になったと知ってもらって命令を聞いてもらう必要があるんだ」

「王家の?」

 グッカスがそう聞き返すとセーンは頷く。

「見えるから分かると思うけど、神殿はオアシスが近いのと、砂流さりゅうがある。二次災害が起こるかを確認して、街の人たちを出来るだけ早く避難させないといけない」

 セーンが焦っているのはそのせいのようだ。しかし聞きなれない言葉が在る一行にはよくわからない。その顔つきでセーンは説明を始める。

「オアシスが近いってことは地下に水流が在る。砂漠では良くあるけれど、この砂漠の下が空洞になっていることがよくあるんだ。砂漠も実は水流のように流れあがってね、砂は絶えず動いている。その砂の流れや地下の空洞は、地震が生じると容易に崩れたり、流れが変わることがあるんだ」

 水の大陸出身の一行にはわかりにくいことだが、土の大陸の砂漠は普通の砂漠とは少し異なるそうだ。土のエレメントが豊富なこの大陸は砂漠の砂それ自体が流れをもっている。ゆっくりと人が気付かないくらいはるかに長い年月を掛けて土は動いているらしい。

 その流れも場所によってまちまちで、ある場所によっては水の流れほど速いところもあれば、人が一生かけてもわずかしか動かないような場所もあると言う。地震や地割れによってその流れは突如変わることが多々あり、流砂やさらなる地割れを引き起こす引き金になる場合が多々ある。

 そして神殿周囲の砂漠は水のオアシスが近いので、地下に水脈が通っている。ゆえに、砂の流れも変わりやすいし、空洞があるような場所もあるらしい。

 つまり、先程竜が起こした地震や地割れによって地形や流れが変わり、二次的な災害が生じる可能性が在る。それは砂漠だけで済むかが分からない。その為の調査と、住民の避難を王家に頼みたいということだ。

「あと、水の大陸は周囲が水の海なんだよね? 土の大陸は周囲は砂の海だ。砂漠の海だね。街中で見たかもしれないけれど、砂の海には砂の河、砂の源がある。水と同じく砂の流れが存在するのが土の大陸の特徴だ。かなり大きな地震が起きたから、それが砂の海に影響を及ぼしていないかを確かめる必要がある」

 砂の海のどこかに先程の地震が影響を及ぼしていると、津波が起こる可能性が在るのだという。水の大陸で津波を経験した事がない一行はあまりにも漠然とした話についていけないが、そういうことが起こる可能性があるなら、竜だの王だのいう問題以前にあまりにも多くの人が巻き込まれることだけはわかった。

「あとは山。地下に地脈がある。地震で活発化すれば、噴火とか崖崩れとか起こるかもしれない。その状況を把握しないと避難した先で一気に災害に巻き込まれる可能性が在る。でも、一般市民にはそれを調査することも、知ることもできない。それに避難できるような場所が在るかさえ、俺には把握できない」

「あ、成程。セーンだけじゃだめだね」

「そう。俺だけじゃ民にまで気が回らないし、上手く守れない」

「でも、当主の人って優秀なんでしょ? それくらいのこと、出来そうだけど」

 セーンは首を横に振った。

「この町はヴァン家の支配力が強い土地だけど、今の長はエイローズだ。そして隣町はルイーゼの管轄。三王家が協力し合わなければ民の誘導はできないと思う」

「ああ、そういえばそんなやっかいな仕組みだったな」

 セダがそう言うとセーンは苦笑した。土の大陸に生まれ、ドゥバドゥールで暮らせばそれは当然の様に思うが、セダたちのように他の場所から来れば、この国は変わっているのだろう。

「なるほどねぇ」

 感心したように一行が言う。瞬時にそこまで考えが及ぶセーンに驚いていると言ってもいい。

「で、当主と連絡を取りたいんだけど、アイリス様はまだいるみたい。あの人。水色の髪をしている……」

 セーンが指差した。一行はアイリスを視認する。

「ヴァン家はジルガラ様。ミィとキィのお父さんのはずだけど、知っている人は?」

誰も会ったことがないので首を横に振る。セーンは困ったな、という顔をする。ジルガラも避難したか、指示を出すためか、もう会場にいない。

「エイローズはアーリア様だけど……セダは会ったことあるんだっけ?」

「ああ」

「なら、その役目は俺がしよう」

 グッカスがそう言った。セダがグッカスもアーリアを知ってるな、と言ったのでセーンも頷く。

「ジルドレ様なら、街の方へミィ様を射た犯人を見つけようと馬で向かわれたのを確認しております。アーリア様はそれを見つけた時に、後を追われましたから、すぐならお二人は一緒にいる可能性が高いかと」

 今まで何も言わずにヌグファの隣で話の成り行きを聞いていたティーニがそう告げた。

「ならわたくしも参りますわ」

「え?」

 セーンが不思議そうにリュミィを見る。宝人と言う事を知っているのは一行だけだ。ゆえにリュミィが軽くウインクした。

「わたくしが一番速く移動できますのよ」

「そうなの……?」

 セーンが当惑した顔だが、皆が頷いているので、無理やり納得したようだ。



 アーリアとジルドレはセーンの王としての命令をグッカスとリュミィから代わる代わる語られ、静かにそれを聞いていた。

「地形、並びに気候の調査は承りましたわ。住民の避難についても」

 アーリアがセーンの心配していた二次災害の調査と国民の避難についての命令を聞き入れる。ジルドレも今は長の顔をして、具体的な民の誘導案を考えているようだ。この二人が同じ場所にそろっていることは有難い。きっと二人で巧く事を運ばせてくれるだろう。

「そして、もう一つ、ご命令を託っております」

 グッカスがそう言った。

「何だ?」

 冷静に命令を聞くことができ、その内容が従うべきものであると理解できたジルドレが重く聞く。

「街の境を越えて移動する者は捕えよ、と」

 二人がその命令がわからないと言いたげに首をかしげるような表情を取った。

 それを見てグッカスも内心頷く。だが、セーンから聞いた理由を思い御返すとセーンは本当に頭の回転が速いと感心してしまう。



「よし、グッカスとリュミィはエイローズとヴァン家当主への伝言役をお願いするね。ティーニさんとテラはアイリス様に」

 セーンが言うと四人は頷いた。

「俺とヌグファを中心に残りはあの竜を止める、それでいいかい?」

 セーンの言葉に全員が頷いた時だった。駆け寄ってくる馬の姿が視界に入ったのだ。

「あ、お前!」

 アイリスの居た方から一人の少年が馬を駆って一行に近づいてくる。それを見てセダがあ、と言った。

「ここらは危険だぞ! はやく街へ避難を……」

 馬上の少年の言葉が途中で途切れる。それはセーンの王紋を見たからだ。

「王、紋……?! お前! 誰だ?!」

 馬上の少年、カナはセーンを見るため、馬から降りてそのそばに寄る。セーンも驚いたが、視線をカナと真っ向から合わせた。セーンを守る為にセダが抜刀する。

「お前、前、キィを攫いに来た時にいたな?」

 カナがセダを認めて柄に手を掛ける。それをセーンが制し、セダを下がらせる。

「俺はセーン=エイローズ。あなたは?」

「……やはり、エイローズが王を隠していた! キィの言う事は当たってたんだな」

 カナはそう言うと柄から手を離した。

「安心してくれ。少なくとも俺だけはお前を殺そうとはしない」

「どういう意味だ?」

 グッカスが尋ねる。カナは後ろを向いて、背の中ほどまで伸びた髪をどける。

 そこには項に輝くセーンと同じ王紋が合った。項にあるということは次期岩盤大君ガルバ・ジルサーデだ。

「……! 王紋! じゃ、あなたも……」

 さっとすぐに王紋を隠してカナは苦笑いする。

「俺はカナ=ルイーゼ。あんたとは長い付き合いそうになりそうだが、挨拶はまた今度。俺はキィを助けに行くんだ。急ぐんでね、あんたら早く逃げなよ」

 カナはそう言って馬に乗ろうとした。それをテラが慌てて止める。

「ま、待って! キィとミィならあたしたちも助けに行こうとしているの。なら、協力しましょ」

 カナはそれを聞いて馬に掛けた脚を止めた。

「どうにかできるのか? あれを」

 カナが驚いているところを見ると、キィを救う気はあったようだが、ノープランだったらしい。

「やっぱり、おかしいです」

 突如ヌグファがそう叫んで、立ち上がった。セーンがすぐにヌグファに事情を尋ねる。

ヌグファが難しい顔をして、どう言おうかと悩みながら言葉を重ねる。

「何か、この場に別の力というか、術が施されているようなんです」

 魔法に疎い一行はヌグファの考えが理解できないようだ。

「確かに儀式の場所だったので、神官でしたっけ? 彼らの場を清めるような力の流れや、この竜が生み出す流れもわかるんです。しかしこの場所にもっとずっと前から仕掛けられていた術のようなものがあるんです。……そう、皆の不安をあおるような、混乱させるようなそういう何の為に仕掛けられたかわからないものが」

 ヌグファの混乱も頷ける。まるで儀式が失敗するように仕掛けられたようだ。そうとしか思えない。

「もしかして、いえ、そんな……」

 リュミィが手で口を押さえた。目を開いて、首を振り、小さな声でそんな、とかまさかと言っている。

「どうした?」

「水の大陸の時と似ている気がしますの。もしや、これは卵殻を狙っているなんてことは……さすがに考え過ぎですわよね」

 それを聞いた瞬間に、水の大陸の一行が驚いて青くなる。

「そうか、何故気付かなかった!」

「考え過ぎじゃないの?」

「あり得る話ですね」

 それぞれの感想を述べ、セーンに水の大陸であった卵殻破壊の話を手短する。考えれば考えるほど状況が似ている気がしてならない。混乱を起こし、災害に近いものを魔神の怒りと似せて民を混乱のさなかに落とし、管理者の隙が出来た時に、卵殻を破壊し、宝人の怒りを誘う。

 結局、水の大陸では卵殻破壊を狙った犯人はラトリア王が殺されたことで、動機や犯人像も不明のままだ。だから水の大陸だけではなく、土の大陸が狙われないとは考えにくい。

 おそらく犯人は儀式の失敗に乗じて何かする予定だったのだ。そこにイレギュラーのミィ暗殺が重なり、結果的に同じ効果をもたらしていると考えられる。

 するとセーンはしばらく黙り、考えがまとまったようで、口を開く。

「カナさん」

「カナでいい。で、何だ?」

「あなた、その服ってことは神官見習いですね?」

「そうだけど」

 セーンはセダを見て言った。

「セダは武闘科なんだよね? カナ、君は彼を連れてその卵殻破壊の阻止に神殿に行って欲しい」

 カナとセダが顔を見合わせる。

「なんでだ? それに俺はキィを」

「それは俺がやる。信じてほしい」

 セーンはそう言ってカナを見つめた。

「水の大陸の卵殻は神国の禁踏区域にあったんでしょう? ドゥバドゥールの禁踏区域は神殿にあるはず。大綱集にそうあった。覚えているよ。神殿の奥、本殿地下。カナは神官見習いなら、そこまで行ける。逆に行けなくても君は次の岩盤大君だ。そう言えば行けない場所はない」

 カナは驚き、そしてどうしたらいいかと悩んでいたようだが、一度竜を見てそしてセーンを見る。

「お願い! 宝人の赤ちゃんを殺さないで! 助けて」

 光が迷うカナにそう言って願う。光もリュミィも楓も、皆あの痛みを、卵殻に宿っていたであろう命の叫びを身を持って知っている。身を引き裂かれたような切ない痛みと苦しみを知っている。二度とあんな事を起こしてほしくない。

「何もないなら構わない。だけど、卵殻に何かあったら、今度こそ魔神が黙っていない」

 セーンはそう言った。楓もリュミィもカナに向かって頭を下げる。

「セーンに任せておけばミィとキィは大丈夫だ。俺たちはそっちに行こう」

 セダはそう言って、カナに自分の名前を告げた。カナは迷いつつも頷いた。

「わかった。キィを助けられなかったら容赦しないぞ。……よし、お前俺の馬に相乗りしろ」

 カナはそう言って馬にまたがり、セダも頷いた次の瞬間にはその背に飛び乗っている。

「じゃ、行ってくる!」

 セダとカナがそう言ってすぐに駆けていく。一行はそれを見送った形になったが、セーンがすぐに口を開いた。

「ヌグファ、魔法は無理そう?」

「大丈夫。できます」

 セーンは頷いた。

「当主への伝言を増やすよ。この時期に街から出ようとする者、移動しようとする者を捕えよっていう」

「何故だ?」

 グッカスが尋ねる。セーンは答えた。

「この一連の動きに、もし黒幕が居たとして、その黒幕の目的が儀式の失敗による混乱に乗じて卵殻を壊すなら、終わった後に逃げ出そうとするからさ」

それを聞いたグッカスは驚いた。

「そうか」

「だけど、儀式の成功を判断して魔術を発動させなくちゃいけない。犯人は少なくともさっきまで儀式が見える場所にいたはず。なら、今は逃げているね。だけどこの災害だ。普通には混乱が過ぎて簡単には逃げられないよ」

「じゃ、もしも避難する住民が混乱して移動していたらどう見分ける?」

「ドゥバドゥールは戸籍が在る。避難の確認に王家は戸籍から確認を取るはずだ。街を越えたら出来なくなるから、遠慮して下さいと言えば普通の住民なら従う」

 セーンは頭を巡らせて重ねる。

「あと魔法の痕跡のことを王家に話せば、王家の優秀な術君がすぐに調査をして術君は知れる。それを恐れてもいるはずだ」

「わかった」

 伝言役に選ばれた一行が頷いた。

「じゃ、お願い。あ、そうだ。せっかく三大君がそろったんだから名前くらい借りていいよね? その方がインパクト強そう。俺の名一人でいいかと思ったけど、ミィは有名だし、三人同時に王に選ばれたとなれば、いろいろ都合好さそう」

「わかった。三人の連名の命令だな。それは聞かざるを得ないと思わせられやすい」

 グッカスがそう言い、テラも意気込んで頷く。

 そしてリュミィがグッカスの手を取って転移を開始し、身体を光らせた瞬間に二人の姿が消える。ティーニとテラはアイリスの姿がもう見えないが、避難先に検討をつけて走り始めた。

「本当に速いんだ」

 セーンが消えたリュミィを見て、感心したように呟くのを隣で聞いていた光と楓は見合って笑う。

「じゃ、俺らも行こうか」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ